人気女優プリヤンカー・チョープラーはヒット作「Dostana」(2008年)のヒロインであったが、その中で彼女がフィーチャーされたダンスソング「Desi Girl(国産ガール)」が特に人気となり、「デーシー・ガール」は彼女のニックネームになった。おそらくその人気を土台にしているのだろう、「Desi Boyz(国産ボーイズ)」と題した映画が本日(2011年11月25日)より公開された。監督はヒンディー語映画界の「コメディーの帝王」と呼ばれて久しいデーヴィッド・ダワン監督の息子ローヒト・ダワン。本作が彼にとって監督デビュー作となる。主演男優はアクシャイ・クマールとジョン・アブラハム。二人は「Garam Masala」(2005年)で共演しており、当時からスクリーン上での相性の良さが評価されていた。ヒロインはディーピカー・パードゥコーンとチトラーンガダー・スィン。今年の話題作の一本であるが、内容が多少アダルトなためか、映画館では18歳未満の入場が厳格に禁じられていた。
監督:ローヒト・ダワン(新人)
制作:クリシカー・ルッラー、ヴィジャイ・アーフージャー、ジョーティ・デーシュパーンデーイ
音楽:プリータム
歌詞:イルシャード・カーミル、クマール、アミターブ・バッチャーチャーリヤ
振付:ボスコ=シーザー
衣装:クナール・メヘター、パリークシト・ラールワーニー
出演:アクシャイ・クマール、ジョン・アブラハム、ディーピカー・パードゥコーン、チトラーンガダー・スィン、オーミー・ヴァイディヤ、アヌパム・ケール、サンジャイ・ダット(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
ロンドンで同居するニック・マートゥル(ジョン・アブラハム)とジグネーシュ・パテール、通称ジェリー(アクシャイ・クマール)は大学時代からの親友だった。エリート志向の強いニックはMBAを取得し証券マンとして働いている一方、気まぐれでお調子者のジェリーはショッピングモールで警備員をしていた。ニックにはラーディカー・アワスティー(ディーピカー・パードゥコーン)というフィアンセがおり、結婚式やハネムーンの計画を立てているところであった。ラーディカーの父親(アヌパム・ケール)とも良好な関係を築いていた。また、ジェリーは甥のヴィールの後見人となっていた。ヴィールの両親は既に亡くなっていた。 時は2009年、世界同時不況が発生。ニックは職を失う。またジェリーも不景気とは関係なく解雇され、二人は経済的に困窮する。ニックはラーディカーに振られることを恐れて失業を明かせなかった一方、ジェリーはヴィールの教育費を支払えなくなってしまった。社会サービス局はジェリーがヴィールを育てる状況にないと判断し、ヴィールをホストファミリーに養子に出す手続きを勝手に進めていた。二人は再就職のために奔走したが、大不況の中で彼らを雇おうとする雇い主はいなかった。 そんなとき二人はひょんなことから男性エスコートサービス「デーシー・ボーイズ」のオーナー(サンジャイ・ダット)と出会う。オーナーは二人をエスコートボーイに勧誘する。何としてもヴィールを奪われることを避けたかったジェリーはそれを快諾し、後にニックも彼に加わる。それぞれロコとハンターという源氏名を与えられた2人はたちまちの内に人気エスコートボーイとなり、大金を稼ぐ。 ところがニックはエスコートボーイをしていることがラーディカーに知れてしまう。ラーディカーは失望し彼と絶交する。また、社会サービス局もジェリーがエスコートボーイをしていることを察知し、ヴィールの保護者として不適切と判断して彼から無理矢理ヴィールを引き離してしまう。 ラーディカーを失ったニックとヴィールを失ったジェリーは仲違いしてしまう。ニックは、ラーディカーの父親の助けを借りて、ラーディカーの家の真ん前に住み始め、彼女を説得し出す。しかしラーディカーは彼を無視し、アジャイ(オーミー・ヴァイディヤ)というインド人男性とお見合いするようになる。