「Life of Pi」は、「グリーン・デスティニー」(2000年)や「ハルク」(2003年)などで有名な台湾人映画監督アン・リーが作った米国映画である。日本では「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」の邦題と共に2013年1月25日に公開された。米国での公開は2012年11月21日、インドでの公開は2012年11月23日である。
台湾人監督による米国映画をここで取り上げるのは、この映画にインド人俳優が多数起用されているからである。ストーリー自体もインドと密接な関係がある。原作はカナダ人作家ヤン・マーテルの同名小説である。ヤン・マーテルはインドを放浪したことがあり、その経験がこの小説の着想源になったと思われる。
キャストは、スーラジ・シャルマー、イルファーン・カーン、タブー、レイフ・スポール、アーディル・フサインなどである。スーラジ、イルファーン、タブー、アーディルの4人はインド人俳優だが、スーラジだけは新人で無名である。それ以外の3人は演技力に定評のある俳優たちだ。
舞台はカナダ。スランプに陥った若い作家ヤン(レイフ・スポール)は、小説のネタを探して、パイ・パテール(スーラジ・シャルマー)に会いに来る。パイは、自分の名前の由来から始めて、過去の大冒険を語り始める。 パイはポンディシェリーで生まれ育ち、父親(アーディル・フサイン)は動物園を経営していた。母親(タブー)は植物学者で、パイには2歳年上の兄ラヴィがいた。あるとき、父親は動物を売ってカナダに移住することを決める。だが、マニラからカナダへ向かう途中、彼らの乗った貨物船は沈没し、パイは単身、救命ボートに乗って太平洋を彷徨うことになる。ボートには、シマウマ、オランウータン、ハイエナ、そして「リチャード・パーカー」という名のトラも乗っていた。ハイエナはシマウマとオランウータンを殺し、トラがハイエナを殺したため、ボートにはパイとトラのみになった。パイはトラに気を付けながらも共存生活をし始める。 洋上でパイは不思議な体験をしながらも何とか生き長らえる。途中にはミーアキャットの大群が生息する人食い島に上陸したこともあった。何とかメキシコの海岸に漂着したパイは救出され、リチャード・パーカーはジャングルに姿を消してしまった。 パイはその後、病院に入院して治療を受けるが、そこへ保険調査員がやって来て、事故の原因を探ろうとする。パイは上記の話をするが、保険調査員は信じない。そこで彼は、母親、船員、コック、そして自分の4人がボートに乗っていた話をする。その話の中では、まずはコックが船員を殺し、母親も殺してしまい、パイがコックを殺した。ヤンは、コックがハイエナ、母親がオランウータン、船員がシマウマ、そしてパイがトラに対応すると指摘する。パイにとっては、どちらが真実でも変わりがなかった。
日本公開時の邦題が示すように、映画の大半は太平洋上の漂流生活に費やされており、観客の印象に残りやすいのもそのシーンであろう。だが、インド映画ファンの視点では、むしろ航海に出る前のシーンが興味深かった。
まず、舞台はポンディシェリーである。ポンディシェリーは南インドのタミル・ナードゥ州に囲まれた港町で、現在は連邦直轄地になっている。インドの大部分は19世紀から20世紀前半にかけて英国に支配されたが、いくつかの地域はポルトガルやフランスの領地になった。ポンディシェリ-はそのひとつで、1947年のインド独立後もフランス領として残存し、インドに併合されたのは1954年になる。ポンディシェリーはフランスの田舎町のような雰囲気の街並みで、フランス語もよく通用する。「Life of Pi」での関連シーンは実際に当地でロケが行われた。主人公パイの父親が動物園を始めたのも、ポンディシェリーがインドに返還された1954年頃という設定だった。
