Road, Movie

3.5
Road, Movie
「Road, Movie」

 3月は中等教育以下の期末試験・受験期間に該当し、映画館の集客性が減少するため、大規模な映画の公開は控え目となる。だが、その代わり、低予算ながらも優れた作品が公開のチャンスを得られる時期でもあり、インド映画愛好家としては気が抜けない。3月第1週目の金曜日である本日(2010年3月5日)、一気に数本の新作ヒンディー語映画が公開された。メジャー作品と言えるのはコメディー映画「Atithi Tum Kab Jaoge?」のみで、他はほとんどノーマークの小粒の作品群である。しかし、その中で1本だけ、前々から公開を楽しみにしていた作品があった。デーヴ・ベーネーガル監督の「Road, Movie」である。既に昨年10月の東京国際映画祭や今年2月のベルリン国際映画祭で上映されているが、この度やっとインドで一般公開となった。デーヴ・ベーネーガルは、パラレルシネマの巨匠シャーム・ベーネーガル監督の甥で、ヒングリッシュ映画(インド製英語映画)の先駆けとして評価の高い「English, August」(1994年)で名の知られた監督である。主演は、ユニークな映画に好んで出演し、個性を発揮しているアバイ・デーオール。デーヴ・ベーネーガル監督とアバイ・デーオールのコンビは、それだけで期待をそそられるものがあった。

監督:デーヴ・ベーネーガル
制作:スーザン・B・ランダウ、ロス・カッツ
音楽:マイケル・ブルック
出演:アバイ・デーオール、サティーシュ・カウシク、タニシュター・チャタルジー、ムハンマド・ファイザル、ヤシュパール・シャルマー、ヴィーレーンドラ・サクセーナー、アミターブ・シュリーヴァースタヴ、スヒター・タッテー、ハールディク・メヘター、シュラッダー・シュリーヴァースタヴ、ローシャン・タネージャー
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 ヴィシュヌ(アバイ・デーオール)は、ラージャスターン州の田舎町でヘアオイルの商売をする父親(アミターブ・シュリーヴァースタヴ)を手伝っていたが、常々別のことで一旗あげたいと考えていた。1942年製のオンボロトラックを港町の博物館まで運転して行って売却する仕事を見つけ、これ幸いと町を飛び出す。ただ、父親からはついでにヘアオイルのセールスも頼まれ、商品を積んでいた。6日で帰って来る予定だった。

 途中、ダーバー(安食堂)に立ち寄る。そこで小間使いをして働いていた少年(ムハンマド・ファイザル)も、別の場所で別の仕事をしたいと考えていた。少年はヴィシュヌに頼み込み、一緒に連れて行ってもらう。ところがトラックがオンボロ過ぎてエンジンが砂漠の真ん中で止まってしまう。少年がどこかから連れて来たのが、怪しげなメカニックのオーム(サティーシュ・カウシク)であった。オームはエンジンを直すが、メーラー(祭り)に連れて行けと言い出す。ヴィシュヌは仕方なくオームもトラックに乗せることにする。

 トラックは今度は警察(ヴィーレーンドラ・サクセーナー)に止められる。ヴィシュヌがトラック用の免許証を持っていなかったため、派出所まで連行されることになる。警察はトラックに映写機が積まれているのを発見し、これから上映会を開くように命令する。どこからともなく村人たちが集まって来る。ヴィシュヌたちは野外の上映会を開く。警察は映画を見ながら酔っぱらって寝込んでしまった。その隙に3人は逃げ出す。

 どこまでもどこまでも行っても何もなかった。水も尽きてしまった。途中、バンジャーラー(遊牧民)の女性(タニシュター・チャタルジー)に出会う。女性は水を求めて彷徨っていた。ヴィシュヌは彼女もトラックに乗せる。

 一帯は深刻な水不足に悩まされており、水マフィアが暗躍していた。途中、井戸があったのだが、それは水マフィアの所有物だった。バンジャーラーの女性も制止するが、ヴィシュヌはお構いなしにその井戸から水を汲む。

 メーラー会場らしき場所に辿り着いた。そこには何もなかったのだが、とりあえずスクリーンを立てて待っていたら、どこからともなく人々が集まって来て、メーラーが始まった。そこでヴィシュヌたちは映画を上映する。また、このときヴィシュヌとバンジャーラー女性は一夜を共にする。

