
1994年7月15日公開の「1942 A Love Story」は、英領インド時代を時代背景にした愛国主義映画である。題名の「1942」とは1942年のことだが、これはマハートマー・ガーンディー主導による「インドを去れ」運動が始まり、反英運動が先鋭化した年である。このこと自体は歴史的事実だが、「1942 A Love Story」で描かれている物語はフィクションだ。
監督はヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー。音楽はRDブルマン、作詞はジャーヴェード・アクタル。サンジャイ・リーラー・バンサーリーが脚本に参加している。ちなみに、ヒンディー語映画界を代表する音楽監督であるRDブルマンは1994年1月4日に死去しており、本作は彼の遺作の一本に数えられている。
主演はアニル・カプールとマニーシャー・コーイラーラー。他に、ジャッキー・シュロフ、アヌパム・ケール、チャーンドニー、ダニー・デンゾンパ、プラーン、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ラグビール・ヤーダヴ、スシュマー・セート、マノーハル・スィンなどが出演している。
2025年8月8日に鑑賞し、このレビューを書いている。
1942年、英領インド。インド独立のために活動する革命家たちは、インド人を無慈悲に殺戮してきたダグラス将軍の暗殺を画策していたが、彼がインドでの任務を終えて英国に帰国するという情報を察知する。彼が最後に公務を行うのは山間の町カサウニーであった。革命家のラグヴィール・パータク(アヌパム・ケール)は、娘のラージェーシュワリー(マニーシャー・コーイラーラー)を連れてカサウニーを訪れ、現地の同志たちと暗殺計画を練り始める。
カサウニーの名士ディーワーン・ハリ・プラタープ・スィン(マノーハル・スィン)は英国人の忠実な協力者であり、ラーイ・バハードゥルの称号を欲しがっていた。ディーワーンの息子ナレーンドラ(アニル・カプール)は独立運動とは無縁の生活を送ってきたが、町中でラージェーシュワリーと出会い、一目惚れする。ナレーンドラは運転手ムンナー(ラグビール・ヤーダヴ)の助けを借りてラージェーシュワリーを見つけ出し、彼女にアプローチする。二人は恋仲になるものの、ラージェーシュワリーは自分の父親が革命家であることを明かし、彼とは一緒になれないと言う。それでもナレーンドラはラージェーシュワリーとの結婚を諦めなかった。
ナレーンドラは両親の許しを得てラージェーシュワリーにプロポーズしようとするが、ディーワーンはパータクのことを英国当局に密告する。警察に取り囲まれたパータクは爆死し、ラージェーシュワリーはカサウニーに到着したばかりの革命家シュバーンカル(ジャッキー・シュロフ)と共に脱出する。ナレーンドラはラージェーシュワリーが生きていると信じ、彼女を探す。ラージェーシュワリーは父親の遺志を継ぎ、革命の道に身を投じる決意をする。ビシュト少佐(ダニー・デンゾンパ)は捕まえた革命家を尋問して仲間の情報を聞き出し、娘チャンダー(チャーンドニー)の教師でパータクの協力者だったアービド・アリー・ベーグ(プラーン)を殺害する。
感化されたナレーンドラは父親の銃を盗み出し、ダグラス将軍を暗殺しようとする。だが、それは失敗に終わり、ナレーンドラは逮捕される。ナレーンドラはカサウニーの教会の塔で絞首刑に処せられそうになるが、シュバーンカルが蜂起し、彼を助け出す。チャンダーが殺されたことでビシュト少佐も革命家たちに加わる。ダグラス将軍は捕らえられ、シュバーンカルによって公衆の面前で絞首刑になる。教会の屋根に掲げられていた英国国旗は破り捨てられ、インド国旗が掲げられる。
題名には「ラブストーリー」と掲げられているため、ロマンス映画のような印象を受ける。確かにロマンス要素はある。主人公ナレーンドラは革命家パータクの娘ラージェーシュワリーと出会い恋に落ちる。だが、ビシュト少佐の娘チャンダーは密かにナレーンドラに恋をしており、パータクの同志シュバーンカルはラージェーシュワリーに密かな恋心を抱いていた。だが、この4人のキャラクターの恋模様は二の次であり、大した展開は見せない。この映画が題名で掲げている「Love」とはむしろ愛国心のことであり、「1942 A Love Story」はロマンス映画というよりも愛国主義映画と呼んだ方が適切である。
では、愛国主義映画という観点でどうかといえば、こちらもどこか中途半端に感じる。英領時代、英国支配に協力的だったインド人と、英国支配に立ち向かったインド人がいたことは正直に描かれていた。ナレーンドラの父親は完全なる英国人シンパであり、英国人に取り入って甘い汁を吸おうとしていた。ナレーンドラ自身はノンポリであり、特に政治的な信条は抱えていなかった。そんな彼が最後に悪役ダグラス将軍の暗殺に乗り出すわけだが、その動機は決して母なるインドの独立のためだとはいえなかった。彼は革命家の娘ラージェーシュワリーと恋仲になったために反英独立闘争に巻き込まれることになった。いってみれば、個人的な恋慕の情が愛国主義に変換されただけだ。彼の動機は、インド独立というよりは、単にラージェーシュワリーに認めてもらいたかっただけではなかろうか。
むしろ、ナレーンドラよりもよほど愛国主義的なキャラが何人もいた。たとえば運転手ムンナーは、見るからに臆病そうな人物であったが、ダグラス将軍の顔にツバを吐きかけて絶命した。ビシュト少佐は、英国軍の軍人でありながら、ダグラス将軍の差別的な言動を我慢できず、ついには反旗を翻した。カサウニーのような田舎町に住む人々の心にもインド独立を求める闘志に火が付き、燃え広がる様子が描かれていたといえる。
主演アニル・カプールはいつものアニル・カプールといった演技であった。一方、撮影時のマニーシャー・コーイラーラーは20代半ばであり、絶頂期だったといえる。彼女の浮世離れした、はかなげな美しさはまるで天使のようだ。
「1942 A Love Story」の挿入歌の中でもっとも有名なのは、クマール・サーヌーの歌う「Ek Ladki Ko Dekha」だ。ナレーンドラとラージェーシュワリーの恋が始まる瞬間を優しく歌い上げている。
アニル・カプールとマニーシャー・コーイラーラーのキスシーンがいくつかあった。映像的なトリックなしの、唇と唇を重ねた本格的なキスシーンである。
「1942 A Love Story」は、男女の恋愛とインドへの愛を同時並行的に描こうとした野心的な作品であるが、ロマンス映画としても愛国主義映画としても中途半端になってしまっていた。興行的にも成功しなかった。それでも、ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー監督のフィルモグラフィーで重要な位置を占める作品である。