2020年には多くのヒンディー語映画関係者が亡くなった。リシ・カプール(俳優)、サロージ・カーン(振付師)、イルファーン・カーン(俳優)、ワージド・カーン(音楽監督)などである。その中でももっとも物議を醸したのが、スシャーント・スィン・ラージプートの死であった。なぜなら彼の死は自殺とされており、しかも映画業界内の闇に関係する死とされたからであった。そのスシャーントの遺作となったのが「Dil Bechara」である。スシャーントの死が2020年6月14日。この映画がDisney+ Hostarで配信公開されたのが2020年7月24日であった。
監督はムケーシュ・チャーブラー。キャスティング・ディレクターとして「Rockstar」(2011年)、「Kai Po Che」(2013年)、「Dangal」(2016年)などの映画のキャスティングに関わって来た人物で、監督としては本作がデビュー作となる。主演はスシャーント・スィン・ラージプートとサンジャナー・サーンギー。サンジャナーは「Hindi Medium」(2017年)で主人公の妻ミーターの若い頃を演じていた女優だ。他に、サーヒル・ヴァイド、シャースワタ・チャタルジー、スワスティカー・ムカルジーなどが出演している。また、サイフ・アリー・カーンが特別出演している。音楽はARレヘマーンが担当している。米作家ジョン・グリーンの小説「さよならを待つふたりのために」(2012年)の映画化である。
舞台はジャールカンド州ジャムシェードプル。ザンビアで生まれインドに移住した女の子キズィー(サンジャナー・サーンギー)は甲状腺癌を患っており、酸素ボンベを手放せなかった。毎日薬を飲む退屈な人生を送っていたところへ、骨肉腫を患った陽気な青年マニー(スシャーント・スィン・ラージプート)が現れる。マニーはラジニーカーントの大ファンで、自身が主演の映画を撮ろうとしていた。マニーはキズィーをヒロインに抜擢する。当初キズィーはマニーを避けていたが、次第に彼に心を開くようになり、やがて二人は恋に落ちる。 キズィーは、アビマンニュ・ヴィール(サイフ・アリー・カーン)という音楽家が作った曲が大好きだったが、その曲は未完成だった。キズィーはその曲がなぜ未完成なのかを確かめるため、アビマンニュの住むパリへ行こうとする。キズィーは母親とマニーと共にパリへ行き、アビマンニュと会うが、アビマンニュは曲を未完成にした理由を言おうとしなかった。最後に彼は「人生は未完成だ」と言い放つ。また、このとき、キズィーはマニーの病気が悪化していることを知る。 インドに戻ったマニーはほとんど寝たきりの生活となった。何とか映画を完成させたが、マニーは死期を悟っていた。緑内障で視力を失った親友のJP(サーヒル・ヴァイド)とキズィーを教会に呼び、自分の葬式の予行を行う。その2日後、マニーは息を引き取る。
奇しくもスシャーントの死をもって終わる映画が彼の遺作となった。だが、もちろん彼の死が脚本に影響を与えた訳ではないと思うので、それとは切り離してこの映画を評価したい。
ヒンディー語映画においても、難病や障害を持った人物を主人公に据えて感動作を撮る手法は古くからあり、それ自体に目新しさはない。だが、「Dil Bechara」がまずユニークだったのは、3人の主要キャラがそれぞれ別の病気を抱えていたことである。キズィーは甲状腺癌で、「プシュピンダル」と名付けた酸素ボンベから常に酸素を共有して生活している。マニーは骨肉腫を患い、右足を切断したため、義足となっている。JPは緑内障で、後半には手術を行った後に失明する。それぞれが欠落したものを持っている。さらに、キズィーは未完成の曲の続きを知りたがり、マニーはキズィーのためにその曲を完成させようとする。この部分は、身体的な不足を投影していると考えられる。
暗い雰囲気になりそうなプロットで、時々差し挟まれるジャムシェードプルの工場の遠景が不気味な印象を与えるが、マニーの陽気さのおかげか、意外にもライトなノリの映画である。キズィー、マニー、JPの3人も、自身の病気にきちんと向き合っており、決してどん底の悲観に陥ることはない。むしろ、ラジニーカーント映画のような映画を撮るというマニーの夢に一緒に向かって行くことで、希望すら感じられる作品となっている。さらに、パリでアビマンニュから「人生は未完成だ」と喝破されたことで、障害者だけが不足した人生を歩んでいるのではないことを知る。
非常に哲学的な仕上がりにもできた映画だったが、残念ながら編集が荒く、シーンとシーンのつながりが悪い。詩的なストーリーテーリングにも感じたものの、実際は編集が雑なだけだと結論づけた。とは言え、そのルーズな編集が上記の意外な明るさにつながっていたことも否めず、評価が分かれそうな映画となっている。
ビハール州パトナー生まれのスシャーント・スィン・ラージプートは、シャールク・カーンに憧れてムンバイーに出てきたタイプの夢追い人で、何のバックグラウンドも持たずにのし上がった俳優の一人だ。2013年に「Kai Po Che」でデビュー以来、「M.S. Dhoni: The Untold Story」(2016年)、「Chhichhore」(2019年)など、ヒット作に恵まれ、頭角を現して来た。「Dil Bechara」の演技を見ても、優れた俳優だったことが分かる。だが、血縁主義の強いヒンディー語映画界において、外部から業界に飛び込んだ人間は多大な苦労を強いられるようで、そのプレッシャーから自殺をしたのではないかと言われている。
舞台となったジャムシェードプルは、インド最大の財閥ターター・グループの本拠地であり、町の名前もターター・グループの創始者ジャムシェードジー・ターターから取られている。周辺に鉄鉱山や炭鉱があり、製鉄業が盛んな町だ。行ったことはないのだが、碁盤目状の計画都市で、生活しやすそうな印象を受けた。
「Dil Bechara」は、2010年代を駆け抜けた男優スシャーント・スィン・ラージプートの遺作となったドラマ映画である。難病を抱えた主人公の物語であるが、雰囲気は意外に明るい。ARレヘマーンのシャレた音楽もいい。ただ、詩的な飛躍あるいは編集の荒さからのまとまりの悪さがあって、完成度は高くない。ともすれば未完成の映画のように感じてしまう。