Paheli

4.0
Paheli
「Paheli」

 今日(2005年6月24日)から待ちに待った映画「Paheli」が始まった。この映画を観るために、死人が出るほどの暑さの中、インドに留まっていたようなものである。PVRプリヤーで鑑賞した。

 題名の「Paheli」とは「なぞなぞ」みたいな意味。監督はアモール・パーレーカル、音楽はMMカリーム。原作は、ラージャスターン州に伝わる民話を基にヴィジャイダーン・データーが書いた小説である。キャストは、シャールク・カーン、ラーニー・ムカルジー、アミターブ・バッチャン、ジューヒー・チャーウラー、スニール・シェッティー、アヌパム・ケール、ディリープ・プラバーカル、ラージパール・ヤーダヴなど。他にナスィールッディーン・シャーとその妻ラトナー・パータク・シャーが、声優出演。

 美しいラージャスターニーの女の子ラッチー(ラーニー・ムカルジー)は、ナワルガルの豪商バンワルラール(アヌパム・ケール)の息子キシャン(シャールク・カーン)と結婚した。しかし、キシャンは金儲けしか頭にない男で、結婚式の翌日、商売のために5年間の予定でラッチーを残して旅立ってしまった。ラッチーは悲嘆に暮れていた。

 そのとき、ラッチーの美しさを見て一目惚れした幽霊は、キシャンの姿に化けてバンワルラールの家にやって来た。幽霊は巧みにバンワルラールを言いくるめ、家族の中に入り込む。夫が帰って来たことを知ってラッチーは喜ぶ。ところが、幽霊は自分が本当はキシャンではなく、幽霊であることを彼女に打ち明ける。ラッチーは幽霊の愛と優しさを感じ、彼を受け容れる。

 一方、自分の偽物が家にやって来たとは知らない本物のキシャンは、旅先で商売に精を出していた。彼は幾度も実家に手紙を書くが、配達人の機嫌を損ねたため、その手紙は実家には届かなかった。

 ある日、毎年恒例のラクダレースが行われることになった。バンワルラール家は、7年前に叔父スンダルラール(スニール・シェッティー)がレースに敗北して、その恥と悔しさのために失踪して以来、ラクダレースには参加していなかった。だが、今年はキシャンの説得もあり、レースに参加することになった。バンワルラール家が出走させた2頭のラクダはレースに負けそうになるが、そのときキシャンは魔法を使って他のラクダを妨害し、バンワルラール家を勝たせる。

 しかし、公衆の面前で魔法を使ったことをラッチーは面白く思わなかった。もしキシャンが幽霊であることが他の人にばれたらどうするのだろうか?ラッチーは幽霊に、今後絶対に人前で魔法を使わないように約束させる。

 結婚から数年後、ラッチーは幽霊の子供を身ごもる。幽霊とラッチーは、その子供が女の子であることを祈り、名前も二人で決める。だが、ラッチーがいざ産気づいたときに、本物のキシャンが家に帰って来てしまう。バンワルラール家では二人のキシャンが鉢合わせし、人々は困惑する。キシャンは必死に自分が本物であることを訴えるが、バンワルラールは信じなかった。そこでマハーラージャーに審判してもらうことになり、村の長老たちは2人のキシャンと共に宮殿へ向かう。

 ところが、その途中、彼らは一人の老羊飼い(アミターブ・バッチャン)に出会う。老羊飼いは、村人たちの問題を聞いて知恵を働かせ、どちらが本物のキシャンか確かめることにする。老羊飼いは、いくつかの題を出すが、最後には水袋を取り出して、「この袋の中に入った者こそがラッチーの夫である」と言う。袋は人間の入れる大きさではなく、もしその中に入るには魔法を使うしかなかった。だが、幽霊はラッチーに、公衆の面前で魔法を使うことを禁じられていた。・・・しかし、ラッチーに対する愛を試された幽霊は、仕方なく魔法を使い、その袋の中に入る。老羊飼いはすぐにその袋の口を閉め、幽霊を閉じ込めてしまう。こうして、本物のキシャンを特定することに成功した。

