インドにおいて飲酒は日本ほど許容されてはおらず、むしろ社会悪の扱いであり、様々な規制がある。まず、当然のことながら飲酒には年齢制限がある。州によって異なるが、18歳から酒を飲める州もあれば、25歳にならないと酒を飲めない州もある。さらに、酒の販売や提供が禁止されている禁酒州がある。2023年現在、ビハール州、グジャラート州、ミゾラム州、ナガランド州、ラクシャドイープ準州の5州が禁酒州である。しかも、飲酒ができる州であっても、祝日や選挙の日にはドライ・デーとなり、酒の販売や提供が禁止される。厳格なイスラーム教国家ほど厳しくはないものの、日本人の目には十分に酒が飲みにくい国に映るだろう。
2023年12月22日からアマゾン・プライム・ビデオで配信開始された「Dry Day」は、正に飲酒を主題にした映画である。監督はサウラブ・シュクラー。曲者俳優で知られるが、脚本家でもあり、時々映画も撮っている。主演は「Jaadugar」(2022年)のジテーンドラ・クマールと「Haathi Mere Saathi」(2021年/邦題:ハーティー 森の神)のシュリヤー・ピルガーオンカル。他に、アンヌー・カプール、シュリーカーント・ヴァルマー、スニール・パルワルなどが出演している。また、「Sonu Ke Titu Ki Sweety」(2018年)の「Bom Diggy Diggy」で人気を博したサークシー・マリクがアイテムソング「Dur Se Darshan」でアイテムガール出演している。
架空の町ジャゴーダルに住むガンヌー(ジテーンドラ・クマール)は、政治家ダーウージー(アンヌー・カプール)の腰巾着をする、飲んだくれのゴロツキだった。ガンヌーの妻ニルマラー(シュリヤー・ピルガーオンカル)の妊娠が発覚し、子供が生まれる前に市議会議員になりたいと考えるようになる。だが、ライバルのサットゥー(スニール・パルワル)もダーウージーに取り入って公認をもらおうとしていた。ガンヌーは公衆の面前でサットゥーを殴って病院送りにし、ダーウージーを怒らせてしまったため、市議会選挙の公認はサットゥーの手に渡った。ガンヌーはニルマラーにそれを隠していたが隠しきれず、それを知った彼女に愛想を尽かされてしまう。 一発逆転を狙ったガンヌーは、酔っ払った勢いで仲間を引き連れてデリーへ行き、ハンガーストライキをするダヤールジーの集会に乱入する。そこでさらに恥の上塗りをしてしまう。とうとうダーウージーにも見放されてしまった。 ガンヌーは自分で政党を立ち上げて立候補することを決め、ダヤールジーを真似てジャゴーダルでハンガーストライキを始める。ジャゴーダル唯一の酒屋を経営するバルワント(シュリーカーント・ヴァルマー)から資金援助を受けて実行した。だが、人々に酒を配り、自身も酒を飲みながらハンガーストライキをするといういい加減さだった。しかも、何の目的もなかった。二日酔いの中、ガンヌーは突然、禁酒政策を打ち上げる。アルコール中毒になった男性たちにほとほと困り果てていた女性有権者たちはガンヌーを応援し始める。 女性たちに祭り上げられたガンヌーはハンガーストライキを続ける。メディアに取り上げられたことでガンヌーの知名度が上がり、それを不快に感じたダーウージーはサットゥーに対策を命じる。サットゥーはガンヌーに同調したように見せ掛けて彼のイメージを悪くしようと画策するが、それを感じ取ったガンヌーは逆にサットゥーを罠にはめ、彼を追い払う。 市議会選挙が公示され、ガンヌーは立候補届を提出しようとするが、ダーウージーの命令により警察が動き、ガンヌーは逮捕される。ダーウージーはニルマラーとお腹にいる子供を引き合いに出して彼を脅し、ハンガーストライキを止めさせようとする。だが、逆にダーウージーの脅迫が明らかになり、彼は失脚する。ガンヌーは市議会議員に当選し、ジャゴーダルでは酒屋が閉業し、娘も無事に産まれた。
非常にステレオタイプではあるが、ジャゴーダルでは男性たちは朝から酒屋の前に集まって飲んだくれており、女性たちはそんな酔っ払いの男性たちに困り果てているという設定であった。つまり、男性は酒飲み、女性は酒嫌いとはっきり線が引かれていた。主人公ガンヌー自身もアルコール中毒であり、仕事もせずに酒を飲んでばかりいた。ニルマラーは教師の娘で教養があったが、ガンヌーに恋をしてしまい、彼を更生させるために結婚をした。だが、結婚後もガンヌーの酒癖は変わらず、ニルマラーは手を焼いていた。
