
2025年6月27日公開の「Maa(母)」は、大ヒットしたホラー映画「Shaitaan」(2024年)と同じユニバースに位置づけられるホラー映画である。どちらもアジャイ・デーヴガンがプロデュースしている点で共通している。
監督は「Chhorii」(2021年)などのヴィシャール・フリヤー。主演はアジャイ・デーヴガンの妻カージョル。他に、ローニト・ロイ、インドラニール・セーングプター、ケーリン・シャルマー、ゴーパール・スィン、スールジャースィカー・ダース、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤなどが出演している。また、「Shaitaan」で悪魔を演じたRマーダヴァンが特別出演している。
アンビカー(カージョル)は、夫シュバーンカル(インドラニール・セーングプター)、12歳の娘シュエーター(ケーリン・シャルマー)と共にコルカタに住んでいた。あるときシュバーンカルの故郷チャンドラプルから彼の父親の訃報が届く。シュバーンカルは単身チャンドラプルに帰り、葬儀を執り行うが、帰り道に不慮の死を遂げる。
それから3ヶ月後。アンビカーはシュバーンカルの叔父ジョイデーヴ(ローニト・ロイ)に呼ばれ、父親の遺産整理のためにチャンドラプルに呼ばれる。アンビカーはシュエーターを連れて行く。二人はハヴェーリー(邸宅)の管理人ビカーシュ(ゴーパール・スィン)とナンディニー(スールジャースィカー・ダース)に迎えられる。シュエーターはビカーシュとナンディニーの娘ディーピカーと仲良くなるが、ナンディニーの異様な視線に気付いてた。アンビカーは、ハヴェーリーは呪われていると村人たちから噂されているのも知る。ハヴェーリーには封鎖された一室があり、そこにはカーリー女神が祀られていた。また、ハヴェーリーの裏には古い大木があったが、そこに近づくことは禁止されていた。
ディーピカーに初潮が来た。ナンディニーはカーリー女神に祈りながら彼女を一室に閉じこめるが、彼女は何者かに誘拐されてしまう。村人たちはアムサジャーという悪魔に誘拐されたと信じていた。3ヶ月前からこの村では少女の誘拐が相次いでいたが、数日後には無事に戻ってきたため、警察沙汰にはなっていなかった。アンビカーは警察と共に森に入ってディーピカーを探すが見つからなかった。その晩、アンビカーはカーリー女神の夢を見た。アンビカーがハヴェーリーの開かずの扉を開けると、ディーピカーは戻ってきた。誘拐されて戻ってきた他の少女たちと共に病院で検査を受けたが、特に性暴力の痕跡はなかった。ただし、彼女たちは生理が止まっていた。
シュエーターにも初潮が来た。ある晩、ディーピカーは、他の少女たちと共にシュエーターを外に誘い出し、大木のところへ連れて行こうとした。気付いたアンビカーが彼女を連れ戻す。耐えられなくなったアンビカーはシュエーターを連れて村から逃げ出そうとするが、少女たちに襲撃され、シュエーターはさらわれてしまう。アンビカーは森に住む老婆によって治療を受ける。アンビカーは老婆から、この村の秘密について知らされる。アムサジャーは、カーリー女神によって退治された悪魔ラクタビージャの末裔であり、シュバーンカルの家系はアムサジャーを押さえ込む力を授けられていた。だが、家族に女性が生まれると力が失われるため、女児が生まれるごとに間引きをしてきた。シュバーンカルはこの因習を嫌い、コルカタで過ごしてきた。シュエーターの誕生もひた隠しにしてきたのだった。また、アムサジャーと契約し、その力を宿していたのは、叔父のジョイデーヴであった。
アムサジャーと対峙するため、アンビカーはカーリー・プージャー祭を行い、カーリー女神から力を授かる。アンビカーは森に突入しアムサジャーと戦ってシュエーターを救い出す。シュエーターはアムサジャーの子種を宿してしまっており、アムサジャーの根絶するためには殺さざるをえなくなるが、老婆の機転により、彼女の身体が浄化されたことを知る。
近年、ヒンディー語映画界ではホラーコメディーが大流行している。「Stree 2: Sarkate Ka Aatank」(2024年)や「Bhool Bhulaiyaa 3」(2024年)の大ヒットは記憶に新しい。だが、真面目なホラー映画が完全に根絶やしになったわけではなく、全く笑いの要素のないホラー映画もコンスタントに作られている。その中でも「Shaitaan」は高く評価された正統派ホラー映画であった。「Shaitaan」と同じユニバースに含まれる「Maa」は、観客を笑わせることを目的としたホラーコメディーではなく、怖がらせることを目的とした正真正銘のホラー映画である。
インドのホラー映画のストーリーには、何らかの社会問題が絡められることが少なくない。シュバーンカルの家系では女児が生まれると間引きが行われていた。女児の間引きや堕胎といえば、持参金や男尊女卑の価値観によりインド社会に根強く残っている因習だ。多くのホラー映画の題材にもなってきた。だが、「Maa」で女児の間引きが行われていたのはその因習とは関係なく、村に居座る悪魔の影響であった。この点で、「Maa」は社会問題の提起などから完全に足を洗い、純粋にホラーを追求していることが分かる。