 ラッチーは、幽霊が閉じ込められてしまったことを聞いて悲しむ。夜、寝室にやって来たキシャンに対し、自分は本当は幽霊のことを幽霊だと知って暮らしていたことを明かす。キシャンはその話を聞いても驚かず、ラッチーが産んだ女の子の名前を口にする。それは、幽霊と一緒に考えた名前だった。ハッと振り返るラッチー。実は幽霊は袋を脱出しており、キシャンに取って代わっていたのだった。こうして幽霊とラッチーは再び結ばれることになった。

 カラフルでメロディアスなラージャスターン州の魅力が存分に詰まったお伽話映画。人間と幽霊の恋愛という非現実的なストーリーを、極彩色の衣装と、美しい壁画が踊るハヴェーリー(邸宅)、そして適度なCGと共に丁寧に紡ぎ出していた。まるで「アラビアンナイト」の世界に迷い込んだかのようだった。もちろん、ヒンディー語映画界のスクリーン上のベストカップルとも言えるシャールク・カーンとラーニー・ムカルジーの絶妙のコンビネーションと演技も、この映画の成功に不可欠であった。原作のラストはもっと悲しいようだが、映画化する際に公衆の要求に応える形で、ハッピーエンドに改変されたようだ。それも僕は成功していると思う。

 僕は何度も映画評の中でラージャスターン州の魅力について言及してきた。どんなつまらない映画でも、ラージャスターン州のシーンが出てくるだけで、なぜか素晴らしい映画のように思えてしまうだけの魅力がある。「Paheli」も、ともすれば駄作になる寸前だったと言ってもいいかもしれない。物語の展開が必要以上にゆっくり過ぎるし、脇役があまり活かされていなかったし、基本的に大人の鑑賞に耐えうるようなストーリーではない。だが、3時間の上映時間の内の大半がラージャスターン州の美しい文化と風景で埋め尽くされているため、映画館を見終わった後は、万華鏡を見終わったかのような、遊園地で1日中遊んだような、そんな気分になることができる。「Paheli」で主に舞台となったのは、シェーカーワーティー地方のナワルガル。カラフルな壁画で彩られたハヴェーリーがたくさん残っている街である。僕はまだ行ったことがないが、いつか行きたいと思っている街のひとつだ。日本の映画祭で公開されたインド映画「Hari Om」(2004年)でも、ナワルガルのハヴェーリーが出てきた。階段の手すりに沿って象の鼻の絵が描かれていたり、窓の上にクジャクの絵が描かれていたり、細部を観察すると本当に面白い。また、ラージャスターン州名物である操り人形も存分に活かされていた。王様と王妃の人形が、ストーリーの端々に現れてお互いに進展について話し合う。これらの声を、インドを代表する演技派男優ナスィールッディーン・シャーと、その妻のラトナー・パータク・シャーが担当している。他に、ラクダレースのシーンはダイナミックで、映画のアクセントになっていた。ちょっとカメラ回しが悪くてレースの進行の様子が把握しづらかったが、カラフルなターバンを巻いたおっさんたちがラクダを走らせる姿はかっこよかった。

 この映画で最も重要なセリフは、キシャンがラッチーに自分が幽霊であることを告白した後に、ラッチーが言うセリフであろう。「私に選択する権利を与えてくれたのは、あなただけよ。」妻の尊厳を全く考えないキシャンとの対比により、幽霊の人間性がより鮮明になるセリフである。

 ラッチーに恋した存在は、映画中では「ブート(幽霊)」と呼ばれている。だが、日本人の感覚からすると、死んだ人間が死に切れずに現世に現れる幽霊とは程遠く、どちらかというと狐、狸とか妖怪の類であろう。しかし、幽霊でも子供が作れるとは・・・驚きである。

