Via Darjeeling

3.0

 昨年、「Bheja Fry」(2007年)という映画が公開された。低予算ながら緻密な脚本と俳優の演技力に支えられた見事なコメディーで、都市部を中心にスマッシュヒットを記録した。どうやら「Bheja Fry」のような低予算の佳作がこれからヒンディー語映画界でも増えて行きそうである。2008年6月27日公開の「Via Darjeeling」も、演技に定評のある俳優たちによる、脚本主体の映画であった。

監督:アリンダム・ナンディー
制作:ジョイ・ガーングリー
音楽:プラブッダ・バナルジー
出演:ケー・ケー・メーナン、ソーナーリー・クルカルニー、パルヴィーン・ダヴァス、ラジャト・カプール、ヴィナイ・パータク、シモン・スィン、サンディヤー・ムリドゥル、プラシャーント・ナーラーヤナン
備考:PVRベンガルールで鑑賞。

 舞台はコルカタ。ある雨の晩、警察官のロビン・ダット(ヴィナイ・パータク)は、友人たち(ラジャト・カプール、シモン・スィン、プラシャーント・ナーラーヤナン、サンディヤー・ムリドゥル)に2年前にダージリンで起こった事件のことを話していた。

 お見合い結婚をしたアンクル(ケー・ケー・メーナン)とリムリー(ソーナーリー・クルカルニー)は、ダージリンにハネムーンに来ていた。ところが帰る日になって突然アンクルが失踪してしまう。この事件を担当したのが、当時ダージリンに駐在していたロビンであった。ロビンはリムリーを事情聴取する。その中で、アンクルと喧嘩をした運転手と、リムリーの後を付けてきた男ボニー(パルヴィーン・ダバス)が容疑者として浮上する。だが、とうとうアンクルの行方は分からなかった。

 この事件に興味を持った友人たちは、その真相について思い思いのストーリーを語り出す。アンクルは自殺したのだ、という説から始まり、ボニーはリムリーの恋人で、リムリーに強要される形でボニーがアンクルを呼び出して殺したというリムリー黒幕説、ハネムーン中のリムリーの前に、米国から帰って来た元恋人ボニーが現れ、殺し屋を雇ってアンクルを殺した説、実は行方不明になったのはリムリーの方で、アンクルが殺し屋ボニーを雇ってリムリーを殺した説など、好き勝手なストーリーが飛び出す。仕舞いには話がだいぶ変わってしまい、アンクルはコールカーターで女優と結婚して暮らしていることになってしまった。

 そんな談話を楽しんでいたところ、ロビンの電話が鳴る。事件が起こり、ロビンは席を外さなくてはならなくなった。ロビンは家を出て行く。それと同時に、到着が遅れていた1組のカップルがやって来る。その2人こそ、リムリーとボニーであった。

 一度は出掛けたロビンだったが、電話を忘れたことに気付き、家に戻って来る・・・。

 この映画でまず中心になっていたのは、迷宮入りした事件に対してあれこれ勝手に妄想を膨らませ、意外な展開に持って行って楽しむ都市中産階級たちの悪趣味な性質であった。ただしそこに全く批判の色はなく、あくまで現代の都市在住インド人のリアルな日常をそのまま切り取ったかのような展開になっていた。彼らが妄想する「真相」は映像でもって描写され、後で新たに付け加えられる妄想上の「新事実」もその映像とミックスされて展開して行く。そのテクニックは黒澤明監督の名作「羅生門」(1950年)の延長線上にあるように感じた。

 この映画の中で重要な伏線になっていたのは、雨の晩のパーティーに遅れて来ることになっていた1組のカップルであった。エンディング直前に彼らは姿を現すのだが、彼らは、ロビン・ダットが語っていたダージリンでの失踪事件の当事者リムリーと、謎の尾行男ボニーであった。ということは、ボニーとリムリーが共謀してアンクルを殺したという線が有力になる。だが、ロビン・ダットがリムリーと顔を合わせる直前に映画は終わってしまい、結局失踪事件の真相は観客の想像力と妄想に任されることになる。映画を見終わった観客が、事件の真相をさも映画の中で語り合っていた友人たちと同じような形でああでもない、こうでもないと話し合うような場面が生み出されることが、監督の本当の狙いであるように思えた。

 ケー・ケー・メーナン、ラジャト・カプール、ヴィナイ・パータクなど、演技派俳優が揃い踏みで全く死角はなかった。ソーナーリー・クルカルニーは久しぶりにスクリーンで見た。寡作な上に決して成功している女優ではなく、「Via Darjeeling」ではかなり老けてしまったという印象が強かったのだが、このようなアート系映画に新天地を見出せればいいのではなかろうか。サンディヤー・ムリドゥルやシモン・スィンも一線で活躍している女優ではないが、演技派として成長しつつある。

 映画の制作陣にはベンガル人が多いが、言語はヒンディー語と英語である。かつてこのような映画は英語オンリーか英語メインで作られることが多かったのだが、現在はヒンディー語と英語を3:2ぐらいの割合で使用するのが主流になっている。

 「Via Darjeeling」はメインストリームの娯楽映画ではないので、一般のインド映画ファンには向かない。そればかりか、芸術映画を見慣れている人でも、この映画の真の狙いは理解できずに終わってしまうかもしれない。構造上、一人で観るよりも多人数で観た方が映画を観た後に楽しめるだろう。よって、「Via Darjeeling」は極度に観客を選ぶ映画だと言える。今年のヒンディー語映画の中では野心的な作品の部類に入るだろう。