
2025年7月18日公開の「Murderbaad」は、ジャイプル観光に訪れたツアー客の一人が行方不明になるところから始まるスリラー映画である。題名は、ヒンディー語の単語「मुर्दाबाद(打倒)」と英語の単語「murder(殺人)」を掛け合わせたものだと思われる。死体がストーリーに大きく関係する。
監督はアルナブ・チャタルジー。過去に「Unsaid」(2018年)を撮っているが、ほとんど無名の人物である。キャストは、ナクル・ローシャン・サハデーヴ、カニカー・カプール、シャリーブ・ハーシュミー、マニーシュ・チャウダリー、マニーシュ・カンナー、サローニー・バトラー、アモール・グプテー、アンジャーン・シュリーヴァースタヴ、マスード・アクタル、スブラト・ダッター、バルン・チャンダー、ヴィバー・チッバル、ウダイ・ティーケーカル、カマレーシュワル・ムカルジーなどである。チャタルジー監督自身も一瞬だけカメオ出演している。
ジャイプルの旅行代理店グプター&グプターでマネージャーとして働くマクスード・ガーズィヤーバード(シャリーブ・ハーシュミー)は、偶然出会ったジャエーシュ・マドナーニー(ナクル・ローシャン・サハデーヴ)と意気投合し、彼をアショーク・グプター社長(アンジャーン・シュリーヴァースタヴ)に紹介する。ちょうどガイドの人手が足りなかったため、グプター社長はジャエーシュを採用する。
ジャエーシュはマクスードと共に団体ツアーを担当することになる。ツアーの中には、ロンドン在住のインド系英国人イザベル・シャルマー(カニカー・カプール)、デリーから来たシャイリー・パーンデーイ(サローニー・バトラー)、アル中のサッビール・ジャラン(マニーシュ・カンナー)などがいた。ジャエーシュはイザベルに言い寄られ、ホテルで一夜を共にする。ところが翌朝、シャイリーが行方不明になる。通報を受けたスーリヤカーント・マーヘーシュワリー警部補(マニーシュ・チャウダリー)は、部下のニルマラー(ヴィバー・チッバル)などと共に捜査を開始する。
監視カメラを確認したところ、マクスードが大きなスーツケースを持ち出す様子が映っていた。マクスードはウダイプルに向けて逃走中だったが、マーヘーシュワリー警部補は検問を設置して彼を逮捕する。尋問の末、マクスードは夜に何が起こったのか話す出す。マクスードはシャイリーに惚れており、彼女の部屋に告白に言ったが口論になり、彼女を殴って気絶させてしまった。シャイリーが死んだと思ったマクスードは部屋にあったスーツケースに彼女を詰め、外に運び出した。それを見たジャエーシュは事情を聞き、シャイリーがまだ生きていることを知ると、彼女を病院に連れて行った。マクスードが知っているのはそこまでだった。
また、イザベルはジャエーシュの家を訪れる。そこにはシャイリーの遺体が横たわっていた。早速イザベルは警察に通報する。ところがジャエーシュも行方不明になっていた。マーヘーシュワリー警部補はジャエーシュの行方を追おうとするが、そのときジャエーシュからイザベルに電話がある。ジャエーシュは現在、西ベンガル州ジャルパーイーグリー県のチャールサーにおり、イザベルを呼び寄せた。マーヘーシュワリー警部補と相談したイザベルは彼の誘いに乗る。マーヘーシュワリー警部補はイザベルと共にチャールサーへ向かう。
現地の警察署を訪れたマーヘーシュワリー警部補は、ジャエーシュの本名がジョーゲーシュ・マリクであること、また彼には死姦趣味があることが分かる。イザベルはジャエーシュに会いに行く。ジャエーシュは彼女を茶園の中の邸宅に誘い入れ、彼女に結婚を申し込む。だが、イザベルが警察と密通していることがばれ、彼女は殺されてしまう。マーヘーシュワリー警部補は邸宅に突入し、ジャエーシュを射殺する。