 「Asoka」(2001年)では長髪に挑戦して、ファンの目を丸くさせたシャールク・カーンは、この映画で初めて髭を生やしたキャラクターを演じ、再びファンを驚かせた。しかも巨大なターバンまでかぶっている。ラージャスターン州の男たちは皆立派な髭を生やしており、髭のないキャラクターはラージャスターンの風景には適応しないとのことで、シャールク・カーンは髭を付けることにしたようだ。シャールクは、金儲けのことばかりを考えているキシャンと、人間に恋した幽霊の2役を演じた。いつものようにオーバーリアクション気味であったが、2役を見事に演じ切っていた。最後、キシャンと幽霊が鉢合わせするシーンでは特撮になっていたが、違和感を感じない出来であった。その代わり、幽霊がカラスやオウムに化けたりするシーンに使用されていたCGは、まだまだハリウッドに比べると、子供の遊び程度のレベルにしかない。

 今年のラーニー・ムカルジーは無敵だ。「Black」(2005年)、「Bunty Aur Babli」(2005年)と大ヒット作を連発し、ここに来て再び大ヒットが見込まれる「Paheli」に出演である。「Paheli」のヒロイン、ラッチーは、「Black」ほど高度な演技力を要する役ではなかったが、ラージャスターンの純朴な女性を説得力のある演技で演じていた。ラーニーの踊りも存分に楽しむことができる。

 この映画では、ヒンディー語映画界の大スターたちが何人も端役で出演していた。キシャンの兄で、7年間失踪中のスンダルラールをスニール・シェッティーが、その妻ガジュローバーイーをジューヒー・チャーウラーが、最後で突然登場して活躍する老羊飼いをアミターブ・バッチャンが演じていた他、アヌパム・ケールやラージパール・ヤーダヴも出演していた。だが、残念ながらそれらの人材がうまく活かされていたとは言いがたい。別に彼らがわざわざ出てこなくてもよかったのではないかと思った。印象的な演技をしていたのは、アヌパム・ケールとラージパール・ヤーダヴくらいか。

 ラージャスターン州が舞台になっているだけあり、言語は標準ヒンディー語ではなく、ラージャスターニー語ミックスのヒンディー語である。よって、標準ヒンディー語のみの知識では、セリフの隅々まで理解することは難しいだろう。僕も通常のヒンディー語映画より理解度が落ちた。

 題名の「Paheli」は、アミターブ・バッチャンが演じる老羊飼いが2人のキシャンに出す3つの問題のことを言っているのだろう。まず彼は、熱せられた石を取り出して、「これを手で掴んだ者が本物だ」と言う。次に彼は、「羊を捕まえられた者が本物のキシャンだ」と言う。そして最後に水袋を取り出して、「この袋の中に入った者がラッチーの本物の夫だ」と言う。ラッチーの名前を出された幽霊は、それを見過ごすことができず、思わず袋の中に入ってしまう。「西遊記」の金閣銀閣の話を思い出した。

 音楽はMMカリーム。振り付けはファラー・カーン。どの曲もどの踊りも隙がなかった。ラージャスターン州のプロのダンサーが踊っているものもあり、迫力があった。ラージャスターン風音楽に合わせてシャールク・カーンとラーニー・ムカルジーが操り人形になって踊るコミカルなミュージカル「Phir Raat Kati」は、最後のスタッフロール時に流れる。

 この酷暑期は話題作が続くが、「Paheli」もその一角を担う重要な作品となるだろう。また、この映画は、国内の古い民話を基にしたことに大いなる意義があると思う。なぜなら、インド映画界はハリウッド映画などの真似をしなくても、国内に数千年の歴史の中で培われた膨大な数の神話・伝承・民話のストックがあり、それらからも十分に現代的な面白い映画を作ることが可能であることが証明されたからだ。