ヒンディー語映画には、詐欺師が人々を見事な手腕で騙して大儲けする様子を面白おかしく追った、いわゆる「コン映画」群が存在する。「他人の不幸は蜜の味」というが、人が騙される様子を傍から見るのは何とも痛快なものであるようだ。しかも、インドでは頭脳を使って金を稼ぐことがもてはやされる傾向にあり、それゆえに頭脳犯を主人公にした映画が成立するといえる。ただし、自分が騙されるのは絶対に嫌、というのはインド人でも同じだ。
「Bunty Aur Babli」(2005年)といえば、若い男女の詐欺師コンビ、バンティーとバブリーを主人公にした、コン映画の代表格である。アビシェーク・バッチャンとラーニー・ムカルジーが主演で、アミターブ・バッチャンやアイシュワリヤー・ラーイも出演していた。アイテムソングの傑作のひとつに数えられる「Kajra Re」も「Bunty Aur Babli」の挿入歌であった。
あれから15年の月日が流れた2021年11月19日、続編「Bunty Aur Babli 2」が劇場で公開となった。プロデューサーは変わらずアーディティヤ・チョープラーだが、監督は前作のシャード・アリーからヴァルン・V・シャルマーに交替した。「Tiger Zinda Hai」(2017年)などで助監督を務めた人物で、長編映画の監督はこれが初となる。
理由は不明だが、前作で重要な役割を果たしたアビシェーク・バッチャンとアミターブ・バッチャンは今回は起用されなかった。アビシェークが演じたバンティー役を今回はサイフ・アリー・カーンが演じる。アーディティヤ・チョープラーの妻であるラーニー・ムカルジーはそのまま続投しバブリーを演じる。サイフとラーニーのコンビは「Ta Ra Rum Pum」(2007年)以来14年振りとなる。
ただ、現代の観客向けにフレッシュな顔ぶれが欲しかったのか、新人俳優2人が別の主役として起用され、新しいバンティーとバブリーを演じている。「Gully Boy」(2019年)でデビューしたスィッダーント・チャトゥルヴェーデイーと、新人のシャールヴァリー・ワーグである。
他に、パンカジ・トリパーティー、ヤシュパール・シャルマー、アスラーニー、プレーム・チョープラー、ブリジェーンドラ・カーラーなどが出演している。
前作の出来事から15年が過ぎ、バンティーことラーケーシュ・トリヴェーディー(サイフ・アリー・カーン)とバブリーことヴィンミー(ラーニー・ムカルジー)はプルサトガンジで一人息子のパップーを育てながら静かに過ごしていた。ところがある日、突然警察に連行され、ジャターユ・スィン警部補(パンカジ・トリパーティー)の前に突き出される。なんとバンティーとバブリーをかたったコンビによる詐欺事件が相次いでいるという。ラーケーシュとヴィンミー自身には身の覚えがなかったが、信じてもらえず、留置所に拘束される。 バンティーとバブリーの名を語っていたのは、クナール・スィン(スィッダーント・チャトゥルヴェーディー)とソニア・ラーワト(シャールヴァリー・ワーグ)だった。彼らは、ラーケーシュとヴィンミーが留置所にいる間にも詐欺事件を起こす。これでラーケーシュとヴィンミーの無実が証明されたが、ジャターユ警部補は、彼らに新しいバンティーとバブリー逮捕に協力するように命令する。 クナールとソニアは所得税局やジャターユ警部補を欺いて、政治家が不正に得た20億ルピーの現金を強奪する。だが、この多額のブラックマネーをホワイト化するために何らかの手段を必要とすると考えたラーケーシュとヴィンミーは、協力者を使って彼らに接近し、ハワーラー(不法送金)を使ったマネーロンダリングの手法を教える。クナールとソニアはその話に乗った。クナールはハワーラー王のボビー・ブッラール、ヴィンミーはその妻キューティー・ブッラールを名乗り、アブダビに彼らを呼び寄せる。 クナールとソニアはすっかり彼らを信じ込み、デリーで20億ルピーを受け渡す約束をする。だが、ラーケーシュとヴィンミーは彼らを捕まえ、正体を明かす。そこへジャターユ警部補が駆けつけるが、なんとラーケーシュとヴィンミーしかいなかった。クナールとソニアは20億ルピーを持って逃亡していた。現場に残された札束はほぼ全て偽物だった。 再び舞台はアブダビに移り、ラーケーシュとヴィンミーはクナールとソニアと再会する。実は全てラーケーシュとヴィンミーが計画したことだった。18億ルピーは銀行に寄付され、残りの金は4人が山分けした。そして今度は4人で詐欺を行うようになった。