とはいっても、「Maa」が恐怖の源としているのは、全く無から作り出された産物ではない。インド神話に準拠している。インド神話ではいくつもの神と悪魔の戦いが描かれるが、その中でも天界を最大の危機に陥れたのが悪魔ラクタビージャであった。ラクタビージャは、その血が地面に落ちると新たなラクタビージャが生まれるという特殊能力を持っていた。神々はラクタビージャを攻撃したが、その血が地面に落ちるたびにラクタビージャの数が増え続け、その内数で圧倒されてしまったのである。助けを求められたパールワティー女神は、恐ろしいカーリー女神に変化して、ラクタビージャの血を飲み干した。こうして世界は救われたのである。「Maa」に登場するアムサジャーは、ラクタビージャの落とし子のような設定であった。
アムサジャーは普段、大木の形を取っている。アムサジャーは蔓や枝を伸ばして人間に絡みつき、森に引き込んでしまう。また、人間の形を取ることもあるが、これはシュバーンカルの叔父ジョイデーヴに取りついた姿であった。この映画においてホラーシーンはCGを多用して表現されていた。特に終盤、アンビカーとジョイデーヴの間で戦われるバトルシーンは、スーパーヒーロー映画を思わせる派手な演出になっていた。
だが、どうもその肝心のCGが安っぽかったのである。最近の観客が目が肥えているため、CGで手を抜くと途端に駄作感が強まってしまう。残念ながら「Maa」に導入されていたCGは、スーパーヒーロー映画の域まで目指していたと思われるこの映画にふさわしいレベルではなかった。CGへの予算配分をケチってしまったのではなかろうか。
もうひとつ安っぽさを感じたのは、カーリー・プージャーのシーンである。このシーンは「Kali Shakti」というダンスシーンにもなっていた。おそらく「Pushpa 2: The Rule」(2024年)の「Gango Renuka Thalli」にインスパイアされていると思われるが、全くそのレベルに達していない。やはり必要なお金を掛けていないように感じた。
ストーリーでは初潮がひとつのキーワードになっていた。舞台となっていたチャンドラプル村では、初潮を迎えた少女がアムサジャーに誘拐される事件が相次いでおり、管理人の娘ディーピカーも初潮が来た途端に誘拐されてしまう。数日後、ディーピカーは帰ってくるが、生理が止まっていた。また、それから間もなくシュエーターにも初潮が来て、彼女もアムサジャーに連れ去られてしまう。シュエーターにはアムサジャーの子種が宿された。シュエーターが誘拐されたのは、アムサジャーが子孫を残すためだということが分かるが、ディーピカーなどの少女たちが初潮を迎えた途端に誘拐される理由がよく分からなかった。また、生理について理解を深めるような内容にもなっていなかった。むしろ、初潮や生理について偏見を強める内容になっていたのではなかろうか。近年のヒンディー語映画では、若者に正しい性知識を広めることを目的とした作品が目立つが、「Maa」はその系譜にも連なっていない。
この映画を2010年代から続く女性中心映画の延長線上に位置づけることは可能だ。当初はインドラニール・セーングプター演じるシュバーンカルの方が目立っていたが、すぐに彼は死に、その妻アンビカーを演じるカージョルが主演であることが分かる。彼女の演技に文句の付けようはない。カーリー女神から力を授けられ、悪魔アムサジャーと戦うシーンもかっこよかった。おそらく一度こういう役を演じてみたかったのだろう。
アムサジャーおよびアムサジャーに取りつかれたジョイデーヴを演じたのは、硬派な演技派男優ローニト・ロイだ。彼が演じている時点で、ジョイデーヴは普通のキャラでないことはバレバレなのだが、案の定、終盤で彼こそが元凶であることが分かる。サルマーン・カーンばりに上半身裸になって肉体を披露していた。彼にとっても今まであまり演じたことのない役柄で、きっと楽しかったのではなかろうか。
本編中にはあまり意識させられなかったのだが、本編終了後のボーナス映像にはRマーダヴァンが登場し、悪魔は不滅であると宣言する。その音楽は「Shaitaan」で使われたものであり、「Shaitaan」と同じユニバースの作品であることが明かされる構造になっている。
「Maa」は、ホラーコメディー全盛の時代において、コメディーに頼らないホラー映画も健在であることを示してくれる作品だ。とはいえ、予算が限られていたのか、全体的にチープな印象を受ける映画であり、怖さもあまり感じなかった。おかげで、ヒンディー語映画界において、ホラーコメディー以外のホラー映画の進化があまり起こっていないことに気付かされてしまった。興行的にも満足いく結果ではなかったようである。残念な作品だ。