Maa Behen

3.5
Maa Behen
「Maa Behen」

 2026年6月4日からNetflixで配信開始された「Maa Behen」は、一癖も二癖もある母娘が力を合わせ、世間からの偏見に立ち向かいながら、危機を乗り切るダークコメディー映画である。「Maa Behen」とはそのまま「母と姉妹」という意味だが、これには「悪口」という意味もある。インドの言語の特徴として、相手を罵るために、その人を直接罵るのではなく、その人の家族の女性メンバーを引き合いに出していじる傾向がある。そこから「母と姉妹」と言っただけで、母や姉妹に対して何らかの悪口を言う布石になり、そのまま「悪口」を指すようになった。この作品は「ママ、これってナニゴト?」というちょっと本題と外れた邦題と共に日本語字幕付きで配信されている。ただし、字幕の質は悪くなかった。

 監督は「Tumhari Sulu」(2017年)や「Jalsa」(2022年)などのスレーシュ・トリヴェーニィー。男性監督だが、女性主人公の映画をよく撮っている。音楽はアーカーシュディープ・セーングプター。

 主演はマードゥリー・ディークシト、トリプティ・ディムリー、ダルナー・ドゥルガーの3人。特にマードゥリーとトリプティの取り合わせは面白い。往年の女優と今もっとも勢いのある女優の新旧共演だ。

 他に、ラヴィ・キシャン、ギーターンジャリ・クルカルニー、アルノーダイ・スィン、ラマー・シャルマー、シャルドゥル・バールドワージ、パレーシュ・ラーワル、ジャティン・サルナーなどが出演している。

 舞台は北インドの架空の都市ナーラーズプルの一画にある住区アーダルシュ・コロニー。レーカー(マードゥリー・ディークシト)は25歳のときに夫と義母を感電で亡くし、2人の娘を育て、現在は一人で住んでいた。セクシーなレーカーは近所の男性たちから注目の的で、2人目の娘も夫の死後に身籠もったため、近所の女性たちから疑心暗鬼で見られていた。

 長女のジャヤー(トリプティ・ディムリー)はマーナス(シャルドゥル・バールドワージ)と結婚し、パトナーに住んでいた。夫との間に子供ができず、夫に内緒で体外受精をしようとしていたが、医者から55万ルピーが必要だと言われ、金策を考えているところだった。次女のスシュマー(ダルナー・ドゥルガー)はインフルエンサー気取りで、ジャヤーの家に転がり込み、マーナスと共に動画を作成していた。それがジャヤーを嫉妬させていた。

 夜中にジャヤーとスシュマーはレーカーから呼び出される。向かいの家に住んでいるグプター(ラヴィ・キシャン)が彼女の家で死んでしまったという。二人はレーカーの家に駆けつける。レーカーは頑なに警察に通報するのを嫌がったため、三人は死体をどこかに捨てようと計画する。だが、グプターはまだ死んでいないことが分かる。そこで三人はグプターを縛り、奥の部屋に閉じこめる。

 ところで、グプターの妻(ギーターンジャリ・クルカルニー)は夫が家を出て行ったまま帰ってこないのを心配していた。前の晩、夫婦喧嘩をしていたので、怒って出て行ってしまったと考えていた。娘ゴールディー(ラマー・シャルマー)の結婚式が近づいており、グプターがいないと相手から怪しまれる。グプター夫人の弟マーヘーシュワリー(アルノーダイ・スィン)は警察官であり、密かに義兄の捜索を始めていた。マーヘーシュワリーはジャヤーの幼馴染みで、彼女に片思いもしており、久しぶりにジャヤーが実家に帰ってきたのを見て興奮していた。

 レーカー、ジャヤー、スシュマーが次の策を考えている最中、ジャヤーを追ってマーナスがレーカーの家に来てしまった。マーナスがしばらく泊まっていくと言い出したため、三人はグプターの処理を中断せざるをえなくなる。そうこうしている内に、グプター家に身代金として55万ルピーを要求する電話が入る。それを知ったレーカー、ジャヤー、スシュマーは顔を見合わす。誰もそんな電話はしていなかったからだ。マーヘーシュワリーは身代金受け渡しの現場で犯人を逮捕することにし、張り込みを行うことにする。

