Sharmaji Namkeen

3.0
Sharmaji Namkeen

 スポーツ選手には引退試合が用意されることがあるが、俳優の引退試合なるものはあまり聞かない。多くの場合、その俳優が最後に出演した作品が「遺作」と呼ばれることになる。映画の撮影中にその俳優が突然死してしまった場合は、映画を完成させるためにどう対応するか、分かれるだろう。

 2020年4月30日、ベテラン俳優リシ・カプールが死去した。享年67歳。死因は白血病。現代のインド映画ファンにとってはスター男優ランビール・カプールの父親として知られるが、ヒンディー語映画随一の名門映画カーストであるカプール家の第3世代であり、大御所ラージ・カプールの息子として、1970年代から人気を博してきた大スターである。

 リシ・カプールは最後まで現役で俳優を続けていたが、彼が突然亡くなったことで、撮影が止まってしまった作品があった。ファルハーン・アクタルらがプロデュースし、新人ヒテーシュ・バーティヤーが監督するヒンディー語映画「Sharmaji Namkeen」である。リシ・カプールが主演であり、ジューヒー・チャーウラー、スハイル・ナーヤル、イーシャー・タルワール、サティーシュ・カウシク、シーバー・チャッダー、シシル・シャルマーなどが出演している。

 主演リシ・カプールの死により映画は暗礁に乗り上げ、一時は息子のランビール・カプールにVFXを施して完成させる案も浮上したようだが、結局、ベテラン俳優のパレーシュ・ラーワルが撮り残した場面で代わりに主役を演じることになった。ようやく完成した映画は、2022年3月31日からAmazon Prime Videoで配信開始された。

 「Sharmaji Namkeen」を観ると、主役シャルマージーの役者がリシ・カプールになったりパレーシュ・ラーワルになったりする。途中から入れ替わるという形ではなく、リシとパレーシュの間を行ったり来たりする。映画は必ずしも時系列に沿って撮られるわけではないので、こういう形になってしまったのだろう。主役を演じる俳優がコロコロ変わるので、何も前知識がないと混乱してしまうが、映画の冒頭でランビール・カプールが、こうなってしまった理由を解説しており、これについて文句を言う観客はいないだろう。おそらく、およそ3分の2はパレーシュが演じていた。逆に、ヒンディー語映画界でどういう風に映画が撮られているかが少し垣間見える貴重な資料になっている。

 舞台はデリー。ブリジ・ゴーパール・シャルマー、通称シャルマージー(リシ・カプール)は、ミキサーを作る家電機器会社マドゥバンを早期退職し、手持ち無沙汰な毎日を送っていた。妻は既に亡く、会社員の長男リンクー(スハイル・ナーヤル)と大学生の次男ヴィンキーと共に、スバーシュナガルの狭い家に住んでいた。リンクーは、同僚で恋人のウルミー(イーシャー・タルワール)と結婚して家を出ようとしていたが、父親には言い出せなかった。

 シャルマージーは料理が趣味で、暇な時間を活かして屋台でもやろうと考えるが、リンクーは家名が汚れるからと許さなかった。だが、シャルマージーは、親友チャッダー(サティーシュ・カウシク)のツテで、女子会をする有閑マダムたちのために料理を作るようになる。特にそのマダムの内の一人、ヴィーナー(ジューヒー・チャーウラー)にのぼせていた。ヴィーナーは、州議会議員のロビーと親しく、シャルマージーは嫉妬をしていた。

 リンクーは150万ルピーの頭金を支払ってグルガーオンに新しいフラットを購入するが、その建物は森林法に抵触していることが分かり、建設が止まってしまう。しかも開発業者からは頭金がなかなか返金されなかった。また、シャルマージーは、マダムのために料理をしていることを息子たちに明かしていなかった。それがある日ばれてしまい、特にリンクーから責められる。しかも、ヴィンキーが趣味のダンスに没頭し過ぎて落第していたことが分かる。シャルマージーの家では険悪な空気が流れるようになる。

 とうとう我慢できなくなったリンクーは開発業者のオフィスに突撃して暴力を振るい、警察に逮捕されてしまう。シャルマージーが警察署を訪れるが、警察官と喧嘩をし、彼も拘留されてしまう。だが、ロビーの助けにより彼らは釈放される。恋敵のロビーに助けられて機嫌を損ねたシャルマージーであったが、ロビーはヴィーナーの姉婿だったことが分かり、胸をなで下ろす。ロビーの口添えにより、リンクーの住居問題も解決しそうだった。

