2022年9月23日公開の「Dhokha: Round D Corner(裏切りはすぐ近くに)」は、誰が本当のことを言っているのか分からない、黒澤明監督「羅生門」(1950年)スタイルのスリラー映画である。
監督はクーキー・グラーティー。「Prince」(2010年)や「The Big Bull」(2021年)の監督である。キャストは、Rマーダヴァン、新人クシャーリー・クマール、アパールシャクティ・クラーナー、ダルシャン・クマール、ヴァースキー・プンジなどである。クシャーリー・クマールは、音楽配給大手Tシリーズ社の創始者グルシャン・クマールの娘で、同社の現社長でこの映画のプロデューサーであるブーシャン・クマールの妹に当たる。過去のミュージックビデオや短編映画に出演したことはあるが、長編映画への出演は今回が初である。
以下のあらすじにはネタバレが含まれる。この映画は何も前知識なしに観た方が楽しめる。もし観る予定があるならば、これより先は読まないことを勧める。
舞台はムンバイー。ヤタールト・スィナー(Rマーダヴァン)とその妻サーンチー(クシャーリー・クマール)は、マンション「スプリング・シャイン」の一室に住む夫婦であった。家にはヤショーダーというメイドが住み込みで働いていた。 ある日、学校で爆弾テロを起こし、13名の学生を殺して死刑判決を受けたカシュミール人テロリスト、ハク・リヤーズ・グル(アパールシャクティ・クラーナー)が移送中に逃亡し、スプリング・シャインに入り込んで、一人で留守番していたサーンチーを人質に取って立て籠もる。グルを逮捕した張本人である警察官ハリシュチャンドラ・マリク警部(ダルシャン・クマール)が移送の責任者であり、グルを取り囲んだ警察官の指揮も務めていた。 ニュースを聞いたヤタールトはすぐに家に戻る。グルは、仲間であるジブラーンの釈放を求めた。ヤタールトはマリク警部に、サーンチーは妄想性障害を抱えていると明かす。そして、4時間に一度、薬を食べさせなければ大変なことになると言う。 一方、サーンチーはグルを誘惑し、一緒に逃げようと言う。グルはその気になり、下まで行くが、サーンチーは彼の持っている銃が空だと明かす。グルはすぐに割れたガラスを彼女に突き付けて上に戻る。グルは、500万ルピーの身代金も要求してきた。 ヤタールトは、自ら駆けずり回って500万ルピーを集める。そして、一人で金を持ってグルに会いに行く。そのとき銃声が響いたため、マリク警部たちは踏み込む。彼らが見たのは、血を流して倒れているサーンチーであった。グルは逮捕される。 裁判でグルは、サーンチーを殺したのはヤタールトだと証言するが、誰にも聞き入れてもらえなかった。グルは再び死刑判決を受けるが、精神疾患を抱えているということで、死刑執行の前に精神病院に入れられる。 だが、その後明かされたところでは、ヤタールトは精神科医のヴィディヤー・アワスティー(ヴァースキー・プンジ)と不倫関係にあり、サーンチーに精神病になる薬を飲ませていた。そして、この人質事件を機に彼女を殺したのだった。さらに明かされたところでは、サーンチーもマリク警部と不倫関係にあった。だが、サーンチーが本気になり、彼と一緒にロンドンに逃げようと言い出したため、マリク警部は彼女のことが邪魔になり、消そうと考え始めた。グルをわざと逃がしてサーンチーを人質にし、彼女を殺そうとした黒幕はマリク警部だった。 結局、グルだけが正直者だった。彼が爆弾テロを企てたわけではなく、知らずに爆弾のデリバリーをさせられただけだった。サーンチーへの恋に狂ったグルは精神病院で本当に頭がおかしくなってしまった。
「裏切り」という題名が示唆する通り、この映画は何が真実か分からないほど嘘と欺瞞と裏切りで満ちている。サーンチーは本当に妄想性障害を抱えているのか、グルは本当に恐ろしいテロリストなのか、ヤタールトとヴィディヤーの関係は単なる友人なのか、全てが怪しい。だが、クライマックスではさらに多くの裏切りが隠されていたことが明かされる。ヤタールトとヴィディヤーが本当に不倫関係にあったばかりか、サーンチーの不倫相手はマリク警部だったのである。結局、真実を語っていたのは、テロリストとして死刑判決を受けたグルだけというオチだった。
グルはカシュミール人であり、地元のメンターによってムンバイーに送られ、デリバリーボーイをして日銭を稼いでいた。だが、元から彼は騙されてテロリスト予備軍としてムンバイーに送られており、ある日、彼の知らないところで荷物に爆弾を入れられ、それを届けた先の学校で爆発してしまう。その爆発により13名の学生が亡くなり、グルは逮捕され、今回の爆弾テロを企画から実行まで全てこなした恐ろしいテロリストということにされてしまっていた。
ただ、この映画からカシュミール人への同情や政治的なメッセージを読み取ろうとするのは間違っているだろう。単に物語に意外性をもたらすために、登場人物の中で唯一の正直者がテロリストという設定にしたのだと思われる。
どの俳優も素晴らしい演技を見せていたが、特にグルを演じたアパールシャクティ・クラーナーが白眉である。常に一風変わった役柄に挑戦することで知られるアーユシュマーン・クラーナーの弟としてデビューし、味のある脇役を演じてきて、映画愛好家の目には着実に留まってきたはずだ。「Kanpuriye」(2019年)や「Helmet」(2021年)などの映画で主役級の役柄ももらえていたが、今回彼が演じたグル役は、今までのライトな役とは正反対の、シリアスかつ重層的な役で、しかもこの映画のもっとも核心となる部分を担う役だった。アパールシャクティ自身はパンジャービーのはずだが、今回はカシュミーリーらしい風貌と訛りで役作りを行っていた。
本作でデビューしたクシャーリー・クマールの演技にも注目したい。グルシャン・クマールの娘ということで、完全な映画カースト出身女優だが、30歳を越えてから銀幕デビューということで、それほどヒロイン女優志向でもないのかもしれない。演技力はあり、しかもパワーを感じる。おそらく今後も高い演技力を要する役をこなしていくだろう。
もちろん、Rマーダヴァンの演技も良かったし、「The Kashmir Files」(2022年)で好演していたダルシャン・クマールも一定のインパクトを残していた。
「Dhokha: Round D Corner」は、複数の登場人物がひとつの出来事をそれぞれの立場から語り、それらが映像化されて観客に提示される、「羅生門」スタイルのスリラー映画である。当初は誰が真実を話しているのか分からないが、最後まで見れば、全てが明らかになる。興行的には振るわなかったみたいだが、非常に楽しめた映画だった。観て損はない。