 夜中にレーカーがこっそり家を抜け出す。彼女の行動を怪しんだジャヤーとスシュマーは後を追う。レーカーがたどり着いたのは酒屋だった。そこで待ち合わせをしていたのは、スシュマーの父親チャンドルー・ドゥイヴェーディー(パレーシュ・ラーワル)だった。レーカーはチャンドルーにそそのかされ酒屋から55万ルピーを盗み出し、彼に渡そうとしていた。だが、チャンドルーはスシュマーを人質に取り、金だけ持って逃げた。チャンドルーは指名手配犯で、これからネパールに逃亡するという。スシュマーは自分の父親が小悪人と知って失望する。

 三人が家に戻ると、グプターが目を覚ました。乱闘の末にジャヤーは彼の頭にココナッツをぶつけて殺してしまう。また、騒ぎに目を覚ましたマーナスをジャヤーは追い出す。一方、身代金を見張っていたマーヘーシュワリーは眠ってしまい、目を覚ましたときには身代金は持ち去られた後だった。

 だが、まだグプターはしぶとく生きていた。翌朝、目を覚ましたグプターは自力で自宅に戻る。そして、レーカーに電話をし、家を引き渡すように要求する。レーカーは娘二人と共にこの危機を脱するため作戦を練る。三人はグプターを家に誘い入れて誘惑し、乱痴気騒ぎを録画してグプター夫人に流す。弱みを握られたグプターはレーカーたちに手出しができなくなる。グプターは妻に連れられて家に戻る。とりあえず彼女たちはそのままその家に住み続けることができそうだった。

 それから数週間後。自宅でTVを観ていたレーカー、ジャヤー、スシュマーは、ゴールディーが結婚から逃げて、55万ルピーの「小遣い」を持って芸能界でデビューを目指しているのを知って大笑いする。

 インド社会では、女性に何かと「イッザト」という言葉が付きまとう。「イッザト」は「名誉」とか「尊厳」を意味する。家族にとっての「イッザト」とは、主に家族内の女性メンバーが無事であることで保たれる。女性メンバーが無事というのはつまり、女性メンバーの貞操や貞淑が有形無形さまざまな形で守られているということだ。強姦などはもってのほかだが、女性メンバーがたとえ口頭であっても侮辱されることは、家族全体の「イッザト」を損ねる重大事態となる。そして、そういうときは男性メンバーが一丸となり、激しく抵抗して、「イッザト」の回復に努めることになる。女性メンバーの行動が厳しく規制されるのも究極的には家族の「イッザト」を守るためだ。インドの言語で罵詈雑言に女性がよく登場するのには、こういう文化的背景がある。日本語でそれに類する言葉は「お前の母ちゃんでべそ」くらいだが、インドでは相手の家族の女性メンバーを売女扱いするような、ありとあらゆる悪口が存在する。

 「Maa Behen」の本質を一言で言い表すならば、女性の「イッザト」を起点にして世の男性の偽善性をさらけ出すダークコメディーだ。

 確かに主人公の母娘三人は決して淑女ではない。むしろ悪女である。母のレーカーは、常にノースリーブのブラウスを着用し周囲の男性を誘惑する魔性の女だ。結婚後7ヶ月で長女を出産し、夫の死後にも妊娠して近所の女性たちをやきもきさせた。つまり、長女ジャヤーと次女スシュマーの父親は異なるが、何食わぬ顔して育てていた。ジャヤーは三人の中ではもっとも「普通」に見えたが秘めた魔性は母親譲りで、友人のお見合い相手を略奪して結婚していた。スシュマーに至ってはキス動画でフォロワーや再生数を荒稼ぎするような爆弾女だった。とにかくエキセントリックな母娘で、近所から邪魔者扱いされていて、「イッザト」など最初から認められていない存在だ。

