この世にはどうしても、ついている人とついていない人がいるものである。だが、生まれもって強運の人間を集め、その強運同士を戦わせたらどうなるか?本日(2009年7月24日)より公開の「Luck」は、そんなコンセプトの映画である。監督は「Kaal」(2005年)のソーハム・シャーで、本作が2作目となる。キャストはなかなか面白い顔ぶれとなっており、2009年下半期のヒンディー語映画の運勢を占う作品ともいえる。上半期は踏んだり蹴ったりだったヒンディー語映画界に浮上の兆しはあるか?
監督:ソーハム・シャー
制作:ディリン・メヘター
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:シャッビール・アハマド、アンヴィター・ダット・グプタン
出演:ミトゥン・チャクラボルティー、サンジャイ・ダット、イムラーン・カーン、シュルティ・ハーサン、デニー・デンゾンパ、ラヴィ・キシャン、チトラーシー・ラーワト、ラティ・アグニホートリー、スニーター・マヘーなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
銀行員として働くラーム・メヘラー(イムラーン・カーン)の父親はある日突然自殺して死んでしまう。父親は株取引に失敗して莫大な借金を抱えしまったのである。3ヶ月以内に借金を返さなければ、全ての財産が差し押さえられてしまう。ラームは病気の母親(ラティ・アグニホートリー)にそれを隠し、父親の借金を返すための資金を稼ぐため、米国へ渡ることを考える。だが、米国大使館からは3度もヴィザの発行を拒否され、途方に暮れる。ラームは銀行のATMから金を盗もうとするが、すぐに警備員が駆けつけて来たため、逃亡する。必死で逃げるラームを救ったのが、タマーン(ダニー・デンゾンパ)という男であった。
タマーンは、世界中から強運を持つ人間を集める仕事をしていた。彼はラームが生まれもって強運を持っていることを嗅ぎつけ、彼を賭博場に連れて行って運を試させる。案の定ラームは次から次へと賭けに勝ち、類い稀な強運の持ち主であることが分かる。タマーンはラームに、近々南アフリカ共和国で行われる大きな賭博への参加を求めるが、ラームはそれを拒否する。だが、タマーンのボスで、最強の強運の持ち主カリーム・ムーサー(サンジャイ・ダット)が直々にラームを招待する。ラームは借金を返すため、その賭博に参加することになる。
ラームの他にもその賭博に参加する人物が続々と選ばれていた。タマーンは、パーキスターンのチョーリスターン砂漠でラクダ・レースの騎手を務めるショートカット(チトラーシー・ラーワト)に目を付け、彼女を金で買って南アフリカ共和国へ送る。ジャッバル・サーワント少佐(ミトゥン・チャクラボルティー)は、数々の激戦を生き抜いて来た強運の退役軍人であった。重病の妻の手術費のために大金が必要となった大佐は、タマーンに連絡を取って賭博に参加する。ラーガヴ(ラヴィ・キシャン)は連続殺人犯で死刑判決を受けていたが、絞首刑を受けても縄が切れて死なず、釈放となった強運の犯罪者であった。タマーンは出所直後のラーガヴを誘って賭博に参加させる。
南アフリカ共和国には世界中から強運の持ち主が集められていた。ラームはその参加者の中に、アーイシャー(シュルティ・ハーサン)というインド人女性がいるのを見つける。ラームはアーイシャーに惚れるが、ラーガヴも彼女に目を付けていた。アーイシャーがこの賭博に参加するのは2回目であった。
賭博は、生死を賭けた危険極まりないものであった。集団ロシアンルーレット、パラシュート降下、サメの泳ぐ海域からの脱出など、敗北は死というギャンブルが続いた。参加者の生死を巡り、世界中のギャンブラーたちが多額の金を賭けていた。ラーム、ショートカット、大佐、ラーガヴ、アーイシャーはそれらを勝ち抜いて行く。途中からアーイシャーの運は尽きるが、ラームの助けにより何とか助かっていた。ショートカットはサメに足を食いちぎられ、脱落する。
