Monkey Man (USA)

3.0
Monkey Man
「Monkey Man」

 まず、デーヴ・パテールという俳優について簡単に説明しておきたい。「デーヴ・パテール」という名前は完全にインド人のもので、さらに詳しく出自を掘り下げるならば、グジャラート州出身である可能性が高い。「パテール」姓のコミュニティーはグジャラート州では「パティダール」とも呼ばれ、土地持ちの農民、地主もしくは実業家である。同州では非常に力を持ったコミュニティーになる。調べると、デーヴの両親はその読みの通りグジャラート人であることが分かる。ただし、両親共に英領ケニアのナイロビに生まれており、デーヴ自身は英国ロンドンで生まれている。グジャラート系インド人移民の家系であることが分かる。ここで強調しておきたいのは、彼はインド系ではあるが、インドで生まれ育ったことはないということだ。

 デーヴの出世作は何といっても英映画「Slumdog Millionaire」(2009年/邦題:スラムドッグ$ミリオネア)だ。ダニー・ボイル監督がインド人作家(本業は外交官)ヴィカース・スワループの小説「Q&A」(2005年)を映画化したもので、アニル・カプールやイルファーン・カーンといった多数の有名なインド人俳優を起用して作られた。しかしながら主役に抜擢されたのはインドでの実績が皆無だったデーヴ・パテールであった。「Slumdog Millionaire」は、インドの貧困を大袈裟に描出したことが嫌われてインド人観客からは不評だったのだが、国際的にはアカデミー賞8部門に輝くほどの成功を収め、人々の記憶に残る作品になった。

 「Slumdog Millionaire」の成功のおかげでデーヴはインドを除く各国の映画界において引く手あまたとなり、特にインド系の俳優が必要なると必ず声が掛かるようになった。英映画「The Best Exotic Marigold Hotel」(2011年/邦題:マリーゴールド・ホテルで会いましょう)、豪映画「Lion」(2017年/邦題:LION/ライオン 25年目のただいま)、豪映画「Hotel Mumbai」(2018年/邦題:ホテル・ムンバイ)などは日本でも公開された。

 2024年3月11日にサウス・バイ・サウスウエストでプレミア上映され、同年4月5日にカナダと米国で劇場一般公開された「Monkey Man」は、デーヴ・パテールの監督・主演作である。脚本も彼自身で書いている。デーヴが監督をしたのはこれが初めてである。

 「モンキーマン」とは、デーヴが演じる主人公のニックネームである。ストリートファイトで猿のマスクを着けて戦っていたのでそう呼ばれるようになったというエピソードがある。インドの二大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」に登場する猿の将軍ハヌマーンからヒントを得ており、映画の冒頭ではハヌマーンの幼少時代のエピソードが語られる。太陽をマンゴーと間違えて食べようとしたという有名な逸話である。ただし、通常の伝承ではハヌマーンはこのときの出来事のおかげで神々からスーパーパワーを得たとされるが、「Monkey Man」では太陽を食べた罪により神々から罰を受け、スーパーパワーを取り上げられたとされていた。

 「Slumdog Millonaire」と同様に、米映画でありながら舞台はインドである。「ヤターナー」という架空の州での物語ということになっていた。描かれていた都市の景観はムンバイーをイメージさせるものであったが、撮影はインドネシアで行われたという。

 インドが舞台であることで、当然のことながらインド人キャラが多数登場することになり、それに伴って複数のインド人俳優が起用されることになった。ソービター・ドゥリパーラー、スィカンダル・ケール、マカランド・デーシュパーンデー、ピトーバーシュ・トリパーティー、アシュウィニー・カルセーカル、ヴィピン・シャルマーなどである。ソービターは「Ponniyin Selvan」シリーズ(I:2022年/邦題:PS-I 黄金の河/II:2023年/邦題:PS-II 大いなる船出)に出演し、マカランド・デーシュパーンデーは「RRR」(2022年/邦題:RRR)などに出演していたため、日本人観客にも馴染みがあるかもしれないが、総じてインドの各映画界の中心にいる俳優たちではない。

 驚いたのは、タブラーの巨匠ザーキル・フサインが端役で出演していたことだ。しかも見事なタブラーの腕を披露していた。彼は過去にアパルナー・セーン監督の「Mr. and Mrs. Iyer」(2002年)で作曲を担当したことがあったが、基本的に映画界とはあまり関わりを持っていない。どういう経緯で彼がこの映画に顔を出すことになったのか、興味がある。

