シャーム・ベーネーガルと言えば、「Ankur」(1973年)で衝撃のデビューを果たして以来、ヒンディー語映画界の中で高い尊敬を受け続けて来た映画監督の一人である。そのベーネーガル監督が初めてコメディー映画に挑戦することになった。舞台はマディヤ・プラデーシュ州のとある農村サッジャンプルで、そこで繰り広げられる人間模様を描いた風変わりな作品である。題名は「Welcome to Sajjanpur」。2008年9月19日に公開された。
監督:シャーム・ベーネーガル
制作:ロニー・スクリューワーラー
音楽:シャンタヌ・モイトラ
歌詞:スワーナンド・キルキレー、アショーク・ミシュラー
出演:シュレーヤス・タルパデー、アムリター・ラーオ、ラヴィ・キシャン、ラージェーシュワリー・サチデーヴ、ヤシュパール・シャルマー、ディヴィヤー・ダッター、ラヴィ・ジャンカール、イーラー・アルン、クナール・カプール(特別出演)など
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
マディヤ・プラデーシュ州のとある農村サッジャンプルの数少ない識字者マハーデーヴ(シュレーヤス・タルパデー)は、小説家になることを夢見ながら、郵便局のそばで手紙の代筆をして日銭を稼いでいた。マハーデーヴは村人たちの手紙を代筆する中で、村で起こっているいろいろな事件を把握していた。 例えば、もうすぐパンチャーヤト(村議会)の選挙が行われようとしていた。元サルパンチ(村長)のラーム・スィン(ヤシュパール・シャルマー)は、地元徴税官に手紙を書いて現サルパンチを貶め、妻のジャムナー・デーヴィーをサルパンチに据えようと画策していた。一方、ヒジュラー(両性具有者)のムンニーバーイー(ラヴィ・ジャンカール)もサルパンチに立候補し、マハーデーヴに宣伝の詩を書かせる。ラーム・スィンはムンニーバーイーを脅迫するが、マハーデーヴは徴税官に手紙を書き、ムンニーバーイーのために護衛を送るように頼む。マハーデーヴの支えもあり、選挙でムンニーバーイーは勝利することができた。だが、後日ムンニーバーイーは河原で死体で発見される。 また、薬剤師のラーム・クマール(ラヴィ・キシャン)は、退役軍人スーベーダール・スィンの娘で未亡人のショーバー・ラーニー(ラージェーシュワリー・サチデーヴ)に恋をし、マハーデーヴにラブレターの代筆を頼む。マハーデーヴの書いたラブレターはスーベーダール・スィンに知れてしまい、ラーム・クマールは追いかけられる。だが、スーベーダール・スィンは実はショーバー・ラーニーと結婚してくれる男を捜していた。とんとん拍子でラーム・クマールとショーバー・ラーニーの結婚が決まる。 さらに、マウスィー(イーラー・アルン)は、娘のヴィンディヤー(ディヴィヤー・ダッター)の結婚相手を探していた。だが、ヴィンディヤーは不吉な星の下に生まれており、家族を不幸に陥れるとされていた。そこでマウスィーは占星術師の助言に従ってヴィンディヤーを犬と結婚させようとする。だが、ヴィンディヤーは教養のある女性であり、結婚する気もなく、マウスィーの不穏な動きをいちいち監視していた。 代筆業を通し、マハーデーヴは小学校の頃の同級生カムラー(アムリター・ラーオ)と久し振りに再会する。カムラーは結婚していたが、夫は結婚後すぐにムンバイーで出稼ぎに行ってしまい、4年も返って来なかった。そこでカムラーは夫に手紙を送ろうとしていたのだった。しかし、カムラーに一目惚れしたマハーデーヴは、何とか彼女を物にしようと、ムンバイーの夫に対し厳しいことを書いて送る。そして、返信が来ても、いかにもカムラーのことを考えていないというような風に読み上げ、二人の仲を裂こうとしていた。だが、ある日届いた手紙の中で、夫は腎臓を売ってまで金を作り、彼女をムンバイーに呼び寄せようとしていると書いてあった。それを読んだマハーデーヴは居ても立ってもいられなくなり、畑を質に入れて現金を作り、ムンバイーへ急行する。そこで夫(クナール・カプール)に5万ルピーを渡し、腎臓を売らないように伝える。カムラーはムンバイーへ行くことになり、サッジャンプルを去って行く。 ここで突然舞台はイラーハーバードのとある出版社に移る。マハーデーヴの小説が出版されようとしており、上で述べられて来たことは全て小説の中でのストーリーであった。だが、それはマハーデーヴ自身の自伝でもあった。中にはフィクションも混ぜられていたが――例えばムンニーバーイーは死んでおらず、今は州議会議員として活躍中であること、ラーム・クマールとショーバー・ラーニーは二人一緒に殺されてしまったことなど――、ほとんどは本当の出来事であった。マハーデーヴはなんとヴィンディヤーと結婚していた。犬と結婚させられそうになったヴィンディヤーを助けるため、マハーデーヴは彼女と結婚することになったのだった。
