21世紀、ヒンディー語映画はハリウッド映画の得意ジャンルを模倣し、ホラー、SF、スーパーヒーロー、アドベンチャーなど、様々なジャンルの映画をインド映画の味付けで作るようになった。その内のいくつかの作品は成功し、ジャンルとしても確立した。だが、思い返してみれば、シャーロック・ホームズやポワロのような探偵モノのシリーズはヒンディー語映画に欠けていた。唯一、「Bobby Jasoos」(2014年)が探偵モノと言える映画だが、シリーズ化はされていない。
そこで、「Oye Lucky! Lucky Oye!」(2008年)や「Love Sex Aur Dhokha」(2010年)などで有名なディバーカル・バナルジー監督は、ヒンディー語の探偵映画を新たに築き上げようと試みた。それが、2015年4月3日公開の「Detective Byomkesh Bakshy!」である。
探偵ビョームケーシュ・バクシーは、インド人にとって決して新しい名前ではない。むしろ、インド人がよく知る探偵である。ベンガル人作家シャラドィンドゥ・バンデョーパーディヤーイ(1899-1970年)の書く探偵小説シリーズの主人公であり、ベンガリー語では今まで何度も映画化されている。「大地のうた」(1955年)で有名なサティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)が1967年に作った「Chiriyakhana」が初の映画化とされている。また、ラジオドラマやテレビドラマにもなっている。特に1993年および1997年に国営TV局ドゥールダルシャンが放映したラジト・カプール主演のヒンディー語テレビドラマ「Byomkesh Bakshi」は人気を博し、何度も再放送された。現在、インド人がビョームケーシュ・バクシーの名前をよく知っているのは、このテレビドラマのおかげであるようだ。ありがたいことに、ドゥールダルシャンはラジト・カプール主演のこのテレビドラマの全エピソードをYouTubeで公開している。
今回、バナルジー監督が「Detective Byomkesh Bakshy!」で目指したのは、ベンガリー語映画やテレビドラマの世界で以前から活躍して来たこの探偵ビョームケーシュ・バクシーをヒンディー語映画の世界に定着させることだ。主演に抜擢されたのはスシャーント・スィン・ラージプート。「Kai Po Che」(2003年)や「Shuddh Desi Romance」(2014年)で注目を集めた若手男優である。他に、アーナンド・ティワーリー、ディヴィヤー・メーナン、スワスティカー・ムカルジー、ニーラジ・カビー、メイヤン・チャン、アーリヤン・ボウミクなど。
実験を好むバナルジー監督らしく、「Detective Byomkesh Bakshy!」は、1940年代のカルカッタを舞台にした映画にもかかわらず、楽曲のほとんどは、映画音楽家ではないアーティストに作曲を頼んでいる。Madboy/Mink、Blek、Peter Cat Recording Co. (PCRC)、Mode AKA、Joint Family、IJAなどである。映画音楽家と言えるのは、「Bach Ke Bakshy」の作詞・作曲を担当したスネーハー・カーンワルカルのみだ。かなりぶっ飛んだ起用だと言える。ちなみに、カーンワルカルの出世作「Oye Lucky! Lucky Oye!」は、前述通りバナルジー監督の作品である。
ヒンディー語映画「Detective Byomkesh Bakshy!」のストーリーは、基本的にオリジナルであるが、その骨子は、原作シリーズの第1作「Satyanweshi」(1931年)に基づいている。「Satyanweshi」とは「真実の探求者」。ビョームケーシュ・バクシー自身が「探偵」の代わりに自称した呼称である。
