Last Man in Tower

2.5
Last Man in Tower
「Last Man in Tower」

 2026年11月6日にZee5で配信開始された「Last Man in Tower」は、インド系オーストラリア人ジャーナリスト、アラヴィンド・アディガー著の同名小説(2011年)を映画化した作品である。アディガーの小説は、「The White Tiger」(2021年/邦題:ザ・ホワイト・タイガー)に続き映画化されたことになる。

 監督はベン・レーキー。インド人の血を引く米国人映画監督であり、過去には「The Ashram」(2018年)などを撮っている。主演はマノージ・バージペーイー。他に、ディヴィヤー・ダッター、ボーマン・イーラーニー、スカーント・ゴーエル、チャンダン・ロイ・サーンニャール、ハリーシュ・カンナー、スワループ・ゴーシュ、ウッジワル・チョープラー、サリカー・スィン、マードゥリー・バーティヤー、ウダイ・チャンドラ、スワルーパー・ゴーシュなどが出演している。

 2010年、ムンバイー。ヨーゲーシュ・ミシュラーは、ヴァコーラーの古い集合住宅ヴィシュラーム・ソサイエティーに住む元教師だった。妻のプールニマーは既に亡く独り暮らしだったが、住民たちや子供たちから慕われていた。息子のガウラヴ(スカーント・ゴーエル)と妻のソーナール(サリカー・スィン)は独立し、別のマンションに住んでいた。

 大手開発業者デタミネーション・グループのダルメーン・シャー(ボーマン・イーラーニー)は、ヴィシュラーム・ソサイエティーの土地に「シャンハイ」という高層マンションを建築しようとしていた。そのためにはヴィシュラーム・ソサイエティーの全住民からの同意が必要だった。彼は住民たちに、相場の2.5倍の値段で買い取ると提案する。ヴィシュラーム・ソサイエティーにはタワーAとタワーBの2棟があったが、タワーBの全住民は売却に合意した。タワーAの住民の中で、ヨーゲーシュを筆頭に、ピントー夫妻(ウダイ・チャンドラ、マードゥリー・バーティヤー)やレゴ(スワルーパー・ゴーシュ)など、4世帯だけが反対した。

 タワーAの住民の中で、シャーの提案にもっとも乗り気だったのは、ヨーゲーシュと同じ階に住むサンギーター・プリー(ディヴィヤー・ダッター)だった。サンギーターの息子ビットゥーは知的障害を抱えており、彼の治療や介護のためにもまとまった資金を必要としていた。自治会の幹事を務めるコーターリー(ハリーシュ・カンナー)、不動産屋のアジワーニー(チャンダン・ロイ・サーンニャール)などもシャーに丸め込まれていた。また、ガウラヴも息子ローナクの学費のためにヴィシュラーム・ソサイエティーの実家を売ることに賛成だった。

 ヨーゲーシュは、警察や弁護士に相談するが、ほとんど役に立たなかった。その一方でピントー夫妻やレゴなど、ヨーゲーシュ以外の反対者たちは脅されたり説得されたりして次々に賛成派に回っていき、とうとうヨーゲーシュだけが取り残された。ヨーゲーシュが頑なに署名を拒否するため、住民たちは彼を村八分し出す。ある晩、ヨーゲーシュの家に2人組の強盗が押し入る。それに気付いたヨーゲーシュは強盗たちを追い払うが、住民たちが全く助けてくれなかったことに心を痛める。

 ヨーゲーシュは、かつての教え子で現在はジャーナリストになったナローナーに取材してもらおうとするが、面会を拒否される。息子からも見放されたヨーゲーシュは、ついに売却に同意し、かつて妻と旅行したことのあるシムラーへ旅立とうとする。ところが、ヨーゲーシュはサンギーターに殺され、自殺として処理されてしまう。

