Manjhi: The Mountain Man

4.0
Manjhi: The Mountain Man
「Manjhi: The Mountain Man」

 実話を元にした映画は、どこの国でも、いつの時代でも、人々の関心を引くものだ。ヒンディー語映画界にも「実話映画」の系譜がある。実話をどこまで忠実に再現するか、物語をどのように味付けするか、などは監督の裁量により異なって来るが、関係者の全面的な協力の下に作られ、娯楽映画としても高い完成度を誇った例として、「No One Killed Jessica」(2011年)が挙げられる。また、広い意味での「実話映画」には、伝記映画や歴史映画も含まれて来るが、ここまで範囲を広げると、多くの傑作が挙げられる。最近公開の映画では、日本でも「ミルカ」の邦題と共に公開された「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)が好例だ。

 実在の人物や事件を題材にした映画は、大きく2つに分類できるだろう。ひとつは誰もが知るような有名人や事件を題材にした映画。このような映画は、そこから何らかの教訓や人生訓を得たり、事件の真相に迫ったり、と言った目的で作られることが多い。もうひとつは、あまり知られていない人物や事件を取り上げ、そのことを周知させる目的で作られる映画である。2015年8月21日公開の「Majhi: The Mountain Man」は、後者の類の映画だと言っていいだろう。

 「Manjhi」は、ビハール州の貧しい村に生まれた最下層カーストの男ダシュラト・マーンジー(1934-2007年)の物語だ。副題の「The Mountain Man」とは彼の愛称であるが、なぜ彼が「マウンテンマン」と呼ばれるようになったのか、それ自体がこの映画の主題だ。マーンジーは、何とほぼ独力で山を鑿(のみ)と金槌を使って削り続け、22年間掛けて道を造り出した、驚異的な人物なのである。彼が削り出した道は、現在「ダシュラト・マーンジー道」と名付けられている。

 マーンジーは、この映画が公開される前まで、全く無名だったという訳でもない。彼の偉業は度々メディアにも取り上げられて来た。特に2007年に彼が死去したときには、ある程度大きく報道されたはずだ。だが、彼の名が一躍全国的に有名になったきっかけは、人気男優アーミル・カーンがホストを務めるテレビ番組「Satyamev Jayate」(2014年3月)で彼のことが紹介されたことであろう。さらに、この映画が作られたことで、彼の名は完全に全国のインド人の脳裏に定着したと思われる。

 「Manjhi」の監督はケータン・メヘター。伝記映画を得意とする監督で、過去に、初代副首相サルダール・バッラブバーイー・パテールの伝記映画「Sardar」(1993年)、反英運動家の元祖とされるマンガル・パーンデーイの伝記映画「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)、画家ラージャー・ラヴィ・ヴァルマーの伝記映画「Rang Rasiya」(2014年)などを撮っている。作曲はサンデーシュ・シャーンディリヤーとヒテーシュ・ソーニク、作詞はケータン・メヘター、ディーパク・ラモーラー、クマール。主演は最近絶好調のナワーズッディーン・スィッディーキー。他に、ラーディカー・アープテー、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー、パンカジ・トリパーティー、ガウラヴ・ドゥイヴェーディー、ウルミラー・マハンター、アシュラフ・ウルハク、プラシャーント・ナーラーヤナンなどが出演している。

 ビハール州ガヤー郡ゲヘロール村は、地方都市ワズィールガンジからすぐ近くに位置していたが、その間には巨大な岩山がそびえ立っており、村人たちは町へ行くのに遠回りをして行くか、危険な山越えをすることを余儀なくされていた。おかげでゲヘロール村は、インド独立後も発展から取り残されていた。

 ゲヘロール村に住み、ネズミ捕りを生業とする最下層アウトカースト「ムサハル」の一家に生まれ、幼い頃に村を飛び出し、ダンバードの炭鉱で働いて生計を立てていたダシュラト・マーンジー(ナワーズッディーン・スィッディーキー)は、1956年に久々に村に帰って来る。そこで、幼い頃に習慣に従って結婚式を挙げたものの、そのまま全く顔を合わせていなかったパグニヤー(ラーディカー・アープテー)と再会し、恋に落ちる。パグニヤーの親は、マーンジーが長年行方不明となっていた上に、現在無職であったため、パグニヤーを別の男と結婚させようとしていたが、マーンジーはパグニヤーと共に駆け落ちする形で結婚する。

 マーンジーとパグニヤーの間にはまず一人の男の子が生まれる。パグニヤーは二人目を身ごもったが、1960年のある日、町に出たマーンジーに会いに行こうとして岩山に登り、足を滑らせて落ちてしまう。パグニヤーは死ぬが、お腹の中の娘は助かった。

 マーンジーは、岩山に最愛のパグニヤーを殺されたと考え、以後、岩山を削ってワズィールガンジまで道を造り始める。当初、人々はマーンジーが発狂したと考え、放っておいた。マーンジーは幾年も幾年も岩山を削り続けた。その間、地主(ティグマーンシュ・ドゥーリヤー)がナクサライトとなったマーンジーの従兄弟ジュムルー(プラシャーント・ナーラーヤナン)に殺されたり、地主の息子ルアーブ(パンカジ・トリパーティー)にマーンジーが騙されたり、マーンジーがデリーまで資金援助に赴いたり、マーンジーが勝手に「政府の所有物」である岩山を削った容疑で逮捕されたりと、様々な事件が起こった。また、ジャーナリストのアーローク・ジャー(ガウラヴ・ドゥイヴェーディー)は当初からマーンジーを取材し、時々彼から助言ももらっていた。岩山が徐々に削られ、道らしきものが見え始めたことで、彼に協力する村人も現れ始めた。