ヒンディー語文学の代表作のひとつに、パニーシュワルナート・レーヌの小説「Maila Anchal(汚れた村)」がある。この作品は、インド独立前後の、現ビハール州ミティラー地方の農村が「主人公」のいわゆるアーンチャリク・ウパンニャース(リージョナル・ノベル)で、マイティリー方言を多用し、村の文化をカラフルに描き出すことに成功している。「Welcome to Sajjanpur」も「Maila Anchal」に倣ってアーンチャリク・フィルムと名付けられそうだ。ただし、この映画の舞台となっているのは架空の村(自動車のナンバーからマディヤ・プラデーシュ州の農村であることが分かる)であり、話されているのも架空の方言(2001年公開の大ヒット作「Lagaan」で使用されたアワディー方言+ボージプリー方言のミックスに近い)である。しかし、インドのどこにでもありそうな村模様人間模様を醸し出すのにかなり成功していた。
主人公は代筆屋マハーデーヴであり、マハーデーヴのカムラーに対する片思いも描かれるものの、基本的に彼は代筆業を通して村の様々な事件のスートラダール(語り手)に徹しているだけで、真の主人公はサッジャンプル村自体だと言える。物語の冒頭で語られるところによれば、サッジャンプルは以前ドゥルジャンプル(悪人の町)と呼ばれていた。だが、あるときジャワーハルラール・ネルーがこの村を訪れ、村の名前をサッジャンプル(善人の町)に変えるように提案して以来、村の名はサッジャンプルとなった。だが、ドゥルジャンプルと呼ばれていた時代に村には善人ばかりが住んでいたが、サッジャンプルになってからは悪人が跋扈するようになったとマハーデーヴは嘆いている。
マハーデーヴの視点を通して語られるサッジャンプルでの出来事の数々は、インドの新聞の三面記事によく掲載されていそうなものばかりである。パンチャーヤト選挙での抗争、ヒジュラーのサルパンチ誕生、未亡人への恋と名誉殺人、迷信による犬との結婚、蛇の使用を禁じられた蛇遣いの悲劇、迫り来るナクサライトの恐怖などなど。そういう意味では、外国人が見てとても興味深い内容となっていた。しかし、コメディー映画としての完成度は残念ながらそれほど高くない。特に大きな事件があるわけでもなく、いくつかの小事件が入れ替わり進展して行くだけで、盛り上がりや緊張感に欠ける。しかも最後にこれらの出来事は実は小説のストーリーだということが明かされ、かなり淡泊に登場人物のその後が語られるため、興醒めである。マハーデーヴが片思いしていたヒロインのカムラーと結ばれなかったのも、ヒンディー語映画としては異例である。着想は悪くないが、丁寧さに欠けたコメディー映画だと感じた。同じようなジャンルの映画では、プリヤダルシャン監督の「Malamaal Weekly」(2006年)があるが、コメディー映画としての質は「Welcome to Sajjanpur」よりも「Malamaal Weekly」の方が圧倒的に高い。
シュレーヤス・タルパデーは、ライトなノリの演技がとてもうまい俳優で、この映画でも適役であった。彼のベストの演技に数えられるだろう。アムリター・ラーオも、適度に華美さのない女優であるため、村の女性役がはまっていた。他に特筆すべきなのは、ボージプリー語映画のスーパースター、ラヴィ・キシャンが出演していたことである。もっとも、ラヴィ・キシャンがヒンディー語映画に出演したのはこれが初めでではないが、農村が舞台で得意のボージプリー語をこれほど発揮できる役を与えられたのは初めてのことであろう。
音楽はシャンタヌ・モイトラ。カントリー調のタイトル曲「Sita Ram Sita Ram」や、ヒジュラー・ソング「Munni Ki Baari Are Mandir」など、なかなか面白い曲が多かったが、サントラCDを買うほどのものでもなかった。
前述の通り、この映画ではヒンディー語の方言が多用されているため、標準ヒンディー語の知識のみでは細部の理解はとても難しいだろう。ヒンディー語のヴァラエティーを知る目的では、とても参考になる作品である。
「Welcome to Sajjanpur」は、名監督シャーム・ベーネーガルによる初のコメディー映画で話題性はあるが、その名とは裏腹に、中程度の娯楽作品に留まっている。使用言語という観点ではとても興味深いが、映画としてはパワーに欠ける展開であった。