Gandhi, My Father

3.5
Gandhi, My Father
「Gandhi, My Father」

 「インドの父」として今でも尊敬を集め、インドの歴史を語る上で必ずその名が出て来るマハートマー・ガーンディーだが、彼とその息子たちとの関係は必ずしも良好ではなかった。ガーンディーにはハリラール、マニラール、ラームダース、デーヴダースという4人の息子がいたが、ガーンディーは息子たちと父子の関係を築くのに失敗したと言われている。本日(2007年8月3日)より公開のヒンディー語映画「Gandhi, My Father」は、長男ハリラールとガーンディーの関係に主眼を置いた作品である。チャンドゥラール・バグバーイー・ダラール著の伝記「Harilal Gandhi: A Life」を原作としたフィーローズ・アッバース・カーン監督の演劇「Mahatma vs Gandhi」を、アニル・カプールのプロデュースにより、フィーローズ監督自身が映画化した。

監督:フィーローズ・アッバース・カーン
制作:アニル・カプール
出演:アクシャイ・カンナー、ダルシャン・ジャリーワーラー、ブーミカー・チャーウラー、シェーファーリー・シャーなど
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 1948年6月。ムンバイーの病院に一人の浮浪者が瀕死の状態で担ぎ込まれた。病院関係者は身元確認をしようとするが、その男は自分の父の名をバープー(マハートマー・ガーンディー)だと答えるばかりで、困り果ててしまう。だが、その男は本当にマハートマーの息子だった。

 ハリラール・モーハンダース・ガーンディー(アクシャイ・カンナー)はモーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー(ダルシャン・ジャリーワーラー)の長男だった。ガーンディーが南アフリカで働いているとき、グジャラート地方のラージコートにいたハリラールは、父親の許しを得ずにグラーブ(ブーミカー・チャーウラー)と結婚する。その後ハリラールも南アフリカへ行き、父親の仕事を手伝うようになる。だが、あまりに公平無私なガーンディーは、息子に対しても決して贔屓をしようとしなかった。英国留学を夢見ていたハリラールであったが、ガーンディーは奨学金を別の若者に与えてしまう。次第にハリラールは父親の愛情を疑うようになる。ハリラールはインドに戻り、アハマダーバードで勉学に励む。だが、彼は何度も落第した。生活も貧しく、父親からの仕送りも足らなかった。

 1915年、ガーンディーもインドに戻って来る。ハリラールはインド国民から「マハートマー」と尊敬される父親を尻目に、商売を始めては失敗したり、アルコール中毒になって悪酔いして逮捕されたり、イスラーム教に改宗してまたヒンドゥー教に再改宗したりと、不安定な人生を送る。その間、心の支えだった妻グラーブも実家に帰ってしまい、そこで突然死去してしまう。ガーンディーの独立運動に加わったこともあったが、長くは続かなかった。そんなハリラールをガーンディーは常に温かく迎えていたが、ハリラール自身は父親と距離を置いていた。彼の心の拠り所は母親のカストゥルバー(シェーファーリー・シャー)であったが、彼女も軟禁中に死去してしまう。ハリラールは乞食となって放浪生活を送る。

 1947年、インドはパーキスターンの分離という痛手を負いながらも独立する。1948年1月30日、ガーンディーはデリーにおいてヒンドゥー教過激派の青年の凶弾に倒れる。ハリラールはそれをラジオで聞き、涙を流す。それから5ヶ月後、父親の後を追うようにハリラールもムンバイーの病院で息を引き取る。

 ハリラールの人生の全貌が明らかになっていないのだろうか?映画中では彼の人生のいくつかのポイントが点々と無造作に並べられているだけで、ハリラールの生き様や心の動きを線で結んで考えることが困難な印象を受けた。いろいろな出来事が詳しい説明や結果報告なしに矢継ぎ早に巡って行った。なぜハリラールは急に南アフリカへ行くことになったのか、なぜハリラールは事業に失敗したのか、なぜハリラールはイスラーム教に改宗し、ヒンドゥー教に再改宗したのか、どのように妻グラーブが死んでしまったのかなど、全く説明がなかった。もし時間の制約で詳細を省略せざるをえなかったのなら残念なことである。2時間ちょっとの映画だったが、インド映画なのだから、3時間使って点と点の間をつなげ、さらに重厚に描き出すことも可能だったはずだ。だが、一国の父としての「バープー」と、一人の息子の父としての「バープー」の間に挟まれるガーンディーの姿はよく描写されており、共感を呼んだ。どちらかというとガーンディーを主人公にした方が映画がまとまったのではないかと思った。ガーンディーの他の3人の息子は映画中ではほとんど登場しなかった。

