ホーリー

 例年3月に祝われるホーリー祭は、数あるインドの祭りの中でも、もっとも特徴的で、もっとも刺激的で、そしてもっともカラフルな祭典である。ヒンディー語では「होलीホーリー」と書く。ヒンドゥー教の太陰暦では第12月であるファールグン月の満月の日に祝われる。

 ホーリー祭の日、インド社会全体が無礼講となり、人々は年齢や身分の別なく色粉や色水を掛け合う。インド中で大麻が非公式に解禁される日でもあり、街中が酔っ払っている。大学生が卒業旅行などでインドを訪れた際にぶち当たる確率が高い祭りで、特に女性旅行者はホーリー祭の日、外出を控えるべきである。何をされても文句は言わない約束なのがホーリー祭なのだ。

悪に対する善の勝利

 ホーリー祭には、その縁起譚としていくつかの神話・伝承が結び付いている。まずホーリー祭には、ダシャハラー祭と同様に、悪に対する善の勝利を祝い、記憶する役割もある。その側面を強調する場合、ヴィシュヌ神の化身ナラスィンハと悪魔ヒランニャカシヤプ、そしてヒランニャカシヤプの妹ホーリカーと息子プラフラードの神話がホーリー祭の起源として語られることが多い。

 ヒランニャカシヤプはヴィシュヌ神に弟を殺されたことで恨みを抱くようになり、厳しい苦行を行って、ブラフマー神から恩寵を受けた。第一希望であった「不死身」という恩寵は得られなかったものの、それに近い以下のような恩寵を受けた――「建物の中でも外でも死なず、昼にも夜にも死なず、地上でも空中でも死なず、いかなる武器でも殺されず、人間にも動物にも殺されない」。結果、ヒランニャカシヤプは最強の存在となり、神々をも脅かすようになった。ところが、息子のプラフラーダは敬虔なヴィシュヌ神の信者で、父親の悪行に心を痛めていた。怒ったヒランニャカシヤプはプラフラーダを殺そうとし、妹のホーリカーの協力を得た。ホーリカーは火の中でも燃えない衣を身にまとっており、プラフラーダを抱きしめたまま火の中に飛び込んだ。しかし、ホーリカーの衣はプラフラードを守り、ホーリカーを燃やしてしまった。そこへヴィシュヌ神が人獅子ナラスィンハの姿で現れ、黄昏時に玄関にてヒランニャカシヤプを抱き上げて爪で引き裂いてしまった。その殺し方は、ヒランニャカシヤプがブラフマー神から受けた恩寵を見事に外していた。人間でも動物でもない人獅子が、昼でも夜でもない黄昏時に、建物の中でも外でもない玄関で、地上でも空中でもない腕の中で、武器ではない爪により殺したのである。
Narasimha
ヒランニャカシヤプを殺すナラスィンハ神

 この神話に登場する「ホーリカー」という女性の悪魔がホーリー祭の名前の由来になったと考えられている。ホーリー前日の夕方には焚き火を燃やす「ホーリカー・ダハン」と呼ばれる習慣があるが、これはヴィシュヌ神の敬虔な信者だったプラフラーダを殺そうとしたホーリカーが燃えて死んだことを象徴している。伝承によっては、ホーリカーは善玉として描かれることもある。その場合、ホーリカーは我が身を犠牲にしてプラフラーダを救ったことになる。

愛と色と春の祭典

 ホーリー祭は愛の祭典としての性格も持ち合わせている。ホーリー祭が愛の祭典とされるいわれについては、ラーダーとクリシュナという神話上のスーパーカップルが関係している。

 クリシュナは色黒で、色白のラーダーが自分に振り向いてくれるか分からなかった。クリシュナの母親ヤショーダーの助言に従い、クリシュナはラーダーに、好きな色で顔を塗るように言う。ラーダーはクリシュナの顔に色粉を付け、二人は結ばれた。
Radha Krishna
ラーダーとクリシュナ

 この神話では、ホーリー祭の日になぜ人々が色粉を付け合ったり色水を掛け合ったりするのかについても説明されている。ホーリー祭を図像化した際、水鉄砲や色粉を手に戯れ合うラーダーとクリシュナの姿で描写されることが多い。

 ホーリー祭はインド全土で祝われるのだが、特にクリシュナの生まれ故郷とされるブラジ地方(ウッタル・プラデーシュ州マトゥラー近辺)では盛んに祝われ、全国的に有名である。ホーリー祭と色の関係は、ブラジ地方から始まった可能性もある。

