
1996年10月25日公開の「Maachis(マッチ棒)」は、1984年以降のパンジャーブ州騒乱を時代背景にした硬派な政治ドラマだ。時代は「独立から半世紀が経った」というセリフがあり、映画が公開された1990年代半ばをイメージしていると思われる。
パンジャーブ州では1980年代に「カーリスターン運動」と呼ばれる分離独立運動が盛んになり、アムリトサルにあるスィク教の聖地、黄金寺院に武装勢力が立て籠もるなど、内戦状態になった。インディラー・ガーンディー首相は強硬策を採り、黄金寺院に軍を突入させ、指導者のジャルナイル・スィン・ビンドラーンワーレーを殺害したが、その直後に首相はスィク教徒の護衛に暗殺された。これがさらにヒンドゥー教徒によるスィク教徒虐殺を引き起こした。また、ビンドラーンワーレー暗殺後もパンジャーブ州ではテロリストの暗躍が続き、強権を与えられた警察は、昇進を競って罪のない人々を偽のエンカウンターで殺し回った。
「Maachis」は、この一連の事件によって最愛の人を失うなどして当局に恨みを抱きテロリストになった人々の立場から描かれている。
監督・脚本はグルザール。業界内では第一に詩人・作詞家として知られる人物だが、1970年代からいくつもの映画を撮っている。グルザールの本名はサンプーラン・スィン・カールラーという。現在はパーキスターン領のパンジャーブ州となっている地域の出身で、印パ分離独立と共にインドにやって来た。「Maachis」の物語は、グルザールの出自と大いに関係がある。
音楽はヴィシャール・バールドワージ、作詞はグルザール。キャストは、タブー、チャンドラチュール・スィン、オーム・プリー、クルブーシャン・カルバンダー、カンワルジート・スィン、SMザヒール、ラージ・ズトシー、ジミー・シェールギルなどである。
パンジャーブ州ののどかな農村に住むクリパール・スィン、通称パーリー(チャンドラチュール・スィン)とジャスワント・スィン・ランダーワー、通称ジャッスィー(ラージ・ズトシー)は幼馴染みの親友だった。パーリーはジャッスィーの妹ヴィーラーン(タブー)の許嫁でもあった。
あるとき、ジャッスィーの家に警察官のクラーナー(SMザヒール)とヴォーラー警部補(カンワルジート・スィン)がやって来る。彼らは、国会議員ケーダールナートの暗殺未遂をしたジミー(ジミー・シェールギル)という名前のテロリストを探しており、ジャッスィーを署に連行した。その後しばらくジャッスィーは戻らず、ようやく帰宅した彼は拷問を受けてボロボロになっていた。それを見たパーリーはいてもたってもいられなくなり、自宅からライフル銃を取り出す。だが、ヴィーラーンはパーリーからライフル銃を奪い取って井戸に捨ててしまう。パーリーはヴィーラーンを平手打ちし、村を出ていく。
パーリーは、反政府テロ組織に所属するサナータン(オーム・プリー)と出会い、彼の仲間になる。組織の指導者であるコマンダー(クルブーシャン・カルバンダー)にも会う。パーリーは、近くにクラーナーが来ると聞いて彼を待ち伏せし暗殺する。パーリーは一時帰郷しヴィーラーンと会うが、彼女を捨て、去って行く。いつの間にかパーリーは警察から指名手配されていた。
パーリーはヒマーチャル・プラデーシュ州マニカランに逃亡し、サナータンや仲間たちと合流する。そこでしばらく潜伏しながら次の指令を待っていたところ、ロケットランチャー射撃手として新しく送られてきたヴィーラーンと再会する。パーリーが逃亡した後、ジャッスィーは再び警察に逮捕されて拷問を受け、刑務所で自殺してしまった。彼の母親も死に、一人残されたヴィーラーンは、パーリーの後を追ってテロリストになり、国境の向こうで訓練を受けた後、インドに戻ってきていたのだった。パーリーはヴィーラーンとの再会を喜ぶ。
パーリーはヴィーラーンと結婚しようとするが、その直前にグルドワーラーでヴォーラー警部補の姿を目にする。急いで隠れ家に帰って銃を持ちだしたパーリーは、彼の滞在先に忍び込み暗殺しようとするが、逆に捕まってしまう。その後、ヴォーラー警部補はテロリストの隠れ家を家宅捜索するが、既にサナータンやヴィーラーンたちは逃げ出した後だった。だが、サナータンはヴィーラーンがパーリーと結託して裏切った可能性を排除せず、彼女を拘束する。
ヴォーラー警部補は、ケーダールナート議員のヒマーチャル・プラデーシュ州訪問の警備のために来ていた。サナータンは自らロケットランチャーを撃ってケーダールナート議員を暗殺する。サナータンは逃げ出すが、拘束から逃れたヴィーラーンによって殺される。
ヴィーラーンはパーリーが収容されている刑務所を訪問し、彼に青酸カリを渡す。パーリーはそれを飲んで自殺し、同じ頃にヴィーラーンもシアナイドを飲んで自殺する。
「Maachis」は、1980年代以降、パンジャーブ州ではテロリストの撲滅を強行しようとする政治家や警察の横暴により、一般市民が犠牲になり、そこから新たなテロリストが生まれるという負の連鎖が起こっていることを物語の形で見せた作品だ。
主人公のパーリーは、パンジャーブ州の農村で平和に暮らす何の変哲もない青年だった。だが、ある日突然、親友ジャッスィーの家にやって来た警察官たちによって、その平和が踏みにじられる。ジャッスィーはテロリストをかくまったと決め付けられて警察署に連行され拷問を受ける。ジャッスィーのためなら命を差し出すほどの深い仲にあったパーリーは、警察に報復するためテロ組織の一員になる。また、ジャッスィーの妹で、パーリーの許嫁でもあったヴィーラーンも、パーリーが去り、ジャッスィーが自殺し、母親が死んだことで行き所がなくなり、テロ組織に加入する。このように、一般市民をテロリスト扱いして横暴を働く警察が、彼らを本物のテロリストに仕立て上げてしまっている危険な状況が警鐘と共に描出されていた。
