Khoobsurat

3.5
Khoobsurat
「Khoobsurat」

 ハリウッドの映画制作会社がインド映画に出資したりすることは、既に珍しくなくなって来ている。ソニー・ピクチャーズは「Saawariya」(2007年)、ワーナー・ブラザーズは「Saas Bahu aur Sensex」(2008年)や「Chandni Chowk to China」(2009年)、20世紀フォックスは「My Name Is Khan」(2010年)や「Dum Maaro Dum」(2011年)などに出資している。ウォルト・ディズニーもそのバンドワゴンに乗っかっているハリウッド映画制作会社のひとつで、今まで「Roadside Romeo」(2008年)、「Do Dooni Chaar」(2010年)、「Zokkomon」(2011年)などのヒンディー語映画の配給権を購入して来た。

 2014年9月19日に公開の「Khoobsurat」はディズニーの名前が冠に付いており、初めてディズニーが前面に出たヒンディー語映画だと言える。監督はシャシャーンカ・ゴーシュ。「Waisa Bhi Hota Hai Part II」(2003年)や「Mumbai Cutting」(2009年)の監督だ。作曲はスネーハー・カーンワルカルとバードシャー、作詞はイクラーム・ラージャスターニー、バードシャー、スニール・チョウドリー、アミターブ・ヴァルマー、スネーハー・カーンワルカル、クマール。

 主演はソーナム・カプール。プロデューサーとして、彼女の父親アニル・カプールや妹リヤー・カプールの名前が連なっている。相手役はパーキスターン人男優ファワード・アフザル・カーン。「Khuda Kay Liye」(2007年)で弟サルマドを演じていた俳優である。他にキロン・ケール、ラトナー・パータク・シャー、アーミル・ラザー・フサイン、アショーク・バンティヤー、サイラス・サーフーカル、ヤシュワント・スィン、スィムラン・ジャハーニーなど。また、アディティ・ラーオ・ハイダルがカメオ出演している。

 ちなみに、題名の意味は「美しさ」。1980年にリシケーシュ・ムカルジー監督が撮った「Khubsoorat」があるが、この映画をルーズに下敷きにしたのが2014年の「Khoobsurat」である。

 理学療法士のムリナーリニー・チャクラヴァルティー、通称ミリー(ソーナム・カプール)はサンバルガルのマハーラージャー、シェーカル・スィン・ラートール(アーミル・ラザー・フサイン)の治療をすることになった。シェーカルは、10年前に事故で長男のアンバルを亡くしており、そのときに負った怪我によって車椅子生活を余儀なくされていた。10年前のトラウマを引きずるシェーカルは、ミリーが指導するリハビリをしようとしなかった。彼はこのように何十人もの理学療法士を拒絶して来たのだった。

 シェーカルの邸宅には、妻のニルマラー・デーヴィー(ラトナー・パータク・シャー)と娘のディヴィヤー(スィムラン・ジャハーニー)が住んでいた。また、次男でビジネスマンのヴィクラム・スィン(ファワード・アフザル・カーン)も最近帰宅した。事故の後、家の切り盛りはニルマラーが取り仕切っており、家族や使用人を厳しく管理していた。そこに飛び込んだ破天荒なミリーは全く異質な存在で、本当ならすぐにでも追い返されるところであったが、ミリーはしばらく居着くことにする。ミリーは毎晩、デリーに住む母親マンジュー(キロン・ケール)とスカイプで会話をしていた。マンジューは、ミリーの結婚相手を探しており、ヴィクラムにも目を付けていたが、ヴィクラムにはキアーラー(アディティ・ラーオ・ハイダル)という許嫁がいた。

 ミリーは徐々にシェーカルの心を勝ち取る。シェーカルはリハビリをするようになり、3ヶ月後に控えたヴィクラムとキアーラーの結婚式の日に歩いて皆を驚かすという目標を持つ。また、ディヴィヤーは女優になる夢を抱いていたが、ニルマラーはそれを許さなかった。そこで彼女は家出することを計画しており、それをミリーに明かす。さらに、このときまでにミリーはヴィクラムに恋しており、ヴィクラムもミリーのことが気になる存在となっていた。二人は今まで2回キスをしていた。

