チェータン・バガトはインドの人気作家で、彼の小説はことごとく映画化されている。例えば、日本でも大ヒットした「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)は、彼の小説「Five Point Someone」(2004年)が原作だ。インド工科大学(IIT)機械工学部卒の秀才らしく、彼の小説には必ず数字が入ることでも知られている。
2017年5月19日公開のヒンディー語映画「Half Girlfriend」も、バガトの同名小説(2014年)を原作とした映画だ。監督は「Aashiqui 2」(2013年)のモーヒト・スーリー。主演はアルジュン・カプールとシュラッダー・カプール。他に、ヴィクラーント・マシー、リヤー・チャクラボルティー、スィーマー・ビシュワースなどが出演している。原作を読んでからの鑑賞となった。
マーダヴ・ジャー(アルジュン・カプール)はビハール州スィムラーオの王族の出だが、ヒンディー語ミディアム校出身のため、英語が得意ではなかった。バスケットボールの有能な選手で、デリー大学のセント・スティーヴンス・カレッジの社会学部にスポーツ枠で合格した。マーダヴは、バスケットボール部のリヤー(シュラッダー・カプール)と出会い、恋に落ちる。リヤーはデリー出身で、家は大富豪だった。友人からは冷やかされながらも、二人は関係を深めて行く。だが、二人の関係について、リヤーはマーダヴに対し、「あなたのハーフ・ガールフレンドだ」と言う。 リヤーには許嫁がおり、大学1年のときに結婚して学校を退学してしまった。失意のマーダヴは大学卒業後、故郷のスィムラーオに戻り、母親の経営する学校を手伝うようになる。だが、その学校には女子生徒がいなかった。学校に女子トイレがないからだった。財政的に女子トイレを作る余裕がなかったが、マーダヴは、ビル・ゲイツ財団がインドで教育関係の補助金を公募していると聞き、州都パトナーを訪れる。そこでマーダヴはリヤーと再会する。リヤーは既に離婚しており、ビル・ゲイツ財団で働いていた。ビル・ゲイツの前で英語でスピーチをしなければならず、マーダヴはリヤーから英語を習う。こうして二人は再び接近する。肝心のスピーチでは、マーダヴは英語のスピーチ文を忘れてしまい、ヒンディー語でスピーチをすることになるが、それが逆に功を奏して、補助金を獲得する。だが、それが終わるとリヤーは忽然と姿を消してしまった。しかも、リヤーは血液癌に罹っており、余命3ヶ月とのことだった。 それ以来、マーダヴはリヤーを探し回った。パトナーにもデリーにもリヤーはいなかった。マーダヴは、かつてリヤーが、ニューヨークのバーで歌を歌いたいと夢を語っていたのを思い出した。ちょうどビル・ゲイツ財団からインターンの申し出があり、その勤務地がニューヨークだった。大学時代の親友シャイレーシュ(ヴィクラーント・マシー)がニューヨーク在住だったため、彼の家に居候しながら、ニューヨーク中のバーを巡ってリヤーを探す。シャイレーシュは、リヤーを忘れさせるため、同じように失恋を経験したインド系米国人女性アンシカー(リヤー・チャクラボルティー)を紹介する。アンシカーはマーダヴに想いを寄せるようになるが、マーダヴはなかなかリヤーのことを忘れられなかった。そして遂に、リヤーを見つけ出す。
まず、マーダヴが通っていたセント・スティーヴンス・カレッジは、デリー大学の数あるカレッジの中でも最高ランクにあるセント・ステファンス・カレッジのもじりである。マーダヴはこの栄光のカレッジに、バスケットボールのスポーツ枠で入学した。選考は、5割が面接、5割が技能テストとされていた。インドの大学にもスポーツ推薦枠のようなものがあるのは面白い。
主人公マーダヴはビハール州の出身であった。ビハール州は古代から中世において、ガウタム・ブッダ、アショーカ・マウリヤ、シェール・シャー・スーリーなど、多くの偉人や英雄を輩出した偉大な地域であるが、独立後は政治の混乱などからインド最貧州・最後進州に成り下がってしまい、その悪名はインド中に轟いている。デリーの大学においてビハール州出身の学生は多いが、彼らはデリー出身者や他地域の人々から嘲笑の対象になることが多い。マーダヴも、エリート大学において、ビハール州出身者、しかもスポーツ枠入学者ということで、最下層の学生だったと言える。
