Madgaon Express

3.5
Madgaon Express
「Madgaon Express」

 クナール・ケームーは「Raja Hindustani」(1996年)などにおいて名子役として映画に出演し、「Kalyug」(2005年)で本格デビューした俳優だ。彼の出演作「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)は日本でも公開された。トップスターに登り詰めたとはいえないが、サイフ・アリー・カーンの妹ソーハー・アリー・カーンと結婚するなど、意外に業界内にコネを築くことに成功している。2024年3月22日公開の「Madgaon Express」は、クナール・ケームーの監督デビュー作である。ファルハーン・アクタルなどがプロデューサーをしているが、そんな人脈まで持っていたのかと驚かされる。脚本もクナール・ケームー自身が書いており、お手並み拝見といったところだ。

 主演は「Pyaar Ka Punchnama」(2011年)などのディヴィエーンドゥ・シャルマー。助演は「Bhavai」(2021年)のプラティーク・ガーンディーと「Laila Majnu」(2018年)のアヴィナーシュ・ティワーリー。ヒロインとしてノラ・ファテーヒーが出演している。クナール・ケームー監督自身がカメオ出演している他、コレオグラファーのレモ・デスーザも特別出演している。他に、ウペーンドラ・リマエー、チャーヤー・カダムなどが出演している。

 題名の「マドガーオン・エクスプレス」は実在する列車の名前である。映画の中ではムンバイーとゴア州のマドガーオンを結ぶ列車とされていたが、実際にはケーララ州コーチとマドガーオンを結ぶ列車だ。「Madgaon Express」はブラックコメディー映画であり、エキセントリックな登場人物が多数登場する。おそらく「Mad(狂った)」+「Gaon(村)」と掛けているのだと思われる。

 ムンバイー在住のドードー(ディヴィエーンドゥ・シャルマー)、ピンクー(プラティーク・ガーンディー)、アーユシュ(アヴィナーシュ・ティワーリー)は学生時代からの親友だった。彼らは10年生を終えた1998年と大学を卒業した2003年に一緒にゴアを旅しようとしたが、どちらも果たせなかった。大学卒業後、ピンクーはケープタウンへ、アーユシュはニューヨークへ移住し、ドードーだけムンバイーに取り残される。しばらく二人とは音信不通になっていたが、ドードーはSNSを介してピンクーやアーユシュと再びつながる。ところが彼らはそれぞれの地で成功し、裕福になっていた。一方、ドードーは定職に就いておらず、元のまま貧しい生活を送っていた。ドードーは合成写真などを使って成功を演出していた。

 2015年、ピンクーとアーユシュはムンバイーを訪れることになる。ホラを吹いていたドードーはピンチに陥るが、機転の利く彼は二人を空港で迎えた後、「学生時代の夢を学生時代の気持ちで実現しよう」ともっともらしいことを言って、彼らを列車でゴアまで連れて行こうとする。ピンクーは免疫力が弱く人混みを嫌がるが、とりあえずゴアまで行くことになる。

 ところがピンクーはムンバイーの駅で誰かとバッグを取り違えてしまう。彼のバッグにはたくさんの薬が入っていたが、彼がバッグを開けるとそこには多額の現金、ホテルの鍵、そして拳銃が入っていた。三人はうろたえるが、ドードーは現金と鍵だけ懐に入れる。

 マドガーオンに着いた三人はまずビーチでビールを飲む。怪しげなドラッグディーラー(クナール・ケームー)から受け取った薬を飲んだ三人は酔っ払ってしまう。アーユシュが目覚めると見知らぬホテルにいた。それは、ピンクーが取り違えたバッグに入っていた鍵で開けて入った部屋だった。彼らはベッドの下に大量のコカインがあるのを見つける。しかも、部屋にはカンチャン・コームリー(チャーヤー・カダム)という女性ギャングが訪ねてきて「ブツ」を持って来るように迫る。

 ピンクーはコカインを大量に浴びてオーバードーズ状態になっていた。カンチャンから逃げ出したドードーとアーユシュはピンクーを病院に連れて行こうとする。それを助けたのがターシャ(ノラ・ファテーヒー)という女性だった。ターシャはダニー(レモ・デスーザ)という医者を紹介する。ターシャとダニーは、ピンクーが接種したコカインが上物であることに気付く。

 三人が部屋に戻ると、ベッドに隠されていたコカインが消え去っていた。そこへ警察が踏み込んできたため、三人は逃げ出す。ドードーは、自分が何者でもないことを二人に正直に打ち明ける。三人はゴアから逃げ出そうとするが、既に彼らは指名手配されており、顔のスケッチが出回っていた。三人は再びターシャに助けを求める。ターシャに言われた住所に行ってみると、そこには麻薬密売ギャングのメンドーザ(ウペーンドラ・リマエー)が待ち構えていた。彼らが見つけたコカインは元々メンドーザのものだったのである。

