Gali Gali Chor Hai

2.5

 2011年にはインドでも様々な事件があったが、1年を通して政治や社会に大きな影響を与えたのがアンナー・ハザーレーによる汚職撲滅運動とロークパール法案問題であった。インドというシステムが上も下も汚職によって腐敗していることにより、一般市民が多大な不利益を被っている現状に力強く声を上げたのがアンナー・ハザーレーであり、ちょうどCWG問題、2G問題、海外送金問題など、多額の金が絡むスキャンダルが続いたこともあって、彼の運動は市民の間で大きく燃え広がった。しかしながら、2011年の終わりと共にアンナー・ハザーレーの運動も失速し、今では半ば過去の人扱いとなってしまっている。

 2012年2月3日より公開のヒンディー語映画「Gali Gali Chor Hai」は、おそらくアンナー・ハザーレーの運動に感化されて作られた作品である。政治家、警察、裁判所、犯罪者が結託し、一般市民から金を巻き上げるシステムが出来上がってしまっていることをブラックコメディータッチで取り上げた作品である。一般市民の目線からシステムの腐敗を描いた作品は例えば「Khosla Ka Ghosla」(2006年)、「Well Done Abba」(2010年)、「No One Killed Jessica」(2011年)などがあったが、アンナー・ハザーレーの運動を背景に作られた作品はこれが初めてだと思われる。現にアンナー・ハザーレーも故郷の村人たちと共にこの映画を鑑賞したと言う。

監督:ルーミー・ジャーファリー
制作:ニティン・マンモーハン、サンギーター・アヒール、プラカーシュ・チャンドナーニー、サンジャイ・プーナミヤー
音楽:アヌ・マリク
歌詞:ラーハト・インドーリー、スワーナーンド・キルキレー
振付:アハマド・カーン
出演:アクシャイ・カンナー、シュリヤー・サラン、ムグダー・ゴードセー、アンヌー・カプール、サティーシュ・カウシク、アキレーンドラ・ミシュラー、ヴィジャイ・ラーズ、ヴィーナー・マリク、ムルリー・シャルマー、アミト・ミストリー、シャシ・ランジャン、ラジャト・ラーワイル、カイラーシュ・ケール(特別出演)、ヴィーナー・マリク(特別出演)
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞。

 場所はマディヤ・プラデーシュ州ボーパール、時はダシャハラーの時期。バーラト・ナーラーヤン(アクシャイ・カンナー)は銀行員で、長年ラームリーラーのハヌマーン役を演じていた。いつかはラーム役をと思っていたが、今年のラームは地元州議会議員マンクー・トリパーティー(ムルリー・シャルマー)の弟サットゥー(アミト・ミストリー)であった。バーラトは父親シヴ・ナーラーヤン(サティーシュ・カウシク)や妻ニシャー(シュリヤー・サラン)と共に住んでいた。最近彼はペイングゲストとしてムンバイー出身のセクシーな女子大生アミター(ムグダー・ゴードセー)を家に住まわせていたが、ニシャーはそれに不満を抱いていた。

 州議会選挙が近付いていた。バーラトの家にサットゥーがやって来て、彼の家の正面に選挙事務所を設置すると言い出す。バーラトはそれを拒否し、サットゥーを追い出す。一方、シヴは対立候補モーハンラール(シャシ・ランジャン)の人柄に惚れ込み、彼への選挙協力を申し出る。バーラトの家にはモーハンラールの選挙事務所が出来てしまった。トリパーティーはそれを聞いてバーラトを裏からいじめることにする。

 ある晩、警察官パルシュラーム・クシュワーハー(アンヌー・カプール)がバーラトの家にやって来る。彼が言うには、チュンヌー・ファリシュター(ヴィジャイ・ラーズ)と言う名の泥棒が捕まったが、彼がバーラトの家から古い卓上扇風機を盗んだと言う。バーラトはそんなものを所有していた記憶がなかったが、父親がそういえば倉庫にしまっていたかもしれないと言い出す。倉庫をチェックすると、扇風機はなかった。そこでバーラトは扇風機を取り戻すためにクシュワーハ―と共に裁判所へ行かなければならなくなる。ところが扇風機を取り戻すためにバーラトはクシュワーハー、チュンヌー、証人のバッチュー・グルカンド(ラジャト・ラーワイル)、弁護士に賄賂を渡さなければならず、また途中スクーターを盗まれるハプニングもあり、合計31,000ルピーも費やすこととなった。しかもその扇風機はどう見てもバーラトの家のものではなかった。このときになって初めて、シヴは倉庫にしまっていた扇風機を誰かに貸したことを思い出す。

