Bewafaa

3.0
Bewafaa
「Bewafaa」

 最近忙しくて映画を観る暇がなかったが、今日は何とか時間を見つけて、2005年2月25日公開の最新ヒンディー語映画「Bewafaa」を観にPVRプリヤーへ行った。「Bewafaa」とは意訳すれば「裏切り」という意味である。プロデューサーは「Mr. India」(1987年)や「Kyun! Ho Gaya Na…」(2004年)などのボニー・カプール、監督は「Raja Hindustani」(1996年)や「Dhadkan」(2000年)のダルメーシュ・ダルシャン、音楽はナディーム・シュラヴァンとサミール。キャストは、アニル・カプール、アクシャイ・クマール、カリーナー・カプール、スシュミター・セーン、マノージ・バージペーイー、シャミター・シェッティー、カビール・ベーディー、ナフィーサー・アリーなど。

 カナダのモントリオール在住のインド人アンジャリー(カリーナー・カプール)は、両親に内緒で、ミュージシャンを目指すラージャー(アクシャイ・クマール)と付き合っていた。ある日、結婚してデリーに住んでいた姉のアールティー(スシュミター・セーン)がモントリオールにやって来た。アールティーは妊娠しており、カナダで出産する予定だった。アンジャリーはラージャーをアールティーに紹介する。

 アールティーの夫アーディティヤ(アニル・カプール)はインド有数の大富豪で、仕事で世界中を駆け巡っていた。アールティーの出産の当日にカナダに駆けつけたものの、アールティーは双子の女の子を産んで死んでしまう。アンジャリーの両親は、彼女にアディティヤと結婚することを提案する。アンジャリーはラージャーに何も告げずにアーディティヤと結婚し、デリーへ去った。

 3年後。アーディティヤは未だにアールティーのことを忘れることができず、アーディティヤとアンジャリーの間には深い溝があった。アンジャリーは必死に姉のように振る舞おうとするが、それでもアーディティヤの冷たい態度は変わらなかった。アーディティヤはまた仕事で海外へ出かけることになり、アンジャリーは彼を見送りに空港へ行く。アーディティヤを見送った後、偶然アンジャリーはラージャーに出会う。ラージャーは有名なミュージシャンとなっており、コンサートで公演するためにデリーを訪れていた。

 ラージャーとアンジャリーは密会を繰り返すようになる。ラージャーはアンジャリーに、自分と一緒にカナダへ来るように説得する。ところが、アーディティヤは予定よりも早く家に帰って来てしまった。アーディティヤは、友人のディル(マノージ・バージペーイー)とその妻パッラヴィー(シャミター・シェッティー)を紹介する。ディルはジャムシェードプル在住の富豪で、パーティー好きな男だった。

 アーディティヤが帰って来た後も隙を見てラージャーと会っていたアンジャリーだが、遂にそれがパッラヴィーとディルにばれてしまう。しかもカナダから両親がデリーに来ており、家族を裏切ってラージャーと一緒になることを躊躇するようになる。

 やがて、ラージャーのデリー滞在最後の日となった。ラージャーは最後の夜にコンサートを行い、アンジャリーの前で、二人の思い出の歌を歌う。その歌は、自分を裏切った恋人を責める歌だった。耐え切れなくなったアーディティヤとアンジャリーは、その場を後にする。ラージャーは、アーディティヤに全てを暴露したのはディルの仕業だと考え、ディルに殴りかかる。それを止めたのはアーディティヤだった。アーディティヤは、最初から全てを知っていたと話し、アンジャリーの真意を確かめるためにディルとパッラヴィーの助けを借りたことを明かす。そしてアンジャリーに、全ての決定権を委ねる。アーディティヤと共に住むか、それともラージャーと共に行くか。アンジャリーは、「女性は恋人を裏切ることはできるが、母親は子供を裏切ることはできない」と言って、アールティーの子供たちやアーディティヤと共に住むと答える。それを聞いたラージャーは、「君の決断は正しかったし、今の決断も正しいよ」と言って潔くアンジャリーを諦め、デリーを去る。

 前半はテンポが遅くて退屈だったが、後半、マノージ・バージペーイーが登場するあたりから急に面白くなり、最後はインドの伝統に則った、優等生的エンディングだった。オールスターキャストの典型的なインド映画であり、ヒットする可能性は十分にある。

