Jal

2.5
Jal
「Jal」

 水資源はインドにとって非常に大きな問題である。大きな視点から見ていくと、まずインドは隣国と水資源を巡る問題を抱えている。特にインド東北部の生命線であるブラフマプトラ河は中国を源流としており、インドの悩みの種だ。中国はこの河に巨大なダムを建設しており、インドに無言の圧力をかけ続けている。さらに、同じく水資源不足の中国は、ブラフマプトラ河の流れを変えて自国に引き込もうとしているとの噂もあり、そうなればインド東北部は干上がってしまう。この点でインドは中国に対して非常に不利な立場に立たされている。一方、パーキスターンの生命線であるインダス河やその支流の源流はインドにあり、こちらではインドの方が優位に立っている。印パの間ではインダス水資源協定が結ばれており、水資源を外交の道具とすることは避けられているが、最近、パーキスターン主導と見られるテロに悩まされたインドはこの協定の見直しをちらつかせ、パーキスターンに圧力をかけたことがあった。

 国内においても、州をまたいで流れる河川の水資源利用は、州間の政争の火種となりやすい。カーヴェーリー河を巡るカルナータカ州とタミル・ナードゥ州の争い、ナルマダー河を巡るグジャラート州とマディヤ・プラデーシュ州の争い、ヤムナー河を巡るデリーとハリヤーナー州の争いなど、各地で対立が発生している。また、インドでは多くの地域で灌漑がされておらず、モンスーンに頼った乾地農業を行っている。よって、モンスーン期の降雨量によって農作物の生産量が大幅に変動し、農民たちの生活のみならず、経済全体に少なからず影響を与えている。農業、工業また生活用水の水不足解消のために地下水のくみ上げが積極的に行われた結果、地下水位が急激に下がっているという問題もある。環境汚染は言わずもがなで、都市部を中心に河川の汚染は最悪レベルである。

 水資源は、とうとう映画人たちの関心事にもなってきている。例えば、国際的に活躍するインド人監督シェーカル・カプールは、水不足をテーマにした映画「Paani」の制作を発表している。ただ、この作品の撮影は棚上げされており、まだ完成していない。一方、新人監督ギリーシュ・マリクの「Jal」は、インドで2014年4月4日に公開された。グジャラート州にあるカッチ大湿地に住む人々の水を巡る苦闘が描かれた作品であり、水問題をローカルな視点で取り上げているだけだが、映画の最後に「世界の人口のおよそ5分の1が水の不足した地域に住んでいる」、「2025年までに世界の人口の約半分、少なくとも35億人が水不足に直面する」といったメッセージが加えられており、明らかにより大きな視点に水不足の問題を引き上げようとする努力が見られる。

 「Jal」の主演は「Rock On!!」(2008年)でドラマー役を演じたプーラブ・コーリー。ヒロインは2人。「Road, Movie」(2010年)などに出演歴のあるタニシュター・チャタルジーと、「Shaitan」(2011年)に出演していたキールティ・クラーリーだが、どちらもメインストリームで活躍している女優とはいえない。他にロシア人の女優サイダー・ジュールスが出演しているが、彼女は特殊な人物で、インドやUAEを拠点に映画制作や俳優業をしており、過去にはヒンディー語映画「Pyaar Impossible」(2010年)を制作している。また、脇役としては、ヤシュパール・シャルマー、ムクル・デーヴ、ラヴィ・ゴーサーイン、ラーフル・スィンなどが出演している。

 グジャラート州カッチ大湿地の村に住むバッカー(プーラブ・コーリー)は「水の神」を自称しており、地下水の在処を察知する力を持っていた。しかし、バッカーの住む村の周辺では水を発見できず、村人たちは慢性的に水不足に悩まされていた。敵対する村には井戸があり、必要となるとそこからこっそり水を盗み出していた。

 あるとき、カッチ大湿地にロシア人女性キム(サイダー・ジュールス)がフラミンゴを観察しにやって来る。その運転手兼通訳兼ガイドはラーム・キラーリー(ヤシュパール・シャルマー)であった。キムは、フラミンゴの雛が大量に死んでいるのを見つけ、環境協会に連絡する。環境協会はその調査に乗り出し、その結果、水不足から水の塩分濃度が増えたことが主な原因だと分かる。キムは地下水を汲み上げて泉を作り、フラミンゴが繁殖可能な環境を作ることを決める。

