1983年11月4日公開の「Mandi(市場)」は、ハイダラーバードの娼館を舞台にした娼婦たちの物語である。ただし、その娼館に住む女性たちは皆が皆、売春婦ではない。いわゆる「タワーイフ」と呼ばれる芸妓でもある。タワーイフを主人公にした映画はヒンディー語映画界で1ジャンルを築いているといってもよく、直近ではレーカー主演の「Umrao Jaan」(1981年)があった。「Umrao Jaan」がメインストリーム映画だとすれば、この「Mandi」はアート映画の部類に入る。だが、決して彼女たちに上から目線で憐憫の眼差しを投げ掛けているわけではなく、彼女たちの悲喜こもごもの日常を等身大で描き出そうとしている。1970年代から80年代にかけてヒンディー語映画界で隆盛したパラレルシネマの代表作であり、数々の賞に輝いた傑作である。
監督は「Ankur」(1974年)でデビューしたパラレルシネマの旗手シャーム・ベーネーガル。音楽はヴァンラージ・バーティヤー。原作はパーキスターンの小説家グラーム・アッバースの「Anandi」(1933年)である。
主演はベーネーガル監督と共に「Ankur」でデビューした女優シャバーナー・アーズミー。他に、スミター・パーティル、ニーナー・グプター、クルブーシャン・カルバンダー、ナスィールッディーン・シャー、ソーニー・ラーズダーン、オーム・プリー、KKラーイナー、サイード・ジャーファリー、アンヌー・カプール、アーディティヤ・バッターチャーリヤ、アニーター・カンワル、スリーラー・マジュムダール、サティーシュ・カウシク、ギーター・スィッダールト、パンカジ・カプール、ハリーシュ・パテール、ラトナー・パータク・シャー、アムリーシュ・プリー、イーラー・アルンなどである。
「Mandi」のキャストは、21世紀の視点から見たらゴールデンキャストといっていい。インド映画界を代表する名優たちが一堂に会している。2024年11月19日に鑑賞しこのレビューを書いている。
ルクミニー・バーイー(シャバーナー・アーズミー)がハイダラーバードの旧市街地に経営する娼館には、バーサンティー(ニーナー・グプター)、ナーディラー(ソーニー・ラーズダーン)、パルウィーナー(アニーター・カンワル)、カムリー(イーラー・アルン)といった娼婦たちが在籍していた。ルクミニーが特にかわいがっていたのがズィーナト(スミター・パーティル)であった。ズィーナトは古典声楽に長けており、ルクミニーは彼女の水揚げはまだしていなかった。また、トゥングルス(ナスィールッディーン・シャー)が忠実な小間使いとして働いていた他、写真屋のラームゴーパール(オーム・プリー)、医者(アンヌー・カプール)、巡査(ハリーシュ・パテール)などが娼館に出入りしていた。
ある日、ルクミニーの娼館の所有者が、アガルワール市長(サイード・ジャーファリー)から実業家のグプター(クルブーシャン・カルバンダー)に変わった。折しも市議会や街頭では、恵まれない女性向けの施設ナーリーニケータンを運営するシャーンティデーヴィー(ギーター・スィッダールト)によって、売春婦追放運動が沸き起こっていた。さらに、最近ルクミニーはシュリーカーント(KKラーイナー)に売られた聾唖の未成年女性プールマニ(スリーラー・マジュムダール)を受け入れていたが、それも問題になっていた。当初、ルクミニーは抵抗するが、グプターに説得され、郊外の廃墟に居を移すことになる。周囲には何もない場所であったが、ルクミニーがそこに、ダルヴィーシュ(アムリーシュ・プリー)の要望通りバーバー・カラク・シャーの聖廟を建てたところ、周囲に人々が集うようになり、やがて町になった。するとシャーンティデーヴィーはルクミニーをさらに郊外に追放しようと動き始めた。
ところで、アガルワール市長は財政難に陥っており、自宅も抵当に入っていた。それを乗り切るため、彼は息子のスシール(アーディティヤ・バッターチャーリヤ)をグプターの娘マールティー(ラトナー・パータク・シャー)と結婚させようとしていた。ところがスシールはズィーナトに一目惚れしてしまい、彼女に何度も会いに行くようになる。ある日、ルクミニーはスシールとズィーナトの関係を知ってしまう。このスキャンダルが自分たちを滅ぼすことを直感したルクミニーは、すぐにスシールを帰し、ズィーナトにスシールとの関係を絶つように強要する。これがきっかけでルクミニーとズィーナトの仲は険悪になってしまっていた。
