2010年4月25日にインディアン・プレミアリーグ(IPL)決勝戦が行われ、3月12日からおよそ1ヶ月半続いたIPLシーズンが終わった。IPL中はインド中がクリケット一色になってしまうため、映画界もリスクを避けてこの期間に大作の公開を控える傾向にある。確かに今年もこの期間、大した映画はほとんど公開されなかった。映画ファンにとってはつまらない時期である。だが、IPLは終了し、今後は話題作いっぱいのサマーシーズンに突入する。
IPL終了後の第1週の始まりを告げる本日(2010年4月30日)封切られたのは、マルチスター型のコメディー映画「Housefull」である。監督は「Heyy Babyy」(2007年)をヒットさせたサージド・カーン。ヒンディー語映画界随一のコレオグラファーであり、「Om Shanti Om」(2007年)の大ヒットで今やトップの映画監督となったファラー・カーンの弟である。アクシャイ・クマール、ディーピカー・パードゥコーンなど、スターパワーも十分。今年上半期の話題作の一本である。
監督:サージド・カーン
制作:サージド・ナーディヤードワーラー
音楽:シャンカル=エヘサーン=ロイ
歌詞:サミール、アミターブ・バッチャーチャーリヤ
振付:ファラー・カーン
衣装:シャビーナー・カーン、アキ・ナルラー
出演:アクシャイ・クマール、リテーシュ・デーシュムク、アルジュン・ラームパール、ディーピカー・パードゥコーン、ラーラー・ダッター、ジヤー・カーン、ランディール・カプール、チャンキー・パーンデーイ、ボーマン・イーラーニー、リレット・ドゥベー、マラーイカー・アローラー・カーン、ジャクリン・フェルナンデス(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
アールシュ(アクシャイ・クマール)は世界一不運な男であった。マカオのカジノでその圧倒的不運を使って、儲かっているカスタマーから運気を吸い上げ、カジノに貢献する仕事をしていた。だが、アールシュは結婚すれば運気が開けると信じており、恋人のプージャー(マラーイカー・アローラー・カーン)にプロポーズする。だが、プージャーにはあっけなく振られた上に、プージャーの兄のクリシュナ・ラーオ(アルジュン・ラームパール)にぶっ飛ばされて惨めな目に遭う。
アールーシュはロンドンのカジノで働く親友ボブ(リテーシュ・デーシュムク)を訪ねる。ボブは同じカジノで働くバニーガール、ヘータル(ラーラー・ダッター)と結婚していた。最初ヘータルはアールシュのどじっぷりに愛想を尽かすが、彼の正直な性格を認め、受け容れる。
ボブとヘータルのボスでカジノのオーナー、キショール・サームターニー(ランディール・カプール)にはデーヴィカー(ジヤー・カーン)という娘がおり、結婚相手を探していた。二人はアールシュをデーヴィカーと見合いさせる。アールシュは一目でデーヴィカーを気に入り、二人の縁談はとんとん拍子で進む。
アールシュとデーヴィカーはハネムーンにイタリアのプッリャ(Puglia)へ行く。お調子者のオーナー、アーキリー・パスタ(チャンキー・パーンデーイ)が二人を迎える。だが、そこでアールシュはデーヴィカーに白人の恋人がいることを知ってしまう。父親のキショールは娘が白人と結婚するのを許さず、インド人と結婚しなければ資産を渡さないと言っていた。デーヴィカーは資産を手に入れるために純朴そうなアールシュと結婚したのだった。デーヴィカーは、資産が手に入り次第離婚すると説明する。自分の不運さに絶望したアールシュは海の中に沈んで自殺しようとするが、それを助けたのがサンディー(ディーピカー・パードゥコーン)であった。アールシュとサンディーは紆余曲折の後に恋仲となる。2人はとりあえずロンドンでボブとヘータルの家に住み始める。
ところで、ヘータルは父親バトゥク・パテール(ボーマン・イーラーニー)から勘当状態となっていた。ヘータルは何度もグジャラートの実家に電話をしたが、バトゥクは電話に出なかった。だが、ヘータルはサンディーの助言に従って子供ができたと嘘を言う。すると初めてバトゥクは電話に出る。そして孫の顔を見にすぐさまロンドンに来ることになってしまう。ヘータルは、夫のボブが大富豪で大きな屋敷に住んでいるという嘘も付いていた。
一方、サンディーの兄が英国王室から勲章を受勲することになり、ロンドンに来ることになった。サンディーはアールシュを兄に引き合わせようと考える。だが、兄は軍人であり、厳格な性格であった。妹の結婚相手への条件も厳しかった。サンディーは、恋人のアールシュが社会的に成功していることを示さなければならなかった。
そこで彼らは大邸宅を数日間だけ借りることにする。大家のズレーカー(リレット・ドゥベー)は妖艶な未亡人であったが、借家人は夫婦のみに限定していた。たまたま家を借りに行ったアールシュとヘータルは夫婦ということにして家を借りることにする。そこへバトゥクが到着してしまう。アールシュとヘータルはそのまま夫婦だと嘘を付く。そして後からやって来たボブはコック、サンディーは子守ということになってしまう。また、赤ちゃんはヘータルの同僚の黒人女性の子供を使って急場凌ぎをした。
