2024年3月21日からAmazon Prime Videoで配信開始された「Ae Watan Mere Watan(ああ祖国よ、我が祖国よ)」は、英領インド時代に当局の目を盗んでラジオ局を立ち上げ、全国のインド人に自由と独立を訴えかけた実在の女性フリーダムファイター、ウシャー・メヘターの伝記映画である。ウシャーはこの映画の公開前まではほとんど無名の人物だった。知名度は低いもののインド独立に貢献した知られざるフリーダムファイターを発掘し、その功績を広く知らしめる目的で作られた愛国主義映画だといえる。日本のAmazon Prime Videoでも日本語字幕付きで視聴でき、邦題は「祖国に翼を」と付けられている。
監督は「Ek Thi Daayan…」(2013年)のカンナン・アイヤル。主演はサーラー・アリー・カーン。他に、イムラーン・ハーシュミー、アーナンド・ティワーリー、サチン・ケーデーカル、アバイ・ヴァルマー、スパルシュ・シュリーヴァースタヴ、アレックス・オニールなどが出演している。
1942年、ボンベイ。親英的な裁判官ハリプラサード・メヘター(サチン・ケーデーカル)の一人娘ウシャー(サーラー・アリー・カーン)は、マハートマー・ガーンディーに影響を受け、国民会議派の活動に参加していた。8月8日、ガーンディーは「インドを去れ」運動を開始し、「行動か、死か」のスローガンを国中に広める。植民地政府は国民会議派の政治家たちを逮捕し、運動を押さえ込もうとする。 ウシャーはラジオ局を立ち上げて国中にフリーダムファイターたちのスピーチ音源を放送することを思いつき、フィルダウス・エンジニア(アーナンド・ティワーリー)や、友人のカウシク(アバイ・ヴァルマー)、ファハド(スパルシュ・シュリーヴァースタヴ)と共に「コングレス・ラジオ」を秘密裏に開設する。ラジオから流れてくるメッセージは国中の活動家たちに届いた。 父親から家に閉じ込められそうになったウシャーは家出をし、国民会議派活動家たちのアジトに身を寄せる。そこで彼女は著名な活動家ラーム・マノーハル・ローヒヤー(イムラーン・ハーシュミー)と出会う。ウシャーは自分たちがコングレス・ラジオの運営者だと明かし、彼のスピーチを放送することを決める。 違法なラジオ局が反英的な放送をしていることを察知した当局は取り締まりに乗り出す。警察官のジョン・ライル(アレックス・オニール)は電波探知車を調達してラジオ局の発信場所を特定しようとする。だが、警察の中にも国民会議派のシンパがおり、ウシャーたちに危機を伝えてくれる。ジョンが近づくと彼らは放送を止め逃げ出すことを繰り返した。 ローヒヤーはディーワーリー祭の日に一斉蜂起を呼びかけることを決める。だが、ジョンは電波探知車を2台用意し、三角測量で発信元を突き止めようとしていた。ウシャーは発信器を2台作って攪乱しようとするが、ジョンの動きの方が早く、エンジニアが逮捕されてしまう。それでも一斉蜂起のメッセージは全国に発信しなければならなかった。 ウシャーは国のために命を捧げることを決意し、危険を承知でディーワーリー祭の日に放送を決行する。彼女は一人でそれを行おうとしたが、ウシャーに好意を寄せていたカウシクも加わる。放送が始まるとジョンは早速探知に乗り出し、ウシャーとカウシクを逮捕する。一斉蜂起のメッセージは全国に伝わり、各地の活動家たちが行動を開始するが、それらは鎮圧されてしまう。 ウシャーはローヒヤーの居所について尋問を受けるが口を割らなかった。ウシャーは4年の禁固刑となり、1946年に釈放された。だが、それまでに彼女の勇敢な行動はインド人に知れ渡っており、刑務所の外では大勢の人々が彼女を迎えた。ハリプラサードも娘を誇りに思うようになる。
映画の主な時間軸である1942年は既に第二次世界大戦中であり、英国はヨーロッパでドイツと、アジアで日本と対峙していた。同年2月には英国領だったシンガポールが日本の手に落ち、5月にはビルマも陥落して、英領インドにもいよいよ戦果が迫ってきていた。そんな中、インド国内では英国からの完全なる独立を目指す「インドを去れ(Bharat Chhodo/Quit India)」運動の開始が宣言された。当局はその抑え込みのために、独立運動を主導していた国民会議派(INC)の指導者たちを軒並み逮捕してしまった。こうして、独立運動は逮捕を免れた若い活動家に任されることになった。