 ある日、とうとうディヴィヤーが家出を実行する。ディヴィヤーはすぐに帰って来るが、この騒動をきっかけにミリーは遂に追い出されてしまう。だが、ミリーの影響は絶大だった。ミリーのリハビリのおかげでシェーカルの足は動くようになっており、彼は立つこともできるようになっていた。それを見たニルマラーは、急にミリーを認めるようになる。一方、ヴィクラムは悩み抜いた末にキアーラーとの婚約を破棄する。シェーカルとニルマラーも息子の決断を支持し、彼をデリーに送る。デリーでヴィクラムはミリーにプロポーズをし、ミリーもそれを受け容れる。マンジューの許可が下りたことで、晴れて二人は結婚することになる。

 厳格な家庭に、底抜けに明るい部外者がやって来て、雰囲気をガラリと変えてしまうというプロットは、20世紀フォックスの古典的名作「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)などを思わせる。また、本作の主人公ミリーのような、キャラの立った女性主人公は、「Jab We Met」(2007年)や「Tanu Weds Manu」(2011年)など、最近のヒンディー語映画のトレンドだ。それでいて、「Khoobsurat」のような典型的なシンデレラ・ストーリー――庶民の女性が王子と結婚する――は、近年のロマンス映画では抜け落ちていたサブジャンルで、逆に新鮮であった。

 ヒンディー語映画は伝統的に男性視点で描かれているが、最近は女性が主人公なだけでなく、女性視点の映画もチラホラ出て来た。「Khoobsurat」は、そんな作品群のひとつだ。多くのシーンがミリーの視点から描かれており、少女漫画的な展開となっている。

 「Khoobsurat」のユニークな点としては、ミリーとヴィクラムの「心の声」が台詞化されていたことが挙げられる。この2人は出会った後から惹かれ合うのだが、それを明確に声に出すことはせず、心の中で叫び合う。こういう形で心象描写を行う映画は、今まであまりなかったと感じた。この点も漫画的だと言えるだろう。

 ただ、毎回ソーナム・カプールの映画を観て残念に思うのは、彼女の演技力の不安定さだ。肩の力を抜いて自然体で演じることができているときは大きな問題がないのだが、いざ演技しようとすると彼女はどうしてもわざとらしくなってしまう。一方、ファワード・アフザル・カーンの方は、ウルドゥー語の発音が美しく、惚れ惚れしてしまった。王子としての風格もバッチリで、わざわざパーキスターン人俳優を起用した甲斐があったと言うものであろう。

 ちなみに、劇中にはインド人の名字にまつわる誤解ネタがあった。少し解説が必要であろう。主人公のミリーはチャクラヴァルティーという名字を持っている。これはベンガル人の名字である。ニルマラーがミリーを雇ったのも、ベンガル人であろうと考えたからであった。ベンガル人は教養が高く大人しいイメージがある。だが、実際には彼女はパンジャーブ人そのもののだった。彼女の父親は確かにベンガル人だが、母親はパンジャーブ人であり、ミリーの名字は父親譲りであるものの、性格は完全に母親譲りであった。パンジャーブ人は粗野でおしゃべりなイメージがある。そんな訳で、ミリーがパンジャーブ人だと知ったときニルマラーは驚いたのだった。

 「Khoobsurat」は音楽でかなり冒険している。サンプリングミュージックの女王スネーハー・カーンワルカルを起用しており、通常のロマンス映画とは一線を画した音楽となっている。蒸気機関車の汽笛の音から始まる「Engine Ki Seeti」やファンキーなディスコナンバー「Maa Ka Phone」など、かなり好き勝手やっている印象だ。

 主人公のミリーはデリー出身という設定だったが、舞台の大部分はラージャスターン州だった。マハーラージャー・シェーカル・スィン・ラートールの邸宅は、ビーカーネールにあるラクシュミー・ニワース・パレスであり、ヴィクラムが購入しようとするスーラジガルは、ジャイプルのアーメール・フォートである。

 「Khoobsurat」は、1980年の「Khubsoorat」のルーズなリメイクであるが、ほとんどオリジナルと言っていいほどアレンジされており、現代の観客がフルで楽しめる作品となっている。女性視点の女性向けロマンス映画で、エンディングも「王子様と結婚」と乙女チックにまとめてある。心の声が台詞として表現されていたり、スネーハー・カーンワルカルのぶっ飛んだ音楽が散りばめられていたりと、ユニークな点もある。観て損はない作品だ。