親族名称

 ヒンディー語の親族名称は非常に複雑な上に、実際の血縁上の関係を示す以外に副次的な意味を持つこともあり、注意が必要である。例えば、「兄弟」という意味の「भाईバーイー」および「भैयाバイヤー」には、実際の兄弟を示す以外に、親しい友人への呼称にも多用されるし、もっといえば見知らぬ男性への呼び掛けにも使われる。「兄弟」「姉妹」の転用ぐらいならば他の言語でも見られる現象だが、ヒンディー語にはそういう例が非常に多いのである。

 伝統的なインド映画では、ジョイントファミリーと呼ばれる、兄弟が妻子と共にひとつの屋根の下に住む家族形態が描かれることが多い。つまり、子供の視線で見ると、叔父叔母の家族が同居しており、従兄弟・従姉妹と一緒に育つことになる。ヒンディー語映画ではそういう昔ながらの大家族を見る機会が随分減り、映画の中の家族の核家族化が進行しているが、南インド映画ではまだ多い印象である。インドでは、従兄弟・従姉妹が実の兄弟姉妹と厳密に区別されない傾向が見られるが、これもジョイントファミリーの名残だと考えることができる。

 特にそのようなジョイントファミリー系の映画を観る際は、登場人物が、名前ではなく親族名称で呼ばれることが多いので、親族名称を理解しておくと人間関係の整理と理解に役立つ。そうはいっても、ヒンディー語映画の親族名称はかなり細分化されていて複雑なので、たとえ暗記していても、パッと聞いてパッと感覚的に理解するのは外国人にはなかなか難しい。

 特殊な意味を持つ親族名称もいくつかあり、実の血縁とは異なった意味で使われることもある。ヒンディー語映画にも頻出するので、ここで代表的なものをまとめてみた。

バービー

 「भाभीバービー(Bhabhi)」とは「兄嫁」という意味である。第一義では、自分の兄に嫁いできた女性、つまり、義理の姉ということになる。この言葉はインド人の間で、意味が拡大されてよく使われる。

 既に、インドにおいて「兄弟」という言葉が、親しい友人にも使われることは述べた。それを適用すると、「兄嫁」は、親友の妻にも当てはめられるし、もっといえば、拡大して親友の恋人にも当てはめられる。よって、インドで「バービー」といった場合、実際の「兄嫁」ではなく、「お前のカノジョ」「お前のツレ」といったニュアンスの用法であることが多い。

 しかも、親友がまだ付き合ってもいない女性、つまり片思い中の女性に対しても、「バービー」という呼称を、一般的には仲間内限定ではあるが、使うことがある。女性に対しては失礼な物言いだが、男性同士では、敢えて特定の女性を「バービー」と呼ぶことで、親友が片思いするその女性には手を出さないという表明にもなり、縄張り確認としては有用な習慣だといえる。

 それとは全く逆の話になるのだが、実はインド人男性にとって、「バービー」という言葉には一種の性的ファンタジーをかき立てる何かがあるようだ。この場合は実際の兄嫁のことだと考えるべきである。兄嫁という存在は、姉ではあるが、外来の女性でもあり、しかも弟がまだ未婚であることを前提とすれば、自分よりも性的経験が豊富な女性というイメージも伴う。兄嫁の立場から見て、自分の夫の弟は「देवरデーヴァル(Devar)」というが、「バービー」と「デーヴァル」の仲は、ジョイントファミリーの家庭において、禁断の仲を含むただならぬ関係になることが少なくないとされている。

 そんなインド人男性の性的ファンタジーを凝縮させたインド初のポルノコミックの題名も「Savita Bhabhi(サヴィター義姉さん)」であった。このコミックはアニメ映画化もされている。

 「バービー」が歌詞に入っている映画音楽としては、「Main Tera Hero」(2014年)の「Teri Bhabhi」などがある。

Teri Bhabhi - Full | Coolie No.1| Varun Dhawan, Sara Ali Khan | Javed-Mohsin | Dev Negi , Neha Kakar

हट जा सामने सेハト ジャー サームネー セ
तेरी भाभी खड़ी हैテーリー バービー カリー ハェ

そこをどけ
お前のバービーが通るぞ

サーラー

 「सालाサーラー(Sala/Saala)」は、「妻の兄弟」という意味である。つまり、義理の兄弟のことだ。この言葉の用法には特に注意が必要である。

 妻に兄弟がいれば、彼らは自分にとって「サーラー」になるわけで、彼らを「サーラー」と呼ぶのに何の問題もない。だが、本当の「サーラー」でない男性を「サーラー」と呼ぶと、それは罵詈雑言の一種となり、相手を怒らせることになる。