今度はサンディーの兄がやって来ることになった。4人はバトゥクを巻き込んで兄を騙さなければならなくなり、その流れでアールシュはサンディーの恋人で、ヘータルはアールシュの姉で、ボブはその夫で、バトゥクとズレーカーはアールシュの両親ということになる。ところがサンディーの兄は、アールシュの元恋人プージャーの兄クリシュナ・ラーオであった。しかし、幸いクリシュナはアールシュの顔を覚えていなかった。クリシュナはアールシュ一家のおかしな言動を不審がりながらも、アールシュを妹の恋人として認め、すぐに婚約式を挙げようと提案する。
バッキンガム宮殿で受勲式が行われることになり、クリシュナはアールシュ、サンディー、ボブ、ヘータル、バトゥク、ズレーカーを家族として招待した。ところがその会場でスィク教徒ガス業者の手違いにより笑気ガスをまき散らしてしまう。会場にはキショールとデーヴィカーも来ていた。混乱の中でアールシュたちが積み上げて来た嘘が全て暴露されてしまうが、笑気ガスのせいで皆大笑いしてしまっていた。だが、最後にはアールシュはしっかりと嘘を付いたことを謝り、立ち去ろうとする。それを見たクリシュナ・ラーオは、アールシュこそ妹の夫にふさわしいと感じ、改めて彼をサンディーと結婚させることにする。
予告編などを見る限り、アクシャイ・クマールがいつも通りプレイボーイ役を演じ、3人の女性(ディーピカー・パードゥコーン、ラーラー・ダッター、ジヤー・カーン)と同時に結婚してしまう重婚騒動コメディーを予想していたのだが、実際は最初からかなり異なる展開であった。まず、アクシャイ・クマール演じるアールシュは、プレイボーイとは対局の、純朴で不幸な男であった。しかも、ラーラー・ダッター演じるヘータルは物語の最初からリテーシュ・デーシュムク演じるボブの妻であった。アールシュはジヤー・カーン演じるデーヴィカーと結婚するが、これは父親の財産目当てのデーヴィカーが仕組んだ偽装結婚であった。また、自殺しようとしたアールシュはサンディーという魅力的な女性と出会い、恋に落ちる。これが前半までの主な展開であり、この時点で予告編は観客の予想を間違った方向へ誘導する仕掛けだったことが分かった。その後、アールシュはヘータルと夫婦であると嘘を付くことになるが、実際に結婚はしておらず、恋人サンディーとの結婚も結局最後まで描かれることはなかった。つまり、重婚はこの映画の主題ではなかった。
予想していた展開とは大きく異なったものの、コメディー映画としての面白さは健在で、爆笑シーンがいくつもあった。虎、猿、感電などなど、大筋とは関係ない細部で笑いを取ってポイントを稼ぐことが多かった気もするが、コメディー映画としては合格点だと言える。しかし、最後は笑気ガスを用いた半ば反則技とも言える強引な手法で切り上げてしまっており、残念だった。
映画のキーワードとなっていたのは、劇中で何度も繰り返される「嘘を付くことで男女が結婚できるなら、その嘘は嘘ではない」という言葉である。主人公のアールシュは人生で一度も嘘を付いたことがない極度の正直者という設定であったが、その言葉に説得されて、ヘータルやサンディーのために嘘を付かなければならなくなる。だが、嘘はひとつだけでは収まらないものである。嘘を隠すためにまた嘘を付かなければならなくなり、嘘の上塗りがどんどん重なって行く。アールシュは恋人サンディーとの結婚を兄のクリシュナから許してもらえるが、嘘の上に築き上げた関係は無意味だと考え直し、クリシュナに真実を打ち明けることを決める。だが、そのとき笑気ガスが炸裂してしまい、大混乱に陥るのであった。
嘘によって物事を進めて行くが、最終的にはそれを考え直し、真実を打ち明けるという展開はインド映画に非常に多い。そして大抵、真実を打ち明ける直前に何らかの事件によって嘘がばれてしまう。本人は「今から打ち明けようと思っていたところなんだ」と弁解するが、嘘がばれた後ではただの言い訳にしか聞こえない。こうして映画の山場となって行く訳である。「Housefull」でも、このインド映画の「嘘と真実」の方程式が忠実に踏襲されていた。パターンとしては大ヒットコメディー映画「Singh Is Kinng」(2008年)がもっとも近いと言えるだろう。「嘘も方便」という言葉があり、インドの社会は正にそれだが、インド映画は「違う、嘘は方便じゃない、真実こそ真の道だ」と主張し続けている。