 「Gandhi, My Father」は、全ての人々を自分の実の息子として扱う博愛主義の偉人と、父親の愛を欲してやまなかった凡人の葛藤の物語だ。そして、全ての人を愛するという崇高な行為が、ときに自分の家族を蔑ろにし、犠牲にしてしまうというパラドックスを問題提起した作品である。ガーンディーは決してハリラールを特別扱いしなかった。ハリラールが英国留学を夢見ているのを知っていながら、彼はそれを許さなかった。支援者から留学のための奨学金の話が来たが、彼はその奨学金を息子には与えず、他の者に与えた。ガーンディーにとってそれは家族をも贔屓にしない、公明正大で無私無欲の「真理」の行為であったが、息子のハリラールの目には父親の愛情の欠如に映った。そのような出来事が重なり、ハリラールはガーンディーに反抗するようになり、やがて人としての道も外してしまう。

 映画はハリラールを主人公に据えていながら、実際はガーンディーの負の部分に迫った作品だと言える。晩年のガーンディーは友人にこう漏らしたと言う。「私が生涯説得できなかった人物が2人いる。それはムハンマド・アリー・ジンナーと、ハリラール・モーハンダース・ガーンディーだ。」ジンナーは言わずと知れた「パーキスターン建国の父」である。ガーンディーは、息子との間の心の亀裂を、印パ分離独立と同じだけ悔いていたことが分かる。印パ分離独立の悲劇は多くの映画で語られて来たが、「Gandhi ,My Father」は、ガーンディーの身の上に起こったもうひとつの悲劇を描いている。

 フィーローズ監督は映画の中で、息子の教育に重きを置かなかったガーンディーの矛盾をも突いている。ガーンディー自身は英国に留学し弁護士の資格を取得していたが、彼はハリラールをはじめとした息子たちに正規の教育を受けさせなかった。ガーンディーの考え方では、人間の価値は教育や学位で決まるものではなかった。誠実に生きることこそが最大の価値であった。それは学校で教えられるものではなかった。ところが、その理想論的な哲学のせいでガーンディーの息子たちは社会に出てもまともな職に就けず、父親から経済的に独立することもできなかった。そして父親の名声が高まるにつれ、息子たちに対する世間の視線は冷たいものとなって行く。ハリラールは何度も挫折し、何度も父親に反抗しながらも、何とか自分の人生を築き上げようと努力するが、結局失敗し、父親の名声を汚すだけになってしまう。ハリラールの惨めな人生は、ガーンディー主義の壮大な実験の副作用であった。

 「Gandhi, My Father」はガーンディー上級者向けの映画である。ガーンディーに関わる事件や彼の活動などをある程度頭に入れておかないと、理解するのが難しいだろう。南アフリカでのフェニックス・セットルメントやトルストイ・ファーム、インドでのスワデーシー(国産品愛用)運動や「バーラト・チョーロー(インドを去れ)」運動など、ほとんど説明なしに挿入される。最初の内は年号と場所が出ているが、ストーリーが進むにつれていつ頃の出来事なのかよく分からなくなる。それらの歴史的事件を頼りに時間軸を推定していくしかない。

 面白いことに、映画には当時実際に記録された歴史的映像や音声が多用されている。そして、「フォレスト・ガンプ」(1994年)のように、その映像の中にダルシャン・ジャリーワーラーやアクシャイ・カンナーの映像が合成されている。ジャワーハルラール・ネルーが1947年8月14日に行った有名な演説「Long time ago…」や、マハートマー・ガーンディーが暗殺された日のラジオ放送など、本物が使われていた。

 ハリラールを演じたアクシャイ・カンナーは適役と言っていいだろう。映画の中で何度も見せる劣等感に苛まれた表情が絶妙であった。サイフ・アリー・カーンは「Omkara」(2006年)で演技もできる男優として脱皮したが、「Gandhi, My Father」はアクシャイのキャリアにとって同様にひとつのターニングポイントとなるだろう。

 マハートマー・ガーンディーを演じたダルシャン・ジャリーワーラーは、ヒンディー語映画界で昔から活躍している訳でもないし、演技力に定評があったわけでもない。よって、今回の配役は抜擢と言っていい。しかし、多くの名優が演じて来た「インドの父」を、「一人の息子の父」という新たな文脈で演じることにかなり成功していた。ただ、やはり聖人としてのガーンディー像は完全に捨て切れておらず、等身大の生身のガーンディーにはあと一歩及ばなかったのではないかと思う。「Gandhi, My Father」のガーンディーは、息子に対していつでも寛大ではあったものの、息子のために涙を流すこともせず、常に理性に従って冷静にかつ冷酷に接していた。人間としての弱みがあまり見えなかった。

 ハリラールの母親を演じたシェーファーリー・シャーも素晴らしかった。「Gandhi, My Father」という題名ながら、どちらかと言うとハリラールと母親の間の愛情の方がクローズアップされていたように思えた。ハリラールの妻を演じたブーミカー・チャーウラーも控え目ながらいい演技を見せていた。

 言語は基本的にヒンディー語だが、英語も多用される。グジャラーティー語やベンガリー語も少しだけ聞こえて来た。

 「Gandhi, My Father」は、映画としての完成度に満点を与えることはできないが、その着眼点は大いに評価したい。最近、ガーンディーの実像に迫る本の出版も相次いでおり、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)で沸いた去年とは微妙に違って、今年は生身のガーンディーを巡る議論が沸き起こりそうだ。


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