「Murderbaad」の肝は、主人公かつシャイで純朴な青年だと思われていたジャエーシュが、実は死姦趣味のある変態だったという点である。ジャエーシュがガイド、マクスードがバス運転手を務める団体ツアーで参加者の一人シャイリーが行方不明になる。後に彼女の死体が発見されたことでこれは殺人事件に切り替わる。当初はジャランやマクスードが容疑者として浮上するが、最終的にはジャエーシュの家からシャイリーの死体が見つかり、彼が第一容疑者になる。この時点ではまだ犯行の動機などが明らかになっていないが、事件を担当したマーヘーシュワリー警部補がジャエーシュの故郷ジャルパーイーグリーを訪れることで、彼の正体が明らかになる。ジャエーシュは当地の病院の死体安置所で働いていたが、女性の死体を死姦していたところを院長に見つかり、自ら逃亡してジャイプルに流れて来たのだった。退屈な流れを死姦というパワーワードで一気に挽回しようとしたような作品であった。
確かに死姦を扱ったインド映画はあまりない。あえていうならば、ウルドゥー語作家サアーダト・ハサン・マントーの死姦を扱った短編小説「Thanda Ghosht(冷たい肉)」が収められた「Mantostaan」(2017年)や「Manto」(2018年)が該当するが、死姦をメインテーマに据えた作品はあまり思い付かない。ただ、世界の映画を見渡すと、決して珍しいテーマではなく、死姦だけでもって映画をセンセーショナルに味付けしようとするのは困難である。やはり映画としての完成度が高くなくてはどうにもならない。「Murderbaad」には、映画としての基本的な魅力が欠けていた。最後にヒロインのイザベルが死んでしまうのも救いがなさすぎて気が滅入った。こんな終わり方は悲しすぎる。
シャリーブ・ハーシュミーやマニーシュ・チャウダリーといった実力派俳優たちが起用されていたし、変わったところでは「Stanley Ka Dabba」(2011年/邦題:スタンリーのお弁当箱)を監督したアモール・グプテーも端役で出演していて意外性があったが、いかんせん、死姦趣味の張本人であるナクル・ローシャン・サハデーヴが弱かった。「Gully Boy」(2019年/邦題:ガリーボーイ)などに出演していた男優だが、死体を犯して悦には入る猟奇的な殺人鬼を演じるには役不足であった。イザベルを演じたカニカー・カプールは「Dono」(2023年)に出演していたが、まだまだ駆け出しの女優である。悪くはなかったが、インパクトに欠けた。
映画中、死姦に関してひとつ面白い指摘があった。インドでは2024年からBNS(新インド刑法)が施行されたが、この法律は死姦を罪として規定していない。IPC(インド旧刑法)では第377条において「自然に反する罪」が規定され、同性愛を含む「不自然」な性行為が犯罪となっていて、死姦はこの条文に抵触していた。だが、この条文は2018年に最高裁判所によって無効化され、BNSに受け継がれなかったため、同性愛が合法化された代わりに死姦までも簡単に裁けなくなってしまったのである。
また、ジャエーシュのカーストはドームであった。ドームとは、火葬場で死体を火葬をするコミュニティーであり、不可触民である。ただ、ドームが皆、死姦趣味ということをいいたいわけではない。実際、ジャエーシュは死姦をしているところを仲間に見つかり、村八分にされ、ジャイプルに流れてきたのだった。
言語は基本的にヒンディー語だが、舞台が西ベンガル州に移るとセリフにベンガル語が多用されるようになる。また、映画の中ではベンガル語の歌が流れ印象的だが、これはラビンドラナート・タゴールが作ったラビンドラ・サンギートのひとつ「Ami Chini Go Chini」である。
「Murderbaad」は、ロマンス映画風の平凡な滑り出しから行方不明事件が起こることでスリラー映画に切り替わり、最終的に死姦に行き着くというかなり大胆な筋書きの映画である。ただ、映画の作りがまずく、終わり方にも救いがなくて、死姦というキーワードのみで押し通そうとして失敗したように感じた。そもそも死姦を扱った映画がセンセーションを巻き起こすような時代でもない。いろいろなことがうまく噛み合っていない作品だった。