 また、ホーリー祭の由来にはもう2組のカップルの名前も挙がることがある。ひとつはシヴァとパールワティーの夫妻、もうひとつは愛の神とされるカーマとその妻ラティである。

 悪魔ターラカは厳しい苦行の末、ブラフマー神から、シヴァの息子にしか殺されないという恩寵を得る。シヴァの妻サティーは既に死んでおり、二人の間に子供はおらず、苦行者となったシヴァが再婚し子供をもうけるとは考えられなかったため、これは事実上の不死身を意味した。神々はターラカの横暴に悩まされるようになり、サティーの生まれ変わりであるパールワティーに、シヴァとの結婚を促す。だが、シヴァは深い瞑想に入っており、全く見向きもしなかった。そこでホーリーの日、愛の神カーマはシヴァを恋に落とすため、春を呼び寄せ、花の香る南風となってシヴァに近づき、愛の矢を射かけた。すると、シヴァの第三の目が開き、カーマは灰となってしまう。シヴァは瞑想から覚め、パールワティーを見て、彼女と結婚することになった。カーマの妻ラティはシヴァに頼み、カーマを復活してもらう。だが、姿形はなかった。こうして、愛は形を持たず、この世の中に遍在することになった。また、シヴァとパールワティーの間には軍神カールティケーヤが生まれ、ターラカを討ち滅ぼした。
Madan Basma
カーマ神を灰にするシヴァ神

 この神話からはホーリー祭に関するいくつかのことが分かる。まず、愛の神カーマが姿を失い、世界に遍在するようになったことで、ホーリー祭は愛の誕生を祝う性格の祭りになっていることだ。さらに、インド神話の中でもっともパワフルなシヴァとパールワティーの結婚という宇宙的な慶事にもつながっている。この結婚により生まれたカールティケーヤが悪魔ターラカを倒したことで、既に述べた悪に対する善の勝利としてのホーリー祭も説明している。そして、カーマが春を呼び寄せたことで、冬の終わりと春の到来を祝う祭典との関連性もうかがわれる。

 ただ、肌感覚ではホーリー祭は春よりも夏の始まりを告げる祭りだ。北インドの一年の中で「春」と呼べるのは2月頃である。まだ空気は冷たいが、日差しに温かさが戻ってきて、ひなたぼっこが気持ちいい時期である。3月に入ると次第に暖かくなっていき、ホーリー祭が終わると気温は急上昇する。1日1度上がっていく印象で、すぐに酷暑期に移行する。

 ホーリー祭は大麻と密接な関係のある祭典でもある。この日、インド人はタンダーイーという牛乳にアーモンドやカルダモンなどを混ぜて作る飲み物にバーング(大麻)を入れて飲む。インドでは一部の上流階級層や辺境部を除き公の場で女性が飲酒をすることは少ないが、ホーリー祭の日は男女の別なくバーング・タンダーイーを飲んで大いに酔っ払う。大麻の規制は州ごとに異なり、全面禁止の州も多いが、ホーリー祭の日だけは黙認される。

Thandai
タンダーイー ©Aparna Balasubramanian

 なぜホーリー祭の日に大麻が摂取されるようになったかについては、実は納得いく説明が見つからない。だが、大麻はシヴァ神と関連性の強い植物であり、上記の神話が関係しているのかもしれない。一説によれば、山奥で長い瞑想生活を送っていたシヴァが、カーマの矢によって目を覚まし、俗世間に戻ってきたことを祝うために、人々はバーングで酔っ払うのだとされている。

収穫祭

 見逃してはならないのは収穫祭としてのホーリー祭である。雨季が終わり、秋作物の収穫が終わった11月頃に種がまかれた春作物が収穫期を迎えるのがちょうどホーリー祭の頃となる。春作物の代表は、コムギ、オオムギ、マスタード、ヒヨコマメなどである。

 ちょうど半年前に祝われるダシャハラー祭が秋作物の収穫祭で、このホーリー祭が春作物の収穫祭であることは興味深い対比である。どちらも何かを燃やすという共通したモチーフがあり、また、悪に対する善の勝利という共通したテーマもある。

 ホーリー祭に特有の食べ物はグジヤーという餃子風のお菓子であるが、カルワー・チャウト祭やディーワーリー祭のときにも作られる。

グジヤー ©Priyanka Johri

Holi Hai!

