
2025年12月12日からJioHotstarで配信開始された「The Great Shamsuddin Family(偉大なるシャムスッディーン家)」は、「Peepli Live」(2010年)で名を馳せたアヌシャー・リズヴィー監督が15年ぶりに撮った映画だ。「Peepli Live」は農村に住む貧しい農家が主人公だったが、この「The Great Shamsuddin Family」では一転してデリー在住のイスラーム教徒一族が主人公になっている。
「Peepli Live」と同じく有名な俳優はほとんど出ていない。主演には「Mitron」(2018年)や「Bheed」(2023年)のクリティカー・カームラーが抜擢されている。他に、シュレーヤー・ダンワンタリー、ジューヒー・バッバル、ファリーダー・ジャラール、ドリー・アフルワーリヤー、シーバー・チャッダー、プーラブ・コーリー、ナターシャ・ラストーギー、ジョイター・ダッター、アヌシュカー・バナルジー、ニシャーンク・ヴァルマー、マニーシャー・グプターなどが出演している。
バツイチのバーニー・アハマド(クリティカー・カームラー)はオールドデリーの自宅でUCバークレー校の求人に応募するために必要なレポートを仕上げていた。締切が迫っており、あと12時間で提出しなければならなかった。
そこへ、従妹のイーラム(シュレーヤー・ダンワンタリー)がやって来る。イーラムは母親ナビーラー(ナターシャ・ラストーギー)の銀行口座から250万ルピーを勝手に引き出し、ジムを開きたいというヴィッキーに渡してしまっていた。そしてヴィッキーは音信不通になった。ナビーラーは突然ウムラーへ行くと言い出し、旅費を捻出するため銀行へ行こうとしていた。発覚を恐れたイーラムは離婚した夫スィラージから扶養料250万ルピーを現金で受け取り、それをナビーラーの銀行口座に振り込もうとしていたが、バーニーに同行してほしいと頼む。バーニーとイーラムがマーケットへ行ってみると、銀行の合併が行われその日はサービスが停止していた。イーラムはブラックな方法を使って何とかナビーラーの銀行口座に金を振り込もうとするが、バーニーはそれに賛成しない。振り込みのためには権利委譲書が必要で、とりあえずバーニーの家に戻ってそれを用意することにする。
すると、バーニーの家には次から次へとさまざまな人々がそれぞれの目的を持ってやって来る。バーニーの学生時代の友人アミターヴ(プーラブ・コーリー)とその教え子ラティカー(ジョイター・ダッター)、バーニーとイーラムの従姉フマイラー(ジューヒー・バッバル)、彼女たちの叔母にあたるアッコー(ファリーダー・ジャラール)とアースィヤー(ドリー・アフルワーリヤー)などである。
さらに、彼女たちの従弟ゾヘーブ(ニシャーンク・ヴァルマー)はパッラヴィー(アヌシュカー・バナルジー)というヒンドゥー教徒の女性を連れて来る。二人は駆け落ち結婚をしようとしていたが、選挙のために登記所が閉まっており、結婚できなかった。そこでバーニーの家に駆け込んできたのだった。だが、ゾヘーブの母親サーフィヤー(シーバー・チャッダー)もやって来て鉢合わせしてしまう。アッコーはパッラヴィーが医者だと知って彼女を気に入り、二人の結婚を認める。そのとき、デリー・グルグラーム・ロードで暴動が発生し、通行する自動車が焼き討ちになったとのニュースが入る。フマイラーは夫タウスィーフの身を案じるが、無事にバーニーの家に到着する。バーニーはアミターヴから、米国に行く必要はないと暗に助言を受ける。
アミターヴはゾヘーブとパッラヴィーを結婚させるため、知り合いの裁判官を呼ぶ。20万ルピーの報酬を求められたが、ゾヘーブはそれを了承した。二人の結婚式の準備が始まり、集まった人々は楽しそうに踊り出す。
まず題名から読み取らなければならないのは、この映画の主要な登場人物が属しているシャムスッディーン家はイスラーム教徒の家族であることだ。「シャムスッディーン」は典型的なイスラーム教徒名なのである。その関係でいくつかイスラーム教専門用語が出て来る。「ウムラー」とは、ハッジ月以外に行われるメッカ巡礼のことだ。「メヘル」はイスラーム教徒の男性が離婚した妻に払う金銭で、扶養料と訳してもいいだろう。また、アヌシャー・リズヴィー監督自身もイスラーム教徒である。