一方、ジェリーは大学を中退したことが人生転落のきっかけになったと考え、大学に入り直す。そこで、かつて同級生だったタニヤ(チトラーンガダー・スィン)と再会する。タニヤは大学で経済学を教えていた。ジェリーとタニヤは親密な関係になる。 数ヶ月が過ぎ去り、ようやくラーディカーもニックを許す気になる。また、ジェリーも大学を卒業し、何とか就職もする。全てがうまく回り始めていた。 最後の難関はヴィールの親権を取り戻すことだった。ジェリーは裁判所に訴え、裁判が行われる。相手方の弁護士はなんとあのアジャイであった。アジャイはジェリーの過去の弱みを突いてジェリーが親権者として不的確であることを証明しようとする。ところがデーシーボーイズのオーナーの援護射撃もあり、ジェリーは訴訟に勝つ。 2年後・・・。再び世界を大不況が襲う。またも無職になった2人はデーシーボーイズで働き始める。
ジョン・アブラハムとアクシャイ・クマールという筋肉派男優がエスコートボーイになるというユニークな導入部が映画の呼び込み文句だったが、二人がエスコートボーイとして活躍するのは前半のみで、後半はあまりエキサイティングでない展開となる。基本的にはコメディー映画で、大半のお笑いシーンは笑えたし、所々でじ~んと来るシーンもあったが、メインのカップルとなるニックとラーディカーのロマンス部分の弱さなどもあり、全体的な完成度は高くなかった。
最近のヒンディー語映画は時事ネタを映画に取り込むスピードがかなり早く、「Desi Boyz」も2009年の世界大不況を背景としてストーリーを展開している。世界大不況をストーリーの出発点にした映画には既に「Phas Gaye Re Obama」(2010年)などがあるが、「Desi Boyz」は不況がよりストーリーに深く関わっていた。
ひとつのトピックは、不況が恋愛にも影響を与えたという点である。今まで高給を稼ぎ、恋人と結婚間近だった男性が、不況により解雇されたことで、許嫁から一方的に婚約破棄されたという話がストーリー中にあり、それがニックとラーディカーのロマンスの行方を占う土台となっていた。ニックは、男性視点から、また実はその男性と同じ立場にあるという秘密を抱えていることから、「一番支えて欲しいときに恋人を見捨てるなんて、なんて女だ」と、その女性の行為を糾弾する。一方でラーディカーは、女性視点から、「誰にでも結婚後の人生について夢を見る権利がある」と、女性を擁護する。この言葉が遠因となって、ニックはラーディカーに対して失業したことを明かす勇気を持てず、最終的にはエスコートボーイにならざるを得なくなる。
ニックにとって、ルームメートのジェリーと共にエスコートボーイをしていることは絶対の秘密であった。しかしながら、ロコとハンターを名乗ってエスコートボーイをしていた二人は期せずして人気となってしまい、彼らの「仕事ぶり」がYouTubeでアップされてしまう。そしてそれがラーディカーの目に触れてしまうのだった。この暴露の仕方はいかにも現代らしい。最新テクノロジーを映画に導入するのもヒンディー語映画はかなり早く積極的だ。
ここまでは良かったのだが、ラーディカーがニックと絶交し、彼の説得も聞かずに何ヶ月も無視を貫く態度は非常に非現実的であった。また、ラーディカーがニックを許したのも、実はジェリーの養子ヴィールを助けるためにエスコートボーイをせざるをえなかったと聞いた後であった。しかしながらそういう話をラーディカーが予想できなかったことも非現実的であった。そしてラーディカーがニックを許した後、彼に逆プロポーズをするシーンも唐突であった。総じて、ニックとラーディカーの恋愛は非常に弱いプロットだった。
一方でジェリーは、一応タニヤというお相手が登場するものの、メインは彼の養子ヴィールとの関係と共に進行する。一応ジェリーは、無責任なお調子者として紹介されつつも、弱者に親切な一面も見せており、それは甥のヴィールの世話を一身に引き受けていることにつながっている。エンディングもジェリーが裁判に勝ってヴィールを取り戻したところでまとめられている。ジェリーとヴィールの関係はコメディー色の強いこの映画の中で涙の部分を司っており、それはある程度成功している。しかし、無理にそういうお涙頂戴のプロットを盛り込む必要があったのかとも感じた。