さらにマーダヴの地位を貶めていたのは、彼の乏しい英語力だった。セント・スティーヴンス・カレッジは英語ミディアム(教授言語が英語)の大学であり、一般の学生は流暢に英語を話す。だが、ヒンディー語ミディアム校(教授言語がヒンディー語の学校)出身のマーダヴは、授業で英語を習って来たものの、英語の会話は大の苦手だった。多くの日本人の英語力とそう変わらない。
そんな鈍臭い田舎男が、学園のマドンナ的存在のリヤーとお近づきになったことは、それだけで事件であった。この映画のポイントのひとつはこの身の丈が異なるカップルにある。
とは言っても、マーダヴはどこの馬の骨とも知らない出自ではなく、実はビハール州スィムラーオの王子であった。スィムラーオは架空の地名だが、おそらくパトナー近郊のドゥムラーオンを意識している。ドゥムラーオンには17世紀から続く古い王族が存在する。インドでは現在、公式にはマハーラージャーなどの王族の称号は廃止されているが、人々は今でも尊敬の念を込めて元王族たちを王族として扱っている。マーダヴがリヤーの誕生日パーティーに出席するため、彼女の家を訪れたとき、そこで働く使用人たちがマーダヴに気付いて彼を取り囲むシーンがあった。とは言え、デリーではそんな王族の血筋も、大して役に立つものではなかった。
マーダヴとリヤーは単なる恋人ではなかった。リヤーはこの関係に「ハーフ・ガールフレンド」という造語を与えた。日本語で言えば、「友達以上、恋人未満」と言ったところか。インドで一般に使われている用語ではない。通常は、ガールフレンドか、否か、である。純朴なマーダヴは、「ハーフ・ガールフレンド」という関係性に大喜びするが、マーダヴのルームメイト、シャイレーシュは、リヤーにいいように扱われていると警告する。
男性視点に立った恋愛映画は、ヒロインがフワフワしてミステリアスなキャラになりがちだが、リヤーも完璧な女性ではなく、彼女の悩みもよく描写されていた。家庭は裕福だったが、両親の間には喧嘩が絶えず、父親は母親に暴力を振るっていた。そういうとき、リヤーは部屋に閉じこもり、ギターを弾いて、自分だけの世界に閉じこもっていた。いつしか彼女には逃避癖が付いてしまっていた。映画の中で、リヤーは何度も逃避する。
そこに、血液癌という不治の病が重なる。短い余命を使って映画に感動を加える手段は陳腐であまり好きではないのだが、劇的な展開になるのは確かだ。自身の病気を告白した後、リヤーは姿をくらます一方、リヤーのことを忘れられないマーダヴは、彼女を追ってパトナー、デリー、そしてニューヨークを訪れる。自身を破滅に導きながらも狂ったように恋した人物を追い続ける狂恋はインド人の好むもので、モーヒト・スーリー監督の過去の作品にもよく見られた定番である。
田舎の学校に女子トイレを作る、というのが映画のひとつの主題になっていた。これは、2014年、ナレーンドラ・モーディーが首相に就任後、初の独立記念日で、インド全国民の前で取り上げた問題と呼応している。インドにおいて女子教育が後れている大きな要因のひとつが、学校に女子トイレがないことであった。モーディー首相はトイレ建設を国家的プロジェクト「スワッチュ・バーラト(清潔なインド)運動」として推進し始め、インド中にトイレが作られることになった。その様子は、「Toilet: Ek Prem Katha」(2017年)でより深く掘り下げられている。
主演の二人、アルジュン・カプールとシュラッダー・カプールはそつなく役柄をこなしていた。助演扱いのヴィクラーント・マシーも良かったし、リヤー・チャクラボルティーも出番は少ないながら印象を残せていた。
また、原作の中でもビル・ゲイツ財団が実名で登場するが、「Half Girlfriend」でもビル・ゲイツ本人が登場する。ただ、この映画のために撮影に協力したという感じではなく、他で撮られた映像を加工して使っていたようだった。もちろん、ビル・ゲイツ財団の名称と共に、許可を得ての使用であろう。
モーヒト・スーリー監督の映画は音楽も特徴的だ。「Aashiqui 2」をはじめ、彼の作品は映画を上回るほど音楽が愛されることが多い。「Half Girlfriend」の音楽も良かったが、「Aashiqui 2」などと似通ったメロディーのものがあって、ユニークではなかった。
「Half Girlfriend」は、人気作家チェータン・バガト原作、モーヒト・スーリー監督による恋愛映画。モーディー首相が立ち上げたスワッチュ・バーラト運動に呼応する社会問題に触れられている他、ビル・ゲイツが登場するなど、スケールの大きな作品に仕上がっている。大学生活、マハーラージャーの存在、都会と地方の格差など、インドのいろいろな現実に触れることができる点でも、ポイントが高い。良作である。