 翌日、道を走っていると水マフィア(ヤシュパール・シャルマー)の一団に止められる。井戸から水を汲んだことを咎められ、隠れ家へ連行される。だが、ヴィシュヌはマフィアにヘアオイルを紹介して関心を引き、積んでいた商品を水と交換して解放してもらう。途中で水を探して彷徨う人々の一団に出会い、彼らに全ての水を渡す。ついでに上映会も行うが、このときオームが突然息を引き取ってしまう。

 オームを荼毘に付した後、ヴィシュヌはバンジャーラー女性や少年と別れ、そのまま港町まで行く。そこで博物館にトラックを売り、代わりにバイクを買って、道を走り出す。

 映画の1ジャンルとしてロードムービーがある。旅を主題とし、道中で起こる様々な出来事で構成された映画のことを言う。「Road, Movie」はその題名の通り、ロードムービー色の強い映画であった。映画中に具体的な地名などは現れないが、その地形などから、舞台がラージャスターン州の都市ジョードプルから始まり、砂漠地帯や塩性湿地帯を経由して、グジャラート州の港町へ移って行くことが分かる。途中で道連れとの出会いや事件などが起こり、それによってストーリーが進んで行く。圧倒的な自然の風景を飾らずにカメラに収めており、映像作品としても完成されていたし、旅映画としても魅力的であった。

 当然、「道」は人生の比喩である。父親の商売を継ぐことに乗り気でなく、人生に迷いを持ち、いつもしかめっ面をした身勝手な主人公ヴィシュヌが、旅の中で、様々な出会いを経て、成長し、人生の目的を感じ取って、いつの間にか笑顔を取り戻すという過程が、言葉の力を借りずに、映像で雄弁に語られていた。途中、道なき道を行くシーンがあるが、それも彼の人生の迷走を暗示しているのだろう。一転してエンディングでは、舗装道路をバイクでかっ飛ばしている。これは人生の目的を見つけたことを示唆していると捉えられる。

 その人生の転機を演出する旅の中で、特に重要な出来事と言えるのは、野外映画の上映と、水マフィアへのヘアオイル売却である。

 ヴィシュヌが乗り込んだトラックには映写機が搭載されており、それを使って何度か砂漠で上映会が行われる。一生に一度も映画を見たことがないような砂漠の民たちは、即席のスクリーンに映し出される映画を喜々として鑑賞する。そこで映し出されるのは「Pyaasa」(1957年)や「Deewaar」(1975年)などの名作インド映画や、バスター・キートンやチャールズ・チャップリンの西洋コメディー映画の1シーンである。それらの野外上映会を通し、映画の原始的な喜びや楽しみが素朴に表現され、娯楽映画の原点が示されていた。少し映画に詳しい人は即座に名作「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989年)を思い出すだろう。「Road, Movie」の題名の中にコンマが挿入されているのも、単なるロードムービーではなく、「ムービー」にも重点を置いた映画であることが示されているのだと捉えることができる。現に、東京国際映画祭の際にデーヴ・ベーネーガル監督はインタビューで題名の意味について、「旅に出ること(ロード・ムービー)、道を行くこと(ロード)、道すがら映画をみせること(ムービー)なんです」と語っている。

 だが、意外にも映画は「ムービー」に集約されない。途中から道連れになった少年は、このまま「ヴィシュヌ・シアター」を立ち上げ、巡回映画屋として生計を立てようと言い出す。だが、そのときまでにヴィシュヌは意を決していた。それを悟っていたバンジャーラーの女性は、少年を引き取り、ヴィシュヌを送り出す。女性はヴィシュヌと愛し合っていたが、彼には彼の人生があり、運命があり、使命があるのだと語り、別れを決めていた。そしてヴィシュヌは当初の目的を達成するため、港町へ向かう。

 ヴィシュヌの決断のきっかけとなったのは、水マフィアとの商談成立である。ヴィシュヌはヘアオイル商を営む父親の後継者となることを嫌がっており、それが彼を旅に駆り立てたのであるが、水マフィアに捕まってしまい、命の危険にさらされる中で、ヘアオイルを水マフィアに売りつけることに成功し、ヘアオイル屋としての誇りに目覚める。もしかしたら水マフィアに映画を観せることで機嫌を取ることもできたかもしれない。しかしヴィシュヌはヘアオイルを選び、自らの原点に回帰したのだった。水マフィアにヘアオイルを売りつけるシーンは、普通に考えたら非現実的であり、ギャグとして受け取ったらいいのか微妙で、映画の中でもっとも弱い部分ではあったが、映画の軸足をより明確にする重要なシーンでもあった。

