Sins

2.0
Sins
「Sins」

 今日は、2005年2月25日公開の新作映画「Sins」を観にPVRアヌパム4へ行った。「Sins」は英語で「罪」という意味。副題は「Crimes of Passion(情愛の犯罪)」。題名だけで何だかやばそうな雰囲気が伝わってくる。

 この映画はケーララ州の海岸沿いの町を舞台にした英語映画で、現地語のマラヤーラム語が多少入っていた。よって、ヒングリッシュ映画と呼ぶことができない。仮に「印グリッシュ映画」とでもしておくか。監督・脚本はヴィノード・パーンデーイ、キャストは、シャイニー・アーフージャー、スィーマー・レヘマーニー、ニテーシュ・パーンデーなど。カトリック教会の神父が若い女性と肉体関係を持つ、という筋の映画で、しかも実際の事件を基にしたらしい。インドのカトリック教会グループがこの映画の上映を禁止するよう裁判所に訴えていたが却下され、A認証(成人向け映画)で先週の金曜日から公開されている。

 ケーララ州の海岸沿いの町に住む神父ウィリアムス(シャイニー・アーフージャー)は、看護大学に通うローズマリー(スィーマー・レヘマーニー)と肉体関係を持ってしまう。最初は罪に苛まれて教会で懺悔をするウィリアムスだったが、欲望に打ち克つことができず、ローズマリーと密会を繰り返す。ウィリアムスは人脈を使ってローズマリーの学業と就職や、彼女の弟のドバイ行きを支援する。しかし、ウィリアムスとローズマリーの関係は次第に町の人々に知れ渡り、ローズマリーは悪評に耐えられなくなる。ウィリアムスは特別許可をもらってローズマリーと結婚すると言っていたが、神父の結婚は許されていなかった。ウィリアムスは、ローズマリーをムンバイー在住のグラハム(ニテーシュ・パーンデー)と形式的だけ結婚させ、実際は彼女を愛人にする。

 10ヵ月が経った。グラハムはローズマリーと見せ掛けの結婚をしたものの、彼女と本気で結婚したいと思うようになり、彼女が住む町を訪れる。ウィリアムスの暴力に耐え切れなくなっていたローズマリーは、グラハムと本当に結婚することを決意し、彼と初めて一晩共に過ごす。ローズマリーは夜中こっそり逃げ出し、グラハムと共に過ごし始める。そして彼女は妊娠する。

 ところが、ローズマリーが逃げ出したことを知ったウィリアムスはますます暴走するようになり、彼女の母親を絞め殺してしまう。母親の葬儀に地元に帰ったローズマリーは、ウィリアムスが母親を殺した証拠を掴む。警察は捜査に乗り出すが、ウィリアムスは刺客を送ってローズマリーを殺害する。警察はウィリアムスを逮捕する。ウィリアムスは裁判所で死刑を宣告される。

 キリスト教グループが一生懸命騒いでいるわりには、非常に稚拙で退屈な映画だった。俳優のセリフや演技が大仰で馬鹿馬鹿しい、1つ1つのシーンのテンポが悪い割には話がまるで歴史の授業のように「~ヵ月後」「~年後」という具合に進んで行ってしまう、あまり意味のない性描写シーンが多すぎる、そもそもストーリーに整合性とひねりがない、などなど、いろいろな欠点があった。映画館の座席は当初3分の1くらい埋まっていたが、途中で席を立つ人が何人もいた。今までの僕の経験の中で、これだけインド人から飽きられた映画は、ちょっと思い出せない。よって、詳細な批評に値する映画ではない。

 だが、もしこの映画の意義を一言で表すならば・・・一単語で表すならば・・・何と言っても・・・「乳首」であろう・・・。乳首・・・そう、乳首である。今までサルマーン・カーンやサンジャイ・ダットなどのたくましい胸板と猛々しい乳首は思う存分スクリーンで鑑賞して来たが、女優の乳首をインド映画で見たのは、記憶にある限りこの映画が初めてだ。ミーラー・ナーイル監督「Kama Sutra: A Tale of Love」(1996年)ではかなり露骨なヌードシーンやベッドシーンもあったが、インドでは一般上映されていない。場末の映画館では、俗に言うブルーフィルムが上映されているが、それらのアダルトな映画ですらも女性の全裸やベッドシーンはご法度だったはずだ。よって、最近インド映画は性描写が露骨になって来たものの、ある一定のラインは絶対に越えないと思っていた。その一定のラインのひとつが、「女性の乳首」であった。ビパーシャー・バスもマッリカー・シェーラーワトもネーハー・ドゥーピヤーも、際どいヌードは見せても、乳首は見せたことがない。だが、「Hum Kaun Hai?」(2004年)でデビューした新人女優スィーマー・レヘマーニーは、なぜかこの映画の中で2、3回、少しだけだが乳首を見せている。インドの映倫たる中央映画検定局(CBFC)がなぜこれらのシーンを見逃したのか、全くもって謎である。確かにCBFCが問題にした過激なシーンはこの映画の中にあった。だが、さらに謎を深めるのが、CBFCが問題にしたシーンが、スィーマー・レヘマーニーが乳首をさらしているシーンではなく、裸の背中と尻をさらしているシーンであったことである。これらのシーンは監督の主張により結局カットされずに済んだようで、上映されていたプリントではそのまま残っていた。インド映画には絶対にストレートな性描写がないと安心&油断して映画館に来ているので、突然こういうものを見せられると冷や汗が出るほどビックリする。これは果たして、インド映画が乳首を解禁したということなのだろうか、それとも単なるチェックミスなのだろうか・・・。ちなみに、それらのシーンが映し出されたとき、インド人観客が一斉に呆然としたのが感じられた。だが、だんだん慣れてきたようで、終盤にあるローズマリーとグラハムのベッドシーンでは笑いが漏れていた(グラハム役の男優がチョビヒゲ+太っちょのおじさんなので、確かにこのベッドシーンは滑稽である)。インド人はホラー映画の怖いシーンでも笑うし、ベッドシーンでも笑うし、何でも笑う国民だ・・・。

 エロもあればグロもある。最後でローズマリーがウィリアムスが送り込んだ刺客に刺殺されるシーンがあるが、このシーンは非常に生々しかった。刺客たちはローズマリーを包丁で何度もグサグサと刺し、オートリクシャーに乗り込んで走り去ってしまった。このときの効果音と血しぶきがかなり本物っぽかった。こんなところに気合を入れなくてもいいから、もっとストーリー全体を本物っぽくしてもらいたかった。

 登場人物の全員がキリスト教徒というのは、インド映画としては異様に思えるかもしれないが、ケーララ州はインドの中で最もキリスト教人口の多い州で、ありえない設定ではない。ケーララ州の言語はマラヤーラム語で、映画中でも数フレーズだけマラヤーラム語が使われていた。僕が分かったのは「サリ(OK)」だけだ。ケーララ州独特のトロピカルな風景や、海岸に立つ古い十字架の景色などは非常に美しかった。

 映画としては全く退屈な作品だが、もしこれがインドの映画界において乳首解禁を告げる映画だとしたら、歴史的な映画として名を残すことになるかもしれない。英語の映画なので、上述の場末の映画館で公開されることはないと思うが(その一点を頼りに監督は「これは芸術映画だ!」と主張しているのだろう)、しかし現地語で撮った方が興行成績は上げられただろう。肌の露出度といい、ストーリーの単純さといい、ほとんどポルノ映画であった。