The Xposé

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The Xposé
「The Xposé」

 今となっては昔話になってしまったが、ヒンディー語圏を中心に、ヒメーシュ・レーシャミヤーが一世を風靡したことがあった。ヒメーシュはテレビドラマの作曲家や脚本家からキャリアをスタートさせ、その後、才能を認められて映画界に進出し、映画音楽の作曲家・プレイバックシンガーとして活躍していた。主にサルマーン・カーンとのタッグで頭角を現したと言える。彼が作曲し、歌を歌った曲はキャッチーなアピールがあり、すぐにヒットを連発するようになった。2005年前後から、音楽のみならず、ヒメーシュ自身の人気が高まって行った。プロモーションビデオなどで彼のビジュアルやファッションが頻繁に公の場で流れるようになり、遂にヒメーシュは俳優業にも進出した。彼の俳優デビュー作「Aap Kaa Surroor」(2007年)は、正直なところ大した映画ではなかったのだが、絶大なヒメーシュ人気に押されてスーパーヒットに化けた。だが、この頃が彼の人気の絶頂期で、第2作「Karzzzz」(2008年)の失敗を皮切りに、急速にヒメーシュのメディア露出は減って行った。かつてはラジオを付ければヒメーシュの歌ばかり、テレビを付ければヒメーシュの歌と顔ばかりという時代もあったのだが、今ではヒメーシュの歌を聞く機会は非常に少なくなり、今ではすっかり「あぁ、そういえばこんな人もいたなぁ」という感じである。隔世の感がある。「Karzzzz」の後も「Radio」(2009年)、「Kajraare」(2010年)と主演作が続いたのだが、興行的成績は散々だったようである。

 しかし、ヒメーシュ自身がまだ諦めていないのか、もしくはヒメーシュを再び担ごうとする勢力が業界内に残存しているのか、2014年5月16日に公開された「The Xposé」は、久々のヒメーシュ主演作だった。監督はアナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン。「Dil Vil Pyar Vyar」(2002年)や「Aksar」(2006年)の監督だ。音楽はもちろんヒメーシュ・レーシャミヤー。作詞はサミール、クマール、シャッビール・アハマド。主演はヒメーシュだが、その他のキャストは興味深い。まず、パンジャービー・ラップ歌手として大人気のヨー・ヨー・ハニー・スィンが出演している。過去に、カメオ出演やパンジャービー語映画での演技などは経験しているが、ヒンディー語映画で俳優をするのは本作が初めてのはずである。ヒロインは2人いる。一人はソーナーリー・ラウト。モデル出身の女優で、本作がデビュー作である。もう一人のゾーヤー・アフローズは、なんと「Hum Saath Saath Hain」(1999年)などに子役出演経験がある女優兼モデルで、本格デビューはやはりこの「The Xposé」となる。ヒンディー語映画界の名優イルファーン・カーンが脇を固めており、アナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン監督自身が重要な役で出演している。他に、アーディル・フサイン、ダヤー・シャンカル・パーンデーイ、ナクル・ヴァイド、ラージェーシュ・シャルマー、ジェシー・ランダーワーなどが主なキャストである。

 1968年12月、ムンバイー。映画賞授賞式後のパーティー会場で、主演女優賞を勝ち取ったばかりのザーラー・ピーター・フェルナンデス(ソーナーリー・ラウト)が高所から飛び降り、死亡する。警察は他殺と断定し、捜査を始める。

 生前、ザーラーと関わりがあり、容疑者となり得る人物は複数いた。パーティーにおいて公衆の面前でザーラーとキャットファイトを繰り広げたライバル女優のチャーンドニー・ラザー(ゾーヤー・アフローズ)、ザーラーを主演に抜擢し、「Ujjwal Nirmal Sheetal(輝く純粋な冷気)」を作った映画監督・プロデューサーのスッバー・プラサード、チャーンドニーを主演に抜擢し「Reena Mera Naam(私の名前はリーナー)」を作った監督のボビー・チャッダー、「Ujjwal Nirmal Sheetal」の出演男優でチャーンドニーの元恋人ヴィルマーン・シャー(ナクル・ヴァイド)、音楽監督ケニー・ダマーニヤー、通称KD(ヨー・ヨー・ハニー・スィン)とその妻シャブナム(ジェシー・ランダーワー)、そして南インド映画界のスーパースター、ラヴィ・クマール(ヒメーシュ・レーシャミヤー)である。

 ウッタル・プラデーシュ州ゴーラクプル出身のラヴィは、元々警官だったが、逮捕された汚職政治家を射殺した罪で服役し、警官の職も失った。その後、当時南インド映画界を拠点としていたスッバー・プラサード監督に見出され、南インドにおいて映画俳優デビューし、大人気となった。プラサード監督はヒンディー語映画界に進出し、ラヴィも「Ujjwal Nirmal Sheetal」でヒンディー語映画デビューを果たしたのだった。また、彼の腹違いの兄ラージャン(アーディル・フサイン)も警官で、ムンバイーで働いていた。

 スッバー・プラサード監督の「Ujjwal Nirmal Sheetal」とボビー・チャッダー監督の「Reena Mera Naam」は同日公開であった。また、ザーラーとチャーンドニーは元々ルームメイトだったが、ザーラーがチャーンドニーに対して高飛車な態度を取り続けたため、仲違いした経緯がある。「Ujjwal Nirmal Sheetal」で共演したヴィルマーン・シャーとラヴィ・クマールの仲も良くなかった。また、「Reena Mera Naam」の撮影中にセットで火災が起こり、チャーンドニーがラヴィの決死の救出により九死に一生を得るという出来事もあった。さらに、KDはシャブナムと結婚する前にザーラーと関係があり、プラサード監督とチャッダー監督の両方に同じメロディーの楽曲を提供するという狡猾な行為もしていた。