 男性が一家の大黒柱として外で働いている内は平穏だった家庭が、退職によって家にいることが普通になることで緊張が走るようになるというのは万国共通の現象のようだ。「Sharmaji Namkeen」の家庭には女性がいなかったが、父親シャルマージーと長男リンクーの間にわだかまりが生じる。恋人ウルミーとの結婚を控えたリンクーにしてみたら、父親には家で大人しくしていて欲しかった。ただでさえ、ウルミーの家と彼の家とでは経済格差があった。それに加えて父親が社会的ステータスの低い仕事を始めたら、結婚を断られてしまうかもしれない。だが、リンクーのそんな気持ちとは裏腹に、シャルマージーは暇な時間を有効活用して何かを始めたくてうずうずしている。彼が始めたのは、有閑マダムの女子会のために料理を作る仕事だった。インドでは料理人の地位は低く、これこそリンクーが恐れていた展開だったのである。

 老齢のリシ・カプールが主演なだけあって、インドの老人が退職後に直面する問題を取り上げた作品だった。映画の冒頭で、同様のテーマの「Baghban」(2003年)の1シーンが引用される形で、老齢の親が手塩に掛けて育て上げた子供たちから冷遇される残酷な現状が指摘されていた。シャルマージーは趣味を活かした仕事をするが、引退後も自分の好きなことをして生きることの大切さが説かれていた映画だといっていいだろう。

 だが、それだけの映画ではなかった。たとえば、ジューヒー・チャーウラー演じるヴィーナーは3年前に夫を亡くした寡婦だった。彼女には身寄りが一人もいなかった。シャルマージーは家庭でのゴタゴタに疲れ果てていたが、争う相手がいるというのも、孤独な彼女の目からしたら幸せなことだった。それに、シャルマージーの料理を食べて喜ぶ有閑マダムたちも、夫から働く許可が下りず、女子会をして過ごすしかない現状を嘆いていた。逆に、家族のいないヴィーナーには皮肉にも自由があり、ブティックを経営していた。老人を働かせず、女性を働かせないインド社会がどれだけ人材を無駄にしているか、そんな警鐘が鳴らされていたように感じた。

 撮影中に主演のリシ・カプールが亡くなったことで脚本にどれだけの変更を加えなくてはならなかったのか不明だが、もしほぼ原案のまま撮影されていたのなら、この映画のストーリーそのものに難があるといわざるを得ない。最後にリンクーとシャルマージーが警察に逮捕されてしまうが、それがロビーの助け船によって一瞬の内に解決するのはあまりにやっつけ仕事で短絡的であるし、リンクーの不動産問題は解決の兆しが見えたものの、シャルマージーのその後がどうなったのか、曖昧のまま終わってしまっていたからだ。きっと、彼の料理の腕を活かすような方向に向かったのだろうが、それを示唆するものがほとんどなく、中途半端に感じた。

 リシ・カプールとパレーシュ・ラーワルはどちらもうまい俳優だが、タイプは微妙に異なる。リシはリシの演技をし、パレーシュはパレーシュの演技をしていた。必ずしもパレーシュはリシの穴を補完するような演技をしていなかったように感じた。しかも、パレーシュの出番の方が長かったため、リシの遺作でなかったら、パレーシュの映画になっていたところである。リシへの追悼が映画の冒頭と最後に入っていたことで、何とかリシの映画に留まっていた。

 リシへの追悼といえば、映画の中ではリシ・カプールのファンへのサービスがいくつか見受けられた。たとえば、終盤でジューヒー・チャーウラー演じるヴィーナーがパレーシュ・ラーワル演じるシャルマージーにジェスチャーでメッセージを送ろうとする場面で、「Bobby」(1973年)という映画が引き合いに出されていたが、これはリシ・カプールの初主演作である。また、エンドロールで流れていた曲は、やはりリシ・カプール主演作「Karz」(1980年)のヒット曲「Om Shanti Om」だ。

 題名の「Namkeen」には2つの意味が込められていると思われる。ひとつは「スナック」という意味だ。インドでは一般に甘くないスナック菓子を「नमकीनナムキーン」と呼ぶ。ただし、映画の中でシャルマージーはスナックのみならず、インド料理から中華料理まで、ありとあらゆる料理を作っていた。この言葉は「塩」という意味の「नमकナマク」から派生しており、「塩辛い」という意味もある。シャルマージーの斜に構えた性格も重ねていると思われる。

 「Sharmaji Namkeen」は、往年の名優リシ・カプールの遺作となった作品である。撮影途中にリシが急死してしまったため、パレーシュ・ラーワルが残ったシーンを代わりに演じ、完成まで漕ぎ着けた。特殊な作りの映画であるが、ヒンディー語映画の製作過程が少しだけ分かる貴重な資料になっている。ただ、映画の完成度は高くない。その代わり、リシ・カプールのファンにとっては外せない映画だ。