 メンドーザはアーユシュとターシャを人質に取り、ドードーとピンクーをカンチャンのところへ女装させて送る。ドードーはカンチャンのアジトからコカインを盗み出すことに成功する。一方でアーユシュはターシャを連れて逃げ出す。彼らは合流しゴアからの脱出を図る。ところがピンクーの恋人マリヤムがガンパトに捕まってしまっていた。ガンパトはカンチャンのためにメンドーザからコカインを盗み出した張本人で、ムンバイーの駅では彼のバッグとピンクーのバッグが入れ替わってしまっていたのだった。ガンパトはマリヤムとコカインの交換を提案する。

 ドードー、ピンクー、アーユシュ、ターシャは一計を案じ、マドガーオン・エクスプレスにメンドーザ、カンチャン、ガンパトを誘き寄せる。また、実はダニーは覆面警察官であり、彼の協力も得て、そこへ警察を呼ぶ。こうしてメンドーザ、カンチャン、ガンパトは警察に逮捕される。

 ピンクーはマリヤムを連れてケープタウンに戻る。アーユシュはSNS上で知り合ったニシャーという女性と会うためにムンバイーを訪れていたが、実はニシャーの正体はドードーだったことが発覚する。それでも彼らの友情は変わらなかった。ニューヨークに戻ったアーユシュはターシャから連絡を受ける。

 学生時代の仲良し三人組がゴアを目指すという筋書きは、いうまでもなく「Dil Chahta Hai」(2001年)のオマージュだ。プロデューサーのファルハーン・アクタルが初めて監督した作品であり、その斬新な作りから当時は多くの若者を虜にしたものだ。「Madgaon Express」の元々のコンセプトは、「Dil Chahta Hai」で描かれたゴア旅行をトラブル多めにアレンジした映画とのことである。「Dil Chahta Hai」のみならず、「Lakshya」(2004年)や「Zindagi Na Milegi Dobara」(2011年/邦題:人生は二度とない)など、ファルハーン・アクタルの関わる過去作のパロディーが散見された。

 ドードー、ピンクー、アーユシュの三人が巻き込まれたトラブルはコカイン絡みのものだった。しかも、ゴア州においてライバル関係にある二人のギャング、メンドーザとカンチャンの間の抗争が絡んでいた。この二人は夫婦なのだが、メンドーザの再婚によって仲違いした。カンチャンは女性のみを構成員とした独自のギャングを立ち上げ、今やメンドーザの勢力を凌ぐほどにまで成長していた。彼女の生業は密輸業だったが、メンドーザが牛耳る麻薬密輸業にも進出しようとし、今回の事件を起こした。ただ、メンドーザの用意したコカインを盗ませたガンパトがミスをして、盗んだコカインを紛失してしまう。そのコカインがドードー、ピンクー、アーユシュの手に渡ったというわけだ。

 正直いって大まかな筋書きは、過去に公開されたヒンディー語サスペンス映画で既に見たような内容である。しかしながら、ブラックユーモア溢れる語り口が絶妙で、スリルやサスペンスよりも笑いが先攻する。それが逆にうまく行っていた。ホラ吹きのドードー、コカインを摂取すると覚醒する病弱なピンクー、コミカルなギャングのメンドーザ、迫力ある女性ギャングのカンチャンなど、エキセントリックかつどこか憎めないキャラが目白押しだ。彼らのやり取りが面白くないはずがない。

 ダンスシーンへの切り替わり方は強引な印象を受けた。1990年代以前のヒンディー語映画か、もしくは南インド映画の雰囲気を引きずっていた。ただ、わざとやっているようにも感じられた。それもオマージュのひとつなのだろう。

 俳優としては伸び悩んだクナール・ケームーだったが、今回は監督として意外な才能を発揮したといえる。オリジナリティーという面では弱いが、筋は分かりやすかったし、映像のセンスも良かった。子供の頃から業界で仕事をしてきただけあって、映画の呼吸法みたいなものを体得している。一瞬だけカメオ出演して顔を見せていたのも茶目っ気を出したのだろう。ただし、やはりその一瞬の演技でも弱さを感じた。今後は監督に専念した方がいいかもしれない。

 弱いといえば、ノラ・ファテーヒーの起用も成功していたとはいいがたい。「Satyameva Jayate」(2018年)の「Dilbar」など、アイテムガールとして名を馳せた彼女だが、俳優としてはほとんど存在感がなかった。今回は、出番は多くないものの、一応ヒロインの座にいた。しかしながら、やはり素直に踊っていた方が良さそうだ。

 「Madgaon Express」は、俳優クナール・ケームーの監督デビュー作で脚本も自分で書いている。よくある巻き込まれ型サスペンスだが、ブラックユーモアを交えて描かれており、ギャグの切れ味は鋭い。興行的にもまずまずの成績を収めているようだ。観て損はない映画である。