また、映画を見始めると分かるのは、シャムスッディーン家は女性が強い家族であるということである。イスラーム教徒の家族というと男性主権のイメージがあるが、シャムスッディーン家で我が物顔しているのは女性たち、特に年配の世代の女性たちである。アッコー、アースィヤー、サーフィヤーは姉妹で、ナビーラーは義理の姉妹になる。特に年長のアッコーは貫禄抜群であった。
ただ、メインとなるのは次の世代の女性たちだ。フマイラー、バーニー、イーラムなどであり、彼女たちは従姉妹になる。彼女たちはそれぞれ悩みを抱え、たまたまバーニーの家に集うことになる。
現在、インドの中央政府ではインド人民党(BJP)のカリスマ政治家ナレーンドラ・モーディー首相の長期政権が10年以上続いている。BJPはヒンドゥー教至上主義を掲げる政党で、同党が与党になって以来、インドの全人口の14.2%を占めるイスラーム教徒に対する締め付けが強化されているとされている。「The Great Shamsuddin Family」は、そういう時代に作られたイスラーム教徒一家の物語である。
現在、インドに住むイスラーム教徒が抱える不安は確かに描かれていた。だが、正面からそれを取り上げていたわけではない。言動の端々から婉曲的にほのめかされていた。たとえば、バーニーが米国で就職しようとしていたのも、イスラーム教徒として将来性を見通せなくなっていたからという理由が大きい。ゾヘーブとパッラヴィーの異宗教間結婚も、不寛容な空気の漂う現代インド社会では一歩間違えば大きな問題になりえたため、必要以上に心配されていた。
イスラーム教徒にスポットライトが当てられていた一方で、ヒンドゥー教徒のキャラクターもいた。パッラヴィーはもちろんヒンドゥー教徒だが、それ以外にも、大学教授のアミターヴと、彼と恋仲にある女学生ラティカーは、どちらもヒンドゥー教徒だ。そして、彼らは真っ昼間から酒を飲み出したり、屋上でキスをしたりと、どこか場違いな雰囲気を醸し出し、保守的なシャムスッディーン家を引き立たせる役割を果たしていた。多数派はそれだけで心配事が少なく、気楽に生きていけるということだろうか。
ただし、映画はブラックコメディーのノリで進んでいき、イスラーム教徒の現状を深刻に訴えるようなシリアスな映画ではない。むしろ、アミターヴ教授の弁を借りて、インドはイスラーム教徒も含めてさまざまなコミュニティーによって構成されてきた偉大な文明であり、インドに住む人々はひとつの家族みたいなものであるということが強調されていた。家族の中でケンカはあるが、だからといってこの土地から離れても帰って来るべき土地は変わらない。インドを捨てようとしていたバーニーも、その考えを捨てたと思われる。ソヘーブとパッラヴィーの異宗教間結婚は、忍耐の先に待っているであろう寛容なインドを表現していたといっていいだろう。
映画の大部分がバーニーの自宅内で進行するTVドラマ型の低予算映画ではある。締切に間に合わせようとレポートの執筆に集中しようとしていたバーニーのところへ、個性的なシャムスッディーン家の面々が次から次へとやって来て、とうとう勢揃いしてしまう。しかもほとんどがおしゃべりな女性たちであり、それぞれに厄介事を抱えていて、それを性懲りもなく持ち込んでお互いにかき回す。バーニーにとってはたまったものではない。言い争いも起きるのだが、新たな問題が持ち込まれるたびになぜか前の問題が丸く収まっていき、最後には皆の顔に笑みがこぼれる。個と個がぶつかり合いながらなぜかうまく行くという状況はインド社会そのものだ。何となく「Monsoon Wedding」(2001年/邦題:モンスーン・ウェディング)を思い出した。
「The Great Shamsuddin Family」は、多数派の支配が続き不寛容性が高まっているといわれる現代インド社会においてしたたかに生きるイスラーム教徒の女性たちを描き出した群像劇である。問題に正面から向き合うのではなく、あえて婉曲的に、イスラーム教徒としての生きにくさにも慎重に触れる中で、インド人イスラーム教徒としての誇りも同時に表現されていた。現代に生きるイスラーム教徒やイスラーム教徒女性の実態や価値観を知るのにいい情報源となるだろう。軽妙な会話を主体に物語が展開するのも映画を楽しくさせている。必見の映画である。
