インド映画とヌード

 日本のメディアがインド映画について紹介する際、「キスは御法度」という説明を加えることがあるのだが、これは完全な間違いである。確かにキスが規制されていた時代は一時的に存在するのだが、黎明期から現代まで、インド映画には数多のキスシーンが存在する。一方、ヌードは話が別だ。セミヌードシーンこそあれ、女性の乳首や男女の性器などの局部が露出した完全なヌードシーンはインド映画にはほとんど存在しないと考えていい。

 しかしながら、乳首の露出に限れば、いくつか例外もある。インド映画として初めて女優の乳首をスクリーンに映し出したのは「Siddhartha」(1972年/邦題:シッダールタ)だとされている。米印合作の映画だが、この中でインド人女優シミー・ガレーワールがトップレスになっている。ただし、性描写が激しすぎたため検閲を通らず、この映画がインドで上映されることはなかった。

「Siddhartha」

 次に重要なのは「Ram Teri Ganga Maili」(1985年)だ。序盤のダンスシーン「Tujhe Bulayen Yeh Meri Bahen」にて、女優マンダーキニーが滝の中で白いサーリーを着て踊りを踊る。これは、「モンスーン」においてウェット・サーリー・シーンの一例として紹介した場面である。このとき、水に濡れたサーリーの下から乳首が透けて見えている。

「Ram Teri Ganga Maili」

 実はそれだけではない。同じ映画の終盤にはマンダーキニーが赤子に授乳するシーンがあり、そこでははっきりと乳首が見えている。一説によると、WHOによる授乳キャンペーンに呼応してこのようなシーンが差し挟まれたらしい。この映画は大ヒットした。

「Ram Teri Ganga Maili」

 おそらくこれが、インド映画として初めて乳首が露出され、しかもインドの劇場で一般公開された最初の例である。

 その後も、女優の乳首が映し出されたインド映画がいくつも作られている。以下はその一例である。

「Trishagni」(1988年)
Siddheshwari」(1989年)
「Kasba」(1991年)
The Cloud Door」(1994年)

 珍しいところでは「Maya Memsaab」(1993年)がある。この映画にはまだ駆け出しの頃のシャールクが端役で出演しており、彼とのラブシーンにおいて女優ディーパー・サーヒーが乳首を露出しているのである。

 1990年代半ばになると、日本でも公開されたいくつかのインド映画に、乳首の露出があるものが見出せる。まずは「Bandit Queen」(1994年/邦題:女盗賊プーラン)だ。この映画には複数のレイプシーンの他、主演スィーマー・ビシュワースが裸で公衆の面前に立たされるシーンがあり、ほとんどヘアヌードだ。国際版ではそのシーンも入っているが、インド公開版ではそれらのシーンはカットされて公開されたようである。また、ヘアヌードを演じたのはスィーマーではなかったとされている。

Bandit Queen
「Bandit Queen」

 ミーラー・ナーイル監督の「Kama Sutra: A Tale of Love」(1996年/邦題:カーマ・スートラ 愛の教科書)は、インドの古典的な性の奥義書「カーマスートラ」を主題にしているだけあって、この映画には妖艶な性描写が目白押しである。この映画はインドで上映を禁止された。ディーパー・メヘター監督の「Fire」(1996年/邦題:炎の二人)は初めて本格的にレズビアンを描いたインド初の映画であるが、この中にも乳首が露出されるシーンがある。「Fire」はインドで劇場一般公開されたものの、ヒンドゥー教過激派の抗議活動によって上映中止を余儀なくされた。

 しかしながら、以上のようないくつかの例を考慮すると、インドでは乳首の露出が完全に禁止ではない可能性がある。

 ところで、インド在住(2001-13年)中、インドの一般的な映画館で上映されたインド映画の中で一本だけ、女性の乳首の露出を見た映画がある。それは「Sins」(2005年)という映画である。カトリック教会の神父が若い女性と性的関係を持つという、実話に基づく物語で、筋書きからしてエロティックなのだが、映像的にもかなり攻めており、ヒロインのスィーマー・レヘマーニーの乳首が2、3回露出していた。インド映画で乳首の露出があるとは露にも思っていなかったので、かなりの衝撃を受けた。

Sins
「Sins」

 インド在住中、一般公開された映画において女優が乳首を露出した例は、個人的な記憶では上記の「Sins」のみなのだが、「インドで開催された映画祭で上映されたインド映画」に範囲を広げると、もう少し例が見つかる。性的な描写においてもっとも先進的なのはおそらくベンガル語映画界で、Q監督の「Love In India」(2009年)や「Gandu」(2010年)にその片鱗を見出せるが、群を抜いているのはアミターブ・チャクラボルティー監督の「Cosmic Sex」(2012年)だ。性的な主題をスピリチュアルに昇華させた映画で、ヒロインのリーはヘアヌードまで披露し、インド映画の境界を押し広げた。しかし、ベンガル語映画は全く門外漢なので、「Cosmic Sex」の後、ベンガル語映画界において性描写がどのような展開を見せたのかは不明である。

Cosmic Sex
「Cosmic Sex」

 ちなみに、意外にインドの観客は真面目で、映画にヌードシーンが登場すると、怒って映画館を出て行ってしまう人がいる。「Sins」や「Cosmic Sex」の鑑賞時に、映画の途中で席を立つインド人観客の姿を目撃した。

 また、インドから日本に完全帰国した後の作品になるが、カンヌ映画祭でグランプリ賞を受賞したパーヤル・カパーリヤー監督「All We Imagine As Light」(2024年)には一瞬だけ女性の乳首が露出するシーンがあった。たまたまインドを旅行していたときにインドの映画館でそのシーンを観た。少し驚いたが、高級なマルチプレックスだったこともあってか、観客の反応は至って冷静であった。

