
1977年3月11日公開の「Shatranj Ke Khilari(シャトランジのプレーヤーたち)」は、処女作「Pather Panchali」(1955年/邦題:大地のうた)からほぼ一貫してベンガル語映画を撮ってきたサティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)監督が生涯で唯一撮ったヒンディー語の長編映画である。ヒンディー語文学界で「物語の帝王」と呼ばれる作家プレームチャンドの同名小説(1924年)を原作としている。日本では1981年4月18日に「チェスをする人」という邦題と共に劇場一般公開された。
キャストは、サンジーヴ・クマール、サイード・ジャーファリー、シャバーナー・アーズミー、リチャード・アッテンボロー、ファリーダー・ジャラール、アムジャード・カーン、デーヴィッド・アブラハム、ヴィクター・バナルジー、ヴィーナー、ファールク・シェーク、トム・アルター、リーラー・ミシュラーなどが出演している。また、アミターブ・バッチャンがナレーションを務め、カッタクダンスの巨匠パンディト・ビルジュ・マハーラージが振付をし、彼の一番弟子シャーシュワティー・セーンが優雅なカッタクを踊っている。また、音楽はラーイ監督自身が作曲している。
題名になっている「シャトランジ」とはチェスのことである。チェスはインド発祥とされる盤上競技だ。インダス文明時代には既にその原型があったと考えられる。これがイランに伝わって「シャトランジ」と名付けられ、それがインドに逆輸入され人気となった。チェスはシャトランジがヨーロッパに伝わって成立した。両者ではルールが若干異なり、映画の中でもその違いについて触れられていた。
プレームチャンドの原作もラーイ監督のこの映画も、1856年のアワド王国を舞台にしている。アワド王国は現在のウッタル・プラデーシュ州ラクナウー周辺で権勢を誇った、「ナワーブ」と呼ばれる太守によって治められていた王国である。一時は、18世紀に没落の一途をたどっていたムガル帝国よりも栄えていたほどだった。だが、インド亜大陸での覇権確立に動き出していた英国東インド会社との戦いに敗れ、保護国となり、徐々に勢力をそがれていった。1856年にはついに英国東インド会社の侵攻を受け、最後のナワーブであるワージド・アリー・シャーは捕まり、カルカッタに追放され、アワド王国は完全に併合された。アワド王国の併合は、1857年に北インドを揺るがした第一次インド独立戦争(スィパーヒーの乱)の一因になったと見なされている。「Shatranj Ke Khilari」の物語はアワド王国陥落前夜から始まる。
ラクナウーに住む2人の貴族、ミルザー・サッジャード・アリー(サンジーヴ・クマール)とミール・ローシャン・アリー(サイード・ジャーファリー)は毎日シャトランジに興じていた。二人はミルザーの家で朝から晩までシャトランジを遊んでおり、ミルザーの妻クルシード(シャバーナー・アーズミー)はほったらかしにされて苦悩していた。あるときクルシードはシャトランジの駒を隠すが、それでも二人はレモンやトマトを駒にしてシャトランジを始め、止めようとしなかった。それでも、ミルザーは居心地が悪くなり、今度はミールの家でシャトランジをすることを提案する。
ミールの家では、ミールが四六時中留守にしているのをいいことに、妻のナフィーサー(ファリーダー・ジャラール)がアキール(ファールク・シェーク)と浮気していた。だが、ミルザーとミールのシャトランジがミールの家で遊ばれるようになったことでナフィーサーはストレスを抱える。あるときミールはナフィーサーの寝室にアキールがいるのを発見する。だが、ナフィーサーとアキールは何とか言い逃れをし、ミールもそれを信じる。アキールからは、英国東インド会社の軍隊が迫っており、アワド王国で徴兵が始まっていると聞かされる。戦争に駆り出されるのを避けたかったミルザーとミールは、ゴームティー河の向こう岸にある廃モスクでシャトランジをすることにする。