パイはヒンドゥー教徒として生まれたが、父親は無神論者であった。成長したパイは、キリスト教やイスラーム教にも興味を示し、3つの宗教を同時に信仰しようとする。母親は、そんな少年らしいパイの行動を温かくサポートする。この設定が後に重要な伏線になることはなかったが、気になる設定ではある。インドを舞台にした物語なので宗教には触れずにいられなかったのであろうが、どんな意図があって組み込んだものであろうか。ただ、「パテール」という名字はグジャラート人に典型のものだ。パイの一家は家族内で時々タミル語を話していたが、この設定には多少の違和感を感じた。ただ、ポンディシェリーにパテールがいないというわけではないので、設定ミスとまでは言い切れないだろう。
漂流生活の描いた映画というと、特に大きな事件を生み出しにくく、次第に死へと向かう展開になりがちで、どうしても単調になってしまうのだが、「Life of Pi」では、動物たちと共に漂流することになったことで、非常に起伏のある展開になっていた。特に、ベンガルトラと二人きりになってからは、緊張の中にも奇妙な友情が芽生える様子が丁寧に描かれていた。途中、まるで「シンドバッドの冒険」のように、パイは洋上で数々の不思議な体験をする。その映像も美しく、息を呑んだ。
果たして、トラと漂流したのは事実なのだろうか。それともパイが日本人保険調査員に2番目に語った話の方が真実なのだろうか。映画の最後では、表面上は、パイはトラと漂流したことで決着が付いていた。だが、もちろん最終的には観客に判断は委ねられる。母親を含む4人の人間が漂流し、その中で殺し合いが起こって、最後にパイが生き残ったという説明はよりもっともらしいのだが、トラと漂流したという説明に比べてワクワク感に欠ける。観客の大部分は、やはりトラとの漂流を真実と受け止めるだろう。
だが、第三の解釈も成り立つと思われる。それは、パイが最初から最後まで単身で漂流したというものだ。パイは太平洋上で227日も漂流し、生き残った。そのためには、常人にはなかなかできない行動をする必要があっただろう。漂流生活で生き残るためにもっとも大事なことは、希望を捨てないことである。そして、希望を失わないためには、孤独であってはならない。現実が孤独であったならば、それを想像力で補い、あたかも孤独ではないように過ごす必要がある。パイは、妄想の中でトラなどの動物と暮らし、孤独を乗り切ったのではなかろうか。メキシコの海岸に漂着した途端、トラは別れも告げずにジャングルに姿を消す。それは、もうサバイバル生活を送る必要がなくなったことをパイが自覚したからであり、孤独を紛らわすための妄想の友人を維持する必要がなくなったからだと考えられる。
終盤で登場する人食い島はファンタジー要素が強すぎて、映画の雰囲気に合っていなかったようにも感じた。漂流中に海が見せる幻想的な光景の延長線上でこの島が出て来たとは思うのだが、この島があるために、上陸という切れ目が出来てしまって、映画の一貫性が多少損なわれているように感じる。最初から最後まで洋上で漂流とした方がまとまりが良かったのではなかろうか。
イルファーン・カーンとタブーが英語映画で共演するのはミーラー・ナーイル監督「The Namesake」(2006年/邦題:その名にちなんで)に続き2作目だ。イルファーンは「The Namesake」の成功のおかげで英語圏でも名を知られるインド人俳優となり、その後も「Slumdog Millionaire」(2009年/邦題:スラムドッグ$ミリオネア)や「アメイジング・スパイダーマン」(2012年)などに出演することになった。パイの父親役で出演したアーディル・フサインもミーラー・ナーイル監督「The Reluctant Fundamentalist」(2012年/邦題:ミッシング・ポイント)で注目された俳優だ。そう思うと、ミーラー・ナーイル監督は優れたインド人俳優を世界に紹介する役割を担ってきている。
「Life of Pi」は、台湾人監督アン・リーによる、インド人俳優をキャスティングした、米国の英語映画ということで、とても多国籍な映画になっている。興味深いストーリーと息を呑む映像美は大いに話題になり、アカデミー賞監督賞などを受賞した名作である。必見の映画だ。