 米映画なので基本的には英語の映画であるが、ヒンディー語のセリフ率は高い。2~3割ほどであろうか。主要なヒンディー語のセリフには英語字幕が付いていたが、細かいものまでは追いついていなかった。割愛されたヒンディー語のセリフには罵詈雑言が多かった。

 日本では2024年8月23日から劇場一般公開された。邦題は「モンキーマン」である。公開直後の8月24日にユナイテッドシネマ豊橋で鑑賞した。

 キッド(デーヴ・パテール)は、幼少時に母親からハヌマーンについての神話を聞かされて育った。キッドの住んでいた森林は、バーバー・シャクティ(マカランド・デーシュパーンデー)率いる宗教団体シャクティ派による開発と、その手先となって人々を蹂躙する悪徳警官ラーナー・スィン(スィカンダル・ケール)によって焼き払われ、母親もラーナーに殺された。その後、キッドはストリートファイターとして地下ファイトクラブで猿のマスクをかぶってやられ役に徹し、金を稼いでいた。

 キッドは、シャクティとラーナーへの復讐の機会をうかがっていた。ラーナーが出入りする高級ラウンジを経営するクィーニー・カプール(アシュウィニー・カルセーカル)に気に入られ、そこに職を得る。また、武器密売人からリボルバーを入手する。同僚のアルフォンソ(ピトーバーシュ)を使ってVIPエリアでの給仕の仕事を得て、隙を見てラーナーに襲い掛かるが、止めを刺すことはできず、逃走することになる。

 瀕死の重傷を負ったキッドは、ヒジュラーのアルファ(ヴィピン・シャルマー)に助けられる。アルファたちはシャクティ派に異端として追われており、アルダナーリーシュワラ寺院に身を寄せていた。そこでキッドはタブラー奏者(ザーキル・フサイン)から武術の手ほどきを受け、戦闘力を向上させる。

 折しも、シャクティ派の支持を受けたソブリン党が総選挙で圧勝し、政権を維持した。それはディーワーリー祭の日でもあった。アーデーシュ・ジョーシー首相、ラーナー、そしてシャクティがクラブを訪れることになった。キッドはクラブに潜入し、爆発を起こして参加者を追い出す。そしてラーナーと死闘を繰り広げた後に殺し、最上階で待つシャクティと対峙する。シャクティは非暴力を訴えながらキッドを殺そうとするが、キッドが反撃し、シャクティを殺す。

 一言でいえば復讐劇であった。自分の母親を殺した悪徳警官ラーナー、そしてその黒幕である宗教指導者シャクティに対する復讐を胸に秘めながらストリートファイトでやられ役に徹していた主人公キッドは、映画の進展に従ってラーナーへの接近に成功し、一時は失敗して瀕死の状態で逃走するものの、最終的にはシャクティと併せて抹殺に成功するという筋書きである。

 なぜキッドが彼らに恨みを抱いているのかについては、映画開始当初から断片的なフラッシュバック映像により観客に仄めかされる。それがはっきりと明らかになるのは中盤以降、アルダナーリーシュワラ寺院でヒジュラーのアルファーに出会ってからだが、大体は予想の範囲内であった。むしろ、母親は目の前でラーナーにレイプされて殺されたのかと思っていたが、実際にはレイプはなく、殺されただけで、予想よりも悲劇度は低かった。

 銃撃戦と肉弾戦が入り交じったアクションシーンは、「ジョン・ウィック」シリーズなどを思わせるもので、目新しさに欠けた。目新しかったのは映像表現だ。近接撮影を多用しており、全体像がなかなか掴めないところにもどかしさがあったが、それがキッドの精神錯乱状態をよく表していた。どうやらこれは計算されたものではなく、機材の不調により携帯電話で撮影するしかなくなって、土壇場で生み出された表現らしい。これぞ、インド人が世界に誇るジュガール精神である。

