
「Pather Panchali」(1955年/邦題:大地のうた)などで知られるサティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)監督は多才な人物であり、小説家でもあった。2022年10月8日に釜山国際映画祭でプレミア上映され、2025年1月28日からDisney+ Hotstarで配信開始された「The Storyteller」は、ラーイの短編小説「Golpo Boliye Tarini Khuro(語り部ターリニーおじさん)」を原作とした映画である。「ターリニーおじさん」はラーイの小説に登場する架空のキャラクターであり、シリーズ化されている。この「Golpo Boliye Tarini Khuro」はその一話になる。
監督は「Gour Hari Dastaan」(2015年)などのアナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン。キャストは、パレーシュ・ラーワル、アーディル・フサイン、レーヴァティー、タニシュター・チャタルジー、アニンディター・ボース、ジャエーシュ・モーレーなど。
コルカタ在住のターリニー・バンドーパディヤーイ(パレーシュ・ラーワル)は長年勤めた出版社を定年退職し、自由な時間ができた。米国に住む息子や孫から米国に来るように誘われたが気が乗らなかった。友人から「語り部募集」の広告を渡され興味を持ち、アハマダーバードを訪れる。依頼主は綿織物貿易で一財を成した富豪ラタン・ガローリヤー(アーディル・フサイン)であった。ラタンは不眠症に悩まされており、夜に物語を聞かせて眠らせてくれる人を探していたのである。
夜になるとターリニーはラタンに物語を聞かせた。それでもラタンは眠れなかったが、ターリニーを気に入り、彼を雇うことにする。暇な日中、ターリニーは近所の図書館を訪れる。そこで司書のスージー・フィバート(タニシュター・チャタルジー)と出会い、会話に花を咲かせる。ラタンは菜食主義者であったが、魚に目がないターリニーは市場で魚を買ってきて使用人のマーニクチャンド(ジャエーシュ・モーレー)に作らせ、こっそり食べていた。ターリニーの飼い猫も魚が大好物だった。
ターリニーはドゥルガー・プージャーの期間、コルカタに帰ることになった。帰省前にターリニーはスージーに会いに行くが、そこで最近話題になっているグジャラーティー語作家の話を聞く。「ゴーリキー」というペンネームで小説を投稿していたが、正体は不明だった。ターリニーはそれがラタンであり、彼が投稿している小説は自分が彼に聞かせたものであると勘付く。だが、とりあえず何も言わなかった。
コルカタに帰ったターリニーは友人たちにアハマダーバードで起こったことを話す。ターリニーが物語作りの天才であることは友人たちに知れ渡っていたが、彼は今まで一度も書いたことがなかった。友人たちはラタンの行為に憤るが、ターリニー自身は冷静だった。ドゥルガー・プージャーが終わった後、ターリニーはまたアハマダーバードに戻る。
彼がラタンの家に入ると、ラタンはちょうどサラスワティー(レーヴァティー)と会話をしているところだった。サラスワティーは若い頃にラタンが片思いをしていた女性だった。官僚と結婚してしまったが、最近夫を亡くしていた。ラタンが小説家を目指していたのも、サラスワティーに認めてもらいたかったからだった。ターリニーは再び夜になるとラタンに物語を聞かせる生活を始める。
ターリニーがラタンの家に住み込むようになって数ヶ月が経っていた。ターリニーはラタンに、米国に渡って息子と同居することを打ち明け、ラタンとの契約を解除する。ターリニーは魚好きな飼い猫をもらい受け、コルカタに連れ帰る。
その後、ラタンはグジャラート文学協会から表彰を受ける。だが、表彰式の後、彼はラビンドラナート協会から訴状を受け取る。彼がグジャラーティー語で書いた小説は全てラビンドラナートのもので、剽窃の訴えを受けたのだった。ラタンはターリニーにしてやられたと気付く。サラスワティーからも愛想を尽かされてしまう。それでもラタンは小説家になる夢を捨てず、ターリニーとの間に起こったことを書き始める。一方、コルカタではターリニーが初めて筆を執り、ラタンとの間に起こったことを書き始めていた。
不眠症に悩む実業家ラタンが夜に物語を聞かせてくれる人を探し、今まで一度もものを書いたことがないが物語作りに長けたターリニーが申し込むという、少しミステリアスな導入部から始まる映画である。冒頭で説明したとおり、ターリニーはサティヤジト・ラーイ著「ターリニーおじさん」シリーズの主人公であり、ベンガル人の間では有名な架空のキャラクターであるが、この映画自体は独立した作品だ。ただ、ターリニーの若い頃のエピソードや、亡き妻アヌラーダー(アニンディター・ボース)との思い出なども多少は触れられている。特に「ターリニーおじさん」シリーズの知識がなくても映画の理解に支障はない。
