Super Star

3.0

 ヒンディー語映画では時々起こることなのだが、どうも全く同日(2008年2月8日)に似たような映画が公開されてしまったようである。「Mithya」(2008年)と「Super Star」だ。狙ってやっているのか、それとも完全な偶然なのかは分からないが、その味付けや結末は全く異なる。先日は「Mithya」を観たが、今日は「Super Star」を観た。

監督:ローヒト・ジュグラージ
制作:シュリー・アシュタヴィナーヤク・シネ・ヴィジョン
音楽:シャミール・タンダン
作詞:シャッビール・アハマド
出演:クナール・ケームー、チューリップ・ジョーシー、オーシマー・サーニー、リーマー・ラーグー、シャラト・サクセーナー、ヴラジェーシュ・ヒジュリー、ダルシャン・ジャリーワーラー、サンジャイ・ダット(特別出演)
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 クナール(クナール・ケームー)はスーパースターを夢見るジュニアアーティストだった。父親(シャラト・サクセーナー)の説教に耐え、母親(リーマー・ラーグー)の愛情に励まされ、映画でエキストラとして戦ったり踊ったりしていた。クナールと同じマンションに住むマウサム(チューリップ・ジョーシー)とは幼馴染みで、お互い好意を持っていたが、二人とも思いを打ち明けたことはなかった。マウサムもクナールの夢を応援していた。

 ある日、クナールの写真が「未来のスーパースター」として新聞に掲載される。家族、隣人、友人は大興奮するが、クナールはそんな写真を撮った覚えがなく、プロダクションに確かめに行く。プロダクションの社長ミシュラー(ヴラジェーシュ・ヒジュリー)によると、新聞に載っているのは大プロデューサー、サクセーナー(ダルシャン・ジャリーワーラー)の息子で、この度大々的にデビューする新人男優カラン・サクセーナー(クナール・ケームー)であった。カランとクナールは全くの瓜二つであった。ミシュラーはクナールに物真似俳優になることを勧めるが、スーパースターになることを夢見ていたクナールにとってそれは受け入れがたいことであった。

 カラン主演の映画「Star」の撮影が開始された。共演のヒロインはバルカー(オーシマー・サーニー)という名で、早速二人は密接な関係となる。だが、カランには全く演技力がなく、真面目に演技に取り組もうともしなかった。サクセーナーは頭を抱える。それを見たミシュラーは、カランとそっくりの顔をしたクナールを代役として起用することを提案する。クナールはカランの代役としてほとんどのシーンで演技を行う。

 映画のロケがタイで行われることになり、クナールも行くことになった。最初はカランに対してそっけない態度を取っていたクナールであったが、タイで彼と話をする内に友情を感じ始める。カランも悪い人間ではなかった。ところが、カランとクナールがドライブをしていたときに大事故に遭ってしまう。クナールは何とか生き残ったが、カランは死んでしまう。

 サクセーナーは自身の資金に加えて投資家からの投資を受けて映画を制作していたため、今更映画制作を中止することはできなかった。サクセーナーはクナールに対し、映画が完成するまでカランを演じるように頼む。クナールも、カランの気持ちを尊重し、それを受け入れる。公には、クナールが死に、カランが生き残ったと発表された。

 ところが、クナールは次第にカランを演じることに苦痛を感じ始める。一度はサクセーナーにそのことを伝えるが、サクセーナーはクナールを脅迫し、カランを演じ続けることを強制する。だが、カランと恋仲にあったバルカーは、生き残ったのはカランではなくクナールであることを見抜いていた。バルカーは彼に、マウサムへの愛情を思い出させる。だが、サクセーナーは映画が完成した後もクナールにカランを演じ続けさせ、大儲けしようと企む。また、既にジャーナリストがカランの秘密を嗅ぎ付けていた。

 「Star」プレミア試写会の日。上映が終わった後、クナールは観客の前で、自分がカランではないことを明かし、嘘を付いて来たことを謝る。そして会場に来ていた両親と抱き合う。だが、複雑な感情に襲われたマウサムは逃げ出してしまう。クナールはマウサムを追いかけ、彼女に愛の告白をする。

 古典的「王様と乞食」のラインの映画だが、心に響くシーンや台詞で彩られ、後味のスッキリした娯楽映画に収まっていた。佳作と言える。レビューを見ると「Mithya」の方が一様に高い評価を得ているが、僕は「Super Star」の方が優れた映画に思えた。若手男優のクナール・ケームーがひとつ大きな階段を上った映画としても意義深い。