ラームは最後の賭けを前にゲームから下りようとするが、ムーサーはアーイシャーを人質に取り、最後の賭けへの参加を強要した。アーイシャーは実はナターシャという名前であった。ナターシャにはアーイシャーという双子の姉がいたが、彼女はやはり強運を持っており、このギャンブルに以前参加して大金を得ていた。だが、その後その金を無駄遣いしてしまい、最後には自殺する。後に残されたナターシャはムーサーを姉の仇だと考え、復讐のためにこのゲームに参加したのだった。だが、彼女には姉のような強運がなかった。ラームの助けで生き延びていたのである。ナターシャは隙を見つけてムーサーに復讐しようとするが、逆に捕らえられてしまったのであった。
ナターシャは列車の先頭にくくりつけられていた。列車は爆発物に向かって一直線に走っていた。そしてその列車は、ラーガヴら他の参加者が守っていた。もしラームがナターシャを救うことができたら2億ルピー、ラームのナターシャ救出を阻止することができたら他の参加者に2億ルピー、これが最後のギャンブルであった。大佐はラームに同情しており、彼の手助けをすることを決める。こうして最後のゲームが開始された。
列車の最後尾に降り立ったラームは、列車の上で待ち構える他の参加者を次々となぎ倒して先頭へ向かう。途中、地雷が仕掛けられていたが、強運のラームはそれを踏まなかった。ラーガヴはマシンガンでラームを殺そうとするが、やはり弾丸はラームに当たらなかった。ラームはラーガヴを倒し、ナターシャを救出する。
ムーサーはラームの強運を賞賛し、彼に賞金を渡す。だが、ラームはムーサーに対し、命を賭けたギャンブルの一騎打ちの挑戦状を叩きつける。ムーサーもそれを受けて立つ。こうして二人は2丁の拳銃を使って一騎打ちをする。ラームの撃った弾丸はムーサーの肩をかすめるが、ムーサーの撃った弾丸はラームの左胸を貫いた。・・・だが、ラームは生きていた。なんとラームは内臓逆位であり、彼の心臓は右胸にあったため、彼は助かったのであった。ムーサーは彼の至高の強運に感服する。
こうして多額の賞金を勝ち取ったラームは父親の借金を返済し、ナターシャと結婚した。大佐も大金を持ち帰り、妻の手術をさせて目的を果たす。
強運の持ち主同士が強運のみを武器に生死を賭けたゲームをするというコンセプトは非常に面白かった。しかもそのゲームを主催するのが、運だけを頼りに修羅場をかいくぐってドンにのし上がった世界最強の強運の持ち主という設定も、いかにも映画的で良かった。主人公ラームを中心に、参加者たちがこの危険なギャンブルに参加することになった経緯を説明する序盤も、冗長になりがちなところをスピーディーにまとめており、監督の才能の片鱗を感じた。だが、参加者が行う危険なゲームが、回を追うごとにつまらなくなっていくのは興醒めであった。最後のギャンブルとなる、走る列車の上での格闘にしても、ギャンブルというよりは、アクション映画のラストシーンによくある展開で、何の変哲もないクライマックスである。生死を賭けたギャンブルがテーマの映画であったが、緊迫感があったのは、序盤の、安物ライターの火が連続5回付くかどうかを巡った賭けと、最初のゲームに当たる、参加者全員が輪になって、実弾入りか空砲か分からない銃を隣の人の頭に当て、一斉に引き金を引く集団ロシアンルーレットのみであった。どうも上映時間の都合か検閲の影響でカットされたシーンが終盤にいくつかあるようで、編集が不自然な部分も散見された。特にアーイシャー/ナターシャの復讐劇は説得力を欠いた。スリリングな映画ではあったが、完璧な出来とはいい難い。惜しい作品であった。
キャストの顔ぶれは面白い。ダンディーな悪者を演じさせたら右に出る者がないサンジャイ・ダットが、ゲームの元締めであるカリーム・ムーサーを演じた他、やはりダンディーな演技で定評のあるミトゥン・チャクラボルティーやダニー・デンゾンパが脇を固め、かなり渋い配役になっていた。一方で、ボージプリー語映画の大スター、ラヴィ・キシャンがいい意味で気味の悪い小悪党を演じ、ニヒルな笑いを提供していた。「Chak De! India」(2007年)のヒットで一時期人気を博した、いわゆるチャク・デー・ガールズの一人、チトラーシー・ラーワトもいい味を出している。本業はホッケー選手だが、このまま映画界に定着してもやっていけそうだ。