どちらかというと前半のテンションのまま映画を終えた方がコメディー映画としては成功したことだろうと思う。前半を2倍に拡大し、ニックとラーディカーの恋愛をもっと分かりやすくし、ヴィールのプロットをなくせば、より引き締まったことだろう。父親デーヴィッド・ダワン監督が徹底的なコメディー映画を好んで作るのに対し、ローヒト監督は本作に限ってはバラエティーに富んだ娯楽映画を目指して制御不能となっている印象を受けた。
ちなみに、劇中にはインド人の愛国心を刺激するシーンがあった。ジェリーが入り直した大学で、教授がインドのことを馬鹿にする。するとジェリーは、「ホットメールはインド人が発明した。ゼロもインド人が発見した」とインド人の功績を並べるのだ。このピンポイントの愛国心刺激法は「Namastey London」(2007年)で成功した手法で、アクシャイ・クマールの快進撃のきっかけとなった。
キャスティングは意外性があった。アクシャイ・クマールとジョン・アブラハムの共演と聞くと、年功序列によりアクシャイの方がメインキャラクターを演じるだろうと予想されるのだが、実際にはジョンの方がメインであり、メインヒロインのディーピカー・パードゥコーンとカップリングされていた。ジョンはお世辞にも演技に長けている訳ではないし、踊りも固いのだが、「Desi Boyz」ではかなりいい演技をしていたと言える。グジャラート人という設定で、片言のグジャラーティー語を話していたのはひとつの愛嬌か。アクシャイの方も、近年単なる馬鹿騒ぎに終始した演技が多かったのだが、今回ではいい具合に肩の力が抜けていて好感が持てた。
ディーピカー・パードゥコーンは意外に出番が少ないし、コメディーにもほとんど関わって来ない。オーミー・ヴァイディヤを誘惑するシーンが一番光っていた。サブヒロインとなるチトラーンガダー・スィンはどちらかというとアート系映画をメインフィールドとしている演技派女優であるが、今回はセクシーなダンスをしたりしてかなりイメチェンを図っている。しかし彼女の役割も尻すぼみで終わってしまっていた。最後にジェリーの母親にグジャラーティー語で話すところで、ジェリーとの結婚が暗示されていただけであった。
特別出演ながら存在感抜群だったのがサンジャイ・ダット。映画の題名ともなっているエスコートボーイ・クラブ「デーシー・ボーイズ」のオーナーであり、映画の最後でもおいしい登場の仕方をする。アヌパム・ケールのコミカルな父親役も良かったが、「3 Idiots」(2009年)のチャトゥル役で一躍大人気となったオーミー・ヴァイディヤがこれまたおいしい役で出演。彼は、スクリーンに出て来るだけで会場が沸く人気となっており、今回もチャトゥルの延長線上にあるコミックロールを演じていた。
音楽はプリータム。どこかで聞いたような曲ばかりであまり個性がないが、タイトル曲「Make Some Noise for Desi Boyz」や「Tu Mera Hero」など、元気のいいダンスナンバーが多く、悪くはない。
ちなみに、大学卒業後にジェリーが就職のための面接を受けるシーンは、ペプシ・マックスのテレビCMの完全なパクリである。テレビCMまでネタ元になり始めたことには驚きを隠せない。この点では、ローヒト・ダワン監督には失望した。
「Desi Boyz」は、デーヴィッド・ダワン監督の息子で新人のローヒト・ダワン監督による都会派コメディー映画。笑えるシーン、泣けるシーン、それぞれあってつまらない作品ではないが、ロマンスが弱かったり笑いに徹することができていなかったりして、全体的な完成度は高くない。アクシャイ・クマールとジョン・アブラハムのエスコートボーイとしての活躍シーンもそんなに長くない。また、年齢認証がAとなり、18歳未満は鑑賞できないので注意が必要だ。