ジャート

 「Jo Bole So Nihaal」(2005年)というアクション映画で主演サニー・デーオールがおもむろに放った以下のセリフは、そのシンプルさとパワフルさと意味不明さで、多くの人々の記憶に残っている。

No If, No But, Only Jatt!

「もし」じゃない、「しかし」じゃない、「ジャット」しかない!

 「ジャット(Jatt)」とはパンジャービー語の単語(ਜੱਟ)であり、これをヒンディー語でいえば「ジャート(Jaat/जाट)」になる。ジャートは、インド亜大陸北西部(パーキスターンを含む)で有力な農耕・牧畜民コミュニティーだ。カーストの一種と見なしてよい。同じくインド亜大陸北西部に広く分布する遊牧型牧畜民コミュニティー「グッジャル(Gujjar)」としばしば対比されるが、定住して土地を所有し農耕を行うのがジャートだと考えてよい。「ジャート」および「ジャット」は映画音楽の中でも頻出する単語だ。一般的にジャートは自身のアイデンティティーを誇っており、鼓舞する目的で「ジャート」および「ジャット」という言葉が発せられる。

 ジャートは農業や牧畜を生業としているため、ヴァルナ(四姓)からいえばシュードラに属するとされる。ただし、歴史の中でジャートは実力によって地位を向上させ、地域によってはラージプートに匹敵するほどの権力も獲得した。現在では北西インドやパーキスターンのパンジャーブ州などで「優位カースト(Dominant Caste)」になっている。グッジャルが「その他の後進階級(OBC)」として扱われているのと対照的である。

 ジャートが地位を向上させた大きな要因のひとつは、15世紀にパンジャーブ地方で興ったスィク教の母体になったことだ。元々ジャートの社会的地位は低かったため、平等主義を掲げるスィク教に強く引き寄せられ、多くのジャートが入信することになった。代々農業などの力仕事に従事し体格に優れていたジャートは、第10代グルのゴービンド・スィンが1699年にムガル朝に対抗するために軍事共同体カールサーを立ち上げたとき、その中核になった。スィク教とジャートは切っても切れない関係にあり、スィク教徒の過半数はジャート出自とされている。

 インドにおいて特定のカーストの社会的な地位が向上するきっかけはいくつかある。近代においてよく注目されるのは、上位カーストの生活習慣などをコミュニティー全体で模倣する「サンスクリット化」だが、それより前の時代には、王国を作り「マハーラージャー(大王)」などの称号を獲得することで、所属するコミュニティーがランクアップするという現象があった。中世から近代にかけて、ジャートはいくつもの王国を作ってきており、これがジャートの上昇を後押ししたのである。

 もっとも権勢を誇ったのは、ランジート・スィンのスィク王国だ。スィク教徒ジャートのランジート・スィンは、1799年にパンジャーブ地方にスィク王国を打ち立て、1801年に戴冠して、英国東インド会社と覇権を争った。他にも、パティヤーラー藩王国、ジーンド藩王国、ナーバー藩王国など、パンジャーブ地方にはジャート系スィク教徒為政者による王国がいくつも存在した。

 ジャートはスィク教徒に限らない。ヒンドゥー教徒やイスラーム教徒のジャートもおり、それぞれ王国を樹立したり有力な氏族に台頭したりして歴史に名を刻んだ。バラトプル藩王国、ドールプル藩王国、バッラブガル藩王国などはヒンドゥー教徒ジャートによって興された王国であるし、イスラーム教徒の有力なジャート家系として、チャッター氏族、チーマー氏族、タラール氏族などが権勢を誇った時期があった。

 王国の樹立が可能だったのは、元々ジャートが広大な農地を所有し高い経済力を保持した地主階級だったからだ。その高い地位を誇示するため、ジャート有力者は「ザミーンダール」「チャウダリー」「サルダール」などの称号を名乗ることが多かった。英領時代にはその軍事力が重宝され、軍隊に積極的に登用された。インド陸軍には「ジャート連隊(Jat Regiment)」と呼ばれる歩兵連隊があるが、これは英領時代から続く、主にジャートで構成された連隊である。独立後には、食糧自給率を高めるため、1960年代からパンジャーブ州を中心に「緑の革命」が推進されたが、その恩恵をもっとも受けたのは土地所有農民だったジャートであり、彼らは富裕農民化した。

 豪農にルーツを持つジャートは、騒乱の時代には武装してお互いに抗争を繰り返し、平穏な時代には兵士や警察を多く輩出してきた尚武の民でもあって、彼らの文化には、身体を鍛え、土地を守り、武勇を示すことを善とするマッチョイズムが深く根ざしている。ジャートが多数派を占めるハリヤーナー州はインドの「スポーツ首都」であり、レスリングやボクシングなど分野で有能な選手を多数輩出しているが、これもジャート文化と無関係ではない。ジャートの農村にはアカーラー(道場)が必ず設置され、村の男性たちは農作業の合間にアカーラーで肉体をストイックに鍛え上げることを伝統としてきた。

 だが、このマッチョイズムは男尊女卑とも軌を一にしている。ジャートの家庭やコミュニティーでは一般的にインドでもっとも強固な家父長制が敷かれ、「カープ」と呼ばれる独自の村落議会が男女の恋愛にまで干渉を行う。家やコミュニティーの名誉が最優先され、それを汚す者は容赦なく殺されることもある。男児を尊重するあまり女児堕胎をし過ぎて男女比がいびつになっている地域がインドにはあるが、それはジャートの分布地域と重なっている。

Khap
「Khap」

 実在する女性レスラーの活躍を描いた「Dangal」(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)は、ハリヤーナー州の典型的なジャート家庭を描いている。これを観ればジャートの気風や文化がよく分かるし、近年になって起こりつつある変化も感じ取れるだろう。

Dangal
「Dangal」

 ジャートを代表する男優といえば、「Sholay」(1975年)などに出演の「He-Man」ダルメーンドラだ。彼は男らしいイメージで売り出し、多くの女性ファンを獲得してきた。主演作「Pratiggya」(1975年)には「Main Jatt Yamla Pagla Deewana(私は頭のおかしいジャットだ)」という挿入歌があったが、彼がジャートのスターであることを堂々と誇示している。彼が2025年に亡くなった後は、長男のサニー・デーオールが「ジャート代表」を承継したといえる。「Jaat」(2025年)という主演作もあった。サニーの他にはランディープ・フッダーもジャートである。

Jaat
「Jaat」

 女優でいえば、マッリカー・シェーラーワトが代表的だ。2000年代の「セックスシンボル」として名を馳せ、香港・中国映画「THE MYTH/神話」(2005年)でジャッキー・チェンと共演するなど、一時期非常に勢いのあった女優である。彼女のように顔が小さく細身で長身の体格はジャート女性の特徴とされている。インド北西部の農村に行くと、鮮やかなサーリーを身にまとい、スラリとした姿のジャート女性の姿をよく見かける。

マッリカー・シェーラーワト
マッリカー・シェーラーワト

 首都デリーでもジャートは目立つ存在だ。特に、新興住宅地と新興住宅地の隙間に位置する「都市内農村(Urban Village)」の住民はジャートであることが多い。たとえば、南デリーのムニルカー、ハウズ・カース・ヴィレッジ、シャープル・ジャートなどは典型的なジャートの農村である。これらジャートの農村はデリーの拡大によって都市に呑み込まれ、都市内農村になった。これらの地域に足を伸ばせば、今でも住民から無骨なハリヤーンヴィー方言を聞くことができる。