一方、ラクナウーの王宮ではワージド・アリー・シャー(アムジャード・カーン)が頭を悩ませていた。文芸に秀で、芸術の振興に力を注いだナワーブであったが、政治には無関心だった。ジェームズ・アウトラム将軍(リチャード・アッテンボロー)から王国の引き渡しを迫られていた。最終的に彼はアウトラム将軍と条約を結び、王座から降りることを決意する。
ミルザーとミールがゴームティー河の向こう岸にたどり着いてみると、そこには廃モスクはなかった。だが、カッルーという少年がおり、彼の村でシャトランジをすることになる。村人たちは、英国東インド会社の軍隊が来ると聞いて皆逃げてしまっていた。カッルーは英国東インド会社の軍隊を見学するために村に単身残っていたのだった。
ミルザーはシャトランジを遊びながら、ナフィーサーが浮気をしていると指摘し、ミールを怒らせる。ミールは拳銃を構え、ミルザーに発砲する。弾丸は彼の肩をかすめ、命に別状はなかったが、ミールは去って行ってしまう。だが、すぐに引き返してきて、再びミルザーとシャトランジを遊び始める。
プレームチャンドの原作では、メッセージは明確である。国が滅びようとしている中、所領を与えられ国防の義務を負うはずの貴族たちが徴兵に応じずにシャトランジに興じ続け、結果的に国の滅亡を引き起こす姿が描かれ、封建主義の退廃的な末路が示されている。結末ではミルザーとミールがシャトランジの勝敗を巡って口論になり、剣を抜いて戦った挙げ句、刺し違えて両者絶命する。
一方、サティヤジト・ラーイ監督の映画では、ミルザーとミールのみにフォーカスされていない。原作では名前のみの言及に過ぎなかったワージド・アリー・シャーが登場し、彼の逡巡にも時間が割かれる。また、アワド王国を併合しようとする英国東インド会社の横暴も描かれる。
原作ではワージド・アリー・シャーは遊蕩にうつつを抜かし国を滅ぼした愚鈍な支配者としか描かれていない。だが、ラーイ監督はワージド・アリー・シャーに同情の眼差しを向けている。芸術を愛し、自身も優れた詩人であったワージド・アリー・シャーの美点が強調されており、英国の女王にワージド・アリー・シャーほどの教養があるのか疑問を呈している。ワージド・アリー・シャーは領民から拒絶もされていなかった。つまり、難癖を付けてアワド王国を併合しようとする英国人を野蛮人として描き、その邪悪な野心に呑み込まれようとしているワージド・アリー・シャーを悲劇的な文明人として描いている。そこには滅びの美学と形容すべきすがすがしさすら感じられ、ラーイ監督自身の傑作「Jalsaghar」(1958年/邦題:音楽サロン)との共通点も見出せる。
同じ物語でありながらこの違いはどこから来るものであろうか。プレームチャンドは独立前の作家であり、サティヤジト・ラーイ監督は独立後に頭角を現した映画監督だ。プレームチャンドの時代、封建主義は帝国主義と同列にされ敵視される存在だった。王宮で楽しまれていた舞踊や音楽は封建主義と密接に結び付いており、批判の対象になり得た。だが、ラーイ監督が「Shatranj Ke Khilari」を撮った時代には、インドの失われつつある文化へのノスタルジーが生まれ、文化の守護者が好意的に取り上げられる素地ができていたのかもしれない。プレームチャンドは現在のウッタル・プラデーシュ(UP)州出身であり、ラーイ監督はカルカッタ(現コールカーター)出身のベンガル人である。ワージド・アリー・シャーは王位を簒奪された後、カルカッタに追放され晩年まで過ごし、ベンガル地方の芸術振興に努めたため、文芸好きなベンガル人から一目置かれている存在だと聞く。ベンガル人から見たワージド・アリー・シャーと、UPの人間から見たワージド・アリー・シャーとでは、異なって映っている可能性がある。
