Shukriya

3.0
Shukriya
「Shukriya」

 今日は、2004年10月8日公開の新作ヒンディー語映画「Shukriya」をPVRアヌパム4で観た。グリンダル・チャッダー監督の「Bride & Prejudice」(2004年)と同時公開となり、影が薄くなってしまっているが、LKアードヴァーニー元副首相が絶賛したという記事を見たので、鑑賞する価値はあるだろうと思い、映画館に足を運んだ。

 「Shukriya」とは「ありがとう」という意味。監督は新人のアヌパム・スィナー。「Tum Bin…」(2001年)のアヌバヴ・スィナー監督の弟らしい。音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー、ヴィシャール=シェーカル、ヨーゲンドラ・デーヴェンドラの合作。キャストは、アーフターブ・シヴダーサーニー、シュリヤー・サラン、アヌパム・ケール、ラティ・アグニホートリー、インドラニール・セーングプター、アールティー・メヘターなど。

 英国に住む大富豪のインド人、ジンダル(アヌパム・ケール)は、もうすぐ60歳の誕生日を迎えようとしていた。妻のサンディヤー(ラティ・アグニホートリー)、娘のアンジャリー(アールティー・メヘター)とサナム(シュリヤー・サラン)は、ジンダルの誕生日パーティーの準備で忙しかった。また、ジンダルは自身の誕生日に、長年の夢だった癌病院の開院式を行うことを計画していた。ジンダルは母親を癌で失ってからというものの、癌に冒された貧しい人々のための無料の病院を設立しようと夢見ていたのだった。

 ところが、急にジンダルはおかしな声を聞くようになる。最初は気のせいかと思っていたが、その声は死神の声だと確信するようになる。誕生日の4日前、死神はジンダルに「お前の命はあと2時間だ」と宣告する。ジンダルはそれを受け容れるが、死神に自身の夢を語り、「お前に人間の難しさは分からないだろう」と言うと、死神は誕生日までの4日間、猶予をくれた。

 ところで、サナムには最近気になる男性がいた。ギター弾きのリッキー(アーフターブ・シヴダーサーニー)である。サナムはリッキーのことを運命の人だと思っていた一方で、リッキーもサナムのことが気になり始めていた。サナムは父親の誕生日パーティーにリッキーを招待する。ところがその直後、リッキーは交通事故によって死んでしまう。

 死神によって4日間の猶予を得たジンダルは、その時間を有効に使おうと考えていた。すると、彼のもとに、リッキーの身体を得た死神がやって来る。死神は、ジンダルの言葉に影響を受け、人間の世界を体験しにやって来たのだった。死神はジンダルの家に居候するようになる。リッキーがやって来たと思ったサナムは、もちろん大喜びだった。死神はジンダルの家族と共に暮らす内に、母親の愛、家族の絆、そしてサナムとの恋を体験する。

 遂にジンダルの誕生日、つまり彼の死ぬ日がやって来る。ジンダルは癌病院の開院式を行い、夜には誕生日パーティーを行う。死神はサナムを一緒にあの世に連れて行こうとするが、サナムが愛しているのはリッキーであり、死神ではないことを悟った彼はそれを辞める。サナムは父親と死神が話しているのを偶然聞いてしまい、父親が今日死ぬこと、そしてリッキーは本当は死神であることを知るが、何もしなかった。誕生日パーティーの途中、ジンダルはこっそりと席を外し、そのまま死神とあの世へ旅立つ。それを見ていたサナムの前に、リッキーが戻って来る。

 あまり話題にはなっていないが、悲しさと幸せが入り混じった気分になるクライマックスが小気味よい佳作だった。大筋はブラッド・ピット主演の「ジョー・ブラックをよろしく」(1998年)に似ているが、物語に、ヒンドゥー教の祭りであるカルワー・チャウトを織り込んだ点で、インド人の心を打つ作品に仕上がっていた。また、現在インドは祖先崇拝を行う期間シュラーッド(ピトル・パクシュ)であり、この時期はインド人は高価な買い物をしないことで知られている。同じ理由で、配給会社もこの時期に映画をリリースすることを避ける傾向にあるのだが、この映画はまさにシュラーッドにぴったりの映画だった。