続編が前作を超えるのは難しいといわれるが、「Bunty Aur Babli」シリーズについてもそれが当てはまる。突き抜けた爽快感があった前作に比べて、「Bunty Aur Babli 2」はどこか重さがあった。それは例えば、サイフ・アリー・カーンとラーニー・ムカルジーが演じるバンティーとバブリーが家庭を持ってしまい、老いもあって、動きが鈍くなったことからくる重さもあっただろうし、新しいバンティーとバブリーが詐欺を働く目的が、貧しい人々を搾取するインドのシステムに対する問題提起にあるとされていて、何だか説教臭い映画になってしまっていたことから来る重さもあっただろう。どうしてもアビシェーク・バッチャンのバンティーが記憶に残っていて、サイフ・アリー・カーンがバンティーを演じる姿が容易に受け入れられない上に、今作を監督したヴァルン・V・シャルマーの経験不足も理由かもしれない。とにかく、前作ほどの楽しさはなかった。
ジェネレーションギャップはこの映画のひとつのテーマだった。2005年にはまだiPhoneもなく、情報は主にテレビ、ラジオ、新聞から入手する時代だった。FacebookやTwitterも普及しておらず、人々が情報発信する手段も限られていた。オリジナルのバンティーとバブリーは、そんな時代に暗躍した詐欺師コンビであった。そして詐欺師稼業から足を洗って以来、結婚して家族を持ち、ウッタル・プラデーシュ州の田舎町で世界の流れとはあまり関係なく過ごしてきたために、そのような最新テクノロジーに疎かった。
一方の新しいバンティーとバブリー、つまりクナールとソニアは、いわゆるZ世代の若者であり、デジタルネイティブの詐欺師であった。また、二人とも真面目に生きようとする上で挫折を経験していた。クナールは工科大学を卒業したが就職できず、無職のまま無為に過ごしていた。ソニアは起業しようと頑張っていたが、出資者に恵まれなかった。その内、二人はバンティーとバブリーにインスピレーションを得て、詐欺をして大金を稼ぐことを思い付いたのだった。
工科大学卒という高学歴の詐欺師なだけあって、新しいバンティーとバブリーの手口は古いバンティーとバブリーでも付いて行けなかった。そこで古いバンティーとバブリーは、自分たちの土俵に彼らを誘い込もうとする。それがハワーラーであった。
ハワーラーとは、南アジア人がよく使う非公式の送金手段である。紙幣の番号をキーワードとして大量の現金をある地点から別の地点に瞬時に送るシステムが世界中に張り巡らされている。これは違法ではあるが伝統的な送金手段でもあり、古い世界を象徴している。クナールとソニアが20億ルピーの現金を手にし、そのロンダリングが必要になったとき、結局頼らなければならなくなったのは、この古いハワーラーの手法だった。それを糸口にして新旧のバンティーとバブリーが出会うことになるのである。
サイフ・アリー・カーンとラーニー・ムカルジーというベテランのスターたちがシニアの詐欺師として重い腰を上げていたが、色あせて見えたのは否めない。無意味な夫婦喧嘩シーンなどもあって外していた。一方で、若手俳優であるスィッダーント・チャトゥルヴェーディーとシャールヴァリー・ワーグの存在感は新鮮で、世代交代の波を感じさせた。彼らのローンチを目的とした映画と考えれば成功していた。
前作ではアミターブ・バッチャン演じるダシュラト・スィン警視が「ルパン3世」の銭形警部のような役回りを演じていたが、さすがに15年後の設定であるため、ダシュラト警視はもう引退したとされていた。代わりにバンティーとバブリーを追うことになったのが、ジャターユ・スィン警部であった。ねちっこい演技が得意なパンカジ・トリパーティーが演じている。彼の特徴ある演技のおかげで、前作と比較されて酷評されそうな「Bunty Aur Babli 2」にも光明が見えていた。
「Bunty Aur Babli 2」は、大ヒットした前作から15年後の設定で、ストーリー上のつながりがある。よって、前作を観てから本作を観るのが正しい。ただし、前作ほどのワクワク感がない。バンティー役もアビシェーク・バッチャンからサイフ・アリー・カーンに変わってしまっている。それでも、若い俳優たちがフレッシュな存在感を出せており、世代交代を感じさせる作品になっている。チェックしておく必要はあるだろう。