2024年1月12日公開の「Merry Christmas」は、フランスの小説家フレデリック・ダールの「Le Monte-charge(貨物用エレベーター)」(1961年)を原作にしたクライムサスペンス映画である。フランスでは早くも1962年にこの小説の映画化が行われ、「夜のエレベーター」の邦題が付けられている。「Merry Christmas」についてはヒンディー語とタミル語で平行して撮影が行われ同時公開されたが、鑑賞したのはヒンディー語版だ。元々は題名の通りクリスマスに合わせての公開が計画されていたが、諸事情により年明けに公開されることになった。
監督は「Agent Vinod」(2012年/邦題:エージェント・ヴィノッド 最強のスパイ)や「Andhadhun」(2018年/邦題:盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲)のシュリーラーム・ラーガヴァン。凝った撮影手法や緻密なストーリーテーリングで知られるスリラー映画の名手である。
主演はカトリーナ・カイフとヴィジャイ・セートゥパティ。これは異色の組み合わせだ。カトリーナはヒンディー語映画界の王道ヒロイン女優、ヴィジャイはタミル語映画界の曲者スターである。カトリーナは駆け出しの時代にいくつか南インド映画に出演したことがあるが、タミル語映画出演は初だ。一方のヴィジャイは最近ヒンディー語映画にも顔を出すようになっており、「Jawan」(2023年)でシャールク・カーンと共演し悪役を演じたばかりである。一体この二人がスクリーン上でどんな化学反応を起こすのか、キャスティングだけでも話題性がある。
他には、「Cirkus」(2022年)のアシュウィニー・カルセーカル、「Rock On!!」(2008年)のルーク・ケニー、サンジャイ・カプール、ヴィナイ・パータク、プラティマー・カーズミー、ティーヌー・アーナンド、ラーディカー・アープテー、ガーヤトリー、サーヒル・ヴァイドなどが出演している。ただし、ヒンディー語版とタミル語版ではキャストが若干異なる。
まだムンバイーがボンベイと呼ばれていた時代。クリスマスイブの日にアルバート(ヴィジャイ・セートゥパティ)はとあるレストランに一人で入り、そこでアニーという女の子を連れた美女マリア(カトリーナ・カイフ)と出会う。アルバートはその後、映画館で映画を観るが、そこでもマリアとアニーを見掛ける。成り行きからアルバートは眠ってしまったアニーを抱えマリアを自宅まで送ることになる。マリアはベーカリーを経営しており、その上階にある部屋に住んでいた。マリアに誘われるがままアルバートは家に入る。 アルバートとマリアはお互いの身の上話をし始める。アルバートにはロージー(ラーディカー・アープテー)という恋人がいたが、7年前に別れてしまい、以後、彼女に渡そうとしていた婚約指輪を持ち歩いていた。マリアはジェローム(ルーク・ケニー)という夫がいたが、彼は愛人とお楽しみの真っ最中で、マリアは気晴らしのためにアニーを連れて外に出掛けていたのだった。 マリアはアルバートを散歩に誘う。アルバートはマリアを自宅まで連れて行き、そこで近所のおじさん(ティーヌー・アーナンド)の作ったワインを一緒に飲む。その後、再びアルバートはマリアを彼女の家まで送っていく。アルバートは日付が変わるまで彼女の家で過ごすことにする。ところが二人が部屋に戻ると、椅子にはジェロームの遺体が横たわっていた。アルバートはすぐに警察に電話をしようとするが、手を止める。なぜならアルバートは実はロージー殺しの罪で過去7年間服役し、この日に仮釈放されたからだった。殺人を犯して服役し仮釈放中の彼が殺人の現場に居合わせるのは都合が悪かった。それを聞いてマリアは彼を追い出す。 しばらくアルバートは街頭でチャーイを飲んでいたが、そのときマリアがアニーを連れてまた外出しているのを目撃する。後を付けてみると、二人は教会の深夜ミサに参加していた。そこでマリアは気を失い、隣にいたロニー(サンジャイ・カプール)に助けられる。ロニーはマリアとアニーを自宅まで送ろうとするが、アルバートも彼らに付いて行く。 