 「Ujjwal Nirmal Sheetal」は、チャッダー監督の策略もあり、最も期待された南インド市場で物議を醸して上映禁止となった。現地で工作をしたのが、この物語の語り部でもあるアレック・デコスタ(イルファーン・カーン)であった。一方、「Reena Mera Naam」は大ヒットした。「Ujjwal Nirmal Sheetal」は批評家から高い評価を受けたが、興行的には失敗し、プラサード監督は頭を悩ませることになる。映画賞の受賞も興行に結びつきそうではなかった。そんな中、ザーラーが死んだことでこの映画が話題になり、一気に客が入るようになったのだった。プラサード監督が、声優に頼んでザーラーの声真似をさせ、彼女の「最期のメッセージ」を偽造して流したこともヒットの一因だった。

 ラヴィの元部下だった警官グローヴァー(ラージェーシュ・シャルマー)は捜査を進める。ヴィルマーンが容疑者として浮上し、裁判が行われることになった。関係者が集う中、ラヴィは颯爽と裁判所に登場し、裁判に介入する。その結果、グローヴァーはKDから賄賂を受け取り、ヴィルマーンに濡れ衣を着せたことが明らかになる。即刻KDは逮捕される。しかし、ラヴィはまだ真実は半分しか明らかになっていないと主張する。彼は、ザーラーが落ちた建物には窓にひさしが付いており、すぐには下に落ちないと指摘する。最終的に彼女を下に落とした人物が存在する。ラヴィの眼力により、それはスッバー・プラサードであることが分かる。プラサード監督も逮捕される。

 裁判はこれで一件落着となる。釈放されたヴィルマーンはチャーンドニーと仲直りしようとするが、チャーンドニーの心は既にラヴィにあった。チャーンドニーはラヴィに愛の告白をする。ただ、ラヴィはチャーンドニーの秘密を知っていた。上階から落ちたザーラーは、地面で頭を強く撃った後もまだ息があった。彼女を最終的に殺したのは、たまたま近くにいたチャーンドニーであった。その一部始終をラヴィは遠くから眺めていたのだった。しかし、ラヴィはチャーンドニーに恋しており、この事実を隠したのだった。

 映画の冒頭で、この物語は「実話にインスパイアされた」とされている。果たしてこの映画のどの部分が実話に基づいているのだろうか。それは、「Pakeezah」(1972年)と、主演のミーナー・クマーリーの死である。カマル・アムローヒー監督の「Pakeezah」は、公開当初はフロップだったのだが、ミーナー・クマーリーが病死したことで一気に話題を集めヒットに化けた。その際、アムローヒー監督はパドマー・カンナーという声優を使ってミーナー・クマーリーの「最期のメッセージ」を偽造し、それがヒットの要因となったとされている。この出来事をベースにして、「The Xposé」は作られたという訳だ。

 グラマラスなショービジネス業界で起こった殺人事件を巡るサスペンスであったが、どこからどう見ても正真正銘の「ヒメーシュ映画」だった。つまり、ヒメーシュを中心に全てが回る。ヒメーシュは絶対的正義であり、何者も彼の領域を侵すことができない。ヒメーシュが口を開けば裁判は動き、ヒメーシュが眼力を利かせれば真犯人がボロを出す。正に万能のスーパーヒーローとなっていた。もし、それを演じているのが本当にスーパーヒーローであれば説得力があるのだが、ヒメーシュは一世を風靡しただけのシンガーソングライター兼俳優であり、ヒンディー語映画界にきら星のように輝くスターたちとは、まとうオーラは比べるべくもない。よって、滑稽さのみが強調されてしまっている。

 ヒメーシュの外見がどんどん変わっていることも不安要素のひとつであろう。シンガーソングライターとしてのみ幅を利かせていた時代の彼のファッションと言えば、赤い帽子にロングコートであった。ただ、この頃から彼の鼻声が嘲笑の的となってもいた。俳優デビューと時を同じくしてだろうか、彼は思い切って鼻の手術を行い、鼻声を克服した。しかし今度はヒメーシュの歌声に魅力がなくなってしまった。鼻声ではあったが、それが彼の歌う曲に秘められた力の源だったのだ。まるで芥川龍之介の「鼻」の状態である。今回の映画では、かなりシェイプアップしてのスクリーン登場となったが、以前と比べてますます魅力がなくなって来ているように感じる。

 サスペンスとしての出来が良ければまだ救いがあったが、あまりにヒメーシュが絶対的存在すぎて、緻密な捜査や推理もなく、ヒメーシュの独断の行動で勝手に事件が解決して行くので、あっけらかんとしていた。多少のロマンスもあったが、消化不良であった。

 これで音楽に突出したものがあれば良かったのだが、ヒメーシュ的曲が目白押しであるものの、かつて彼が絶大な人気を誇っていた頃のマジックがない。やはりヒメーシュの時代は終わったのであろうか。

 「The Xposé」は久々のヒメーシュ映画。そしてやっぱりヒメーシュ映画。かつて、ヒメーシュの映画は質の如何に関わらずヒットする可能性があるため、どんなにつまらなそうに見えても一見しておくという個人的ポリシーを持っていたことがあるのだが、どうやらそれを守る必要はなくなったように思える。