 また、この間アミターの存在が引き起こした誤解によってニシャーは実家に帰ってしまっていた。バーラトは何とか彼女を家に呼び戻そうとするが、うまく行かなかった。

 シヴは、バーラトが持って来た扇風機を不吉だと考え、すぐに捨てて来るように指示する。ところが何かとハプニングが起こり、バーラトはそれを捨てられずにいた。最終的にバーラトは扇風機をバッグに入れ、レストランに置いて来る。ところが、そこには2人のテロリストも来ており、全く同じバッグに爆弾を入れてそこに置いて来たところだった。ウエイターはそれらのバッグを勘違いし、爆弾の入ったバッグをバーラトに渡す。バーラトはその後もそのバッグを捨てようとするのだが、その度に問題が発生し、なかなか捨てられなかった。

 ダシャハラーの最終日だった。バーラトはハヌマーンとなってラームリーラーの舞台に立たなければならなかった。しかしサットゥーがなかなか来なかったため、その隙にそのバッグを池に捨てて来る。ところがそのバッグが爆発し、近くにいた漁師が怪我をする。漁師はハヌマーンが爆弾を置いて行ったと証言し、バーラトは警察に逮捕されてしまう。事件は対テロ部隊(ATS)の管轄となり、バーラトは拷問を受ける。テレビのニュースでバーラトが逮捕されたことを知ったニシャーはすぐに駆けつけるが、どうしようもなかった。

 もしバーラトが無罪であっても、まともに裁判をしたら14年は留置所で過ごさなければならない。しかし関係者に賄賂を配って解決しようとすれば、すぐに釈放される可能性があった。しかしそのためには140-150万ルピーが必要だった。シヴは先祖代々の家を売って現金を作り、裏工作をする。その甲斐があり、バーラトは無罪となって釈放される。

 自由の身となったバーラトであったが、納得出来ない気分だった。そこへ選挙で勝ったトリパーティーがやって来る。シヴの家を買ったのは他でもないトリパーティーであった。トリパーティーはシヴの家全てを選挙事務所として使おうとしていた。また、そこへ突然若者が扇風機を返しに来た。それは倉庫にしまっていた扇風機であった。バーラトの目の前には元々所有していた扇風機と、警察から取り戻した扇風機の2つが並ぶこととなった。と、そこへ今度はクシュワーハーがやって来る。クシュワーハーは2つの扇風機があるのを見て、偽の証言をしたことを問題視する。しかし一連の事件で憤っていたバーラトは、クシュワーハーに平手打ちを喰らわせ、次にトリパーティーにも同様に平手打ちをする。そしてインドの国旗を掲げて道を練り歩く。

 汚職にまみれたシステムを庶民の目線から描いた作品で、この現状を変えるには良心ある政治家の登場を待つのではなく、一人一人が自ら汚職に立ち向かって行かなければならないことを説いていたと言える。しかしながら、主人公が巻き込まれる汚職のきっかけやその後の流れがあまり現実感のないもので、観客に差し迫った危機を印象づけることには成功しないと思われる。ともすると単なるブラックコメディーだと思われてしまうだろう。善良な一般市民が時に仕方なく贈賄をしなければならなくなる現実はうまくスクリーン上で説明されていたので、そういう厄介事に巻き込まれる状況をもう少し現実感のあるものとするとグッと良くなったのではないかと思った。

 劇中では、そもそも主人公のバーラトが地元州議会議員と選挙事務所の件で対立したことで、嫌がらせを受けるようになった。インドでは政治家や官僚などの有力者と関わり合いにならなくても汚職システムに飛び込まされることが多く、もう少しよくあるきっかけを考えた方が共感を呼んだだろう。また、その嫌がらせというのも変わっている。盗まれた覚えのないものを盗まれたことにして、それによってバーラトを裁判所通いに陥れるというもので、彼が「盗まれていない」と強く主張すればそれで済んだ話である。後半、バーラトがテロリストと間違えられる部分は全くの蛇足で、汚職とは関係ない。

