Water (Canada)

4.0
Water
「Water」

 「Lagaan」(2001年)のアカデミー賞外国語映画賞ノミネート以来、インドでは毎年アカデミー賞でインドの作品がどれだけ健闘できるかが注目されるようになった。2006年度は「Rang De Basanti」がインドの公式エントリー作品となったが、ノミネートには至らなかった。代わりに、カナダからエントリーされたディーパー・メヘター監督の「Water」が外国語映画賞にノミネートされた。ディーパー・メヘター監督はインド生まれのインド人女性監督で、「Water」も生粋のインド映画だが、現在カナダのトロント在住のため、カナダからのエントリーとなった訳である。残念ながら「Water」も受賞を逃したが、今年もアカデミー賞にインド関連の作品が食い込んだことで、インドの映画界は一応面目が保たれた形となった。

 メヘター監督は1998年に「Fire」、1999年に「Earth」という名の映画を公開しており、この「Water」は3部作の最終作に当たる作品である。「Fire」では現代インドのジェンダー、性、結婚の問題が描かれ、「Earth」では1947年の印パ分離独立がテーマとなった。そして最後の「Water」は、さらに時代が下り、1938年のインドが舞台となっている。テーマは未亡人問題である。インドでの劇場一般公開日は2007年3月9日。

監督:ディーパー・メヘター
制作:デーヴィッド・ハミルトン
音楽:ARレヘマーン
作詞:スクヴィンダル・スィン
出演:ジョン・アブラハム、リサ・レー、スィーマー・ビシュワース、サララー(新人子役)、クルブーシャン・カルバンダー、ワヒーダー・レヘマーン(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 8歳の少女チュイヤー(サララー)は、幼児婚をした相手が死去したことにより、幼くして未亡人になってしまう。両親は彼女をヴィドヴァーシュラム(未亡人の集住所)へ入れる。ヴィドヴァーシュラムのボス、マドゥマティーはえげつない人間だったが、「ディーディー」と呼ばれるシャクンタラー(スィーマー・ビシュワース)おばさんや、美しいカリヤーニー(リサ・レー)がチュイヤーの面倒をよく見た。チュイヤーも次第にヴィドヴァーシュラムの生活に慣れて来る。

 ある日、ガート(河岸)で沐浴をしていたカリヤーニーとチュイヤーは、弁護士の試験を終えて帰って来た青年ナーラーヤン(ジョン・アブラハム)と出会う。ガーンディーの思想に影響を受けたナーラーヤンは、インドの独立を夢見ており、英国の支配に安住する友人を必死に説得していた。ナーラーヤンはカリヤーニーに一目惚れしてしまい、頻繁にヴィドヴァーシュラムを訪ねるようになる。やがて二人は結婚することを決める。

 ところが、インドの宗教は未亡人の再婚を認めていなかった。ナーラーヤンの母親は絶句し、マドゥマティーはカリヤーニーの髪の毛を刈って部屋に閉じ込める。だが、シャクンタラーは僧侶から「未亡人の再婚を認める新しい法律ができた」と聞き、カリヤーニーの再婚を手助けする。カリヤーニーはヴィドヴァーシュラムを出て、ナーラーヤンのもとへ駆け込む。

 ところが、カリヤーニーはナーラーヤンの父親がドワールカーナートであることを知って結婚を諦める。なぜならカリヤーニーは、マドゥマティーによって売春をさせられており、その顧客がドワールカーナートだったからである。カリヤーニーは入水自殺をする。また、ナーラーヤンは父親の所業を知って家を出る。

 カリヤーニーを失ったボスは、今度は代わりにチュイヤーに売春をさせる。それを知ったシャクンタラーは、チュイヤーを連れて逃げ出す。折りしも、町の鉄道駅でガーンディーが少しだけ公演を行うことになった。ガーンディーは大衆の前で、「神が真実なのではなく、真実が神なのだ」と説く。シャクンタラーは動き出す列車を追いかけ、チュイヤーをガーンディーに託そうとする。ちょうどその列車にはナーラーヤンが乗っており、彼はチュイヤーを受け取る。

 インドの未亡人問題は、通常の日本人にはあまり理解できない問題であるが、インドでは度々題材となる大きな問題である。ヒンドゥー教徒の日常生活の規範を規定したマヌ法典では、未亡人は不吉な存在とされ、未亡人になった瞬間からこの世のあらゆる快楽から切り離された生活を送らなければならないことが規定されている。そのため、未亡人は映画で描かれていた通り、ヴィドヴァーシュラムという未亡人集住場に入れられることも多い。今でもヴィドヴァーシュラムは存在するし、僕も実際にブリンダーヴァンで訪れたことがある。また、マヌ法典では未亡人の再婚が固く禁じられている。未亡人の救済の道はただ2つ、夫の死と共に焼身自殺(サティー)するか、夫の弟と結婚するかである(後者の解決法はインド映画でも時々出て来る)。未亡人問題の中でも最も深刻なのが、幼児婚とセットになった未亡人問題だ。インドでは、幼少の頃に結婚相手が決められる習慣があった(今でも田舎ではある)が、その相手が幼くして死んでしまうと、少女は顔を見たこともない旦那のために一生未亡人として暮らさなくてはならなかった。「Water」で焦点が当てられているのも正にこの問題である。