 非現実的と言えば、塩性湿地帯のど真ん中のメーラーも幻想的な演出になっており、現実の出来事なのか、それとも夢の中の出来事なのか、いまいち受け止め方に迷った。だが、エンディングで、メーラー中に撮影した写真をヴィシュヌが見返しているシーンがあったので、現実扱いしていいだろう。何もない荒野に突然移動遊園地を中心としたメーラーが出現するというのはありえないように思えるが、実際にデーヴ・ベネガル監督が映画の構想を練るために移動映画館と共にラージャスターン州の砂漠を放浪していたときに経験した出来事をベースとしているようで、全くのフィクションではないようだ。

 映画の中で多少整合性が気になったのは4点。ひとつは、映写機を回すための電気である。最初に派出所で上映会を催したときは電線から電気を盗んで来るシーンがあったのだが、それ以降の上映会ではどうやって電気を調達したのか全く描写されていなかった。2点目は日にちのことである。6日間の旅程で家を出たヴィシュヌは、当初時間を気にしており、1日、また1日とタイムリミットを計算していた。だが、最後の方では日にち計算が出て来なくなっており、どうなったのかと感じた。3点目はオームの目的についてである。オームはメーラーに行くことを目的としていたのだが、メーラーで特に何かをした訳でもなく、メーラーが終わってもヴィシュヌらと行動を共にしており、説明が不足していた。4点目は、田舎町に住むヴィシュヌが「スターバックス」について触れていたことである。まだインドにスターバックスカフェは進出していない。田舎町の青年がスターバックスを知っているのは非現実的である。しかし、これらは細かすぎることであり、映画の質には影響しない。

 あからさまなコメディーシーンはなかったのだが、間の取り方やちょっとした小道具で面白おかしさを演出しているシーンがいくつかあり、監督のウィットを感じた。

 アバイ・デーオールは「Dev. D」(2009年)に引き続き、独特の存在感を確立していた。彼の成長ぶりは本当に目を見張る。従兄弟のサニー&ボビー・デーオールとは全く異次元の俳優である。賢く映画を選んでおり、アバイの出演作はとりあえず鑑賞する価値があると断言できる。これからも期待したい。

 監督としても有能なサティーシュ・カウシクは、老年のメカニック役を人間味溢れる演技で魅せた。少年を演じたムハンマド・ファイザルも良かったし、バンジャーラー女性を演じたタニシュター・チャタルジーも適役であった。水マフィアのヤシュパール・シャルマーも限定的な出演ながら巧みな演技をしていた。

 ヒングリッシュ映画の旗手として知られる監督であるが、「Road, Movie」はヒンディー語主体の映画だった。ラージャスターン州からグジャラート州にかけての荒野が舞台となっていたが、登場人物は標準ヒンディー語を話しており、聴き取りは難しくない。ただ、ラージャスターニー方言の歌が出て来て、旅情をかき立てていた。

 ところで、上述の監督インタビューの中で、気になる発言があった。「いまだに70%のインド人は移動映画館を利用している」という言葉である。インドで移動映画館の伝統があるのは知っている。映画館のない農村部では、人々は即席スクリーンに映写機で映像を映し出して映画を楽しむ。その様子はヒンディー語映画でも描かれることがあり、例えば「Swades」(2004年)のシーンは印象的である。だから、今でもそういう業者が地方を巡回しており、人々が移動映画館を楽しんでいるとしても、全く不思議ではない。だが、70%もの人が移動映画館を利用していると言えるのだろうか?この数字は簡単には信じられない。そもそもインドの全人口の70%なのか、それとも映画を日常的に鑑賞している人の内の70%なのか?農村に住んでいても、最寄りの町の映画館へ行って映画を観る人はたくさんいるはずだし、町の近隣の農村では移動映画館はあまり流行しないことが容易に予想される。最近はVCDやDVDが普及しているため、移動映画館業者にとってはますます商売しづらい状況になって来ているのではなかろうか?インドの農村人口は2001年の国勢調査データで72.2%である。この数字をそのまま移動映画館利用者に当てはめただけではないだろうか?70%というのは、衝撃的ではあるが、厳密な数字ではないように思える。

 「Road, Movie」の上映時間は1時間半ほどで、一般的インド映画に比べるとやたら短く感じるのだが、適度にいろんな要素が詰まっており、損な気分にはならない。インドの地を這った映像も美しく、映画好きな人の心を掴みやすい内容で、優れた作品だと言える。