1942年、カルカッタ。第二次世界大戦が進行しており、日本軍がビルマまで到達していた。インドは英国の支配下にあり、日本と敵対していた。カルカッタでは日本軍の爆撃があり、頻繁に空襲警報が鳴っていた。 大学生のビョームケーシュ・バクシー(スシャーント・スィン・ラージプート)は、同じく大学生アジート・バナルジー(アーナンド・ティワーリー)の失踪した父親ブバンを探すことになった。ビョームケーシュは、ブバンの滞在していたロッジを訪れ、部屋を借りる。そのロッジのオーナーは、アヌクール・グハー(ニーラジ・カビー)という医者だった。ビョームケーシュはロッジでブバンのパーン箱を発見し、ブバンが何者かに殺されたことを確信する。 ビョームケーシュはブバンが失踪直前に働いていた工場を訪れる。その工場のオーナーは、市議会議員ガジャーナン・スィクダルだったが、既に閉鎖されていた。この工場でビョームケーシュは、女優アングーリー・デーヴィー(スワスティカー・バナルジー)に出会う。アングーリーはスィクダルの愛人だった。アングーリーのバッグから、スィクダルに対する脅迫状を見つけたビョームケーシュは、ブバンが何らかの事情で雇用主のスィクダルを脅しており、それが原因で殺されたと推理する。ビョームケーシュはグハーと共に工場に潜入し、そこでブバンの遺体を発見する。 ところが、すぐにこれはビョームケーシュを間違った推理に導こうとする真犯人グハーの策略だと気付く。グハーはロッジからいなくなっていた。スィクダルは警察から事情聴取を受けていたが、ビョームケーシュはスィクダルの無罪を主張する。後にビョームケーシュはスィクダルの家を訪ねるが、彼がスィクダルに話そうとした瞬間、彼は口から泡を吹いて倒れる。毒殺だった。スィクダルは甥のスクマールと不仲であり、疑いの目は彼に掛けられた。スクマールも政治家であり、スィクダルとは別の、反英主義政党を立ち上げたばかりだった。スクマールの妹サティヤワティー(ディヴィヤー・メーナン)はビョームケーシュに助けを求める。 ビョームケーシュはスクマールの身辺調査をする。その中で、彼が日本人医師ワタナベのところへ行っていたことが分かる。ビョームケーシュはアジートと共にワタナベを訪ねる。だが、ワタナベはビョームケーシュを疑い、スクマールの部下に彼を尾行させる。ビョームケーシュはその尾行を巻き、変装して逆に尾行し返す。彼はワタナベのクリニックに戻って行ったが、なかなか出て来なかった。と、逃走するワタナベの乗る車が急発進し、ひかれそうになるが、それをかわし、クリニックへ行ってみると、尾行して来た男が殺されていた。だが、その男のポケットから謎の地図を発見する。これは、カルカッタの河のルートと一致した。 また、ビョームケーシュは、ブバンのパーン箱にあったパーンにはヘロインが含まれていることに気付く。しかも、摂取するまでヘロインであることが分からない特殊な加工が施されていた。さらに、同じロッジに泊まっていた中国系インド人、カナーイー・ダーオ(メイヤン・チャン)から、チャイナタウンの中国人ギャングウォーのことや、街中から阿片が消えたことなどを聞く。鍵を握るのは、ヤンゴンという男だった。彼はライバル・ギャングとの抗争の中で死んだとされていたが、まだ生存しており、カルカッタのどこかに潜伏しているはずだった。 さらにビョームケーシュは、ロッジに戻ったグハーから、自分たちは独立闘争をしていると聞かされる。曰く、ブバンやスィクダルの死はそのための犠牲であった。グハーはビョームケーシュを仲間に誘う。だが、ビョームケーシュは真実にたどり着く。ヤンゴンは日本軍をカルカッタに招き入れ、英国人を追い出そうとしていた。それにスクマールやワタナベが協力していた。彼が発見した地図は、日本軍の侵入ルートであった。また、資金源として、ブバンが発明したヘロインを使っており、これを精製するための阿片がカルカッタの闇ルートから消えていたのである。また、アングーリーはヤンゴンのために働いており、スィクダルを毒殺したのも彼女であった。そして、一番重要な真実、ヤンゴンは誰かということであるが、ビョームケーシュはグハーこそがヤンゴンであると喝破する。 ビョームケーシュはロッジにグハー、スクマール、サティヤワティー、ワタナベ、アングーリーを呼び寄せ、その真実を明かす。だが、グハーはアングーリーを殺し、そこへ乱入した中国人ギャングにスクマールやワタナベは殺される。ビョームケーシュとサティヤワティーは何とか助かる。グハーは中国人ギャングに連行されるが、片目と引き替えに彼らを返り討ちにする。また、ビョームケーシュはサティヤワティーに求婚する。