 映画は、発展のための開発と、個人的な思い出の保存のぶつかり合いを描いている。主人公ヨーゲーシュの住むソサイエティーが開発業者の目に留まり、住民たちは立ち退きの代わりにかなり有利な金額を提案される。ほとんどの住民はその金額に目の色を変え、即断即決で同意するが、元教師のヨーゲーシュだけは最後まで反対し続けた。彼にとってその家は亡くなった妻プールニマーとの思い出が詰まったかけがえのない場所であり、いくら金を積まれようとも容易に手放せるものではなかった。

 発展のためには古いものを壊したり諦めたりしなければならないことがある。だが、古いものは一度壊してしまったら取り返しがつかない。それをずっと守り続けるのも大切なことだ。では、どこまでそれが許されるのか。特に、「Last Man in Tower」で取り上げられたように、自分以外の全ての住民が立ち退きに同意したとき、最後の一人として抵抗を続けるのはどこまで妥当性があるのか。一人でも反対の住民がいたら今回の取引は不成立になってしまい、他の住民たちが手にするはずだった金は消え去ってしまう。また、お人好しのヨーゲーシュは、過去に父親の遺産を、圧力を掛けてきた兄弟たちに安直に譲ってしまった過去があった。それによって苦労も経験しており、今回は誰の圧力にも屈しないと決めていたという個人的な事情もあった。息子のガウラヴは、そんな父親の意地を見透かしていた。

 これは非常に重要な命題であり、ヨーゲーシュの葛藤は、マノージ・バージペーイーの好演もあって、よく描かれていた。だが、ソサイエティーに住む住民たちの豹変からインドらしさを感じなかった。ヨーゲーシュは住民たちからとても慕われていたが、売却の問題が浮上し、彼だけが反対者として取り残されると、一転して住民たちから村八分される存在になってしまった。もちろん、巨大な利益を前にしてインド人たちが目の色を変えるのは分かるのだが、それでも長年一緒に暮らしてきた仲間であるヨーゲーシュをこのように手の平を返したように無下に扱うようになるのは現実的ではないと感じた。もっと粘り強く交渉しようとするはずである。インド人はこんなに冷たくないと信じたい。

 また、心温まるエンディングを期待していたのだが、その通りにはならなかった。ヨーゲーシュは自分のわがままを自覚し、期限の最終日になってようやく売却に同意する気になるが、その瞬間に、焦ったサンギーターにあっけなく殺されてしまう。しかも自殺を偽装され、捜査によってその真相が明かされることもなかったようだ。このソサイエティーでどんな問題が起こっており、「自殺」とされたヨーゲーシュがどんな立場に置かれていたのか、少しでも調べれば、彼の死は自殺ではないことは容易に推測できるはずだが、そこで全くおとがめがなかった。

 プロローグとして、ソサイエティーの不動産を売却して別のマンションに移った元住民たちのその後が少しだけ紹介される。サンギーターは、手にした金で高級ゲーテッド・コミュニティーに移ったようだが、決して幸せそうではなかった。そこの住民たちは、知的障害を抱えるビットゥーに冷淡で、「外を出歩かせるな」と警告してくる。サンギーターは、住民たちがお互い助け合って生きていたヴィシュラーム・ソサイエティーでの生活を懐かしがる。

 では、住民たちは立ち退きせずにそのままそこに住み続ければ良かったのだろうか。「Last Man in Tower」にその答えは用意されていない。古いものは滅んでいき、古いものを守り続けた者に必ずしも果報は与えられないという無常で冷酷な結末になっていて、救いが感じられなかった。

 「Last Man in Tower」は、高度経済成長が続くインドの大都市部において、古いものの犠牲の上に新しいものが作られている現状を人間ドラマとして描いている。だが、人間模様が極端で、人情に厚いインド人らしさが感じられず、舞台がインドでありながらどこか異国の物語を見ているかのようだった。結末も期待に沿うものではなかった。マノージ・バージペーイーやディヴィヤー・ダッターなどの実力派俳優たちの演技は一級品であるが、観ても心が晴れるような作品ではない。