 ストーリーはダシャハラー祭のときに催されるラームリーラーと平行して進行する。ラームリーラーとは「ラーマーヤナ」を主題とした演劇で、ダシャハラー当日とその直前の9日間、合計10夜を通して上演される。ラームリーラーに出演する人々はアマチュアであることがほとんどで、劇中でも銀行員のバーラトが猿の将軍ハヌマーン役を、不動産屋が羅刹王ラーヴァン役を演じていたが、全くおかしなことではない。ダシャハラーの本質は「悪に対する正義の勝利」であり、汚職をテーマにしたこの映画でも最終日に悪が退治されるかと思っていた。しかしながらそういうことはなく、ラーヴァンの像が燃やされた後、バーラトはもっとも困難な危機に直面し、依然として汚職の描写は続く。裁判で無罪が確定した後、バーラトがマスコミに語る言葉は印象的だ――「今のインドでは誰もラームにはなれない」。バーラトはいつかラーム役を演じたいと願っていた。ラームはマリヤーダー・プルショーッタム(気品高き至上の人間)と異名を持つほど正義の人としてインド人に慕われている。だが、一連の事件を経験したバーラトは、インドにおいて正義を貫くことはできない、せいぜいハヌマーンとなって、ラームを心に刻むことしかできない、と語っていた。

 しかし、ストーリーはそれで終わっていなかった。バーラトは汚職警官と汚職政治家に平手打ちをし、行動に出る。この映画の中で彼が最初に見せた暴力でもあった。この終わり方は取って付けたような印象も受けたが、非暴力主義者として知られて来たアンナー・ハザーレーの一部の言動とも一致しており、もしかしたらその影響があるのかもしれない。アンナーの運動は非暴力を鉄則としているが、度々暴力を支持する発言をしたとして批判も受けて来た。例えば2011年11月にシャラド・パワール農相がとある若者に叩かれるという事件があった。それを受けてアンナーは「たった1発?」と発言したとされ、それが暴力支持だと批判を受けた。また、この「Gali Gali Chor Hai」を鑑賞した後、アンナーは「忍耐を失ったとき、人は汚職をひっぱたくしかない」と発言しており、これもまた同様の批判を浴びた。アンナーの発言同様、この映画の終わり方も物議を醸すものであると言える。

 この映画のもうひとつの軸は夫婦関係にあった。しかし、こちらは非常に弱かった。はっきり言って不必要なサイドストーリーで、しかも起承転まであって結がなかった。これによって何を言いたかったのか分からなかった。

 既にベテランの域に達しているアクシャイ・カンナーは貫禄の演技であった。どんな役でもそつなくこなす器用な男優なのだが、「Gandhi, My Father」(2007年)以降作品に恵まれなかった。「Gali Gali Chor Hai」はリハビリには最適の映画だった。

 ヒロインはシュリヤー・サラン、サブヒロインはムグダー・ゴードセー。どちらもヒンディー語映画界ではまだ地盤を固め切れていない女優たちである。シュリヤーは貞節な妻、ムグダーは都会育ちのイマドキの女の子という役柄であった。しかし、この二人の存在価値がいまいち不明確だったこともあり、彼女たちの演技にも特筆すべきものが感じられなかった。

 むしろ個性を発揮していたのは汚職の連鎖を形作る人々である。汚職警官クシュワーハーを演じたアンヌー・カプール、こそ泥チュンヌーを演じたヴィジャイ・ラーズ、汚職政治家ムルリー・シャルマー、その弟サットゥーを演じたアミト・ミストリーなど、曲者俳優が個性的な演技をしていた。特にアンヌー・カプールの憎たらしい演技は大きな見所である。もちろん、父親シヴを演じたサティーシュ・カウシクもいい男優である。

 音楽はアヌ・マリク。地味な映画ではあるが、いくつか派手な曲が含まれている。筆頭はアイテムナンバー「Chhanno」。パーキスターン人女優ヴィーナー・マリクがアイテムガール出演し、セクシーな踊りを繰り広げる。カイラーシュ・ケールの歌うタイトル曲「Gali Gali Chor Hai」はこの映画のテーマそのものでもある。カイラーシュ・ケールはアンナー・ハザーレー運動の熱烈な支持者の1人でもあり、劇中にも特別出演し、エンディングではアクシャイ・カンナーと手を取り合ってデモ行進していた。

 舞台はボーパール。近年、地方都市を舞台にした映画が脚光を浴びており、ボーパールを舞台にした映画も作られている。「Raajneeti」(2010年)が記憶に新しい。人造湖の畔に広がる歴史ある街で、スクリーンにも映える。市内に残る味のある建築物も劇中で効果的に使われていた。

 「Gali Gali Chor Hai」は、昨年盛り上がった汚職撲滅運動を受けて作られた社会派コメディー。メッセージは十分伝わるが、そこまでの持って行き方とまとめ方に弱さがある。しかしインドの世相を反映する映画として、記憶する価値はあるだろう。