 ホーリー祭の日、インド人は大麻を摂取して酔っ払い、家族や友人、そして道端で出会った見知らぬ人の顔に色を塗ったり水を掛けたりして祝う。身分差の激しいインド社会において、この日だけは無礼講となり、上から下まで一緒になって色で遊ぶ。もちろん、インド人、外国人の区別もない。ホーリー祭の日、インドにいる人は皆、容赦なく色を塗られてしまう。地域によっては、泥や糞なども混ぜられる。一度色の付いた服はもう使い物にならなくなるので、ホーリー祭の日はいらない服を着るべきである。ただ、色の祭典は午前中で終わり、午後になると新しい服を着て家族親戚を訪問するのが一般的だ。

 ホーリー祭の日によく聞く合い言葉は「बुरा न मानो होली है!ブラー ナ マーノー ホーリー ハェ」だ。「悪く思うな、ホーリーだからね!」という意味で、ホーリー祭の無礼講振りを端的に表したフレーズになっている。

映画の中のホーリー祭

 ホーリー祭はエネルギッシュでカラフルな祭りであり、映画との相性は抜群である。多くの場合はアップテンポのダンスシーンとして演出される。インド人はホーリー祭が大好きであり、俳優たちもホーリー祭を本当に心から楽しんでいる様子が見て取れて、映画のハイライトのひとつになりやすい。

 ホーリー祭が出て来る映画は数多くあり、文字どおり枚挙に暇がない。だが、大ヒット作の中の印象的なホーリー祭シーンということで一本を挙げるならば、「Sholay」(1975年)の「Holi Ke Din」がもっとも有名だ。悪役ガッバル・スィンの「होली कब है?ホーリー カブ ハェ(ホーリー祭はいつだ?)」の台詞から始まるホーリー祭シーンは、村で祝われる牧歌的なホーリー祭の楽しい様子が描かれると同時に、ガッバル率いる盗賊団による村の襲撃へとストーリーを前に進める役割を担っている。

#HoliSong | Holi Ke Din Dil Khil Jate Hain | Sholay Movie Song | Holi Ke Purane Gane #happyholi

 ホーリー祭をストーリーに組み込もうと思った際、悪に対する善の勝利という意味づけよりも、愛の祭典としての意味づけとして使われることが多い。主人公の男女が恋に落ちる瞬間をホーリー祭のダンスシーンに託すパターンはよく見られるものである。たとえば「Yeh Jawaani Hai Deewani」(2013年/邦題:若さは向こう見ず)の「Balam Pichkari」は、今までメガネっ娘だったナイナーがコンタクトレンズを装着してメガネを外し、「本当の私、デビュー」をして、片思いの相手バニーの気を引くシーンになっている。

Balam Pichkari Full Song Video Yeh Jawaani Hai Deewani | PRITAM | Ranbir Kapoor, Deepika Padukone

 「Gulmohar」(2023年)は、ホーリー祭までの数日間に家族内で起こる出来事を描いたファミリードラマ映画だった。ホーリー祭当日のみならず、ホーリー祭を前にして子供たちにホーリー祭の由来について語って聞かせる場面や、ホーリー祭の前夜に行われるホーリカー・ダハンもきちんと描写されており、ホーリー祭について理解を深めようと思った際には参考になる映画である。

Gulmohar
「Gulmohar」

 特徴的なホーリー祭の祝い方をする地域もある。ウッタル・プラデーシュ州マトゥラー近くのバルサーナーでは、ホーリー祭の期間にラトマール・ホーリーと呼ばれる祭礼が行われる。近隣のナンドガーオンに住むクリシュナがバルサーナーに住むラーダーにホーリー祭の日に会いに行ったところ、バルサーナーの女性たちから棒で叩かれて追い出されたという逸話があり、それが再現されたものになる。ナンドガーオンたちの男性たちがバルサーナーへ行くと、そこの女性たちは棒で叩いて迎えるのである。「Dry Day」(2023年)のダンスシーン「Halla Macha」ではラトマール・ホーリーが再現されている。

Dry Day: Halla Macha (Video) Jitendra Kumar,Shriya Pilgaonkar,Annu Kapoor | Javed-Mohsin | Dev,Akasa

 ホーリー祭はインドを代表する祭典であり、映画の中にも頻出する祭りである。ビジュアルだけでも十分に刺激的だが、その意義を知っておくと、映画の理解に役立つだろう。