諜報機関というと、米国のCIA、英国のMI5、旧ソビエト連邦のKGBなどが有名である。これらは米国のスパイアクション映画などでよく登場するため、世界的に知られるようになったと考えられる。
インドにも諜報機関がある。「Research and Analysis Wing」という。日本語の訳語は定まっておらず、「研究分析局」「調査分析局」などと書かれることが多い。「RAW」または「R&AW」と略される。首相直轄の機関である。
インドにはRAWとは別に「Intelligence Bureau(IB)」という内務省下の諜報機関もある。日本語にすると「情報部」「諜報部」などになるだろう。こちらは原形が英領時代に創設されており、インド独立後は国内外の諜報活動を一手に担当していた。だが、1962年の中印戦争での敗戦を受け、1968年にRAWが設立されたことで、RAWが国外諜報活動を、IBが国内諜報活動を分担することになった。
また、インドの陸軍、海軍、空軍もそれぞれ諜報部を持っている。RAW、IB、そして三軍諜報部の情報を統合するのが共同諜報委員会(Joint Intelligence Committee/JIC)であり、首相の諮問機関である国家安全保障会議(National Security Council/NSC)の重要な一角となっている。
インドが仮想敵国とするのは隣国パーキスターンだが、パーキスターンにも諜報機関がある。「Inter-Service Intelligence(ISI)」といい、日本語では「軍統合情報局」などと訳される。第一次印パ戦争後の1948年に設立され、パーキスターンでは非常に力を持っている機関になっている。
ヒンディー語映画で本格的にスパイ映画が作られるようになったのは21世紀に入ってからである。インドには最初から諜報機関が存在するため、スパイ映画が作られる際は自然とRAWのエージェントが登場するようになった。また、ライバル機関としてISIが登場する映画もいくつかある。
RAWが登場するヒンディー語映画としてもっとも早い例はサニー・デーオール主演の「The Hero: Love Story of a Spy」(2003年)であった。その後、RAWエージェントを主人公とした多くのスパイ映画が作られるようになった。2010年代には毎年といっていいほど作られている。
以下、代表的なものをリストアップした。
- Mission Istaanbul(2008年)
- Agent Vinod(2012年/邦題:エージェント・ヴィノッド 最強のスパイ)
- Ek Tha Tiger(2012年/邦題:タイガー 伝説のスパイ)
- D-Day(2013年)
- Madras Cafe(2013年)
- Phantom(2015年)
- Tiger Zinda Hai(2017年)
- Raazi(2018年)
- Romeo Akbar Walter(2019年)
- War(2019年/邦題:WAR ウォー!!)
- Bell Bottom(2021年)
- Pathaan(2023年/邦題:PATHAAN パターン)
- Tiger 3(2023年/邦題:タイガー 裏切りのスパイ)
もちろん、諜報機関がどんな活動をしているのかは国家機密であり、一般人は知ることができない。たとえ国家に多大な利益をもたらす功績を上げたとしても、そのスパイの名前が表に出ることはない。インドの映画メーカーたちは完全に想像力に頼ってこれらのスパイ映画を作っていることになる。
ただ、いくつか例外がある。
まず、「Raazi」はかなり実話に近いスパイ物語である可能性がある。1971年の第三次印パ戦争時に、RAWのエージェントとしてパーキスターン人将校に嫁ぎ、パーキスターンの軍事機密をインドに流した女性スパイの物語だ。まずは2008年に「Calling Sehmat」という小説になり、これを原作として映画が作られた。実在のスパイのこのような活躍が表に出るのは珍しい。
「IB71」(2023年)は、第三次印パ戦争直前に起こったハイジャック事件が題材の映画だ。映画の中ではRAWではなくIBが主体となってハイジャック事件をわざと発生させ、その後の第三次印パ戦争をインドに有利に運んだことになっている。元RAWエージェントのRKヤーダヴが著書「Mission RA&W」の中で同様の主張をしており、単なる作り話と片づけるのに躊躇する。