マリアの家に入るとそこにはジェロームの遺体はなかった。驚くアルバートに対しマリアは早く出て行くように言う。マリアは時計を教会に忘れてきたと言い出し、アニーを寝かしつけた後、ロニーを連れて出て行く。アルバートは出た振りをしてマリアの家に戻るが、そこで大きな発見をする。 しばらくするとマリアとロニーが帰ってきた。アルバートのときと全く同じ光景が繰り返される。ジェロームの遺体が見つかり、ロニーは警察に電話をした。通報を受けてパレーシュ・カームダール警部補(ヴィナイ・パータク)らがやってくる。パレーシュは遺体を鑑識に回し、ロニーを警察署まで連れていく。 一方、後に残されたマリアは待ち伏せしていたアルバートと遭遇する。実は上階と下階に全く同じ部屋が作ってあり、一方にジェロームの遺体があった。マリアは、ジェロームがアニーに暴行をし彼女がしゃべれなくなってしまったこと、夫を殺す計画を立ててきたこと、そしてクリスマスイブの日にそれを決行したこと、アリバイ作りのために同じ部屋を作ったり男性を部屋に誘い込んだりしたことを自白する。誤って恋人を殺し服役していたアルバートにはマリアの気持ちがよく分かり、彼女に協力することにする。偽の部屋にあった家具を全て破壊し、ベーカリーの釜戸に放り込んで燃やした。ただ、ロニーの財布が見つかったことだけが誤算だった。燃やそうとするが、アルバートはそれを保管することにする。翌朝、アルバートはマリアの家を後にし自宅に戻る。 パレーシュ警部補に尋問されたロニーはアルバートの名前を出す。自宅で寝ていたアルバートも起こされ、警察署に連れて行かれる。そこで彼は警察に、教会での出来事から話す。同じくマリアとアニーも警察署に呼ばれており、教会での出来事から話す。ロニー、アルバート、マリアの話は一致していた。警察は一旦、ジェロームの死因を自殺と結論付けるが、ロニーの財布がなくなったことが分かり、強盗殺人の可能性も考え始める。 パレーシュ警部補は一旦彼らを帰そうとするが、そのとき突然アニーがしゃべり出し、アルバートを「サンタ」と呼んでしまう。アルバートはマリアにクリスマスプレゼントとして鳥の玩具を贈っていた。それによりアルバートとアニーが以前から知り合いだったことが分かってしまう。アルバートは罪がマリアに及ばないように、持っていたロニーの財布を差し出し、ロージーにあげるはずだった婚約指輪をマリアの指にはめる。
フランスの犯罪小説が原作であることから、登場人物のほぼ全てがキリスト教徒の名前だ。つまり、アルバート、マリア、ロニーといったキャラは全員キリスト教徒と考えていい。もちろんインドにもキリスト教徒がいるのでおかしいことではない。地域によってはクリスマスを盛大に祝うこともある。ボンベイ(現ムンバイー)も十分にまとまった数のキリスト教徒が住む街に含まれる。
物語の起点はマリアによる夫ジェロームの殺害だ。明示はなかったものの、おそらくジェロームは娘のアニーに暴力もしくは性的虐待を加えていた。夫婦仲の悪化によりアニーは自分の子供ではないのではないかと疑い出したことが原因だ。そのトラウマによってアニーは口を閉ざし、言葉を発しなくなってしまう。最愛の娘を守るため、マリアはジェローム殺害を計画し出す。完全犯罪の実現するため、彼女は自宅とそっくりな部屋をこしらえ、そこに目撃者となる第三者を連れ込んで、アリバイを作り出して殺害を実行する。
マリアはいわばDV夫の被害者であり、娘を守るために夫を殺害した。夫に窮地に追い込まれての殺人であり、彼女のしたことには同情の余地がある。序盤、マリアはミステリアスな女性として登場するが、彼女の行動の背景やその動機が分かると、観客は彼女に同情することになる。そして、心の中では、彼女の罪が警察に知られないように、知られたとしても彼女に罰が及ばないようにと願うことになる。
アルバートはマリアの画策した完全犯罪に巻き込まれた存在だ。マリアはアルバートを偽の自宅に連れ込み、彼をそこで待たせたまま、真の自宅に戻って、あらかじめ昏睡させていたジェロームを拳銃で撃ち殺す。そして何事もなかったかのように偽の自宅に戻り、理由を付けてアルバートを外に誘い出す。そして帰ってくると、今度は彼を真の自宅に招き入れる。そこにはジェロームの遺体が横たわっていた。マリアはアルバートを自分のアリバイの証人にしようとした。だが、殺人罪で服役し、仮釈放されたばかりの彼が警察への通報を拒否したことで、彼女の綿密な計画は頓挫する。パニックになったマリアにアルバートは追い出されてしまう。