 だが、周囲の男性たちは聖人君子だっただろうか。口では「けしからん」と言いながら、ノースリーブのレーカーを邪な視線でなめ回していた。とにかくずるい男ばかりだった。その象徴が、向かいに住むグプターだ。レーカーをアーダルシュ・コロニーから追い払おうとしながらも、何とか手込めにしてやろうと舌なめずりをしていた。レーカーの家で倒れていたのも、結局は欲望に突き動かされた結果であり、因果応報であった。グプターはレーカーたちの罠にはまり、彼女たちと乱痴気騒ぎをしている動画や写真を撮られてしまうが、「イッザト」を盾に彼女たちを脅そうとする。そんな動画や写真を流出させたら、男性よりも女性の方にダメージがあると言いたいのだ。普通だったらそうかもしれない。だが、世間からのけ者扱いされてきた彼女たちには最初から「イッザト」などなかった。「イッザト」によって女性を縛ろうとする社会において、「イッザト」から解放された女性は無敵の状態にあるという逆転の事実を「Maa Behen」は示そうとしていた。

 女性中心の映画なので女性キャラが生きているのは当たり前なのだが、「Maa Behen」の女性キャラたちは従来のインド映画のレベルを突き抜けていた。レーカー、ジャヤー、スシュマー共に、それぞれの形で欲望に忠実であり、自力で状況を打開しようとする気概に満ちた女性たちだった。口も達者で母子や姉妹の間でケンカが絶えない。インド映画の不文律は家族礼賛で、愛し合い慈しみ合う姿が理想像として描かれることがほとんどなので、こういういがみ合いながらも支え合うような家族の在り方は新鮮だった。

 当初はとんでもない女に見せかけておいて、実は正当な理由があってそんなことをしていたとか、後から汚名返上して善人化させるパターンの映画もインドには少なくないのだが、「Maa Behen」ではあまりそういう配慮もなされておらず、レーカー、ジャヤー、スシュマーが悪女であることに変わりはなかった。もちろんそれぞれ弱みも抱えていたが、それでへこたれてしまうようなヤワな女性たちではなかった。その点からも潔さを感じた。

 驚いたのがマードゥリー・ディークシトだ。1980年代から90年代のトップ女優だったマードゥリーは、1999年の結婚を機にしばらくスクリーンから遠ざかり、2010年代に再び映画に出演するようになって現在に至る。もう還暦間近だが、その美貌は今でも健在のイメージが強かった。だが、「Maa Behen」の彼女は完全におばさんになっていた。最初、彼女だとは気付かなかったくらいだ。とはいってもそれは悪い意味ではない。おばさんとしておばさんの演技をしていたのに好感が持てた。しかも、今まで彼女が演じてこなかったような悪女の役を驚くほど生き生きと演じていた。こんな演技もできる女優だったとは、意外な発見だった。

 マードゥリーに触発されたのか、トリプティ・ディムリーもパワフルな演技をしていた。「Animal」(2023年/邦題:ANIMAL)や「Bhool Bhulaiyaa 3」(2024年)などを成功させ非常に勢いのある女優であるが、単なるヒーロー男優の添え物ではなく、自力で映画を動かせる女優であることを証明しつつある。特に、マーナスを追い払うジャヤーの演技は彼女の潜在力を感じさせるものだった。

 舞台になっていたのはナーラーズプルという架空の街だったが、登場人物が話すボージプリー語訛りのヒンディー語から、それがビハール州のどこかをイメージした街であるが分かる。住区の名称が「アーダルシュ・コロニー(理想のコロニー)」だったり、酒屋の名称が「サンスカーリー酒屋(品行方正な酒屋)」だったりと、細かいところで皮肉が効いていた。セリフの中には頻繁に映画の名前が引用され、ヒンディー語映画の知識をテストされているようだった。その辺りはさすがに日本語字幕には反映されていなかった。

 「Maa Behen」は、エキセントリックな母娘を主人公にしたサスペンス風味のダークコメディー映画だが、それ以上に、女性キャラの描き方に新鮮さを感じた。マードゥリー・ディークシトやトリプティ・ディムリーも従来のイメージを覆すような体当たりの演技をしていて、それぞれの潜在力が引き出されていた。観て損はない映画だ。