 なぜこの言葉が罵詈雑言となるかは、少し考えてみれば分かる。まず前提として、ヒンディー語の罵詈雑言は、目の前にいる相手に対して直接ぶつけるものもある一方で、その相手の家族を貶めることで相手を攻撃するものもある。そしてターゲットになるのは大体の場合、家族の女性メンバーとなる。日本語に当てはめると、「お前の母ちゃんデベソ」が非常に近い。

 妻の兄弟でもない男性を「サーラー」呼ばわりした場合、それは、その男性の姉妹と性的な関係を結んだことを示唆する。つまり、相手を「サーラー」と呼ぶことで、「お前の姉妹を犯してやった」と表明しているのに等しいことになる。

 罵詈雑言の「サーラー」が歌詞に入っている映画音楽としては、「Rang De Basanti」(2006年)の「Roobaroo」や、「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)の「Pappu Can’t Dance」などが挙げられる。

A.R. Rahman - Roobaroo Best Video|Rang De Basanti|Aamir Khan|Siddharth|Sharman|Naresh

ए सालाエー サーラー
अभी अभी हुआ यक़ीनアビー アビー フアー ヤキーン
कि आग है मुझमें कहींキ アーグ ハェ ムジュメン カヒーン
हुई सुबह मैं जल गयाフイー スバハ マェン ジャル ガヤー
सूरज को मैं निगल गयाスーラジ コ マェン ニガル ガヤー
रूबरू रोशनीルーバルー ローシュニー Hey

おい、この野郎
今になって気付いた
俺の中のどこかに火があるんだ
朝になって俺は燃えた
太陽を俺は飲み込んでしまった
光に向き合った

Full Video: Pappu Can't Dance | Jaane Tu Ya Jaane Na | Imran Khan | A.R. Rahman

But Pappu Can’t Dance, सालाサーラー

でもパップーは踊りが下手さ、この野郎!

マー

 「माँマー(Maa)」は「母親」という意味である。インドにおいて特別な意味を持つ言葉の筆頭である。インド人、特に男性は、世界最高レベルのマザコンであり、この言葉は最大限の尊敬をもって口にされることが多い。「माताマーター(Mata)」、「मैयाマイヤー(Maiya)」など類語も複数ある。

 実の母親という意味で使われることがほとんどであるし、この言葉に限っては、赤の他人の女性に慣用的に使われることも少ない。

 限られた場面では拡大した用法で使われることもある。もっとも多いのが「女神」の意味である。特に感嘆詞として「マー!」と発せられた場合、それは「お母さん!」という意味のこともあるが、多くの場合は「女神様!」、つまり「Oh my god!」に近い意味になる。時々、インド映画の日本語字幕を見ていると、「Mother!」の訳として「母親」の意味に誤って取ってしまっている例があるので、注意が必要である。

 「女神」の延長線上で、女性の宗教指導者や尊敬すべき女性などに対してもこの言葉が使われることがあるが、誰にでも使っていい用法ではない。インドという国家自体も女神扱いされることが多く、「母親」として呼ばれることもある。「भारत माता की जय!バーラト マーター キ ジャイ(Bharat Mata Ki Jay!)」といえば、「インド女神万歳!」という意味になる。

 ARレヘマーン作曲の愛国歌「Vande Mataram」に「Maa Tujhe Salaam」という歌詞があるが、ここでの「Maa」とは「母親」ではなく「インド」のことである。全体で「母なるインドに敬礼」という意味になる。

Vande Mataram - @ARRahman | Maa Tujhe Salaam | Official 4K Video | Mehboob | #Independenceday

माँ तुझे सलामマー トゥジェー サラーム
माँ तुझे सलामマー トゥジェー サラーム
अम्मा तुझे सलामアンマー トゥジェー サラーム

母なるインドに敬礼
母なるインドに敬礼
母なるインドに敬礼

サスラール

 「ससुरालサスラール(Sasural)」とは「配偶者の実家およびその家族」という意味になる。嫁をもらう男性から見れば妻の実家となり、嫁に行く女性から見れば夫の実家で、婚家となる。厳密にいえば親族名称ではないかもしれない。「配偶者の父親」を意味する「ससुरサスル(Sasur)」から派生した語である。

 上で説明した「サーラー」と全く同じ理屈で、この「サスラール」も赤の他人に向けて使うと罵詈雑言になる。何の血縁もない人を「義理の父親」と呼ぶということは、つまり「お前の娘を犯してやった」という意味になるからである。