 また、裏のテーマとしてガーンディーの思想に対する庶民の視点も取り上げられていた。田舎に住む人々は、古くからの因習に固執しており、ガーンディーが説く社会改革思想は全く受け容れられていなかった。また、富裕層は英国支配を礼賛し、インド独立などありえないと考えていた。その一方で、ナーラーヤンのような若者が、ガーンディーに影響を受けて独立運動へ飛び込んで行く様子が描かれていた。しかし、1938年という年代には疑問が残った。南アフリカからインドに帰って来たガーンディーが本格的に社会運動を始めるのは1918年で、1920年代には既にインド全土にその名が知れ渡っていたはずであるが、映画中ではガーンディーがあたかも新たに出現した救世主のように描かれていた。確かに田舎ではまだまだガーンディーの名はそれほど認知されていなかったかもしれないが、「Water」の舞台はそれほど田舎でもないだろう。よって、年代をもう15年ほど遡らせた方が現実味があったのではないかと思う。

 ちなみに、映画の舞台となった町は、最後に出て来る鉄道駅によると、ラーワルプルという場所である。元々「Water」のロケはヴァーラーナスィーが予定されており、映画のポスターの背景にもヴァーラーナスィーのガートの写真が使われているが、ディーパー・メヘター監督を敵視するヒンドゥー教過激分子の妨害により、ロケを中断せざるをえなかった。このときのキャストは、シャバーナー・アーズミー、ナンディター・ダース、アクシャイ・クマールであった。その後、監督は全く新しいキャストと共にスリランカで映画撮影を決行し、完成させた。よって、風景には北インドではあまりないようなトロピカルさが出てしまっている。

 「Water」は、ヴィドヴァーシュラムに放り込まれたあどけない少女の視点からインドの未亡人問題を捉えており、切なくも美しい作品に仕上がっていた。しかし、今になって70年前のインドを舞台に未亡人問題を取り上げることに疑問を感じた。映画の最後に一応、現代でもインドに未亡人問題が残っていることが伝えられるが、もしそうなら現代を舞台にした映画にすべきだったのではないか。1938年を舞台にしたら、単に過去の社会問題を取り上げた歴史映画として受け止められてしまう可能性もあるだろう。

 だが、観客の心に染み入る美しいシーンがいくつもあった。ヴィドヴァーシュラムには、ラッドゥー(お菓子)を食べたくて仕方のない老婆ブアーが住んでいた。ブアーは事あるごとに昔食べたお菓子のことをみんなに聞かせていた。未亡人はお菓子を食べることも禁じられている。ブアーの望みは叶わぬ望みなのである。だが、チュイヤーは町の寺で乞食をして得た小銭でラッドゥーを買い、ブアーにこっそりプレゼントする。ブアーは顔をくしゃくしゃにして喜び、ラッドゥーを一気に呑み込む。その晩、ブアーは死んでしまう。

 ナーラーヤンとカリヤーニーの逢引きのシーンも幻想的だった。無数のオイルランプの灯る大木の下、二人は愛の言葉を交わす。ナーラーヤンはサンスクリット語文学を代表する古代インドの詩人カーリダーサの有名な詩「メーガドゥータ」を引き合いに出し、雲に愛のメッセージを乗せて送る恋人たちの話をする。

 主人公チュイヤーを演じたサララーは、時々表情が固いことがあったが、難しい役をよくこなしていた。なんと彼女はメヘター監督がスリランカで見つけた少女で、英語もヒンディー語も話せなかった。セリフも、音で覚えてしゃべっていたと言う。それを考えれば上出来といえるだろう。スター男優の王道を行っているジョン・アブラハムがこのようなシリアスな映画に出演するのは違和感があったが、特に重要な見せ場もなく、映画の調和を崩すようなことはしていなかった。美しい未亡人カリヤーニーを演じたリサ・レーは、インド人とポーランド人のハーフ。外見がインド人離れしており、適役とは言えなかったが、繊細な演技ができる女優だと感じた。その他、スィーマー・ビシュワースやクルブーシャン・カルバンダーと言った名脇役俳優が出演していた。

 音楽はARレヘマーン。「Water」のサントラCDにオリジナル曲は5曲のみだが、どれも非常にレヘマーンらしい音楽である。雨のシーンで流れる「Aayo Re Sakhi」は、インドの雨に含まれる喜びをよく表しているし、ナーラーヤンと結婚を前にしたカリヤーニーの心情を描写した「Sham Rang Bhar Do」も美しい曲である。「Water」はインドでの一般公開は2007年3月であるが、実は2005年公開の映画であり、レヘマーンの音楽も一時代前の彼の音楽という感じである。

 インドで公開されたバージョンはヒンディー語であったが、おそらく英語版も存在するはずである。ヒンディー語バージョンで使われていたヒンディー語にはヴァーラーナスィー辺りで話されているボージプリー方言と思われる訛りが加味されていた。

 2006年度アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品の「Water」は、カナダの映画ということになってはいるものの、そのテーマと魂はインド映画そのものである。作品として優れているばかりでなく、インドの未亡人問題を理解するのに役立つ映画と言える。