実はズィーナトはアガルワール市長の隠し子だった。ルクミニーは彼女を引き取り育ててきたのである。そうなると、スシールとズィーナトは兄妹になる。だからルクミニーはひたすらズィーナトをスシールから引き離そうとしていた。とうとうルクミニーはズィーナトにその出生の秘密を明かす。また、アガルワール市長にスシールがズィーナトに惚れていると伝える。叱られたスシールは自暴自棄になり、ある晩、ズィーナトを連れ出して逃げ出す。
アガルワール市長とルクミニーは必死にズィーナトを探す。スシールと逃げ出したズィーナトは金を奪ってスシールから逃げ出していた。アガルワール市長とルクミニーはスシールを捕まえるものの、ズィーナトは見つからなかった。娼館に戻ったズィーナトは、今まで養ってきた売春婦たちから反抗され、トゥングルスを連れて旅に出る。その先で彼女は、自殺未遂をして売春婦を出てナーリーニケータンに住んでいたはずのプールマニと再会する。
サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督はNetflixドラマ「Heeramandi」(2024年/邦題:ヒーラマンディ:ダイヤの微笑み)でラホールのタワーイフたちを持ち前の豪華絢爛なビジュアルで描き出した。それより前には「Devdas」(2002年)でもカルカッタの花街を煌びやかに映像化した。現代の観客の脳裏に焼き付いている娼館や売春宿のイメージは、バンサーリー監督が創り出したといっても過言ではない。
ベーネーガル監督の「Mandi」で描かれた娼館は、バンサーリー監督の娼館と好対照である。もちろん両者の間では時代が全く異なるわけだが、それを差し引いても、この二人の監督が描き出そうとした娼館の姿そのものが違うといわざるをえない。
「Mandi」の娼館はとにかく騒がしい。次から次へいろいろな事件が起こる。それらに対し、経営者であるルクミニーが叫びながら右往左往しながら対処をしている内に毎日が過ぎていく。たとえば、猿回しの猿が脱走して娼館のあちこちを駆け巡り騒動を起こす。そんな様子がやや冗長に描かれていた。娼館に在籍する女性たちはそれぞれ事情があって流れ着いたわけだが、彼女たち一人一人をちゃんと人間として描いていることに感心した。
そんな騒がしい日常も平和の証であり、ルクミニーは世間から一定の尊敬を受け、娼婦たちと幸せそうに暮らしていた。だが、彼女たちにも時代の変化が容赦なく訪れる。市議会の女性議員シャーンティデーヴィーが売春婦追放運動を始めたのである。これは、1956年に制定された不道徳取引防止法(ITPA)が関係していると思われる。これは人身売買防止を目的とした法律で、娼館の経営禁止も盛り込まれた。ルクミニーは住み慣れた娼館から一歩も動く気はなかったが、新しく娼館のオーナーになった実業家グプターに説得され、対価を得て郊外に移転したのである。だが、移転先にも町ができたことで、再び立ち退きを要求されることになった。
「Mandi」は娼婦たちに同情的だ。娼館は行き場を失った女性たちの受け皿にもなってきたことが指摘されている。シャーンティデーヴィーは女性保護施設を運営していたが、娼婦たちは保護されることは望んでいなかった。娼館で客を取ることで彼女たちは自立し、自尊心と共に生きていた。結末では、施設から逃げ出したプールマニと娼館を立ち去ったルクミニーの再会が描かれるが、これは現代社会において女性を守ろうとする施策が行われることで逆に行き場を失う女性たちも現れていることを示しているのかもしれない。
パラレルシネマではあるが、伝統芸能の担い手でもあるタワーイフを描いたことで、メインストリーム映画と比べても遜色ないほど、歌と踊りにも力が注がれた作品になっている。曲の数は多くないものの、同じ曲が何度かリフレインされ、印象を強めている。
シャバーナー・アーズミー、スミター・パーティル、ニーナー・グプターといった演技派女優たちの若き頃の演技を楽しめるのも「Mandi」の大きな見どころだ。ナスィールッディーン・シャーが演じた小間使いトゥングルスもいい味を出していた。
「Mandi」は、パラレルシネマの旗手シャーム・ベーネーガル監督の、初期の傑作の一本に数えられる作品である。メインストリーム映画とは異なった視点で娼館を描き出し、しかもメインストリーム映画と比べて遜色ないほど歌と踊りにも力を入れている。インド映画の新しい形を創り出そうという意気込みがひしひしと伝わってきた。シャバーナー・アーズミー、スミター・パーティル、ナスィールッディーン・シャーといった名優達の若き日の演技が見られるのも興味深い。必見の映画である。