しかしながら、物語はパンジャーブ州騒乱の終末期を描いているとも考えられる。革命家たちの敗色が濃厚になっており、テロ組織に参加する若者たちの意識も年々低くなっている様子が見て取れた。題名の「Maachis」とは火を起こすマッチ棒のことだ。これは、革命の炎を燃えあがらせる行動や精神のメタファーである。だが、映画の中盤、サナータンとプーリーの間で交わされる会話の中で言及されるのは、「マッチ棒」ではなく、「湿気たマッチ棒」であった。
パンジャーブ州で警察が偽のエンカウンターによって無実の人々を殺害し、テロリスト扱いして遺体を燃やして、その功績によって次々に昇進している混沌とした状態を聞いたプーリーはサナータンに、「人々の思い通りにならない民主主義は何の役に立つんですか?人々はどうすればいいのですか?」と純粋な質問をぶつける。それに対しサナータンは以下のセリフを言う。
सीली तीलियों से कोई इंक़लाब नहीं भड़कता। तीलियाँ, माचिस की तीलियाँ, जो चिराग़ भी जलाती हैं और चिताएँ भी। तीलियाँ अगर सील जाएँ, तो एक-एक को फूंक-फूंक कर जलाना पड़ता है।
湿気たマッチ棒から革命の火が燃え上がることはない。マッチの棒は、燭台を灯すこともあれば、火葬の薪に火を付けることもある。マッチ棒が湿気てしまったら、一本一本に息を吹きかけながら火を付けなければならない。
「湿気たマッチ棒」とは、革命以外のことにうつつを抜かしたり、死を恐れたりする、最近の軟弱な若者たちのことだ。湿気てしまったら、コマンダーやサナータンのようなベテランのテロリスト指導者たちがいくら発破を掛けても簡単には革命の理想に全てを捧げようとはしない。物語の中には、テロ活動から足を洗おうとした若いテロリストたちが彼らのようなベテランのテロリストに始末される様子が描かれていた。このような意識の低いテロリストたちしか集まらなければ、革命の成就はますます遠のく。
パーリーも一時期は真面目なテロリストになっていたが、テロ組織に加入した許嫁ヴィーラーンと再会した後は軟弱になってしまった。そして、この軟弱さがサナータンのテロ組織にとって命取りになる。サナータンはケーダールナート議員の暗殺に成功するものの、ヴィーラーンに殺されてしまう。まだコマンダーは生きているものの、革命が成功する確率はますます低くなってしまった。
セリフの中には、「国境の向こうで訓練を受ける」という下りが何度も登場する。国境の向こうとはつまりパーキスターンであり、パンジャーブ州の騒乱がパーキスターンによって支援を受けていたことが暗示されている。パンジャーブ州で反政府活動に飛び込んだ若者たちは、パーキスターンに越境して訓練を受け、テロリストになって帰ってくるのである。ヴィーラーンもいつの間にかロケットランチャーの射手になっていた。
パーリーとヴィーラーンは、世にも珍しいテロリストのカップルである。二人をつないでいたのは青酸カリの入ったカプセルだ。これはタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)のテロリストたちが自殺用に持っていたものだと思われるが、「Maachis」の中ではパーリーとヴィーラーンも着用していた。パーリーの死を恐れるヴィーラーンはパーリーからこのカプセルを取り上げるが、そのせいでパーリーは自殺できずに警察に捕まってしまう。だが、ヴィーラーンは刑務所まで面会に行って彼にカプセルを届ける。パーリーは獄中で青酸カリを飲んで自殺し、それとちょうど同じ頃、刑務所の外にいたヴィーラーンも同じく青酸カリを飲んで自殺した。こうして二人は革命の成就を見ることなく心中する。
パーリーとヴィーラーンの恋愛には、アラブ地方からインドに伝わった悲恋物語「ライラーとマジュヌーン」が重ねられている。この二人はお互い強く愛し合いながらも一緒になることはできず、別々に死を迎える。彼らの軟弱さが革命を失敗に追いやったといえるが、彼らはお互いの恋愛には真剣であり、共に命を落とすことでその愛を証明した。
チャンドラチュール・スィンは1990年代に勢いのあった俳優である。「Maachis」での彼の演技には目をみはるものがあった。ヒロインのタブーはチャンドラチュールよりも格上であり、映画撮影時にはトップスターに数えられていた。オーム・プリーやクルブーシャン・カルバンダーなどはパラレル映画で名を馳せた実力派俳優たちである。ジミー・シェールギルにとっては本作がデビュー作だ。
「Maachis」は、パンジャーブ州で警察による横暴が続いていた時代を背景に、一般市民がテロリスト扱いされたことで本当にテロリストになっていく姿を警鐘と共に描いている。それと同時に、騒乱の末期を描くことで、一時期燃えあがった運動がどのように衰退していくかも見せてくれている。監督の本業が作詞家ということもあって挿入歌の歌詞も素晴らしく、名作と呼んでいい作品だ。