 ストーリーの最初のターニングポイントは、妊娠していた姉が出産の際に死去し、姉の夫とアンジャリーが結婚することになるシーンである。インドでは、妻に先立たれた男性が、その妻の妹と結婚するということがけっこう行われるようで、例えば「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)でもそれが描かれていた。日本人からすれば少し変な慣習かもしれないが、結婚が家族と家族の結びつきであること、また嫁入りする際のダウリー(持参金)の問題が大きいことなどから、こういうことは珍しくないようだ。アンジャリーは、大好きだった姉が遺した子供たちのためにも、恋人のラージャーを諦め、アーディティヤと結婚することを決意する。

 次のターニングポイントは、気まずい結婚生活を送っていたアンジャリーの人生にラージャーが再び現れるシーンである。ラージャーはアンジャリーのことが忘れられず、アンジャリーのラージャーのことを忘れていなかった。満足のいかない結婚生活を送っていたアンジャリーは、ラージャーと密会を繰り返す。しかし、次第に2人の仲を隠すことが難しくなってきて、物語が面白くなってくる。

 ラストでは、当然のことながらラージャーとアンジャリーとアーディティヤの三角関係が明らかになり、アンジャリーがどちらを取るかを決断することになる。インド映画では、クライマックスで恋愛と結婚が天秤にかけられることが多い。だが、法則は非常に単純である。結婚前の恋愛は恋愛が勝ち、結婚後の恋愛は結婚が勝つ。いくら望まない結婚であっても、一度結婚が成立してしまったら、それを遵守するのが好ましいとするガイドラインがあるかの如く、である。この映画では既にアーディティヤとアンジャリーの結婚は成立してしまっていたため、アンジャリーはアーディティヤを選択することになる。というよりも、姉アールティーが遺した子供たちのためにアーディティヤをとったと言った方が正しい。・・・とすると、アンジャリーはアーディティヤを愛しているから彼を選んだというわけではないことになり、アーディティヤはそれでいいのか、ということになるが、そういう細かい点は突っ込まれていない。

 この映画はカリーナー・カプールのために作られたようなものだ。彼女の悲哀に満ちた表情はもはや現代のインド映画に欠かせない存在となっている。さすが映画カースト出身である。アニル・カプールも渋い演技をしていた。特に、アンジャリーが姉と同じ髪型に変えたのを初めて見たときの表情が非常にうまかった。アクシャイ・クマールは売れ筋ミュージシャン役のくせにあまり貫禄がなかったように思えた。脇役陣ではマノージ・バージペーイーの演技が秀逸。彼のネットリとまとわりつくような気味の悪い演技は、誰にも真似できない。

 序盤のカナダ・ロケを除き、デリーが舞台となっていたため、いくつかデリーの名所が映っていた。その中でも目立ったのがデリーメトロ。まるで「デリーにメトロができましたよ~」と宣伝するかのような、わざとらしい登場の仕方をしていた。カリーナー・カプールがチケットを買って、自動改札機を通って、電車に乗り込むという、デリーメトロの利用マニュアルのような一連のシーンがあった。

 全体を通して、裏の方にいるエキストラの人たちが面白かったように思える。冒頭の「Ek Dilruba Hai」のミュージカル・シーンでは、中国人と見られるオタクっぽい東洋人がエレキギターを弾いていたし、一人すごい美人な白人(ロシア人か)がじっとアクシャイ・クマールを睨んでいた。モントリオールの道をカリーナー・カプール、スシュミター・セーン、アクシャイ・クマールの3人が歩くシーンでは、裏の方で白人に混じって赤いターバンを巻いたスィク教徒のおっさんが立っていて、なぜか目が行ってしまった。

 実は、アンジャリーの母親はカナダ人という設定になっていた。その設定が特にストーリーで重要な役割を果たすことはなかったのだが、そのカナダ人の母親はインド人よりもインド人らしくあろうと努めており、アンジャリーに、「英語でなくヒンディー語で話すように」と言い聞かせていた。だから、何となくヒンディー語万歳映画のようにも思えた。

 「Bewafaa」は正統派のインド映画であり、インド映画ファンが安心して楽しむことができる映画である。