All We Imagine As Light
「All We Imagine As Light」

 ちなみに、過激な性描写は、OTTプラットフォームでやりやすくなっている。なぜなら検閲の対象になっていないからだ。たとえば、ウェブドラマ「Forbidden Love」(2020年)では女性の乳首が堂々と映し出されていた。

ヌード事件

 基本的にインド社会はヌードに対して厳しく、その価値観は映画の外でも適用される。今まで映画俳優のヌードを巡っていくつかの事件が起きてきた。

 例えば男優ミリンド・ソーマンのヌード写真は今でも語り継がれている。ミリンドがまだ俳優ではなくスーパーモデルとして知られていた1995年、以下のような広告写真が発表され、物議を醸した。相手は1992年のミス・インディア、マドゥ・サプレーで、タフ・シューズ社の広告だった。二人とも靴しか身に付けていない状態で抱き合っており、大蛇が二人の間に絡まっている。

Madhu and Milind
マドゥ・サプレーとミリンド・ソーマン

 まだ経済自由化されて間もない頃で、インド社会にも耐性がなかった。わいせつ物陳列容疑に加えて動物虐待の訴訟も起こされたが、結局二人が罰せられることはなかった。

 ミリンドは最近も再びヌードで話題になった。2020年11月4日、ミリンドが自身の55歳の誕生日に、裸でビーチを走っている写真をSNSにアップロードしたのである。

Milind Naked Run
裸でビーチを走るミリンド・ソーマン

 今回は靴を履いておらず、足の先まで完全な全裸だったことも人々の目を引いた。

 アーミル・カーンもヌードで話題になった男優だ。「Ghajini」(2008年)で見事な上半身を披露したアーミルは、「PK」(2014年/邦題:PK ピーケイ)で完全な全裸になり、ポスターでもその姿を露にした。カセットプレーヤーのみが彼の名誉を守っている。

PK
「PK」

 やはりこのポスターを「わいせつ」だとして、ポスターの撤回やアーミルが全裸になるシーンの削除を裁判所に訴える人が現れたが、最高裁判所はこの全裸の姿を「創造性の一部」として、訴えを棄却した。

 ランヴィール・スィンのヌード写真事件も記憶に新しい。2022年、印Paper誌にランヴィール・スィンのヌード写真が掲載され、物議を醸した。1972年の米コスモポリタン誌に掲載された男優バート・レイノルズのヌード写真のオマージュとされている。

Ranveer Singh Nude
ランヴィール・スィン

 多分に漏れず、ランヴィールは「女性の情緒を侵害した」として訴訟を起こされたが、多くの女性たちは、「私は女性だが、情緒は侵害されていない」として、勇気を持ってヌードを披露したランヴィールを支持した。この写真のおかげでランヴィールは「今もっともセクシーなインド人男優」の称号を獲得した。


 これまで男性のヌード写真ばかりを紹介してきたが、もちろん、インドでも女優のヌードが問題になることもある。ただ、男優のヌードがジョークとして片付けられやすいのに対し、女優のヌードの場合は問題が大きくなり過ぎることが多い。

 ヒンディー語映画史の各時代には「セックスシンボル」と呼ばれる女優がおり、それぞれその時代の限界に挑戦してきた。21世紀に入ってからも、ビパーシャー・バス、マッリカー・シェーラーワト、サニー・リオーネなど、入れ替わり立ち替わり「セックスシンボル」と呼ばれる女優たちが登場し、「スキンショー(肌見せ)」と呼ばれる見所を提供してきた。

 ただ、サニーは元ポルノ女優なので別格だが、その他のいわゆる「セックスシンボル」女優たちが映画の外でヌード写真などで物議を醸した話はあまり聞かない。むしろ、十分な知名度を獲得すると、露出度競走から降り、正統派の女優を目指し始めることの方が多い。


 2010年代にヌードで話題になった女優といえばプーナム・パーンデーイだ。ただ、女優と呼んでいいか、戸惑いもある。なぜなら彼女は、ヌード騒動で名を売って映画での主演を勝ち取ったからであり、女優としてヌードを披露したわけではないからだ。

 プーナムが最初に知名度を獲得したのは、2011年のクリケット・ワールドカップのときだった。元々モデルをしていた彼女は、ワールドカップでインド代表が優勝したらヌードになるとSNS上で宣言し注目を集めた。しかも、幸か不幸か、このときインド代表は本当に優勝してしまう。インド中の視線がプーナムに集まり、「脱ぐか、脱がないか」が騒がれることになった。

 結局このときプーナムは脱がなかったのだが、その後も、突然「10月13日はノーブラの日」と宣言してノーブラ写真をアップロードしたり、クリケット選手をヌードのご褒美で応援するキャラを継続したり、そしてエロティックな映画に出演したりもして、すっかりお騒がせ女優として定着した。彼女のTwitterをのぞくと度々セミヌード写真がアップロードされているし、時々有名人に噛みついたり事件を起こしたりして、常に話題作りをしている。

No Bra Day
2012年にプーナム・パーンデーイが
「ノーブラの日」を提唱

 2020年代に入って、プーナム・パーンデーイの路線を継承する女優が新たに登場した。ウルフィー・ジャーヴェードである。今のところTVドラマ女優に留まっているが、露出度の高い奇抜なファッションをすることで世間の注目を集めており、「第二のプーナム・パーンデーイ」と呼ばれている。物好きなプロデューサーや監督が彼女を映画に起用するのも時間の問題であろう。

Uorfi Javed
ウルフィー・ジャーヴェード
スマホ・ブラを発明

 ただ、あくまで彼女は、関心があるのはファッションだとしており、将来的にヌードになることはないと述べている。