ニルマラーの妊娠によりガンヌーに変化が多少の変化が現れる。ただ、酒を止めるという変化ではなかった。彼は子供が生まれる前に何らかの肩書きを欲したのである。そこで、地元選出の有力政治家ダーウージーに、自分を市議会選挙の公認候補にして欲しいと頼み込む。彼の行動原理に、誠実に努力をして何かを成し遂げようという考えは皆無で、あくまで手っ取り早く欲しいものを手に入れようとしていた。もちろん、世の中はそんなに甘くない。ライバルのサットゥーも市議会議員の地位を狙っており、対立することになる。
紆余曲折を経てガンヌーはダーウージーから見放され、自分で政党を立ち上げて立候補することを決める。それでも彼はとことんいい加減だった。何の政策も持たずにハンガーストライキを始め、集まった人々に酒を配り、自身も酒を飲んで、飲めや歌えの大騒ぎをしたのである。
実は、インドの選挙では立候補者が有権者にただ酒を配ることが当たり前になっている。もちろん、そのような行為は公職選挙法では厳しく禁止されている。だが、あまりにその悪習が定着してしまっているため、インドの有権者は選挙になるとただ酒が飲めると思っている。インドは「世界最大の民主主義国」を自称しており、確かに投票率も高いが、それは単純に有権者の政治参加率の高さを意味しない。むしろ、ただ酒を含む何らかの大盤振る舞いがあるから選挙に参加しているのである。よって、ハンガーストライキの集会が宴会になるという「Dry Day」の描写は決して現実離れしたものではない。
しかしながら、このハンガーストライキは物語の大きな転換点になる。二日酔いでフラフラになったガンヌーは、朦朧とした意識の中、酒の撲滅をワンイシューとして掲げ、それが集まった女性たちに大喝采で受け入れられたのである。以後、ガンヌーは禁酒を熱望する女性たちの救世主になる。誰よりもアルコール中毒だったガンヌーが禁酒政策の主導者になるというのがこの映画の面白いところだ。
実際にインドの政治において禁酒は女性有権者の支持を集めやすい。たとえば、ビハール州が禁酒州になったのは2016年4月からだが、これはビハール州のニーティーシュ・クマール州首相が2015年、州議会選挙前に公約したものだ。クマール州首相が率いる統一人民党(JDU)は女性有権者から絶大な支持を集めて選挙に勝利し、彼は州首相に返り咲いた。インドでも飲酒する女性はいるが、特に地方の女性たちにとっては酒は家族の男性メンバーを堕落させる有害物というイメージが強く、その禁止を訴える政治家は人気になる。ただ、酒税は州政府にとって大切な税収であり、なかなか踏み切れない州は多い。それでも、中央下院や州議会の定数の1/3を女性に留保することが既に決定しており、今後女性政治家が増えることから、禁酒を選ぶ州は増えていくかもしれない。
ジテーンドラ・クマールの演技力に問題はなかった。ただ、身長が低く、童顔のため、飲んだくれのゴロツキ役がピッタリはまる俳優ではないと感じた。どうしても人の良さが滲み出てしまう。ニルマラー役を演じたシュリヤー・ピルガーオンカルは、絶世の美女というわけではないが、表情豊かで振るまいにも味があり、いい女優だ。ダーウージーを演じたアンヌー・カプールは絶妙な演技であった。
映画の中で、汚職撲滅のためにデリーでハンガーストライキをするダヤールジーという社会活動家が登場したが、これは完全に2011年のジャンロークパール運動を主導したアンナー・ハザーレーをモデルにしている(参照)。
映画の舞台になったジャゴーダルは架空の町である。登場人物たちの話す言語はウッタル・プラデーシュ州マトゥラー近辺で話されるブラジ方言であり、しかもデリーとの距離が2時間ほどとのことなので、やはりマトゥラー辺りの町だと考えていいだろう。実際のロケはマディヤ・プラデーシュ州ボーパール近くのナルスィンガルで行われたという。
ホーリー祭のシーンもあった。「Halla Macha」に合わせて踊られるダンスシーンになっていた。ここで一瞬だけ映像に出て来るのが、マトゥラー近くのバルサーナーで祝われるユニークなラトマール・ホーリーである。ラトマール・ホーリーでは、ナンドガーオンの男性たちがバルサーナーの女性たちに棒で叩かれる。この祭礼を見学にし多くの人々が集まるほど有名である。
「Dry Day」は、アルコール中毒のゴロツキが禁酒をワンイシューとして掲げる政治家になるという突拍子もない風刺映画であるが、インド社会やインド人の価値観が分かってとても面白い作品だ。構成も分かりやすく、娯楽映画として気軽に楽しめるのもいい。スターパワーには欠けるものの、各俳優の演技に抜かりはない。観て損はない映画である。