Hazaaron Khwaishein Aisi

3.5
Hazaaron Khwaishein Aisi
「Hazaaron Khwaishein Aisi」

 今日は、2005年4月15日公開の新作ヒングリッシュ映画「Hazaaron Khwaishein Aisi(幾千もの夢はかくの如く)」をPVRアヌパム4で観た。監督は、「Chameli」(2004年)のスディール・ミシュラー、音楽はシャンタヌ・モイトラ。キャストは、シャイニー・アーフージャー、チトラーンガダー・スィン、ケー・ケー・メーナン、サウラブ・シュクラー、ヤシュパール・シャルマーなど。

 1969年。スィッダールト(ケー・ケー・メーナン)、ギーター(チトラーンガダー・スィン)、ヴィクラム(シャイニー・アーフージャー)は、デリー大学セントステファン・カレッジに通う学生で、マルクス主義に影響され、学生運動を率いていた。スィッダールトとギーターは恋仲だったが、ヴィクラムは密かにギーターのことを愛していた。スィッダールトは農村改革のためにビハール州ボージプルへ単身乗り込み、ナクサライト(極左過激派)に参加する一方、ギーターは英国へ渡って勉強を続けた。ヴィクラムは政界と経済界をつなぐ大物ビジネスマンに成長していた。

 4年後、ヴィクラムは偶然パーティーでギーターと再会する。ギーターはエリート官僚と結婚していたが、その結婚に満足していなかった。ギーターはスィッダールトと密会を続けていた。遂にギーターは離婚し、スィッダールトと共にビハール州へ行って、ナクサライトの活動を支援するようになる。

 1975年、インディラー・ガーンディー政権は非常事態宣言を発令し、野党政治家や反対勢力の逮捕に乗り出す。ビハール州でもナクサライトの取り締まりが強化され、スィッダールトとギーターは逮捕されてしまう。ヴィクラムはギーターの元夫の力を借りてギーターを助け出すが、スィッダールトが牢獄から逃亡中に射殺されたとの報が入る。二人は落ち込む。

 ところが、スィッダールトは生きていた。運良くナクサライトを支持する病院に運ばれたため、匿われていたのだった。だが、彼が再び逮捕されるのは時間の問題だった。ヴィクラムは即座にビハール州へ飛び、スィッダールトが入院している病院へ向かうが、その途中で事故に遭い、負傷してしまう。だが、偶然にも運び込まれたのはスィッダールトが入院している病院だった。だが、その夜、スィッダールトは村人たちに担ぎ出されて病院を脱走する。警察は、ヴィクラムが彼の逃亡を手引きしたと考え、彼に拷問を加える。ヴィクラムはリンチされ、植物人間となってしまう。

 政治から足を洗ったスィッダールトは英国へ留学して薬学を学ぶことに決める。一方、ギーターは村に戻って、ヴィクラムを看病することにした。ヴィクラムは植物人間ながら、このとき初めて、ギーターに思いを伝えることができた。

 男女男の三角関係の恋愛が軸になっているものの、1960年代末~70年代のインドの政治や社会に詳しくないとストーリーを追うのが難しい、難易度の高い政治映画。スィッダールトを助けに行ったヴィクラムが、最後に植物人間になってしまうという、突拍子もない悲しい結末に少しガッカリしたが、最近のインド映画の革新の風を感じるにはちょうどいい映画であろう。この映画は、世界中の映画祭に出品され、高い評価を得ている。

 この映画を理解するには、ナクサライトを理解する必要があるだろう。映画は、政治家たちが活動するデリーと、ナクサライトが活動するビハール州ボージプルの農村の2つが主な舞台となっていた。ナクサライトとは、毛沢東主義に影響された武力革命至上主義者たちの総称で、西ベンガル州ナクサルバーリーで1967年から始まった農民の武装蜂起運動に由来して、「ナクサライト」と呼ばれている。ナクサライトは主にビハール州、ジャールカンド州、オリッサ州、アーンドラ・プラデーシュ州、ネパール、バングラデシュなどの貧しい農村部で活動しているが、現在では非合法のテロ組織と認定されている。スィッダールトは、大学時代にマルクス主義にのめり込んだことがきっかけで、このナクサライトの活動家になり、やがて政府から追われる立場となった。農村部でナクサライトがどういう扱いを受けているのか、僕はあまり詳しくないが、映画中ではスィッダールトやギーターは農民たちから慕われ、匿われていた。農村部では大地主や警察による圧政が行われており、ナクサライトはそれに対抗する力を農民たちに与えたので、当時は歓迎されていたのかもしれない。だが、現在ではナクサライトはほとんどテロ組織と化しているので、農村部の人々からは恐怖の対象となっているというのが現状だと思う。

 1975年の非常事態宣言についても少し触れておこう。インド初代首相であり、父であるジャワーハルラール・ネルーの後をほぼ引き継ぐ形で、1966年に第3代首相に就任したインディラー・ガーンディー首相は、主要商業銀行の国有化などの急進的政策を行った上に、第3次印パ戦争の勝利によりさらに圧政を推し進めたため、反対勢力の活動が活発になっていた。1971年の総選挙での不正が明らかになり、1975年に裁判所により議員資格の停止が決定されると、インディラー首相は非常事態宣言を発布し、反対勢力の大量逮捕や言論弾圧に踏み切った。映画中では、ヴィクラムの父親も政治家だったため、この非常事態宣言時に逮捕されてしまう。ビハール州で農民運動を率いていたスィッダールトやギーターも、警察による捜索を必死にかわす。だが、あまりの強権政治に民衆からそっぽを向かれ、1977年の総選挙でインディラーは敗北し、失脚した。

