2022年7月22日公開の「Shamshera」は、19世紀のインドを舞台に親子2代にわたる義賊の活躍を描いた一大活劇である。20世紀初頭に現在のウッタル・プラデーシュ州で英国人の脅威になったスルターナー・ダークーという実在の盗賊の生涯をモデルにしているものの、基本的にはフィクション映画になる。
プロデューサーはアーディティヤ・チョープラー。監督は「Agneepath」(2012年)や「Brothers」(2015年)のカラン・マロートラー。主演はランビール・カプールとヴァーニー・カプール。サンジャイ・ダットが悪役を務めている。他に、サウラブ・シュクラー、ローニト・ロイ、イラーヴァティー・ハルシェー、クライグ・マクギンリーなどが出演している。
時は1871年、舞台はラージプーターナー。カメーランと呼ばれる、盗賊や窃盗を生業とする部族の長シャムシェーラー(ランビール・カプール)は、英国人支配者層や、王族などのインド人富裕層を襲い、金品を略奪して、貧しい人々に分け与えていた。カーザー王国の王族と英国人は手を結び、シャムシェーラーとカメーランたちを姦計に掛けて捕らえる。裏ではシュッド・スィン警部補(サンジャイ・ダット)が暗躍していた。シャムシェーラーはカメーランを救うために脱走を試みるが失敗し、「逃亡者」の汚名を負って殺される。 それから25年後。シャムシェーラーの妻(イラーヴァティー・ハルシェー)が産んだバッリ(ランビール・カプール)は「逃亡者の息子」と罵られながら育った。シュッド・スィン警部補はカーザー王国でカメーランを搾取し続けていた。バッリはカーザー王国から密かに抜け出し、ナギーナーという門前町に潜伏していたカメーランの残党と合流する。また、彼は父シャムシェーラーがカメーランの首領だったことも知る。 バッリはシャムシェーラーを名乗り、カメーランの残党を率いて盗賊となる。旧知の踊り子ソーナー(ヴァーニー・カプール)の協力を得て盗賊行為を行い、富裕層から金品を収奪して回っていたが、それがシュッド・スィン警部補にばれ、ソーナーは捕まってしまう。だが、すぐにソーナーはバッリに救出される。その後、バッリとソーナーは結婚する。 バッリはシュッド・スィン警部補の結婚式にも強盗に入るが、逃亡時にカメーランの若者を死なせてしまう。バッリは一旦、盗賊団を解散して地下に潜ることにする。英国人とシュッド・スィン警部補はバッリの隠れ家を襲撃し、彼らが集めた金品を取り返した上に、ソーナーと産まれたばかりの子どもをさらっていく。 そのとき、女王の王冠がカーザー王国で展示されようとしていた。バッリはそれを奪い、人質との交換を要求する。英国人司令官フレディー・ヤング大佐(クレイグ・マクギンリー)はそれを了承する。だが、バッリが現れた瞬間、シュッド・スィン警部補はヤング大佐など英国人に発砲し、バッリ共々皆殺しにしようとする。また、カーザー王国に幽閉されていたカメーランたちは、シャムシェーラーの右腕だったピール・バーバー(ローニト・ロイ)からシャムシェーラーが逃亡者ではないことを聞き、その息子バッリが戻ってきたことで、勇気を出して反抗を始める。バッリはシュッド・スィン警部補を戦って倒す。そして王冠をヤング大佐に返す。
映画の起点になっている1871年は、英領インド政府によって悪名高い犯罪部族法(Criminal Tribes Act)が制定された年だ。遊牧民など、英国人が「反社会的」と考える部族が一律に潜在的な犯罪者コミュニティーとして規定され、彼らの人権が極度に制限された。主人公のシャムシェーラーやバッリが所属するカメーランは架空の部族だが、この犯罪部族法でコミュニティーごと潜在的な犯罪者として見られるようになった人々と考えていいだろう。
シャムシェーラーやバッリのモデルになったスルターナー・ダークーは、バントゥー(Bhantu)と呼ばれるコミュニティーに属していた。彼らは、アクバル率いるムガル軍に徹底抗戦した16世紀の王マハーラーナー・プラタープの軍に所属していた兵士たちの末裔だとされている。英領インド時代は犯罪部族に指定され、現在は指定カースト(SC)とされている。
ただ、「Shamshera」では、英国人が定めた犯罪部族法による差別よりも、インド社会固有のカースト制度によってカメーランは差別を受けていたとされていた。カメーランのような部族は、インド社会においてはカースト外に位置づけられ、不可触民と同じ扱いを受けていた。シャムシェーラーは、そんな虐げられたカメーランの救世主として現れ、カメーランを率いて盗賊行為を行うようになったのである。