そして主人公は若手男優の中では躍進著しいイムラーン・カーン。デビュー作の「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)に比べてグッと大人っぽくなった印象で、演技もよりシャープに磨かれていた。彼はこのままヒンディー語映画界の中心的スター俳優に成長していくだろう。興味深いのは、名優カマル・ハーサンとサーリカーの娘で、歌手として活躍するシュルティ・ハーサンが本作で本格的に女優デビューを果たし、ヒロインを務めていたことである。肌の色が白く、美人といっていいが、いかんせんヒンディー語が下手で、台詞棒読みの部分があったりしてガッカリであった。潜在能力はまだ未知数である。シュルティは「Luck」の挿入歌のひとつ「Aazma – Luck Is The Key」を歌っている。
劇中では2回、ムーサーが参加者と賭けをするシーンが出て来る。そのスタイルはこうである。まず、2丁の拳銃を用意する。1丁は空砲で、実弾が込められているのは1丁のみである。それを足下に埋める。そして合図と共に地面を掘って銃を探す。当然、実弾入りの拳銃を手にした者の勝ちで、敗者は死をもって敗北となる。まずは、危険なゲームへの参加を辞退しようとした黒人の参加者とこの賭けが行われ、クライマックスではラームとムーサーがこの賭けを行う。だが、なぜか2回目の方では両方の拳銃に弾丸が込められており、その理由についても触れられていなかった。後述するが、せっかく内臓逆位というオチが用意されていたので、ラームの撃つ拳銃が空砲でもよかったのではないかと思った。
映画の質とはほとんど関係ないが、2点、個人的に気になった点を挙げておく。まずは、ラヴィ・キシャンが演じたラーガヴの紹介シーン。連続殺人を犯して逮捕され、死刑判決を受けて絞首刑に処されたはずのラーガヴであったが、持ち前の強運のおかげでロープが切れて生き残ったと説明されていた。絞首刑に処されても生き残ってしまった死刑囚の扱いについては議論があるが、二重処罰の禁止(いわゆるDouble Jeopardy)が適用されるとの考えがある。二重処罰の禁止とは、同一の罪で2回以上処罰されることはないという規定で、これが一度絞首刑になって生き残った人に適用されるということは、無罪放免となるということである。二重処罰の禁止は日本国憲法第39条に明記されており、日本ではもし死刑囚が絞首刑後に何らかの手違いで生き残ってしまった場合、釈放される可能性がある。実際に明治・大正時代にそういう例があったようだが、現在では絞首刑は確実に死刑囚が死ぬように改良されており、そういうことはまず起こりえないとされている。同様にインドの憲法でも第20条2項に二重処罰の禁止が明記されており、ラーガヴも絞首刑失敗後に釈放されたという訳である。
もう1点は、最後のオチと密接な関係を持つ要素であるが、内臓逆位という、内臓の位置が左右逆となる特殊な症状である。主人公ラームは、最後にムーサーに左胸を撃たれて倒れるが、内臓逆位のために心臓への致命傷を免れる。これも彼の強運のひとつであった。劇中では、内臓逆位は5万人に1人の確率で発症すると説明されていた。内臓逆位はフィクションの世界では割とよく使われるネタで、特に「ブラックジャック」や「北斗の拳」といった日本の有名漫画に出て来るので、けっこうよく知られていると思われる。だが、なかなか意表を突いたオチであった。
音楽はサリーム・スライマーン。シュルティ・ハーサンが歌う「Aazma – Luck Is The Key」、冒頭のスクヴィンダル・スィンによる「Luck Aazma」など、アップテンポの曲は映画の雰囲気に合っていたが、劇中に使われていた挿入歌の多くは雰囲気を損なうものであった。工夫すればもっと効果的に挿入歌やダンスシーンを入れることができたと思う。
「Luck」は、面白い顔ぶれが揃ったスリリングな展開の作品で、観て損はないだろう。サンジャイ・ダットやイムラーン・カーンのファンだったら尚更である。だが、後半は詰めの甘い部分が目立ち、完成度は高くない。前半がなかなか良くできていたために残念である。