 環境協会はインドの水道局から井戸掘り機を借り、科学的に調査を行って、地下水が出そうなところを掘っていく。しかし、なかなか地下水は出てこなかった。バッカーの親友ラクラー(ラヴィ・ゴーサーイン)はキムに、バッカーの存在をアピールする。キムはバッカーに水探査を任せてみることにする。すると、バッカーが言い当てた場所から見事に水が湧き出てきた。こうして人口の貯水池を作ることができた。

 また、バッカーは敵対する村の村長の娘ケーサル(キールティ・クラーリー)と恋仲にあった。バッカーはケーサルと結婚することを宣言する。両村の村長たちが話し合った結果、結婚が認められ、バッカーとケーサルは結婚した。しかし、それを面白く思わない人々もいた。敵対する村のプニヤー(ムクル・デーヴ)と、ラクラーの妹カジュリー(タニシュター・チャタルジー)である。カジュリーはバッカーに恋心を抱いていた。

 村人たちは、鳥たちのための泉を作った後は、人間のための井戸も作ってもらえるものだと信じていた。しかし、プロジェクトが終わると、キムたちはさっさと帰る支度を始めていた。バッカーは井戸掘り機を貸してくれるように直訴する。一応、拒否はされなかったバッカーは、貸してもらえるものだと思い込む。だが、機械を動かすためには何十万ルピーものディーゼルが必要だった。村の女性たちは自分たちの命に関わることだと、装身具を差し出す。バッカーはその装身具を地中に埋める。

 準備は整ったものの、なかなか機械は貸してもらえなかった。業を煮やしたバッカーは、ラーム・キラーリーを装身具で買収し、機械を盗んで村に持ってくる。しかし、すぐにそれは発覚し、バッカーは捕まってしまう。幸い、大事にはならなかったが、気づくと地中に埋めておいた装身具がなくなっていた。しかも、ラクラーが殺されていた。これは、ラーム・キラーリーとプニヤーが結託して行った犯罪だったが、それは誰にも知られなかった。バッカーはラクラーの死と装身具の紛失を村人たちに隠していたが、最後にラクラーといたのはバッカーであり、最後には村人たちから追及される。バッカーはラクラーを殺して装身具を奪ったという濡れ衣を着せられ、妊娠したケーサルと共に村から追い出される。

 それ以降、バッカーは荒れ地の中で井戸を掘り続けた。だが、水はなかなか湧いてこなかった。ケーサルは弱り切り、水を求めた。バッカーは耐えきれなくなり、村から水を盗みだそうとする。だが、バッカーは見つかってしまい、見せしめとしてラクダに引き回される。一方、ケーサルはプニヤーから強姦されそうになるが、たまたま通りがかったカジュリーに助けられる。カジュリーが代わりにプニヤーに強姦されるが、このときケーサルは初めてカジュリーがバッカーを想い続けてきたことを知る。そして、バッカーが「水の神」としての力を発揮するためにはカジュリーの力が必要だと直感する。

 カジュリーに儀式を行ってもらい、改めてバッカーは井戸を掘り始める。遂に水が湧きだし、同時に空からも雨が降り始めるが、そのときケーサルは絶命していた。

 ケーサルの死から半年後。カジュリーの元にバッカー宛ての小包が届く。開けてみると、中にはバッカーが表紙に載った雑誌と、20万ルピーの小切手が入っていた。フラミンゴの雛を救った功績を称えたものだった。

 グジャラート州西部にあるカッチ大湿地(Great Runn of Kutch)は世界最大の塩性湿地のひとつである。雨季に海水が冠水し、乾季になると塩だけ残して海水が引くため、広大な塩の砂漠が広がる。雪景色でもないのに、見渡す限り白い大地が地平線まで続く様子は奇景といっていい。ただ、海水が冠水しない部分も多く、そこには通常の砂漠が広がっている。インドでもっとも暑い地域のひとつであり、乾季には50度まで達する一方、冬には0度まで下がる。カッチ地方には、外から飛来するフラミンゴや野生のロバなどのユニークな動物も見られるし、そこに住む人々も独自の生活風習を守り抜いていて、玄人向け観光地としても人気だ。その過酷なカッチ大湿地帯に住む人々を描いた作品である。

 現地でロケを行っていると思われ、カッチの厳しくも美しい風景や、異彩を放つ衣装が、スクリーン上に美しく映し出される。この映画の一番の見所はそれだ。しかし、監督が新人なだけあって、ストーリーの運び方や映像効果などは一級ではない。DVDで鑑賞したが、音声がおかしい部分もあり、聴き取りづらかった。非常に荒削りな作品だった。