社会的な弱者を主人公にして娯楽大作を作り上げる手法は、最近ヒンディー語映画のヘゲモニーを脅かすほど好調な南インド映画の影響を受けていると思われる。例えば、カメーランの解放は、シャムシェーラーとその息子バッリが親子2代掛けて成し遂げる。この構成はテルグ語映画「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)と「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ2 王の凱旋)の二部作を確実に参考にしていると思われる。ただし、「Shamshera」は二部作ではない。また、部族を主人公にするところなどは、テルグ語映画「Pushpa: The Rise」(2021年/邦題:プシュパ 覚醒)と共通している。ただし、スルターナー・ダークーを題材にした映画の構想はヒンディー語映画界にて少なくとも5年以上前から練られてきたようなので、「Pushpa」との類似はたまたまであろう。
何しろヒンディー語映画界最大のコングロマリットであるヤシュラージ・フィルムスが制作している映画なので、南インド映画のフォーマットをさらに洗練させ、さらに派手に再構築することができれば、いい映画になっていたかもしれない。旧作を現代風に焼き直して成功させた「Agneepath」のカラン・マロートラー監督なので、そういう才能はありそうなものだ。しかし、「Shamshera」から「Baahubali」シリーズを超えるようなスケール感みたいなものは感じられない。2時間半を超える映画で長めなのだが、シャムシェーラーが死ぬまでを描いた序盤部分が駆け足すぎる印象も受け、構想した物語を語り尽くすには時間が足りていないようにも感じた。シャムシェーラーとバッリ以外のキャラが没個性だったのも質の低下を引き起こしていた。詰まるところ、チグハグなパッケージングに思えた。
主演ランビール・カプールは今回一人二役を演じた。意外なことに、彼が一人二役を演じたのはこれが初めてのようである。ただ、単純に父と子を続けて演じているだけで、シャムシェーラーとバッリで演じ分けらしきものをしている節はなく、単に外見が変わっただけだった。ランビールは今までコミカルな演技に定評があるのだが、それを発揮できた場面は少なかった。彼にとっては挑戦だったアクションシーンにも収穫は少なかった。
ヒロインのヴァーニー・カプールは踊り子役であり、ほとんどアイテムガール要員であった。「Chandigarh Kare Aashiqui」(2021年)など、女性キャラが立った役柄をオファーされるようになっている女優ではあるが、「Shamshera」の起用については、ヒンディー語映画界のトップスターであるランビール・カプールとの共演などを念頭に、多少妥協したと思われる。
「Agneepath」での悪役の演技で新境地を切り拓いたサンジャイ・ダットは、今回も邪悪な悪役を憎々しく演じ切っていた。撮影中に肺ガンが発覚し、現役続行が危ぶまれたが、それを感じさせない演技をしている。
英領インド時代の物語であり、英国人は一応悪役側ではあるが、真の悪役はサンジャイ・ダット演じるシュッド・スィン警部補であって、英国人をそんなに悪く描出した映画ではなかった。むしろ、インド文化に理解のあるフレディー・ヤング大佐という英国人を登場させている。彼は実在の人物であり、スルターナー・ダークーの独白をまとめた本を出したことで知られている。そういえば「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)でもインド好きな英国人が登場していた。
「Shamshera」は、19世紀のインドを舞台に、ロビン・フッドのような義賊が活躍するアクション大作である。創立50周年を迎えるヤシュラージ・フィルムス渾身の映画のはずだったが、コロナ禍による撮影停止などの影響もあったのか、チグハグな仕上がりになっており、完成度は期待値ほど高くない。興行的にも失敗に終わっており、業界内からはため息が漏れている。部族への差別が部分的に描かれていた点や、ラストに部族の蜂起がある点などは記憶に留めておくべきである。