 ただ、その苦し紛れの映像表現も単体で映画全体を救うものではない。単調になる可能性のあったこのアクション映画に独自色を加えているのはインドの要素である。

 まず、冒頭でハヌマーンの逸話が語られることからも分かるように、インド神話が下敷きにされている。一介のストリートファイターがインドを牛耳る支配者層を一網打尽にする様子は、太陽を食べようとしたハヌマーンと重ねられている。また、最後にシャクティと対峙する場面では、壁にランカー島を炎上させたハヌマーンの絵が描かれていた。

 インドを支配するソブリン(Sovereign?)党や、その支持母体である宗教団体シャクティ派は、インド人民党(BJP)とその支持母体である民族義勇団(RSS)を容易に想起させるものだ。アーデーシュ・ジョーシー首相はナレーンドラ・モーディー首相、バーバー・シャクティはバーバー・ラームデーヴをモデルにしていると推測される。ソブリン党は極右政党であり、少数派を弾圧していた。キッド自身はソブリン党の弾圧対象になったコミュニティー出身ではないと思われ、彼の復讐はあくまで個人的なものであり、そのような政治的背景とは無関係であろうが、迫害されるヒジュラーのコミュニティーと出会ったことで、世直し的な動機も加わったように感じられた。ただ、政治風刺は生煮え状態であり、そこに鋭さは全く感じられない。

 インドでは2024年4月から6月にかけて下院総選挙が行われた。「Monkey Man」が米国で公開されたのは4月であったが、この映画のインド公開は見送られた。下院総選挙ではBJPが単独過半数を失ったものの勝利を収めた。BJP批判とも受け止められる「Monkey Man」のインド公開はその後も実現しておらず、日本の方で先に公開された。

 他にも、アルフォンソが所有する改造オートリクシャー、半男半女の神アルダナーリーシュワラ寺院に身を寄せるヒジュラー、ザーキル・フサインが奏でるタブラーなど、インド要素が雑然と散りばめられていたが、それらが有機的に何かを生み出しているとは思えなかった。インド内部の人の発想ではないと感じた。外国人が付け焼き刃の知識でインド要素を入れ込んだという方が近い。

 むしろ、デーヴ・パテールのインド文化に対する理解を疑いたくなるような部分もあった。キッドの復讐はヒンドゥー教の大祭であるディーワーリー祭に実現する。彼はこの日、ラーナーやシャクティを殺す。ディーワーリー祭は、森林追放刑を受け、ラーヴァナを退治したラーマ王子が故郷アヨーディヤーに帰還したのを祝う祭礼である。ところが映画の中ではディーワーリー祭が「悪に対する善の勝利」「ラーマ王子がラーヴァナを退治した日」などと説明されていた。それはダシャハラー祭のことだ。グジャラート人ならダシャハラー祭の日にガルバーやダンディヤーをして祝う。ダシャハラー祭とディーワーリー祭を混同してしまっている。ましてや、ハヌマーンがランカー島を炎上させたのはダシャハラー祭の日でもディーワーリー祭の日でもない。

 このような基本的な間違いをインド系移民がするというのには一抹の不安を覚える。また、既出の通りインドで生まれ育ったインド人俳優も多く参加している映画だ。彼らはパテール監督にこのミスを指摘できなかったのだろうか。

 映画の楽曲の作曲家はオーストラリアのシンガーソングライター、ジェド・カーゼルということになっていたが、バッピー・ラーヒリーが歌う「The Dirty Picture」(2011年)のヒット曲「Ooh La La」、音楽監督スネーハー・カーンワルカルとラッパーのRadaが歌う「Maushi」、インドのヘビメタバンドBloodywoodの「Dana Dan」など、いくつか地元関連曲がBGMとして使われていた。

 「Monkey Man」は、インド系俳優として世界的に活躍しているデーヴ・パテールが初めてメガホンを取ったアクション映画だ。血みどろの復讐劇であり、そこに目新しさや驚きは少ないが、インド要素があるおかげでユニークさを演出できている。しかし、そのインド関係者の視点から観ると、そのインド要素は地に足の付いていない不安定なもので、デーヴはインドのことをあまりよく知らないのではないかと不安になる出来であった。BJPに批判的な内容でもあり、インドで公開されていないが、もしインドで公開されたら別の部分で突っ込まれるだろう。ただ、ピトーバーシュ・トリパーティーやヴィピン・シャルマーなど、通常のインド映画であまり出番を与えられていない埋もれた俳優たちが大活躍しており、インド映画ファンが一見する価値はある作品である。