嘘に関連し、劇中では嘘発見器が出て来るのが興味深かった。アールシュの言動を疑ったクリシュナは、彼の嘘発見器にかけて、ひとつひとつ彼の言葉をチェックするのである。これはおそらく、人気テレビ番組「Sach Ka Saamna」の影響を受けたシーンであろう。これは米国のテレビ番組「The Moment of Truth」のインド版で、嘘発見器にかけられた出場者が質問にイエスかノーで答えて行く。より多くの真実を語った者がより多くの賞金を獲得するが、投げかけられる質問は徐々に人生の暗部に触れたものになって行き、正直に答えるのが辛くなって行く仕掛けである。「Sach Ka Saamna」でもインドの保守的な社会では受け容れられないような赤裸々な質問が容赦なくぶつけられ、社会問題を引き起こした。既に放映は終了しているが、エピソード2放映の噂もある。劇中では、クリシュナは嘘発見器でアールシュの嘘を暴こうとしたが、サンディーは逆に嘘発見器を使ってアールシュの自分に対する愛を証明し、美しいシーンになっていた。
最近馬鹿騒ぎの度が過ぎたアクシャイ・クマールであったが、「Housefull」では世界一不運な男役であったこともあり、オーバーなアクションが適度に抑えられて、ちょうどいい演技になっていた。万能俳優として成長しているリテーシュ・デーシュムクも堅実な演技であったし、アルジュン・ラームパールも迫力満点であった。今回アルジュンが真剣に踊っているのを見ることができるが、これは結構珍しい。だが、アルジュンはハンサム過ぎてダンスが似合わない。リティク・ローシャンぐらいダンスがうまくないとハンサム男優は踊ってはいけないと感じる。ヒンディー語映画男優は二枚目半くらいがちょうどいいと、アルジュン・ラームパールの踊りを見て感じた。
ヒロインは3人だが、主役はもちろんディーピカー・パードゥコーン。上手な演技をしようと頑張り過ぎているシーンがいくつかあったように感じたが、魅力的なのには変わりない。ラーラー・ダッターは逆にコミックロールを頑張って演じようとし過ぎていて高貴さやグラマーさが欠けてしまっているところがあった。ジヤー・カーンは意外に出番が少なく、しかも映画の中でもっとも弱いキャラクターであったため、不利だった。独特なアンニュイさを持った女優で僕は嫌いではないのだが、ディーピカーやラーラーと並ぶと、身長差もあって力不足を感じる。ボディーだけは意外にグラマラスであった。
ボーマン・イーラーニーはいつも通り笑わせてくれる。チャンキー・パーンデーイも限定的な出演ながらヒット。ラージ・カプールの長男ランディール・カプールが久々に銀幕出演しているのは密かな見所だ。サプライズはジャクリン・フェルナンデスのアイテムガール出演である。「Aapka Kya Hoga (Dhanno)」で突然登場する。スリランカ人女優ジャクリン・フェルナンデスは、「Aladin」(2009年)と「Jaane Kahan Se Aayi Hai」(2010年)に出演したぐらいで、まだアイテムガール出演できるレベルの女優ではないと思うのだが、どうしたことであろうか。リテーシュ・デーシュムクと噂があるので、その関係でアイテムガール出演させてもらえたのかもしれない。他にマラーイカー・アローラー・カーンが端役で出演していた。
音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイ。ストーリーとかなりシンクロした曲が多かったが、どれもなかなか良い。一番人気は田舎の酔いどれ歌のような雰囲気が憎い「Aapka Kya Hoga (Dhanno)」であろう。アコーディオンのアクセントが利いた現代風ダンスナンバー「Oh Girl You’re Mine」は、イタリアの美しい風景の中でアクシャイ、ディーピカー、リテーシュ、ラーラーが踊る。誘惑ナンバー「I Don’t Know What To Do」ではジヤー・カーンがセクシーなダンスを踊る。所々にカッワーリー風のサビが入るのもいい。夢遊病のバトゥクが夜中屋敷を歩き回る中、若いカップルが情事のチャンスを探る「Papa Jag Jayega」は中盤の盛り上がりのひとつだ。映画のテーマ曲とも言えるのが「Loser」で、主人公アールシュのキャラクター紹介に貢献している。
基本はヒンディー語で、英語の台詞は多め。ヘータルやバトゥクがグジャラート人という設定であるため、グジャラーティー語の台詞が意外に多い。チャンキー・パーンデーイ演じるアーキリー・パスタはイタリア語とヒンディー語と英語を交ぜた奇妙な言語を話す。
ロケ地は主にロンドンとイタリアで、インドのシーンも少しだけ存在する。圧巻はバッキンガム宮殿でロケが行われたラストである。セットかとも思ったが、実際のバッキンガム宮殿においてのロケであるらしい。英国女王エリザベス2世やチャールズ皇太子に似た俳優も登場する。しかし、エリザベス2世が「マハーラーシュトラ万歳!」と叫ぶのはやり過ぎではないかと思った。
「Housefull」はコメディーとしては十分楽しめるが、コメディー「映画」としてのまとめ方には詰めの甘さがあった。それでも、IPL期間中まともな大作が公開されなかったので、その渇望感がこの映画をヒットに押し上げる可能性は十分にある。お馬鹿な映画だが、観て損はないだろう。