また、プレームチャンドの時代では、まさに英国による植民地支配が現在進行形で続いていた。その後、インドが独立するかは当時の人間には分からない。アワド併合からスィパーヒーの乱が起こり、そしてインドが完全に大英帝国に併合された一連の歴史的な事件は、当時の「現在」の直接的な「過去」だ。そういう状況の中で、英国に易々と王位を奪われ、英国によるインド支配のきっかけを作った為政者には厳しい視線を注ぎたくなる気持ちもよく分かる。一方で、「Shatranj Ke Khilari」が公開された1977年の視点から植民地時代の過去を振り返った場合、もう少し余裕を持って歴史的な事件を扱うことができるようになる。この辺りも原作と映画の違いを生みだしているのかもしれない。
ミルザーとミールを描き出す視点も厳密には異なっている。原作では、遊興に身を滅ぼす愚かな封建領主そのものでしかない。だが、ラーイ監督はミルザーとミールを、封建領主としてよりも、一個の人間として再構築し、人間全般に内在する弱みを浮き彫りにしようとしている。シャトランジに熱中するあまり、ミルザーは家族を蔑ろにし、ミールは妻の浮気に気付かない。その熱中に向けられているのは必ずしも批判に限られない。妻に駒を隠されたミルザーが、ライムやトマトを持ち出して駒にする場面などは感心すらしてしまう。国が滅びても気にせず、仲違いしてもまた勝負に戻る二人は、達観の境地にいる仙人のようにも見える。
「Shatranj Ke Khilari」では、ボンベイの娯楽映画界に属する俳優たちが、芸術映画で知られるラーイ監督に起用され演技をしている点にも注目したい。特に伝説的なヒット作「Sholay」(1975年)に出演していた俳優たちが何人かキャスティングされている。ジャイ役を演じたアミターブ・バッチャンはナレーションのみだったが、タークル役を演じたサンジーヴ・クマールや、ガッバル・スィン役で一世を風靡したアムジャード・カーンが硬派な演技を見せている。そうかと思えば、シャバーナー・アーズミーやファールク・シェークといったパラレルシネマ運動を代表する俳優たちも脇役ながら貢献している。
キャストの中からもう一人注目したいのは、アウトラム将軍役を演じた英国人俳優リチャード・アッテンボローだ。彼は後に、「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーの伝記映画「Gandhi」(1982年/邦題:ガンジー)を撮ってアカデミー賞を総なめする。「Shatranj Ke Khilari」は、アッテンボロー監督の関心をインドに引き寄せ、「Gandhi」の誕生を促す役割も果たした。「Shatranj Ke Khilari」と「Gandhi」ではどちらも英国による抑圧が描かれており、主題がよく似ている。「Shatranj Ke Khilari」に出演していたサイード・ジャーファリーは「Gandhi」でも起用されている。
舞台になったラクナウーは、ウルドゥー語の本拠地のひとつである。ワージド・アリー・シャー、ミルザー、ミールなど、登場人物の話すセリフはどれも修辞が凝らされた雅なウルドゥー語であり、冒頭に表示される中央映画認証局(CBFC)の認証状でも言語は「ウルドゥー語」と記載されている。英国人キャラは英語を話すが、一人、ウルドゥー語が堪能な士官がおり、通訳を務めていた。インドの王族や貴族の間で発展した「テヘズィーブ」と呼ばれる独特のエチケットも再現されており、失われた王侯貴族文化を垣間見ることができるのもこの映画の魅力である。
「Shatranj Ke Khilari」は、19世紀半ば、英国東インド会社の強硬政策に呑み込まれる形で滅び行くアワド王国を舞台に、決断を迫られる太守ワージド・アリー・シャーと、世事を無視してシャトランジに興じる2人の貴族を通して、滅びの美学を高尚な文芸とブラックユーモアを交えつつ描きだした、サティヤジト・ラーイ監督円熟期の作品である。プレームチャンドの原作と比較して論じるのも面白い。必見の作品である。
