
インドが独立を達成した1947年、世界はアメリカ合衆国とソビエト連邦が覇権を賭けて局所的な代理戦争を通して対峙する冷戦の時代を迎えていた。独立インドの初代首相に就任したジャワーハルラール・ネルーは非同盟主義を掲げ、東西どちらにも与せずに第三世界をまとめ上げようとした。その上でインドが重要なパートナーとして考えていたのが、1949年に建国された中華人民共和国であった。ネルー首相は周恩来首相と親交を結び、「領土保全及び主権の相互不干渉、相互不侵略、内政不干渉、平等互恵、平和的共存」の平和五原則を提唱するなどして、アジアの二大国が良き隣人として並び立つ世界秩序を模索していた。この頃、「ヒンディー・チーニー・バーイー・バーイー(インドと中国は兄弟)」というフレーズが流行した。
だが、1950年代後半、チベット動乱やダライ・ラマ法王のインド亡命などを経て中印関係は急速に悪化した。中国がチベットを併合したことにより両国は3,400kmもの長さの国境を接することになり、両国の間で国境や領土に関する意見の相違が急浮上した。そして1962年10月20日、中国人民解放軍は西部ラダック地方や東部アッサム地方で突如として軍事侵攻を開始し、両国の間で戦争が勃発した。中国との関係悪化は認識していたものの、首脳同士が結んだ平和五原則の効力を信じていたインドは不意を突かれ、国境を警備していた部隊は敗走した。第一次中印国境紛争と呼ばれるこの約1ヶ月間の戦争はインド側の敗北に終わり、ラダック地方のアクサイ・チン地方が中国の実効支配を受けることになった。
「Haqeeqat(現実)」は第一次中印国境紛争を題材にした映画であり、戦争からわずか1年半後の1964年4月20日に公開された。敗北した戦争を映画化するのは難しかったと思われるが、悲観的にならず、次の戦争に備えて準備をすることを訴える愛国主義的映画にまとめ上げられている。
監督はチェータン・アーナンド。音楽はマダン・モーハン、作詞はカイフィー・アーズミー。オールスターキャストの映画であり、ダルメーンドラ、バルラージ・サーニー、プリヤー・ラージヴァンシュ、ジャヤント、サンジャイ・カーン、ヴィジャイ・アーナンド、シェーク・ムクタル、スディールなどが出演している。
ジャンムー&カシュミール州に駐屯する軍人バハードゥル・スィン大尉(ダルメーンドラ)は、スィン准将(ジャヤント)の息子だった。バハードゥル大尉はラダック人の父親とカシュミール人の母親の間に生まれた美しい女性アンモ(プリヤー・ラージヴァンシュ)と恋に落ちる。彼は暇なときにアンモの弟ソーナムに行進や敬礼を教えていた。
中国との国境地帯で緊張が高まっていた。バハードゥル大尉は、上官のランジート・スィン少佐(バルラージ・サーニー)の指揮の下、ラダック地方の前線の塹壕を任される。中国人民解放軍のキャンプは目と鼻の先だった。
ディーワーリー祭が近づく中、人民解放軍が大挙としてインド側に押し寄せてくる。スィン准将はランジート少佐に退却を命じるが、現場の兵士たちは逃亡を潔しとせず踏みとどまる。ついに砲撃が始まり、前線の兵士たちは応戦する。
多勢に無勢でインド陸軍の軍人たちは包囲されてしまう。ランジート少佐は生き残った兵士たちを連れて河を伝って脱出するが、バハードゥルは合流できなかった。通信が途絶え、スィン准将は前線部隊が全滅したと考える。その知らせは兵士たちの家族にも届けられる。
ランジート少佐たちは何とかラダック人の村までたどり着き保護される。その村にはアンモとソーナムも来ていた。全滅したと思われていた兵士たちが生き残っていたという知らせはスィン准将を喜ばせるが、バハードゥル大尉はその中におらず、ランジート少佐はバハードゥル大尉が戦死したと報告する。ディーワーリー祭の日、スィン准将は涙をこらえながら、兵士たちを鼓舞する演説を無線で流す。
その後、バハードゥル大尉の無事が確認され、スィン准将は喜ぶ。バハードゥル大尉はまだ前線の第3塹壕にいた。その直後、スィン准将は200人の人民解放軍兵士たちが第3塹壕に接近しているとの知らせを受ける。ランジート少佐はバハードゥル大尉の退却を進言するが、スィン准将は応戦を命じる。ランジート少佐がバハードゥル大尉に送った伝令は人民解放軍の兵士に撃たれて死んだが、アンモとソーナムがメッセージを受け取り、任務を遂行しようとする。アンモはソーナムをかばってわざと捕まり、ソーナムはそのメッセージをバハードゥル大尉まで届ける。
バハードゥル大尉は、同行していた兵士と2人で200人の人民解放軍を迎え撃つ。逃げ出したアンモが合流し、彼女も銃を持って戦う。2人とも殺されてしまうが、彼らが足止めしたために人民解放軍はそれ以上の進軍ができなかった。
「Haqeeqat」は、インド製戦争映画の傑作に必ず挙げられる作品である。その後もインドでは「Border」(1997年)や「LOC Kargil」(2003年)といった数々の戦争映画が作られてきたが、そのフォーマットは既に「Haqeeqat」で完成していたといっていい。それほど後世の映画に多大な影響を与えた作品である。
