ヒンディー語映画界においてスポーツ映画は既に確立されたジャンルである。インドでもっとも人気のスポーツであるクリケットが題材になることが多いが、それ以外のスポーツも取り上げられている。その中でもよく映画になるのがボクシングや異種格闘技である。「Apne」(2007年)、「Lahore」(2010年)、「Brothers」(2015年)など、過去に複数の格闘技映画が作られて来た。
2021年7月16日からAmazon Prime Videoで配信開始された「Toofaan」もボクシング映画である。元々2020年に公開予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で公開が延期されており、結局OTT(配信スルー)作品となった。監督は「Delhi-6」(2009年)や「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)などのラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー。プロデューサーも務めている。主演はファルハーン・アクタルで、彼もプロデューサーに名を連ねている。メヘラー監督とファルハーンは「Bhaag Milkha Bhaag」でも一緒に仕事をしている。
他に、演技派男優パレーシュ・ラーワル、「Batla House」(2019年)のムルナール・タークル、フサイン・ダラール、スプリヤー・パータク、モーハン・アーガーシェーなどが出演している。また、ヴィジャイ・ラーズ、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー、ソーナーリー・クルカルニーなどが特別出演している。音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイである。
ムンバイーの下町ドーングリーの孤児院で育ったアズィーズ・アリー(ファルハーン・アクタル)は、ジャッファール・バーイー(ヴィジャイ・ラーズ)の下で地上げ屋の仕事をしていた。そんなアズィーズが同時期に2つの出会いを経験する。ひとつはボクシングとの出会い、もうひとつは女医アナンニャー(ムルナール・タークル)との出会いである。これらを通して、アズィーズは地上げ屋から足を洗い、ボクサーを目指すようになる。 アズィーズが師事したのは、ムンバイー随一のコーチ、ナーナー・プラブ(パレーシュ・ラーワル)であった。ナーナーはイスラーム教徒を毛嫌いしており、当初はアズィーズのことも適当にあしらっていたが、彼の潜在力に気付くと、熱心に指導するようになる。アズィーズはすぐに頭角を現し、マハーラーシュトラ州のチャンピオンになる。彼は「トゥーファーン(嵐)」と呼ばれるようになる。 ところが、実はアナンニャーはナーナーの一人娘だった。アズィーズの恋人が自分の娘であることを知ると、ナーナーはアズィーズとアナンニャーを放逐する。二人は結婚するが、イスラーム教徒とヒンドゥー教徒のカップルを受け容れてくれるアパートはなかった。唯一、高級マンションならうるさいことは言われなかったが、頭金として大金が必要だった。 アズィーズは全国大会に出場するためにデリーを訪れるが、そこで八百長の提案を受ける。金が必要だったアズィーズはそれに乗ってしまい、試合でわざと負ける。だが、贈収賄の様子が防犯カメラに映っており、アズィーズは5年間試合出場停止処分を受ける。 5年の間に様々な変化があった。アズィーズとアナンニャーは、アナンニャーの同僚の看護婦の家に下宿させてもらっており、二人の間にはマイラーという娘が生まれた。ナーナーとは相変わらず絶交状態が続いていた。アズィーズは旅行会社を立ち上げており、それなりに収入はあった。5年の処分期間が終わり、アズィーズは再びリングに立てるようになるが、彼はもう既にボクシングを諦めていた。しかし、アナンニャーはアズィーズが全国チャンピオンになることを夢見ていた。そんな矢先、アナンニャーは事故で死んでしまう。 アズィーズは亡き妻の夢を叶えるため、再びボクシングを始める。だが、アズィーズは太ってしまっており、しかも過去の悪行は業界からまだ忘れ去られておらず、前途多難であった。しかも試合は3ヶ月後に迫っていた。それでもアズィーズは猛特訓をし、昔の身体と勘を取り戻す。 再び州チャンピオンになったアズィーズは、デリーで開催の全国大会に出場し、紆余曲折を経て決勝戦まで勝ち上がる。その中でナーナーも彼を応援するようになる。アズィーズとナーナーは、アナンニャーのために試合を戦い、勝利を収める。
ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督はヒンディー語映画界でもっとも有能な監督の一人であり、彼の作品はどうしても期待せざるを得ない。「Toofaan」は2時間40分と、最近のヒンディー語映画としては長尺であったが、時間をたっぷり使って、一人のボクサーの台頭と没落、そして再起がじっくりと描かれていた。ボクシング娯楽映画として完成度は文句なく高い。
しかし、スポーツ映画はどうしても方向性がある程度予想可能であるため、先の展開が読めないハラハラ感は希薄だったし、あっと驚くどんでん返しもなかった。ハングリー精神旺盛な貧しい若者がボクサーになって大成し、転落の後にカムバックというストーリーに目新しさもない。メヘラー作品にはついついそれ以上のものを求めてしまうため、その期待以上のものがないと、少しガッカリしてしまうところがある。「Toofaan」はそんな映画だった。
インドでスポーツ映画が撮られる際、そこにはスポーツ特有のドラマの他に、何らかのメッセージが込められることが多い。「Toofaan」では異宗教間結婚が描かれており、宗教が裏テーマになっていた。イスラーム教徒を毛嫌いするヒンドゥー教徒のコーチ、その下で成長を遂げたイスラーム教徒のボクサー、そしてそのボクサーと結婚しようとするコーチの娘。この三者の関係から、宗教間の不寛容と融和について観客に問題提起をしていた。
そもそも、なぜナーナーがイスラーム教徒を嫌っていたかというと、妻と子(アナンニャーの妹)を爆弾テロで失ったからである。もちろん、アズィーズが彼の妻子を殺した訳ではないが、ナーナーはイスラーム教徒全員をテロリスト扱いしていた。アズィーズだけではなく、ムンバイーの社会そのものが宗教間で分断されていた。結婚したアズィーズとアナンニャーは、イスラーム教徒居住区にもヒンドゥー教徒居住区にも住めなくなってしまう。そして、この問題がアズィーズの八百長問題の遠因となってしまう。結局二人を助けたのは、キリスト教徒の看護婦であった。
ただ、宗教問題は中盤で盛り上がるのみで、終盤ではほとんど関係なくなってしまうため、そこまで強いメッセージは発信されていなかった。
映画中に起こるいくつかの出来事は、実際に起こったものだ。ナーナーが妻子を失った爆弾テロは、おそらく2002年12月2日に起こったものだ。バスに仕掛けられた爆弾が爆発し、2名が死亡、50名が負傷した。アナンニャーが圧死した事件は、2017年9月29日にエルフィンストーン・ロード駅で起こった群衆圧死事件のことだと思われる。少なくとも23名が死亡した。
格闘技の世界を一旦退いた者がカムバックするというストーリーはヒンディー語映画界で繰り返されている。「Sultan」(2016年)や「Brothers」が典型である。時間の流れとしては逆になるが、「Dangal」(2016年)では、アーミル・カーンが引退後の姿を演じた後に現役時代の姿を演じた。中年太りした男が特訓の末に引き締まった身体を手に入れる、というストーリーは、どうもヒンディー語映画界の俳優たちの役作り魂に火を付けるようである。サルマーン・カーン、アクシャイ・クマール、アーミル・カーン、そして今回の「Toofaan」でファルハーン・アクタルがこのバンドワゴンに乗った。
「Toofaan」のストーリー原案はファルハーン・アクタルのものだったようで、彼の気合いの入り様は半端ではなかった。メヘラー作品としては最上の出来ではなかったが、ファルハーン主演作としては素晴らしい出来だった。ヒロインを演じたムルナール・タークルも溌剌としていて良かったし、名優パレーシュ・ラーワルなども重みのある演技をしていた。
「Toofaan」は、ヒンディー語映画界の名監督ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラーによるボクシング映画である。「Bhaag Milkha Bhaag」で組んでヒット作を送り出したファルハーンが再び主演で、スポーツを題材にしている点でも共通している。メヘラー監督らしい完成度と個性を感じるものの、「Bhaag Milkha Bhaag」を越える作品にはなっていないというのが正直な感想である。