まず、映画全体を取り巻く雰囲気がヒンディー語映画としてはとてもユニークだった。
時代は1942年。英領インド時代末期で、世界では第2次世界大戦が進行している。この年、マハートマー・ガーンディーは「クイット・インディア(インドを去れ)」運動を開始し、反英の機運が最高潮になっていた一方で、亡命中のスバーシュチャンドラ・ボースはまだドイツに滞在しており、日本との協力関係はなかった。
舞台はカルカッタ。時代考証がどれだけなされたかは不明だが、昔のカルカッタの雰囲気を再現しようとする努力が随所に感じられた。ビルマまで進軍した日本軍による爆撃が行われており、街では空襲警報が頻繁に鳴り響いていた。さらに、カルカッタの中でもチャイナタウンが主な舞台となっている。中印戦争で対中国感情が悪化するまで、カルカッタのチャイナタウンには2万人ほどの中国人が住んでいた。上海やラングーン(現ヤンゴン)まで含めた範囲での中国人ギャングの抗争が伏線となっている。
また、カルカッタ在住の日本人医師が登場し、物語の中で重要な役割を担う。このような時代背景や舞台設定の中で物語が進むヒンディー語映画は初めて観たので新鮮だった。
シリーズ化を前提とした作りになっており、主人公ビョームケーシュ・バクシーの台頭、シャーロック・ホームズで言うワトソン博士のような存在であるアジート・バナルジーとの出会い、将来の妻サティヤワティーへの求婚、そして生涯のライバルとなりそうなグハーとの因縁など、続編に向けた伏線が張り巡らされていた。その一方で、今までTVドラマなどでビョームケーシュ・バクシーに親しんで来た観客のみを対象としているためなのか、シリーズ第1作としては異様なほどビョームケーシュ自身の説明があまりなく、彼の探偵としての才能の源泉、彼が探偵をし出した動機、彼の資金源などがよく分からなかった。
今回、ビョームケーシュは、カルカッタが日本軍の手に落ちるのを防いだ訳だが、第1作からこんな大仕事をしてしまうと、続編からさらに大きな規模のストーリーを用意しなければならず、すぐに行き詰まってしまうのではないかとの懸念もある。
また、脚本がかなり複雑な上に、スシャーント・スィン・ラージプート演じるビョームケーシュの話す、あまり滑舌の良くない台詞の中に、その後の展開の理由などが説明されているため、話の筋を追うのに苦労する。ただ、脚本が複雑だからと言って緻密な訳ではない。例えば、ビョームケーシュがグハーにいいように操られる前半部分などは、探偵映画としてはあまりに予定調和的過ぎる。まだ駆け出しの探偵であるビョームケーシュはここまで周囲の大人からかまってもらえるのも違和感を感じる。決して大衆向けの映画ではないし、かといって探偵推理小説が好きな層に受け入れられるかと言えば、そうも言えそうにない。結果、興行的にも振るわなかったようだ。
それでも、この「Detective Byomkesh Bakshy!」が首尾良くシリーズ化されれば、今後ヒンディー語映画を代表する探偵映画となって行くかもしれない。ちなみに現在、ランビール・カプールとカトリーナ・カイフ主演で「Jagga Jasoos」(2017年)という探偵映画が制作中だ。「Bobby Jasoos」もあるし、近い将来、ヒンディー語映画でも「探偵映画」というジャンルが確立するかもしれない。
「Detective Byomkesh Bakshy!」は、インドが誇る名探偵ビョームケーシュのヒンディー語映画デビュー作と言っていい作品だ。日本軍の空襲にさらされる1942年のカルカッタが舞台という、ユニークな時代背景・舞台設定の中、ビョームケーシュがカルカッタの危機を救う活躍をする。実験的な映画作りが好きなディバーカル・バナルジー監督は今回、時代劇のBGMにパンクロックを導入するなど、音楽面でかなりの実験をしている。シリーズ化の可能性も高い。ただ、この第1作は、脚本の複雑さ、そして粗雑さから、マス(大衆)層にもクラス(インテリ)層にもアピールに欠けるため、順風満帆の出だしとは言えない。