 岩山を削り初めてから22年後、とうとうマーンジーは岩山を削りきり、ワズィールガンジへ通じる道を通した。その道は「ダシュラト・マーンジー道」と名付けられ、彼の偉業は永遠に記憶されることになった。

 一人の男がただひたすら岩山を削り続ける。22年間、黙々と・・・。大雑把に言ってしまえば、ただそれだけの物語である。だが、そこからいくつものドラマやメッセージを導き出していた。決して派手さはない映画だが、引き込まれるものがあり、見終わった後には大きな達成感が得られる。これは、監督の真摯な映画作りと、主演ナワーズッディーン・スィッディーキーの名演に依るところが大きい。

 ともすると、何のドラマもない映画になってしまいそうなダシュラト・マーンジーの物語を、味のあるものに仕立てあげることができたのは、愛と憎しみの微妙な関係を主軸に展開していったからだろう。かつてマザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と言ったとされる。その意味するところは、貧困問題などに対する無関心への警鐘だったと思われるが、逆に考えてみると、憎しみを抱く対象は愛の対象と遠くはない、ということでもある。

 ダシュラト・マーンジーが生涯の敵として憎しみ続けていたのは、故郷ゲヘロール村とワズィールガンジの間にそびえ立っている岩山である。この岩山は、ゲヘロール村が発展から取り残される大きな原因となっていただけでなく、彼の最愛の妻パグニヤーの命を奪った張本人でもあった。妻を失った後、マーンジーは狂ったように岩山を鑿と金槌のみで削り続ける。

 だが、「Manjhi」は、人と岩山の不思議な関係を描写し出す。マーンジーは、憎しみを抱いていた岩山に対し、いつの間にか愛情を抱き出すのである。登山家と山の関係を描いた映画はあるかもしれないが、岩山を削ろうとする人間と岩山のただならぬ関係を映画にしたのは、世界広しと言えど、これが初ではなかろうか。いつしか黄土色の岩壁は、妻の褐色の肌と重なり合うようになる。そして、干魃によって干上がりそうになっていたマーンジーを、岩山は自らの体内に導き、そこに沸く地下水でもって、救う。もはやマーンジーにとって岩山は、憎き敵であると同時に愛しき同士ともなった。

 傍から見ればマーンジーの孤独な22年間は、上記のように、憎しみを愛に変換することで、情緒豊かに描き出されることになった。また、産褥熱のために死んだ最愛の妻ムムターズ・マハルのために皇帝シャージャハーンによって造られた墓廟タージマハルと、身ごもっていた娘を残して死んだ最愛の妻のために削る対象となった岩山が対比されてもいた。

 ゲヘロール村は岩山によって周囲から切り離され、発展から取り残されていたと説明されていたのだが、マーンジーがパグニヤーと再会した1956年から、岩山に道ができた1982年まで、実際には世の中の様々な動きがストーリーの中に織り込まれ、世相を反映する工夫も成されていた。例えばマーンジーが村に帰って来たときに、不可触民制度の廃止に不可触民たちが沸くシーンがあったが、これは不可触民制犯罪法(Untouchability Offences Act, 1955)の施行のことを言っているのだろう。その後も、1971年のインディラー・ガーンディー首相「ガリービー・ハターオー(貧困撲滅)」演説、ナクサライトの台頭、1975-77年のエマージェンシー(非常事態宣言)など、時代の変遷を感じさせる事件が登場する。

 マーンジーが、インドの社会の中でも最底辺、不可触民の中でもさらに最下層の、「マハーダリト(大不可触民)」と呼ばれるムサハル・カーストに属する点も、この映画を特異なものとしている。言わばマーンジーは最下層のヒーローを主題にした映画なのだ。特に冒頭部では、マハーダリトに対する人々の差別的行動――例えば何の理由もなく石をぶつけられるなど――もサラリと触れられていた。決して不可触民制度に対して声を上げることを目的とした映画ではないが、人間は出自などではなく、人生において成し遂げた仕事によって評価されるべきであることが雄弁に物語られていたと言っていいだろう。

 マーンジーの生まれ育ったゲヘロール村は、ブッダが悟りを開いたボードガヤーも含まれるガヤー郡にあり、マガヒー方言の地域である。「Manjhi」に登場する台詞のほとんどがこのマガヒー方言となっており、標準ヒンディー語のみの知識だと聴き取りは困難な部類に入る。

 「Manjhi: The Mountain Man」は、22年間掛けて岩山を削り道を造った異類の最底辺カースト男を主人公にした物語である。ただひたすら岩山を削り続けた一人の男の一代記からは、愛と憎しみ、人間の意志の力、変わりゆく時代、不可触民制度など、様々なことが読み取れる。低予算の映画で、決して派手さはないが、主題となったダシュラト・マーンジーの生き様、監督の描写力、そして主演ナワーズッディーン・スィッディーキーの名演などが見事に融合し、2015年を代表する傑作に昇華している。