主人公ウシャー・メヘターは、幼少時からマハートマー・ガーンディーに感化され、独立運動に身を投じることを熱望していた。「インドを去れ」運動に対する弾圧によってガーンディーなどの指導者たちが逮捕された後、ウシャーは運動を継続するために何が必要かを考えた末に、情報戦を思い付く。当時、報道の自由は厳しく制限され、反英的な報道は検閲を受け排除されていた。これでは自由と独立のメッセージを同志たちに伝えることができない。そこで彼女が思い付いたのがラジオだった。過去四半世紀、インターネットが世界中に情報革命をもたらしたように、当時はラジオが情報革命を起こしていた。ラジオ局の設立も規制されてはいたものの、技術的には電波を使ってメッセージを発信することは可能だった。彼女は秘密裏にコングレス・ラジオを設立し、フリーダムファイターたちの録音スピーチを放送し始める。コングレス・ラジオは3ヶ月ほどしか活動しなかったが、それが人々に与えた影響は小さくなかったといわれている。
ウシャーの他にもう一人、重要人物が登場する。ラーム・マノーハル・ローヒヤーである。英領時代後期に頭角を現した独立活動家の一人で、INC内にコングレス社会主義者党(CSP)を設立した人物だ。コングレス・ラジオでスピーチを行っていたのは彼であった。ローヒヤーはインド独立後、INCとは袂を分かち、インド社会主義者党(SPI)を立ち上げて、INC一党支配と戦った。近年、INCのライバル政党であるインド人民党(BJP)が中央で長期政権を維持しており、その影響でアンチINCの映画が目立つようになった。「Ae Watan Mere Watan」にINCへの批判は強く感じなかったが、ローヒヤーが表舞台に出て来たのは、やはり独立後のインドで支配的だったINC中心史観が急速に弱まっている証拠であろう。ちなみにローヒヤーはウッタル・プラデーシュ州政府にてBJPの前身であるインド人民同盟(BJS)と連立を組んだことがある。
映画の主な主題は個人と国家、もしくは世俗的な愛情と愛国であった。ガーンディーに感化されたウシャーはインド独立のため自身の命を犠牲にすることをためらわなかった。だが、彼女は愛国の道を突き進む上で、世俗的な愛情の束縛に後ろ髪を引かれることになる。
第一の束縛は父親であった。親英的な裁判官だった父親は、娘が反英運動に関わることを好ましく思っておらず、彼女には勉強に集中してもらいたいと思っていた。父親と良好な関係を築いていたウシャーは、愛国の感情が高まれば高めるほど、父親への愛情との板挟みに苦しむ。だが、彼女の答えは明白だった。遂に彼女は家出をし、父親の束縛を振り切って、独立運動に身を投じる。同居する叔母が彼女のその決断を後押ししてくれたのも踏み切れた理由であった。
第二の束縛はカウシクであった。カウシクはウシャーに片思いをしていた。ウシャーが独立運動に参加しているからカウシクも一緒に参加していた。だが、ラジオ局を始め、当局から追われる身となると、ウシャーは次第にカウシクの愛情も重荷に感じるようになる。ウシャーはガーンディーの前で一生独身を通すと誓った身であり、恋愛に時間を費やしている暇はなかった。彼女の身を案じてばかりのカウシクもウシャーは最終的に切り捨てることになる。
「Ae Watan Mere Watan」はロマンス映画ではないため、ウシャーとカウシクの関係はそれ以上進展しない。愛する家族を捨て、自分の身を案じてくれる異性を振り払って、インド独立のために命すら危険にさらしたウシャーの勇気ある行動を賞賛する内容になっており、彼女のような多くの名もなきフリーダムファイターたちが実際にはインド独立に大きく貢献したことがインド国民に対して示されていた。
若手ヒロイン女優の一人サーラー・アリー・カーンは、デビュー当初は軽めの役を演じることが多かったが、「Atrangi Re」(2021年)、「Gaslight」(2023年)とシリアスな役柄に挑戦して着実にレベルアップしており、この「Ae Watan Mere Watan」でも愛国に邁進する女性フリーダムファイター役をシリアスに演じ切った。映画中、彼女がリラックスしている時間帯はほとんどなく、常に何かを追い求めている。いくつかの場面では迫力ある演技も見せており、彼女のキャリアにとって大きな飛躍を演出する作品になった。
ローヒヤー役を演じたのはイムラーン・ハーシュミーであったが、これはサプライズの起用だといえるだろう。かつて「連続キス魔」の異名を持ち、エロティックなロマンス映画を十八番としていたイムラーンは、近年自らのイメージを壊す役柄にも果敢に挑戦するようになっている。「Tiger 3」(2023年/邦題:タイガー 裏切りのスパイ)での悪役も記憶に新しい。「Ae Watan Mere Watanでの彼は、いい意味で彼らしさがなかった。どんな映画でも我を出すタイプの俳優から、役柄に自分を溶け込ませるタイプの俳優に脱皮しつつあるのを感じる。
「Ae Watan Mere Watan」は、実在する女性フリーダムファイター、ウシャー・メヘターの伝記映画である。当局の目をかいくぐってラジオ局を開設した人物であり、活動としては地味だ。しかしながら、うまく緊迫感を出して物語にしており、サーラー・アリー・カーンの熱演も見られる。観て損はない映画である。