マリアは今度はロニーという好色な男性をターゲットにし、アルバートとほとんど同じ手法で偽の自宅に誘い込む。だが、そこにはロニーも付いてきていた。マリアの行動を不審に感じたアルバートは一旦帰ったように見せ掛けて彼女の謎を解き明かそうとする。だが、マリアの身の上を知ると、一転して彼女に協力し出す。彼女の完全犯罪実現に手を差し伸べたのだ。
その後、警察署に呼ばれたロニー、アルバート、マリアがほとんど同じ供述をしたことで、パレーシュ警部補は彼らを釈放しようとする。あと一歩で完全犯罪が成立するところだった。だが、思わぬところから横槍が入る。ずっとしゃべれなかったアニーが急にしゃべり出したのだ。アニーはアルバートから魔法使いの話を聞いており、その魔法使いが自分の言葉を返してくれると信じ込んでしまっていた。そしてちょっとした偶然からアニーはパレーシュ警部補をその魔法使いだと見なしてしまったのだ。アニーの発言はアルバートとアニーが以前から知り合いだったことを暗示するもので、下手をするとそこからマリアの犯罪がばれる恐れがあった。それを察知したアルバートは、全ての罪を自分がかぶることにしたのだった。
その場面は今後名シーンとして語り継がれるものになるかもしれない。警察はジェロームの死因を、自殺か、もしくは強盗犯による殺人か、2つの線で捜査しようとしていた。アルバートは自分が強盗になることでマリアを救うことができると瞬時に判断した。そして、ロニーが偽の部屋に置いていった財布を取り出した後、昔の恋人であり、殺めてしまった相手であるロージーに渡そうとしていた婚約指輪をマリアに渡す。それは、警察の目には、彼が彼女の家から盗んだ指輪を返しているように見えた。だが、アルバートとしては、自己犠牲を示すと同時に、マリアに対する求婚でもあった。その前にアルバートは「犠牲よりも暴力が最善のこともある」と語っていたが、彼はこのときばかりは暴力よりも犠牲を選んだのだった。
スリラー映画でありながら心温まる演出には非常に感服させられたが、それ以上に自由自在なカメラワークにも優れたものがあった。最後のシーンを含め、所々で長回しを効果的に使い、カメラで物事を語ることができていた。
近年はヒンディー語映画でも存在感を示し始めているヴィジャイ・セートゥパティではあるが、ヒンディー語はまだ得意ではなさそうだ。彼のヒンディー語のセリフは時々聴き取りづらい。よって、ヒンディー語映画に出演している限り、セリフで勝負することは難しそうだ。その代わり、表情や所作など、言語に頼らない演技で弱点を補完している。
それよりも驚いたのはカトリーナ・カイフの方だ。震える手、細かく瞬きする目など、細部まで行き届いた演技を丁寧にしており、「Merry Christmas」は彼女のキャリアベストが見られる作品と評してもいいだろう。クレジットにおいて年上の男性スターであるヴィジャイよりも彼女の方が先に来ていたが、このような別格の扱いは今までなかったように感じる。40歳になり、結婚もし、女優として岐路に立っていると思われるが、今後演技派女優としての道を歩む選択肢もありに思えてきた。
なぜかセリフの中などに日本についての言及が何回かあったのが気になった。近年、ヒンディー語映画に「金継ぎ」が出て来るなど、静かな日本ブームが起こっている。「Merry Christmas」では、特に日本が何かの伏線になるようなことはなかった。
「Merry Christmas」は、ハートウォーミングなクライムサスペンス映画という新境地を切り拓く作品だ。シュリーラーム・ラーガヴァン監督のまとめ方はさすがに巧みであるし、カトリーナ・カイフとヴィジャイ・セートゥパティによる異色の共演も南北からの関心を集める戦略的なキャスティングだ。特にカトリーナのキャリアにとって重要なターニングポイントになるかもしれない。必見の映画である。