インド二大叙事詩のひとつ「マハーバーラタ」の最後は、主人公であるパーンダヴァ五王子が世俗を捨ててヒマーラヤ山脈をひたすら登っていくというスピリチュアルなものだ。2022年11月11日公開の「Uunchai(高み)」は、そんな「マハーバーラタ」の最後を思わせるストーリーで、老人3人がエベレスト・ベース・キャンプ(EBC)を目指す。
監督は「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年/邦題:プレーム兄貴、王になる)などのスーラジ・バルジャーティヤー。主演はアミターブ・バッチャン、アヌパム・ケール、ボーマン・イーラーニー。他に、サーリカー、ニーナー・グプター、パリニーティ・チョープラー、ダニー・デンゾンパ、ナフィーサー・アリーなどが出演している。
デリー在住のアミト・シュリーワースタヴァ(アミターブ・バッチャン)は啓発本の売れっ子ライターだった。カロール・バーグで女性用下着屋を営むジャーヴェード・スィッディーキー(ボーマン・イーラーニー)、チャーンドニー・チョークで本屋を営むオーム・シャルマー(アヌパム・ケール)、そしてネパール人実業家ブーペーン(ダニー・デンゾンパ)とは親友だった。しかし、ブーペーンは誕生日の夜に心臓発作で死去する。 アミト、ジャーヴェード、オームは、ブーペーンの遺志を継ぎ、エベレスト・ベース・キャンプ(EBC)トレックに参加する。ジャーヴェードの妻シャビーナー(ニーナー・グプター)は反対するが、カーンプルに住む娘ヒーバーを誕生日に訪ねるという口実を作って何とか旅行に出る。デリーから陸路でカトマンズへ行き、そこからトレッキングに出掛ける旅程だったが、シャビーナーには秘密だった。 アーグラーを経てカーンプルに辿り着いたアミト、ジャーヴェード、オーム、そしてシャビーナーだったが、ヒーバーとその夫ヴァッリには歓迎されなかったため、ホテルに宿泊する。気を取り直しラクナウーに向かい、そこでマーラー・トリヴェーディー(サーリカー)という女性を自動車に乗せる。途中、オームの故郷ゴーラクプルを訪れるが、そこでは彼の兄から冷遇され、やはりホテルに宿泊する羽目になる。 また、実はマーラーはブーペーンの昔の恋人で、彼の死を知って、EBCトレックに参加したのだった。シャビーナーにも彼らがEBCトレックに参加することがばれるが、ジャーヴェードは彼女の制止を振り切ってトレッキングツアーに参加する。ツアーガイドはシュラッダー・グプター(パリニーティ・チョープラー)という女性だった。 トレッキングの行程は、カトマンズからルクラ、そこからナムチェ・バーザール、テンボチェ、ディンボチェ、ルボチェを経てEBCへ向かうものだった。老人3人は若者ばかりのツアーの足手まといになるが、ネパール生まれのマーラーの支えもあって、何とかツアーに付いていく。その中で、アミトがアルツハイマー症候群の初期ステージにあることが発覚する。シュラッダーは彼を救急ヘリでカトマンズに帰そうとするが、アミトは全てのプライドを捨てツアーに食らいつく。 遂に彼らはEBCに辿り着いた。オームは、本屋を売却しようとする息子と和解し、ジャーヴェードはシャビーナーと仲直りする。そしてアミトの電話には、別居中の妻アビラーシャー(ナフィーサー・アリー)から電話が掛かってくる。生前にブーペーンが言っていたように、エベレストは全ての問いに答えをくれた。
スーラジ・バルジャーティヤー監督というと、大家族の中での悲喜こもごものファミリー・エンターテイメントを得意とする、典型的インド娯楽映画の旗手である。特に彼の「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)はファミリー映画の代表格であり、その後のインド映画の方向性を決定づけたほどの金字塔だ。その彼の最新作ということで、再び定番のファミリー映画を期待した。
ところが、「Uunchai」は従来のバルジャーティヤー映画とは一線を画した作品だ。大家族が住む邸宅の中で起こる物語でもなければ、直球のエモーション映画でもない。主人公は3人の老齢の男性。彼らが目指すのはエベレスト・ベース・キャンプ(EBC)で、舞台は目まぐるしく変わる。動機は死んだ友人の遺志の実現であり、どちらかというと友情映画だ。確かに家族の絆もテーマの映画ではあるが、若者の視点からではなく、老人の視点から家族について問い直されている。今までのバルジャーティヤー監督とはひと味もふた味も違う成熟した作品に仕上がっており、こういう作品も撮れる監督だったのかと驚かされる。
3人の主人公はそれぞれ老齢なりに悩みを抱えている。それらが映画の主軸になる。
アミトは妻アビラーシャーと別居中であった。作家としての成功を追い求めるあまり妻を蔑ろにし、それが二人の別居の原因になっていた。アミトにとって最大の弱みは妻との関係であったが、もうひとつ彼には、アルツハイマー症候群に冒されているという悩みもあった。