 ヒンディー語映画界では、スター俳優や名の知れた脇役俳優以外で銀幕に登場する人々(エキストラ、バックダンサー、スタントマンなど)を総称してジュニアアーティストと呼んでいる。2007年の大ヒット映画「Om Shanti Om」でシャールク・カーンが演じていたのもジュニアアーティストであった。「Super Star」の主人公も、スーパースターを夢見るジュニアアーティストであり、その点では「Om Shanti Om」と非常に似通っている。

 また、ヒンディー語映画界では、1人の俳優が2人の役を演じることをダブルロールと呼ぶ。時にはダブルロールだけでなく、トリプルロールやそれ以上の数の役を1人の俳優が演じることもある。ダブルロールは、ヒンディー語映画界で俳優が一人前として認められる上で必ず通らなければならない道だと言われている。「Om Shanti Om」では、輪廻転生の概念を導入し、生まれ変わる前と後の役をシャールク・カーンがダブルロールで演じた。「Super Star」でも主演のクナール・ケームーがダブルロールに挑戦している。しかし、こちらは輪廻転生の結果生じたそっくりさんではなく、偶然のそっくりさんである。そういう意味では、「Don」(1978年/2006年)に近い。

 映画の感動は、主人公が夢と愛の板ばさみになることから来る。主な感動ポイントは2つ。まずは両親との再会のシーン。カランとしてタイから帰って来たクナールは、耐え切れなくなって自分の家に戻り、両親と再会する。両親はクナールは死んだと思っており、カラン(クナール)に対してクナールの思い出を語り始める。特に父親はいつもクナールに対して厳しい態度を取っていたが、カラン(クナール)の前で初めて息子への愛情を吐露する。クナールは耐え切れなくなって本当のことを明かそうとするが、タイミングが悪く、それは実現せずに終わる。ふたつめの感動ポイントはラストのシーンである。たとえ一度だけであっても、虚構であっても、スーパースターになるという夢を叶えることができたクナールは、主演映画のプレミア上映後、自ら正体を明かす。そのときのスピーチの内容はとても素晴らしいものであった。

 「Super Star」では、80年代から90年代にかけての人気ヒンディー語映画のパロディーや引用が多用されており、その頃のヒンディー語映画が好きな人はネタ元を探る楽しみ方のある映画でもあった。アミターブ・バッチャン、シャールク・カーン、サルマーン・カーン、アーミル・カーンなどの若い頃の映像が使われていた。

 主演のクナール・ケームーは元々子役として映画界に入り、「Kalyug」(2005年)で本格デビューした若手男優である。「Kalyug」の頃はまだ子役の雰囲気が抜けなかったが、「Traffic Signal」(2007年)で異色のヒーローを演じて人々に強い印象を焼き付けた。「Super Star」ではダブルロールもこなし、かなり風格が出て来た。1980年代生まれの若手男優の中では、着実にキャリアを積んでいる部類に含まれるだろう(他にはザイド・カーンやシャーヒド・カプールなど)。

 「Super Star」にはヒロインが2人出て来た。チューリップ・ジョーシーとオーシマー・サーニーである。二人ともミスコン落選という共通の過去を持っている上に、映画界でもあまりブレイク出来ていないという共通の悩める現在に直面している。スクリーン映りではチューリップの方がよかったが、演技力はオーシマーの方があった。だが、どちらも女優としても成功しなさそうだ。ヒロインがもっとオーラのある女優だったら、「Super Star」はもっとよくなっていたかもしれない。

 脇役では、ダルシャン・ジャリーワーラーやシャラト・サクセーナーなどが熱演しており、問題なかった。サンジャイ・ダットが突然特別出演するので注目である。

 「Super Star」はヒロインも弱かったが、音楽も弱かった。映画界が舞台になっているので、自然と豪華絢爛なミュージカルシーンを頻繁に挿入する口実も生まれるものだが、希薄な音楽と質素なダンスしか見せられず、欲求不満であった。

 「Super Star」は、「Om Shanti Om」と「Don」を足して2で割ったような映画と表現すれば安っぽいが、実際に見てみると、涙が流れるほど感動できるシーンがいくつかある佳作だということが分かるだろう。昔のヒンディー語映画のパロディーを見るのも面白い。いくつか弱点はあるものの、観て損はない映画だと感じた。興行的に成功する可能性は低そうだが、今年のアルカカット賞(全然話題にならなかったが優れた作品)の候補としてマークしておきたい。