ラタンが片思いをする女性の名前はサラスワティーといった。サラスワティーといえば学問の女神である。ヒンドゥー教の神話では、サラスワティーは富の女神ラクシュミーと不仲だとされる。綿織物貿易で一財を成したラタンはいわばラクシュミー女神の信仰者であった。全てを手にしたラタンであったが、彼の人生の中で唯一手に入らなかったのがサラスワティーであった。別の男性と結婚してしまったサラスワティーであったが、最近夫を亡くしており、彼にとってチャンスが生まれていた。サラスワティーはどうやら教養ある男性を好むようだった。ラタンはこの年になって小説家としてデビューし、サラスワティーの気を引こうとしていたのである。
ラタンは「The Storyteller」の中で、決して好意的に描かれていたキャラクターではなかった。ラタンの邸宅の書棚や机にはトルストイの「戦争と平和」やゴーリキーの小説などが置かれていた。だが、彼は一読もしたことがないようだった。実業家ならば、見た目を飾り立てることで中身のなさを取り繕うことができたのかもしれない。だが、教養者を目指すならば内面の空虚さはすぐに露呈してしまう。ターリニーもラタンに会った瞬間に彼の教養のなさを見抜いていた。それでも、ラタン役を演じたアーディル・フサインからは無教養な実業家という雰囲気があまり感じられず、もしかしたらミスキャスティングであったのかもしれないと感じた。
ラタンと対照的なのはアハマダーバードの図書館で司書をする女性スージーである。たまたまターリニーが出会った女性であったが、彼女はジーバーナンダ・ダースやラスキン・ボンドといった文学者を日常会話の中でサラリと口にすることができた。ターリニーは彼女に惹かれ、アハマダーバードにしばらくとどまることを決めた。他にも映画中ではシャラトチャンドラ・チャットーパーディヤーイ、プレームチャンド、マハーシュエーター・デーヴィー、そしてもちろんアジア人初のノーベル文学賞受賞者ラビンドラナート・タゴールといった文学者たちの名前がポンポン上がるので、インド文学に造詣の深い観客はニヤリとすることができる。
ミステリアスかつ文学的な雰囲気の中で進む物語であったが、終盤はターリニーがラタンに報復を始め、少し俗っぽくなる。ラタンは、夜な夜なターリニーから聞かされていた物語を密かにグジャラーティー語文学雑誌に投稿し、名声を獲得していた。それをスージーから聞いて知ったターリニーは、表立ってラタンに抗議するのではなく、罠でもって対抗する。彼はタゴールの小説をわざとラタンに聞かせた。文学的な知識が全くないラタンはそれがタゴールのものだとは露知らず喜々として雑誌に投稿してしまう。嘆かわしいことだが、グジャラーティー語文学雑誌の編集者も、それをタゴールの作品だと気付かずに掲載してしまい、しかも彼に文学賞まで授与してしまう。こうなると彼の作品は広く読まれることになり、タゴールの剽窃であることがすぐにばれてしまった。そうなったときにターリニーは既にコルカタに戻っていた。
ターリニー役を演じたパレーシュ・ラーワルは、一般にはコメディアン俳優として知られるが、それだけにはとどまらない多彩な演技ができる優れた俳優だ。「The Storyteller」でも、自身はグジャラート人でありながら、ベンガル人役をベンガル語やベンガル語訛りのヒンディー語を使いながら忠実に演じた。ラタン役を演じたアーディル・フサインについてはミスキャスティングに感じたが、それは彼の演技力がなかったことを意味しない。教養のない実業家を演じるにはあまりに教養がにじみ出ていた点が気になっただけだ。細かな表情の使い方などに彼の演技力の高さを感じた。この二人の競演が見られるのが「The Storytellr」の何よりの楽しみである。
映画の舞台は西ベンガル州の州都コルカタとグジャラート州の最大都市アハマダーバードを往き来する。コルカタはヴィクトリア・メモリアル、アハマダーバードはアダーラジ階段井戸が象徴していた。ターリニーはベンガル人であることに誇りを感じており、ドゥルガー・プージャーを何より大切にしていたが、同時に共産主義者であり、英国人によって築かれたコルカタに複雑な眼差しも投げ掛けていた。コルカタからほとんど外に出たことがなかったターリニーは、アハマダーバードへ行って多少の魅力を感じたようである。なにしろコルカタよりも歴史の古い街なのだ。ターリニーとラタンがアダーラジ階段井戸へ下りて行く場面があるが、それはターリニーがアハマダーバードに魅了されていく様子を表現していたといえる。
「The Storyteller」は、サティヤジト・ラーイの短編小説を原作にした、少しミステリアスで少し文学的な物語である。ただ、重厚さよりも軽妙さが目立つ作品で、意外に俗っぽい結末を迎える。その点で中途半端にも感じた。国内外の文学者の名前にいくつも触れられており、文学好きの琴線に触れる作品である。