ジャーヴェードがまず直面するのは妻シャビーナーとの関係だ。世話好きで独占欲の強い妻と同居する彼は、ゆっくり羽を伸ばすことがなかなかできない窮屈な人生を送っていた。また、旅の途中では、娘夫妻との関係でも問題を抱える。
オームは本屋を営んでいたが、彼が店を構える地域にはショッピングモールの建設計画が持ち上がっており、断固として反対しているのは近隣では彼だけだった。息子はさっさと本屋を売却してモールの中に新店舗を構えたいと思っていたが、オームは頑として認めなかった。また、オームは兄から故郷を追い出されてデリーに出てきたという暗い過去を持っていた。旅の途中、彼は故郷の邸宅を訪れるが、その邸宅はメンテナンスがされておらずみすぼらしい外観になっており、兄との関係修復もまだできていないのを実感しただけに終わった。
「マハーバーラタ」でパーンダヴァ五王子の長男ユディシュティラが、ヒマーラヤ山脈を登っていくにつれて、兄弟や妻など、あらゆるものを捨てていったように、主人公3人はEBCを目指す内に浄化されていき、エゴやわだかまりを捨てていく。生命を裸にし、大自然と一対一になったとき、人間社会の中で彼らが大事にしていたそれらのものがいかにちっぽけなものだったかがはっきりと分かるようになり、彼らは素直になれたのである。
「Uunchai」は、どちらかといえば若者に肩入れをした映画だ。例えば、ジャーヴェードとシャビーナーが娘夫妻の家をサプライズで訪れたとき、彼らは一瞬だけ歓迎されたが、最終的には歓迎されなかった。それは、彼らがこれから友人を呼んでパーティーをしようとしていたからであり、そのためには老人たちの存在は邪魔だったからである。「Baghban」(2003年)や「Goodbye」(2022年)といった映画は、今まで育ててくれた親に対して孝行をしない若者たちを手厳しく説教する内容になっていたが、「Uunchai」では、老人が一歩引いて新しい世代のやり方を認めるべきだというメッセージが発信されていた。その点で非常に新しい価値観を感じた。
オームの本屋にしても、トレッキングを通して憑き物が落ち、最終的に彼はショッピングモールのビルダーに店を売却することを認める。これも、新しい世代に事業を任せ、新しい時代の到来を積極的に受け入れる態度を示している。伝統的なインド人家族の価値観の熱心な守護者だと思われたスーラジ・バルジャーティヤー監督がこのような進歩主義的な映画を撮るというのは本当に意外であるが、目まぐるしく変化するインド社会において、発展のために古いものが道を譲るという行為も避けられないことを考えると、この時代に必要な映画だと感じる。
また、ロードムービーとして観ても楽しめる映画だ。旅行をするのはインド人であり、外国人旅行者の視点とは異なるが、デリーから始まり、アーグラー、カーンプル、ラクナウー、ゴーラクプル、カトマンズと舞台が移動し、それぞれの見所が簡単に紹介されるため、一緒に旅行をしている気分になれる。例えばデリーのフマーユーン廟、アーグラーのアーグラー城とタージマハル、そしてペーターというお菓子、カーンプルのラール・イムリー工場、ラクナウーのルーミー・ダルワーザーと軽食カチョーリー、ゴーラクプルのガートなどが映し出される。
実際にEBCで撮影が行われたかどうかは不明だが、アミターブ・バッチャンらは現地には行っていないはずである。高山でのシーンは、どうもカールギル辺りで撮影されたようだ。カトマンズからEBCまでに投宿する地域は、映画で観る限り、結構栄えているように見えて、宿泊するホテルも山小屋レベルを遥かに超えた豪華ホテルだった。EBCまでのトレッキングは旅行者に人気だが、もはやこんな贅沢な旅ができるまで発展しているのかと驚かされた。
主演の3人、アミターブ・バッチャン、アヌパム・ケール、ボーマン・イーラーニーは押しも押されるベテラン俳優であり、老齢ではあるが、オールスターキャストと呼んでも差し支えない。それに加えてダニー・デンゾンパまでいるし、サーリカーやナフィーサー・アリーの出演も豪華だ。往年の名優たちにとって、この映画は今一度第一線に立って演技ができる貴重な機会だっただろう。その代わり、若者代表のパリニーティ・チョープラーの出番は限定的かつ弱かった。
スーラジ・バルジャーティヤー監督の映画は挿入歌が多いことでも知られる。老人が主人公の映画であるため、さすがに跳んだり跳ねたりのシーンばかりではなかったが、ダニー・デンゾンパを含め4人が踊る「Keti Ko」は豪華だったし、それ以外にもストーリーを盛り上げる楽曲がBGMとして流れる場面が多く、歌が効果的に使われた映画であった。
「Uunchai」は、コテコテのファミリー映画を撮ってきたスーラジ・バルジャーティヤー監督が、老人を主人公にし、トレッキングを題材にし、人生の深みを掘り下げた、ロードムービー風味の、従来と全く異なる趣で作った映画である。評論家からの評価も上々で、興行的にも成功とされている。いつものバルジャーティヤー映画ほどの大ヒットは望めなかったかもしれないが、彼の映画監督としての意外な側面や成熟を見た気がする。2022年の必見の映画の一本だ。