 また、ガル・ジャマーイーでも説明しているのだが、インド人男性にとって、妻の実家は、一瞬たりとも滞在したくない場所である。よって、「サスラール」という言葉には、「忌避したい場所」というニュアンスが含まれることになる。というわけで、俗語で「サスラール」は「刑務所」「牢屋」を意味する。ヒンディー語映画でも、犯罪者が、刑務所に入ることを「サスラールに行って来る」と表現しているのをよく耳にする。

ベーター

 「बेटाベーター(Beta)」とは「息子」という意味である。呼びかけるときには「बेटेベーテー(Bete)」という形も取ることがある。実の息子ではなくても、年下の男性に対しての呼びかけで使われることがある。

 一方、「娘」という意味の単語として「बेटीベーティー(Beti)」がある。この点で、ヒンディー語初学者がヒンディー語映画を観ていると、きっと気付くことがあるだろう。実の娘に対して「ベーター」「ベーテー」と呼びかけていることがあるのである。娘に対して「息子よ」と呼びかけていることになる。

 これは間違いでも何でもなく、実際の場面でもよく聞く用法である。インドでは、女児よりも男児の方が尊ばれる習慣がある。その裏返しとして、娘に「息子よ」と呼びかけて息子扱いすることは、娘を息子同然に可愛がっていることの表明となり、親愛の情がより強く出ていると受け止められる。もちろん、実の娘でなくても、親しくしているインド人から女性は「ベーター」「ベーテー」と呼ばれることがあるが、混乱しないで欲しい。男尊女卑的な価値観に立脚した用法なので、外国人からは批判の目で見られることもあるが、言語文化上そうなっているのだから、そうと受け止めるしかない。

マーマー/マームー

 「मामाマーマー(Mama)」とは母の兄弟、つまり、母方の叔父のことである。父の兄弟、つまり、父方の叔父は、年長ならば「ताऊターウー(Tau)」、年少ならば「चाचाチャーチャー(Chacha)」または「काकाカーカー(Kaka)」という。

 インドの多くの地域で、警察のことを「マーマー」もしくはその変形である「マームー」と呼ぶ。上の「サスラール」を理解すれば「マーマー」のこの用法も理解できるだろう。刑務所が「妻の実家」だとすれば、警察は妻の実家にいる叔父さん扱いとなり、「マーマー」になる。

 それとは別に、月も「चंदा मामाチャンダー マーマー(Chanda Mama)」、つまり「月おじさん」として叔父さん扱いされて呼ばれることがある。母方の叔父は、常に一緒に住んでいるわけではないが、会うと遊んでくれて親しみの湧く存在というのが一般的なイメージである。月も常に夜空に出ているわけではなく、存在感が似通っているために、「マーマー」と呼ばれるのかもしれない。一方で太陽は父方の叔父である「チャーチャー」と共に、「सूरज चाचाスーラジ チャーチャー(Sooraj Chacha)」と呼ばれる。

 「Munna Bhai M.B.B.S.」(2013年)の「Subah Ho Gayi Mamu」に「月おじさん」と「太陽おじさん」が出て来る。

Munna Bhai MBBS | Song Subah Ho Gayi Mamu (30 sec)

चंदा मामा सो गएチャンダー マーマー ソー ガエー
सूरज चाचू जागेスーラジ チャーチュー ジャーゲー
देखो पकड़ो यारोデーコー パクロー ヤーロー
घड़ी के काँटे भागेガリー ケ カーテー バーゲー

月おじさんが寝た
太陽おじさんが起きた
さあみんな、捕まえろ
時計の針が逃げてしまう

バーイー

 既に「兄弟」を意味する単語「भाईバーイー(bhai)」が親しい友人や、見知らぬ男性への呼び掛けにも使われることは述べた。この言葉にはそれ以外の特殊な用法もある。

 まず、インドで単に「バーイーのファン」といった場合、それは3カーンの一人で人気スター、サルマーン・カーンのファンを意味する。サルマーンの愛称が「バーイー(兄貴)」だからである。

 また、「バーイー」には「マフィア」という意味も含まれてしまっている。ムンバイーの俗語で「भाईगीरीバーイーギーリー(Bhaigiri)」、つまり「バーイー稼業」という言葉があるが、これは違法な取り立てや地上げなどを含むマフィアの仕事を意味する。

 「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)や「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)の主人公ムンナー・バーイーの「バーイー」とは、単なる兄貴ではなく、マフィアという意味を含んでいる。