 一番よく分からなかったのは主人公バッカーのことである。一体バッカーは流れ者なのか、最初から村に住んでいるのか。バッカーの親らしき人物は全く出て来ないし、彼の身の上が話されることもない。彼はダウジングのようなことをして地下水脈を当てることを特技としているが、これもどこで学んだのか、説明されていなかった。主人公でありながら、一番謎の人物なのである。仮に彼がこの村の出身であるとしよう。すると、このような「水の神」がいる村に、なぜ井戸がひとつもないのか、理解に苦しむことになる。また、最後、バッカーは死んだのか、それともカジュリーと再婚したのか、やはりよく語られておらず、カジュリーが20万ルピーの小切手を手にしたことで、その後どういう展開になり得るのか、予想することもできなかった。それ以外にも未熟な点が散見された。ストーリーもなんだか継ぎはぎだらけという印象を受けた。

 映画の題名「Jal」とは「水」という意味であり、映画のテーマも正に「水」である。劇中では主に2つの水問題が取り上げられていた。これらはどちらもカッチ大湿地を舞台としていながら、完全に別々の物語である。

 ひとつはフラミンゴの雛の死を巡る水質問題である。カッチ大湿原にあるフラミンゴの飛来する湖は、海水と淡水の混合水だったが、水不足が進行することで塩分の濃度が上がり、フラミンゴの雛にとって生育が難しい環境となった。それを何とかしようとしたのがロシア人バードウォッチャーのキムであった。解決法は地下水を汲み上げて淡水の貯水池を造り、湖に注ぎ込んで塩分を調節すること。その工事のために村人たちが雇われ、そこでキムとバッカーの接点ができる。この部分はかなり実話をもとにしており、確かに21世紀初頭、カッチ大湿地では大量のフラミンゴの雛が死んでいるのが発見された。原因は、湿地に流れ込む川に造られたダムだとされる。川の水量が減ったことでプランクトンが育たず、フラミンゴのエサがなくなったのが、雛の大量死につながった。この問題は一般にあまり知られておらず、これを取り上げたことは意義のあることだったと思う。

 もうひとつの「水」は、人間の飲み水である。こちらは練り込みが足りなかった。なぜか村人たちは井戸も貯水池もないところに村を作って住んでいる。どこから水を手に入れているか分からず、どうやって生きているのか、何をして生計を立てているのかも不明である。普通は水のあるところに村を作ると思うのだが・・・。村長をはじめ、村人たちは、今頃になって近くに井戸を作ることを切望しており、その仕事をバッカーが任されていた。さらに奇妙なことに、その村には敵対する村が存在し、その村には井戸がある。なぜその村と敵対しているのか、やはりよく分からない。さらによく分からないことに、バッカーはその村の村長の娘ケーサルといい仲になってしまっている。ケーサルが砂漠の中の掘っ立て小屋で水浴びをするシーンがあるのだが、そこまで水の豊かな村と敵対しているのである。仲良くして水を分けてもらえばいいと思うのだが。そして、バッカーがケーサルと結婚したいと言い出すと、あっさり認められてしまう。それだったら最初から対立することもなかったのではないか。こちらの「水」に関しては、このように突っ込み所が満載なのである。

 上記2つの「水」物語に加えて、バッカーと2人の女性、ケーサルとカジュリーが織りなす三角関係がこの物語の原動力となっている。多少、「ロミオとジュリエット」的なところもあり、最後を悲劇でまとめたのもその影響であろうが、よく分からないところが多すぎるので、物語に入り込めなかった。下手に村人の方に焦点を当てず、キムの視点からフラミンゴの雛の大量死をメインに物語を構築していけば、もっとマシな映画になったと感じる。

 登場人物のしゃべる言葉は標準ヒンディー語ではない。グジャラーティー語、もしくはカッチ語が部分的に使われていたかもしれないが、ヒンディー語をベースに、グジャラーティー語やカッチ語の語彙やアクセントを混ぜた、架空の田舎言葉という印象も受けた。

 「Jal」は、グジャラート州のカッチ大湿地を舞台に、「水」を巡る2つの物語を、「ロミオとジュリエット」的なラブストーリーを織り交ぜつつ何とかかんとかまとめて形にした映画である。カッチ地方の美しい映像は文句なく素晴らしいし、世界的なフラミンゴ繁殖地として知られるカッチ大湿地が近年抱える問題に踏み込んだのもよい。しかし、それ以上の褒め言葉はなかなか思い付かない。そんな映画である。


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