まず、時代が時代だけに、「Haqeeqat」は純粋な戦争映画ではない。マサーラー映画に戦争映画のエッセンスが加わったと表現した方が適切であろう。戦争シーンは中盤に限られ、戦争が始まるまでは、前線の兵士たちの日常や、兵士一人一人のエピソードがじっくりと描かれる。家族からの手紙を心待ちにする兵士たちの姿は特にエモーショナルに描かれていたが、似たようなシーンはその後の戦争映画にも必ず入ることになった。バハードゥル大尉と地元女性アンモとの恋愛にも十分な時間が割かれていた。ナーイー(理容師)が兵士たちを横一列に並べて次々に髭を剃っていくシーンはユーモラスだった。とにかく、前半は戦争映画とは思えないほど牧歌的な雰囲気で進行する。
だが、人民解放軍が侵攻を開始したことで一気に緊迫した雰囲気になり、戦争映画らしくなる。やはりこれも時代が時代なだけあって、21世紀の視点で観てしまうと、どうしても戦争シーンに目を見張るものはほとんどなくなってしまう。兵士たちは大した戦術もなく塹壕から居並ぶ敵に銃撃しているだけだ。敵も敵で、単純に隊列を組んで迫ってくるだけで、何の工夫もない。複数の塹壕で同時並行的にストーリーが進むのだが、その位置関係なども掴みにくく、分かりにくいという欠点もある。アクション映画としての魅力を見出すことは難しい。
ただ、「Haqeeqat」が描きたかったのは戦争そのものよりも、敵に取り囲まれて命からがら脱出した兵士たちの撤退の道のりだったように思われる。戦争自体がインド側の敗北に終わったので、どうしても勝利でもって映画を終わらせることはできない。むしろ、敗戦の中でも極限状態を生き抜いて生還した兵士たちの精神に焦点が当てられており、戦場で死ぬだけが愛国ではないことが強調されていた。
とはいっても、バハードゥル大尉は最期まで敵と戦い続け、戦死してしまう。彼が死ぬとき、そばにはソーナム少年がいた。そして、国家を守る精神は次の世代に引き継がれたと歌われていた。ソーナムと、彼の姉であり、バハードゥル大尉と最期を共にしたアンモは、ラダック地方の地元民であった。この辺りの配置には、他地域からやって来たインド陸軍の兵士たちが地元の人々と力を合わせて外敵と戦うという理想が込められていたといっていいだろう。ただ、アンモは人民解放軍に捕まり、暴行を受ける。その暴行にはレイプも含まれていたと受け止められる。アンモは一応ヒロインなのだが、そこまで彼女を不幸な目に遭わせる必要はあったのかと感じた。
さまざまな兵士たちとその家族の物語が織り込まれていたのだが、それらを包括していたのがスィン准将とバハードゥル大尉の関係性であろう。スィン准将はバハードゥル大尉の父親であったが、同時に上官でもあった。一時、バハードゥル大尉の戦死が伝えられ、スィン准将は隠れて涙を流す。だが、この戦争で多くの兵士が命を落としており、その中の一人に特別な感情を抱くのは軍の司令官としては失格である。スィン准将は軍人として平静を保とうとする。その後、バハードゥル大尉の無事が伝えられると、さすがにスィン准将は喜びを隠しきれず、素直に父親としての笑顔を見せる。だが、敵の進軍が伝えられ、バハードゥル大尉のいる地点が撃退のための要衝であることが分かると、再び軍人の顔に戻り、バハードゥル大尉に応戦を命じる。それが結果的に彼の戦死を招いてしまう。軍の司令官として、また父親として、板挟みになりながらも刻一刻と変わる戦局に対応しなければならない難しい立場を絶妙に表現していた。スィン准将役を演じたジャヤントには最大限の賛辞を送りたい。
バハードゥル大尉役のダルメーンドラ、ランジート少佐役のバルラージ・サーニーも名演していたし、ソーナム役を演じた子役俳優もとても良かった。アンモ役を演じたプリヤー・ラージヴァンシュはこれがデビュー作で、彼女はその後、チェータン・アーナンド監督の愛人となる。プリヤーは1980年代までいくつかの映画に出演するが、全てアーナンドの監督作である。
戦争映画ながら、いくつもの優れたソングシーンが映画を彩っていて、それぞれ無視できない。インド映画において歌と踊りは決して唐突に入っているのではなく、ストーリーの進行をいったん止めて、その場面の感情を詩で美しく表現し、溜めを作っているのだということがよく分かる映画だ。前線から撤退中の兵士たちが絶望の中で歌う「Hoke Majboor Mujhe Usne Bhulaya Hoga(仕方なくあの人は私を忘れただろう)」は名曲、名シーンであるし、物音に過敏に反応してしまう恋心を歌い上げた「Zara Si Aahat Hoti Hai To Dil Sochta Hai(少しの物音がすると心は考える)」は微笑ましい。バハードゥル大尉の戦死シーンで流れる「Ab Tumhare Hawaale Watan Saathiyo(今や国は君に託された、同志よ)」は、悲しい最期を愛国的に盛り上げており、映画のメッセージを決定する力を持っている。これらの歌があるからこそ、「Haqeeqat」の「インド映画史上最高傑作の戦争映画」という称号が揺るがないのだろう。
ロケとセットのハイブリッドで撮影が行われていた。ロケ地はラダック地方であり、高山性砂漠気候の荒々しい自然がそのまま背景として使われていた。1960年代のレーやラマユルも映っており、記録映像としても貴重だ。
「Haqeeqat」は、インドの戦争映画を語る上で決して外すことのできない名作中の名作である。ただ軍隊と軍隊の衝突を映し出した映画ではなく、戦争に直接的・間接的に関わることになった人々の心に焦点を当て、名曲の数々と共に叙情的に、かつ愛国主義的にまとめ上げた、心を揺さぶられる作品になっている。戦争映画を突き詰めてろ過すると、通常のロマンス映画などとそう違わない形にたどり着くことが分かる。必見の映画である。