 マルクス主義に影響された大学生たちが、学生運動に参加し、毎晩世界の情勢について議論する様子は、現在のジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)と全く同じである。JNUは共産主義者の巣窟となっており、学生たちの大半は共産主義に染まっていく。見たところ、天才タイプの学生ほど学生運動にのめり込む傾向にある。大体真面目な学生は午前中授業に出席し、午後に図書館で勉強し、夜は寝ているが、学生運動に参加する学生は、昼間は授業をさぼって寝ていて、夕方になるともそもそと起き出して、夜通し議論をしたり学生運動をしたりして過ごしている。こういう状況なので、JNUに留学するときは、マルクスの「資本論」の訳本なんかを持参して、暇なときにマルクスの思想を吟味していると、友達を作りやすいかもしれない。キャンパスには「イデオロギーやヘゲモニーが何たらかんたら」、「アメリカ帝国主義に正義の鉄槌を」、「グローバリズム反対」などなど、いろいろ反体制的なプロパガンダが踊っている。僕が所属するヒンディー語科の教授もほぼ全員共産主義者と言ってよく、クラスメイトたちも7割くらいは何らかの共産主義学生団体に所属している。僕が最近懇意にしてもらっている教授は、何を隠そうナクサライトの活動家だった人である。よって、JNUにいると、バリバリの共産主義者になるか、共産主義アレルギーになるか、どちらかだ。僕のクラスメイトの米国人はすっかりマルクス主義の活動家になってしまったが、同じくクラスメイトのリトアニア人は、旧ソ連から独立した歴史を持っているため、共産主義にはうんざりの立場である。僕も共産主義には特に興味を持っていなかったが、近現代ヒンディー文学は大いにマルクス主義に影響を受けているので、勉強する必要が出てきた。何より、「イデオロギーと文学」という授業があるので、嫌でもマルクス主義を学ばされる。ただし、学生時代に熱烈な共産主義者だった学生が、共産主義者が最も敵視する多国籍企業にやすやすと就職したりしているので、JNUの学生の多くはただ単に学生生活をエンジョイするために共産主義に身を染めているだけだと思われる。映画でも、ヴィクラムは共産主義に深入りせず、卒業後はさっさとビジネスマンになってしまっていた。

 「Hazaaron Khwaishein Aisi」は、政治と恋愛を絡めた、非常にユニークな映画であったが、2時間という短時間にいろいろなことを詰め込んでしまっていたため、ストーリー展開が駆け足過ぎたように思えた。もっとビハール州の農村の現状を詳しく描写すると面白かったのではないだろうか。例えば、映画中ではこんなエピソードが非常に簡潔に描写されていた――地主の息子が村人の娘をレイプし、怒った村人たちが地主を取り囲む。だが、そのとき地主は心臓麻痺を起こしてしまう。医者が駆けつけるが、その医者は地主よりも低カーストだったため、地主は医者に指一本触らせなかった・・・、とか、あるとき警官が一人行方不明になり、村人たちに殺されたとの噂が広まって、村人たちが全員逮捕されてしまう。ところが、後にその警官がどこかで酔っ払って寝転んでいるのが見つかった・・・などなど。都会での政治家たちの駆け引きは、見ていてあまり楽しくないので、もっと農村部に重点を置いた映画にするとよかったと思う。

 また、いまいち監督が結局何を訴えたかったのか、僕はあまり読み取ることができなかった。スィッダールトとギーターの愛?しかしスィッダールトは結婚をしているので、この映画のラストは説得力がない。政治的プロパガンダ?しかしその結末はかえって「政治に関わっても何の得もない」という達観の方が強かった。結局、マニ・ラトナム監督の「Yuva」(2004年)と同じく、政治にしろ恋愛にしろ、青春の情熱を描いた映画だと言えるだろう。

 主役の3人を務めていたのは、いずれも新人か新人に近い俳優たち。だが、全員貫禄のある演技をしていた。シャイニー・アーフージャーの映画は最近立て続けに公開されている。「Sins」(2005年)、「Karam」(2005年)、そしてこの「Hazaaron Khwaishein Aisi」である。「Sins」のときは舞台俳優っぽい大袈裟な演技が気になったが、非常にいい男優であることがだんだん分かってきた。どちらかというと気味の悪い悪役が似合うのだが、主役を演じる男優になっていくかもしれない。

 デリーが舞台になっていたため、デリーのいくつかの名所がロケ地に使われていた。特定できたのは、インド門とクトゥブ・ミーナールくらいだが、どこかの階段井戸も映っていた。コンノートプレイス近くにあるウグラーセーンのバーオリーだろうか。また、オールチャーにあるジャハーンギール城もロケ地となっていた。これは僕の好きな遺跡のひとつなので、スクリーンで久し振りに見ることが出来て大変満足。

 言語は、英語6割、ヒンディー語3割、あとパンジャービー語やテルグ語が少々という感じだった。ビハール州の農村のシーンでは、ボージプリー方言が話されていた。

 「Hazaaron Khwaishein Aisi」は扱っているテーマが難しいので、普通のインド映画ファンにはお勧めできないが、インドの政治や社会に興味のある人には参考になる映画だ。