 前半はありきたりのボーイ・ミーツ・ガール的展開で退屈だったが、ジンダルの前に死神が現れる中盤以降、物語は急に面白くなる。リッキーが実は死神であることを知っているのはジンダルだけで、サナムは彼に恋するようになる。妻のサンディヤーもリッキーを気に入り、我が子のようにかわいがる。このような愛情は死神にとって初めての経験だった。

 最も優れていた場面はカルワー・チャウトのシーンである。カルワー・チャウトはインド映画に度々出てくる祭りで、日本で公開された「Anjaam」(1994年/邦題:アシュラ)や「Dil De Chuke Sanam」(1999年/邦題:ミモラ)などでも出てきた。太陰暦で祭日は決定されるので毎年日付は変わるのだが、今年は10月31日だとされている。この日、既婚の女性たちは朝から晩まで1日中、水すら一滴も飲まない厳格な断食をし、月が見えたら夫に断食を破る水を飲ませてもらう儀式を行う。視覚的には、円形の篩(ふるい)に月を透かして、次に夫の顔を透かすという動作が記憶に残るだろう。この祭りは夫の長寿を祈るためのものである。カルワー・チャウトを通して、死神は人間が愛する人の長寿を祈る行為を知り、ジンダルは妻の祈りも虚しくもうすぐ死んでしまう自分の運命に涙する。また、サナムにカルワー・チャウトの儀式をしてもらうことで、死神は彼女への愛を確固たるものにする(死神にカルワー・チャウトをするという場面は冷静に考えれば滑稽だが・・・)。

 新人男優インドラニール・セーングプター演じるヤシュの存在は多少うまく使いきれていなかったか。サナムはヤシュという幼馴染みがおり、彼はジンダルの会社の重役も務めていた。ヤシュは密かにサナムに恋していたのだが、リッキーが現れたことにより、会社での地位を失いそうになったばかりか、サナムまでリッキーに持って行かれそうになり、彼を憎む。ヤシュはチンピラを雇ってリッキーを殺そうとまでするのだが、死神を殺せるはずもなく、チンピラたちは撃退される。死神はそれがヤシュの差し金であることを知ったのだが、特に彼を責めなかった。ここまではよかったのだが、その後急速にヤシュは物語の中で存在感を失う。ヤシュにはもうひと頑張りさせてあげたかった。

 ベテラン俳優、アヌパム・ケールとラティ・アグニホートリーの演技は文句のつけどころがないほど素晴らしかった。普通の青年と死神を演じ分けたアーフターブ・シヴダーサーニーも、ベストの演技をしていたと思う。だが、おそらく観客の脳裏に最も鮮明に印象に残るのは、サナムを演じたシュリヤー・サランである。彼女は「Thoda Tum Badro Thoda Hum」(2004年)という全く失敗作に終わった映画でデビューしたそうだが、僕はこの映画で彼女を初めて見た。濃い目の顔ながら、インド人が好きそうなタイプの健康的美人で、目がクリクリしていて表情が豊かなのがいい。踊りも元気があっていい。僕には若き日のマードゥリー・ディークシトやカージョルを思い起こさせた。これから大物女優になっていくと予想している。なぜかミニスカートをよくはいており、非常に際どいアングルが多かったのも気になった。パンチラ女優として売り出すつもりなのか。

 舞台は全編ロンドンであり、ロンドンとスイスでロケが行われたという。特に海外を舞台にする必要はなかったと思うが、インド映画のお約束ということで、その辺りはあまり責めないでおく。

 「ありがとう」という意味の題名は、おそらく死期を悟った人間が愛する人々に最も言いたい言葉ということだろう。映画中、ジンダルはいろいろな意味を込めて何度も感謝の言葉を多くの人に投げかけていた。最後は死神にすら彼は「お前が私にくれた4日間は人生で最高の日々になった。ありがとう」と感謝する。死神も、人間として生きる難しさを教えてくれたジンダルに感謝の言葉を述べる。ジンダルが最後に妻サンディヤーに言う言葉、「来世でも僕と結婚してくれるかい?」もよかった。

 現在、「Bride & Prejudice」が話題だが、この「Shukriya」もなかなかいい映画である。前半のありきたりな展開を我慢すれば、後は幸せな涙を流すことができるだろう。